走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

潮時かもしれない...

2012年01月29日 18時00分53秒 | すばらしい出会い
 あるNPOのご紹介で、横浜市で木のおもちゃを販売しておられる森のシンフォニーの若林ご夫妻にお会いした。
 今回、このお店を閉じられることになりNPOが引き継ぐこととなったため、その打ち合わせをかねてわざわざ松山までお越しいただいたということである。

 私が呼ばれた理由は、NPOの理事の一人がさまざまなスタートアップをされる時に助言をして欲しいという思惑からかなと勝手に思っている。
私自身もずうずうしいので、興味津々、同席させていただく。

 お会いした若林ご夫妻はとても若々しく、イキイキとしておられた。
 そのことが逆に違和感を覚えた。

 大変失礼なお話だが、まだまだお店をやれる雰囲気なのである。

 初対面で失礼とは思ったが、「今まででご商売をされていて一番大変だった時期はいつですか?」と切り出した。
 すると、「今が大変です。」とご主人が即答された。

 直感的には、経営が苦しくて、今が大変なのだろうかと思ってしまった。

 すると、ご主人は続けて、
 「今のお母さんたちがあまりにも変わられた。私たちが売っている商品の価値を認めてくれなくなったということでしょうか。
  苦しくなったんです。そろそろ潮時かなと。」

 奥さんが補うように、
 「振り返った時に、経営的に苦しかったのはもっとたくさんありましたし、比べようもないくらい大変な時期がありました。
  でも、その頃を振り返ると、あまり大変とは思わないのです。むしろ懐かしく、楽しくもあります。」

 私は、
 「それは、苦しくともやりがいがあったということですよね。でも、今は(経営的には)それほど厳しくはないけれども
  そのやりがいみたいなものが見出せなくなったということでしょうか?」と質問した。

 ご主人は、
 「そうなんです。いくら頑張っても理解されなくなった。子どもたちのためにやっているのだけれども、その母親たちには
  理解されなくなった。」とさびしく応えられた。

 私は労うように、
 「日本という国は、新人類という世代からファミコンに出会い、そして携帯電話を使いこなす世代になってきましたよね。
  そして、ファミコンが世に出てから子どもたちの遊びがアウトドアからインドアに変わっていきました。
  なにより、そのファミコンによって今までのおもちゃが子どもたちの独創性を育てていたのに反し、真逆になっている。
  おもちゃが本来もっている子どもたちのさまざまな才能を育むという価値を見出せなくなっているし、そのことを
  親が理解できなくなったということでしょうか」と投げかけると

 ご主人は、
 「そうなんです。ゲームソフトがダメだと言える親がいなくなったということです。なぜなら、親がゲームソフトに夢中に
  なっていますからね。」とさびしく応えられた。

 内心、このような社会環境のなかで事業を継承するNPOは大丈夫なのだろうかと不安を覚えた。
 そこで、今度は、NPOの方に質問をした。

 「このような状況の中で、この事業をやりきれるのでしょうか?」

 「おもちゃがすべてではないのですが、例えば発達障がいの子にはとてもいいツールのひとつなんです。発達障がいは、
  放置しておくと大変なことになりますが、早めにその症状を発見し、その手立てを講じれば改善されるものなのです。
  その時に薬のような役目として良質のおもちゃが必要なんです。」

 なるほどである。
 そういう切り口なら可能性はあるかもしれない。
 自分がどのようなお手伝いができるかわからないが、なんとか形にしてあげたいと思った。




 

地域に飛び出す公務員

2012年01月28日 23時55分29秒 | すばらしい出会い
 懐かしい方からメールをいただく。
 三重県の山路栄一さんからであった。

 「地域に飛び出す公務員を応援する首長連合サミット&地域に飛び出す公務員セミナーin 愛媛」に出席するため松山に来るので会いませんかというものであった。
 (私のようなものでも)覚えていてくれたのかと、感激した。

 山地さんにお会いしたのは、立命館大学でパネラーとして呼ばれたときに、三重県知事になられた鈴木英敬さんの紹介からである。
 山路さんの情報発信力はすごいものがあり、真似ができないすごさである。

 山地さんは相変わらず精力的に活動されている。
 今回のイベントも彼のプロデュースである。

 そして今日、イベント、交流会の後、山地さんの身体が空いた時点で待ち合わせをした。
 なじみの居酒屋にお連れし、さまざまなお話をさせていただいた。
 相変わらず熱い方である。
 いろいろな話を聞かせていただきながら勉強になった。

 勉強もされておられる。
 自分の未熟さに赤面する。

 こういう出会いは、自分に刺激を与え、大いに触発される。

 名残惜しかったが、ますますのご活躍を祈りながら別れた。

本当の強さってなんだろう?

2012年01月27日 02時50分53秒 | ちょっといい話
 NHKの「ようこそ先輩」という番組を観ていて感動した。

 その日は、柔道家・鈴木桂治さんの番であった。
 番組の内容は、番組のホームページから引用すると次のようなものである。

 アテネオリンピック・柔道金メダリストの鈴木桂治さん。
 3歳で柔道を始め、これまでひたすら「強くなる」ことを追い求めてきました。北京オリンピックでは、まさかの1回戦敗退という屈辱を味わい、一時は引退も考えたといいます。
 しかし悩み抜いた末、このままで終わりたくない、と現役続行を決意。現在は、2012年のロンドンオリンピックを目指し、更なる「強さ」を追求し続ける毎日です。
 そこで鈴木さんが選んだ授業のテーマは、「強さ」について考えること。
 子どもたちは、柔道をアレンジした「ひざ立ち柔道」を通し、強くなることを目指します。
 初めは、力が弱いから勝てるはずがないと諦めていた子どもたち。
 鈴木さんの狙いは、「心の強さ」を持たせることにありました。
 そこで、北京オリンピック後に葛藤していた自分の気持ちを、真っ直ぐに子どもたちに語ります。
 更に、「自分の弱さ」というタイトルで、全員に作文を書かせることに。
 しかし、鈴木さんが作文の発表をうながしたところ、拒否する子どもたちが続出。
 そして、予想外の展開が…。
 果たして子どもたちは、強くなることができたのでしょうか。

 どうです、観たくなるでしょう。

 何が感動したかというと、鈴木さん自身が自分が負けた試合を子どもたちに見せるというシーンがあります。
 自分の弱さを自分の立ち居地よりも下の者にさらけ出す。
 これは一つの「勇気」だと思います。
 おそらく彼が常勝の柔道家だったとしたら、ひょっとしたらこのようなことも思いつかなかったかもしれない。
 己の「弱さ」を自覚したからこそできる行動であろう。

 そして、その弱さから脱却し、「心の強さ」を持つには己との戦いに勝つことしかないのである。
 「ひざ立ち柔道」において「勝つ」ということに執着しなくなった子どもたちがあまりにも増えたことにも驚かされたが、そのことによって自己研鑽をしなくなったことにも気付かされた。
 鈴木さんが、自分の消したりたいであろう過去をあえて見つめなおすことで、子どもたちに伝えたかった「本当の強さ」は子どもたちの心に届いたと思う。

 こんな鈴木さんを素敵だと思うし、ぜひロンドン・オリンピックに代表として出て欲しいものである。
 心から応援したい。


◆鈴木桂治(柔道家)プロフィール

 1980年茨城県生まれ。
 3歳から町の道場で柔道を始める。
 2004年アテネ五輪100キロ超級で金メダル獲得。
 翌年には重量級前人未到の3階級制覇を達成。
 しかし2008年の北京五輪では、選手団長を務め金メダルが期待される中、1回戦で敗退。
 一時は引退も囁かれたが、現役続行を決意。
 2011年全日本選手権で4年ぶりの優勝を果たした。
 現在、母校国士舘大学体育学部で教員の職につきながら、2012年のロンドン五輪を目指す。

ひさしぶり

2012年01月26日 22時58分58秒 | つぶやき
 久しぶりに重い筆をとった。
 
 母、先月、定期検診でひかかった。
 舌癌から4年半の歳月が流れている。
 口腔癌の5年以内の再発率は5割といわれている。
 だがあと少しで5年。
 期待していた...

 だが、無情にも再発。
 既に大きな手術には絶えられないくらい衰弱している。

 先月から正月明けまでドタバタした。
 救急車の出動もお願いした。
 検査も3回。
 内視鏡で細胞も取った。

 本人とも話し合った。

 もう手遅れであることを...
 最悪の状態であるということを...

 親子で話し合った。
 延命処置よりは苦痛のない治療を選択することを

 思えば奇跡的に、不死鳥のようによみがえった女性(ひと)だった。
 「生への執着心」みたいなものを垣間見たような気がした。

 病室にいるときも、お互い病気の話をしない。
 食事のこと、看護師さんや担当医の先生の人柄の話などなど。
 私はというと、何か笑わせるネタはないか、病室に入る直前まで考えていく。

 時々、話が途切れる。

 必ず、何か食べたいものがないか、尋ねる。

 残された時間を自由に歩きまわれるなら、いろいろなところに連れて行ってやりたいが難しい。
 今は、許される範囲、傍にいようと思っている。
 何をするでもなく、ただベットの横で本を読んだり、一緒にテレビを見たり。
 そんなことしかできない。

 縁あって親子になった。
 切っても切れない親子になった。
 
 来世も親子になれるのだろうかと、寝顔を見ながらつい考える。