走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

夢・紙芝居事業のお披露目

2009年11月30日 20時16分21秒 | 夢紙芝居事業
 今日からいよいよNHK超大河ドラマ「坂の上の雲」が始まりました。
それに呼応するように、私たちの「夢・紙芝居事業」も今日から一般観衆の前でデビューしました。
 場所は、伊予鉄道・道後駅前のからくり時計(放生園)横で14時と15時に実施しました。

 少し肌寒い中、実行委員会の関係者や当課の担当者たちが準備をし、盛況の内に終了することができました。
 この事業に関わってくれた関係者の皆さんや部下たちのご家族、元部下とそのご家族、本当に心温まるご支援をいただきありがとうございました。

 この場を借りて心からお礼申し上げます。
 また、何よりも実現に最大限の力を発揮いただきました実行委員会の皆様にも心から感謝申し上げます。

 そして何よりもうれしかったのは、担当課員以外も駆けつけてくれて手伝ってくれたこともチームワーク力を確認でき、うれしかったです。

◆準備作業中のスタッフです。
 今日実現できたのは、彼らのがんばりです。
   

 

◆14時からは佐伯代表が読み手として立たれました。
 聞き手は作品に吸い込まれるように聞きほれていました。
   

◆選手交替で15時からは浜本さんが読み手になりました。
  

◆同じ作品でも読み手が替ると趣がまったくかわります。
  

味酒地区文化祭

2009年11月29日 19時36分07秒 | 地域情報/文化祭
 今日の午前中は、味酒地区の文化祭に行ってきました。今年もにごったがえすくらい人、人、人でした。

◆公民館の外では餅つきやたこ焼き、おでんなどが販売され、にぎわっていました。
  

◆作品の展示は今年もいっぱいあって、カラフルでした。
    

    

◆部屋部屋で空手の発表会や読み聞かせ、紙芝居などが行われていました。
   

免許皆伝紙芝居人材養成講座

2009年11月28日 18時02分46秒 | 夢紙芝居事業
 今日から、夢紙芝居事業の中で演じ手をつくる目的から「免許皆伝紙芝居人材養成講座」がスタートしました。

 今日は、その第一ステップである正岡子規ゆかりの地をめぐるバスツアーがありました。
紙芝居「正岡子規」を演じるためには、正岡子規の生まれ育ったところや息吹がわかる場所をめぐり、そこから正岡子規になりきってもらおうという趣旨です。






















はじまり、はじまり

2009年11月27日 23時21分56秒 | インフォメーション
 ついに夢紙芝居事業がスタートします。

 お披露目は、

 ◆道後駅前からくり時計前広場

 ◆11月29日(日)の14時と15時の2回公演

 ◆特典としてオープニング記念のプレゼントがあります。

  ①水あめ(昔なつかしの水あめです。次回からは有料です)

  ②みかん(教育長が特別に実家から寄付してくれました)

   を無料で配ります。

 時間のある方はご家族でお越し下さい。

人は変われる

2009年11月26日 23時01分41秒 | 職場の出来事
 今日の午後に徳島市公民館連絡協議会の皆さん(30名)が視察に来られました。

 永原・松山市公民館連絡協議会副会長(三津浜公民館長)にごあいさついただき、引き続き私の方から本市の現状などや方針について説明させていただきました。
持ち時間は2時間あったのですがお疲れだろうと思い、説明は30分くらいで切り上げ質疑応答の時間に当てました。
想定外だったのは次から次へと質問があり、結局一時間強、質疑を受けることとなりました。
内容も鋭いものばかりで、たじたじでした。

 残り時間を坂の上の雲のPRに当てさせていただき、無事終了となりました。

 最後に湯浅徳島市公民館連会長からあいさつをいただき、「松山市にどれほどの(数の)課長がおられるかは知りませんが、ここにおられる課長さんほど生涯学習の担当課長さんにふさわしい方はおられないのではないかと思いました。」と
顔が赤くなるほど、最高の賛辞をいただきました。
 振り返れば、公民館の現場を知らない私がここまで来れたのは、多くの公民館長や役員の方、そして部下たちのおかげです。

 自分でも最近になって社会教育の本質が見えてきたかなと思い始めていたところでしたので、何よりもありがたいお言葉をいただいたと思いました。

閻魔様がいなくなった

2009年11月25日 23時50分20秒 | つぶやき
 皆さんは覚えているだろうか。
昔、子どもたちの中には閻魔さんがいた。

 そして、その閻魔さんのイメージは子どもたち一人ひとりで異なっていたと思う。
共通していたことは、とっても怖いものということだった。

その存在は両親や祖父母から植え付けられた。
そして、いたずらをすると大人たちは決まってこう言った。
 「閻魔様が連れにくるぞ~!!」
また、嘘をつくと同じように
 「閻魔様がやってきて、その舌をぬくぞ~!!」と

 いつのまにか子どもたちから、この閻魔様が消えた。

 核家族化し、両親は子どもたちに閻魔様を教えなくなった。
その理由を尋ねると
「そんなことを言ったら子どもにバカにされるから」という答えが返ってくる。

 でも、地球上のどの国にも閻魔様に似た存在は今も現存する。
それは、子どもたちに恐怖心を抱かせることが大切だと理解しているからである。
また、親たちも自分が怖がられるよりも架空の閻魔様に悪役を買って出てもらう方がありがたいからである。 

 そして、子どもたちの想像力は、子どもたちの想像力を借りて増幅され、さらに怖いものへと進化する。
そうすると、閻魔様を引き合いに出すだけで子どもは泣き出すのである。
その時に親たちは子どもを温かく抱きしめ、親は子どもを常に守っているということをスキンシップを持って伝えるのである。

 人は時として、見えないものだからこそ恐怖心が増す場合がある。

 家庭教育の基本は、家庭の中に友人をつくるのではなく、まず怖いものがあるというところからスタートしないと始まらない。
我が国の倫理観や道徳心の根っこの部分がぶれ始めているのは、案外こんなところに要因があるような気がする。

 閻魔様は怖いのである。

第4回 社会教育委員会

2009年11月24日 22時08分26秒 | 職場の出来事
 今日は午後から社会教育委員会がありました。

 今年は改選期で、今日は新委員さんにその辞令が交付されました。
 従来は、さまざまな団体から推薦をいただいた方に委員として就任していただいていました。
今回は社会教育を取り巻く環境も大きく変化していることから、選考方法を担当者たちと協議して見直しました。
 どんな組織も同じ慣習のまま回していくといつのまにか形骸化する恐れがあります。
そして、社会教育はそれほど変化ないといわれてきましたが、社会教育ほど世の中の変化をいち早く察知し、それにあわせて変化する必要があると思うのです。
変わってならないのは、理念の部分で、手法や手段は常に見直す必要があると思うのです。

 今回の改選では、総花的な議論にならないよう、ある程度絞り込んだ議論をしていただこうということになり、キーワードを「子ども」にしました。
理由は、学校教育、家庭教育、社会教育を横串できるのは「子ども」だという結論からです。

 今回、担当者はがんばってくれました。
 各委員へのネゴなどすべて担当者がやってくれました。

 そして、一回目にもかかわらずさまざまな意見が出ましたので、各委員も我々の趣旨を理解いただいたのだろうと感じました。
 今後、楽しみになってきました。


堀江地区収穫祭

2009年11月23日 14時13分08秒 | 地域情報/文化祭
 今日は午前中、堀江公民館(http://www.matsuyama-people.jp/04/horie.html)でやってた「収穫祭」に出かけてきました。
 「収穫祭」と言っても他地区で言うと文化祭にあたるものですが、きちんと農業の大切さや先人の功績をきちんと伝えています。

◆地元堀江小学校の金管バンドによるオープニング
 

◆地元の農業にまつわる先人の営みなどをきちんと継承していました。
 

◆外では農産物の販売や神輿がでていました。
  

新玉地区文化祭

2009年11月22日 22時06分16秒 | 地域情報/文化祭
 ローカルサミットの帰りに新玉公民館(http://www.matsuyama-people.jp/04/aratama.html)の文化祭を覗いてきました。
田村公民館長ははじめて経験する文化祭でしたが、ご苦労様でした。

◆カラオケ大会は終わったところでした。
 

◆展示コーナーの作品です。
  

◆なぜか狸がいっぱいありました。
  

◆竹細工で作った蛇のおもちゃがありました。
  

ローカルサミット IN 松山、宇和島

2009年11月22日 21時46分10秒 | 地域情報/その他
 今日の午前中は萬翠荘の裏手にある愚陀佛庵(http://www.bansuisou.org/gudabutsu/)であった「ローカルサミット IN 松山」のうち「G8/持続可能な地域社会と教育」に出席してきました。

 夏目漱石が下宿し、正岡子規が療養のために居候した「愚陀佛庵」での会議は11名とコンパクトの会議でしたが、内容は濃いものになったのではないかと思います。

なくもんか

2009年11月21日 23時55分37秒 | 映画
 今日、家族で映画「なくもんか(http://www.toho.co.jp/lineup/nakumonka/story.html)」を観にいった。
 よくよく考えたら親子三人で揃って映画を観にいったのは初めてかもしれない。

 娘が東京から帰ってきて、遊び相手がいないためにイヤイヤ付き合ってくれたのか、それとも大人になり我慢できるようになったのか。

 私たち夫婦は正直何を観てもよかった。
 当然選択権は娘にある。
娘はクロカンと阿部サダヲさんが組んだ映画が好きである。
当然、映画は「なくもんか」になった。

 ストーリーは、次のとおりである。(東宝ウエップサイトより)

 幼い頃、無茶苦茶な人生を送る父に捨てられ、生き別れた兄弟がいた。
兄・祐太(阿部サダヲ)と弟・祐介(瑛太)。
不幸な生い立ちの二人だが、“なくもんか”とばかりに笑顔で毎日を生きている。
しかし二人はまだ、お互いの顔も名前も知らない ――

 兄・祐太(阿部サダヲ)は、東京下町・善人通り商店街の顔になっていた。
8才のときに父(伊原剛志)に捨てられた祐太は、善人通り商店街の「デリカの山ちゃん」初代店主夫婦(カンニング竹山&いしだあゆみ)に、実の息子のように優しく育てられた。
その恩返しとばかりに、祐太はバカみたいに働いた。
商店街すべてのお店の手伝いはもちろん、地元住民の買物の手伝い。
挙句の果てには、犬の散歩、草むしり、電球の交換などなど。
今では、働くバカとまで言われている、究極のお人好し。
その人柄と、40年間注ぎ足してきた秘伝のソースをかけたハムカツを名物に、「山ちゃん」を行列のできる超人気店へと成長させていた。

 弟・祐介(瑛太)は、「金城ブラザーズ」というお笑い芸人で超売れっ子になっていた。
幼い頃に母(鈴木砂羽)を亡くし親戚をたらい回しにされた祐介が、度重なる転校でもイジめられないために身につけた生きる術。
それは、笑いだった。
ピンの芸人としては全く泣かず飛ばずの祐介だったが、赤の他人である金城大介(塚本高史)と兄弟漫才師「金城ブラザーズ」としてデビュー後、周囲の予想を大きく裏切って大ブレイク!
さらに、相方の大介が「金城ブラザーズ」の貧乏な幼少時代をお涙頂戴モノとして書いた、全くのウソで塗り固められた自伝小説「コプ太と赤い車」が、世紀の大ベストセラーに。
大人気の「金城ブラザーズ」だが、本当の兄弟でないことは世間にひた隠しにしている。

 そんなある日。
10数年前に善人通り商店街を出て行ったきり全くの音信不通だった、「山ちゃん」初代店主夫婦の一人娘・徹子(竹内結子)が突然帰ってきた。
子供のときから実の兄妹のように仲良く暮らしていた祐太はもちろん、商店街の人たちはビックリ仰天。
しかも、毎日ハムカツを食べていたせいで、デブで不細工だった徹子が、まるで別人のような超美人になっていたのだ!
 突然の帰宅、謎の激痩せ、確実なプチ整形……数々の疑惑が残る徹子を、祐太は問い詰めることなく笑顔で温かく迎え入れた。
祐太は徹子をずっと待ち続けていたのだ。
初代店主の『デブじゃなきゃ、嫁にもらって欲しいんだけどな……』という遺言を胸に。
祐太は、しおらしく店を手伝う徹子に、どさくさに紛れてプロポーズ。
めでたく結婚!するのだが、婚姻届を出すため戸籍謄本を手に入れた祐太は、「金城ブラザーズ」の祐介が実の弟であることを知る……。

 以来、夫の祐太が祐介のことばかり考えていることに苛立つ徹子は、突然「山ちゃん」のエコ化を宣言する。
電気の節約、ラードの使用禁止、自然食お惣菜の販売などなど、次々と改革が推し進められ、「山ちゃん」は、どんどんエコな店になっていく。
が、それと反比例するように売り上げは落ち、祐太の表情もどんどん暗くなっていく……。
そんな中、祐太と徹子は沖縄へ初めての家族旅行をすることに。
ちょうどその頃、沖縄では環境大臣・桂谷壮一郎(陣内孝則)が責任者を務める、エコをテーマにした「沖縄エコサミット09」が開催されていた。
しかも特設ステージでは、「金城ブラザーズ」が漫才を披露することになっていたのだ!!

 生き別れた兄弟、祐太と祐介の偶然の出会い。
そこから巻き起こる予測不可能な出来事の数々。
笑いと涙がテンコ盛りの、誰も見たことのない“家族”の物語が今、幕を開ける!!

 どうです、おもしろそうでしょう?
 本当に笑え、泣けますよ。

 「人の不幸は笑える」という深い言葉を根底に「家族」のあり様や人としての大切なもの、地域社会の絆の大切さ、おそらく観る人の視点で学べるものがちがってくるという深い映画です。

 終わってから娘に「父さん、笑いすぎ❢❢」と叱られました。

創造と想像

2009年11月20日 21時26分03秒 | 職場の出来事
 今日、職場でちょっとした出来事があった。

 ある仕事で、キャッチフレーズの中の文字が自分が思っていた字とちがっていたのである。
その印刷物は、既に完成物のイメージとして出来上がるもののサンプルであった。
校正は既に終わっている。

 校正の時にろくに見もしないでオッケーを出した私が悪いのである。
 内心、「いた❢❢」と思った。
 部下のせいではない。
 しっかりと確認しなかった自分の責任である。
 あれほど部下には、「常に仕事は真剣に向かいあえ」などと偉そうに言ってるくせにである。
とても後悔した。

 ここで無理強いすると、この後の関係者にどれほど迷惑をかけるかも想像できた。
「申し訳ない」と思った。
「ここで見過ごせば、いいのだ」と自分に言い聞かせてみた。

 普段、部下の原稿を見ていても誤字を見つけてもチェックして付箋を貼るくらいで、呼びつけてまで注意することはない。

 葛藤した。
 でも、今回は単なる誤字ではない。
 この事業にかけた我々の思いや今後の行動の中でよりどころがなくなると思った。

 当初は、論語の故事から「温故知新」を引用していた。
 「古きを尋ねて新しいことを知るだけでは、積極性が足りないやろ。つくりあげるという方がより行動的で前向きな感じがするから、堀江公民館の前公民館長の久保田さんが言っていた『温故創新』にしよう」
できあがったものは『温故想新』であった。
 自分の思いが伝わっていなかった。

 一番悔しかったのは、このことが伝わっていなかったことである。
 自分の独りよがりに気づかされた。

 人に思いを伝えるのは難しい。
 上司として失格である。

 もっと失格なのは、その後の私の行動である。
 担当を呼んで「『想像』と『創造』の意味を言ってみてください」
 担当は口ごもる。(なんと陰険な...)
 たたみかけるように「『想像』はイメージを膨らますだけやから行動を起こすということに結びつかんが、こっちの『創造』は創りあげるという意味があるから行動するという前向きさがあるやろ」と
 本当に大人気ない。
 怒ってから後悔した。
 またやってしまったと...

しかし、
 たった一字であるが、
 されど一字である。

 日々の気の緩みが大きな事故につながる。
 どれだけ思い入れをもって仕事をしていても、部下に自分の思いを伝えられない上司など失格であると改めて学ばされた。
 

御用とお急ぎでない方は

2009年11月19日 20時20分39秒 | 地域情報/その他
 今週末の21・22・23日に「ローカルサミットIn松山・宇和島」が開催されます。

 そのうちの22日(日)9時から松山城下・萬翠荘横の愚陀佛庵で「G8セッション(教育)」が開催されます。
自己PRで申し訳ないのですが、私が出席しますので「御用とお急ぎでない方」はぜひお越しください。

森繁久彌さんを悼む

2009年11月17日 23時56分31秒 | つぶやき
 名優・森繁久彌さんが亡くなられた。
 遅いといわれるかもしれないが、やはり書きたいことがあったからタイミングをはずしているとわかっていてもあえて書きたい。

 中学生の時に父親に喜んでもらおうと森繁さんのレコードを買ったことを思い出した。
音痴な父親(どうも私は遺伝したらしい...)でも口ずさむことがあり、その唄い方が何となく「森繁節」と呼ばれる独特の唄い方に似ていたような気がする。
でも音痴だった。
そのレコードはLP盤でさまざまな曲が挿入されていたが、一番好きだったのは「船頭小唄」だったような気がする。

 また、森繁さんは弔辞の名手とも言われていた。
私が鮮明に覚えているのは、確か伴淳三郎さんが亡くなられた時のことだったと思う。
弔辞をやめ、途中から童謡「シャボン玉」を歌い始めた。
あれほど切なく悲しい「シャボン玉」を聞いたことがない。

 せつせつと、まさに語りかけるように
 童謡なのに同情の涙が伝わった。

 そして、今日帰宅すると、見知らぬ女性から喪中の葉書が届いていた。
 中身を読むと、浦安市の友の死を知らせるものだった。
 享年59歳、6月に永眠したとのこと。

 奥さんからのものだった。

 合掌

地上デジタルテレビ放送の教育活用促進事業

2009年11月16日 17時25分31秒 | 地域情報/その他
 松山市立荏原小学校であった平成21年度実践発表会を見にいきました。

 デジタルテレビなどを活用した授業とその感想をさまざまな教育関係者が検証していくという内容でした。
 その中で、わかってきたことは、映像を見せることで、イメージを膨らませることができる反面、「わかった」つもりにさせてしまうというデメリットがあるということも理解できました。

 そして、帰りの車の中で、子どもたちに環境を整えすぎると創造力が欠如してしまうという話を聴きながら、デジタル時代の教育のあり様について考える必要性を感じ取りました。