走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

成長した部下

2006年02月28日 06時40分24秒 | その他
私の職場、他の職場から羨まれるくらい人財の宝庫であります。
一人ひとりの個性が強く、課長としてはそれはそれなりに大変なところもあるのですが、個々が目的意識をもって仕事に望んでくれるので、頼もしい限りであります。
こういった中、何人かのムードメーカーとなる人物がいるのですが、その一人にO田君という部下がいます。
当課に来て三年目を迎えるわけでありますが、飄々としており、上司としては「暖簾に腕押し」みたいな感覚に陥ることもあったのですが、最近、彼に大きな変化が見られるようになりました。
しっかりと自分の考えを表現するようになりました。このことは、常日頃に裏打ちされた自己研鑽の賜物だろうと思うのであります。本当によく勉強をするようになりました。
不思議なもので、遅刻の多かった彼が、誰よりも早く来て新聞に目を通したり、土日も職場に出てきて整理を行ったりしているようであります。
また、さまざまな研修に参加しています。(主催者からよく情報が入るからです)
その彼が、先週、出張に行ってきたのですが、先進的な情報をいっぱい仕入れてきたようで、堰を切ったように多くの報告をしてくれました。
でも、彼が気づいていないのは、日頃から問題意識をもっているから、その先進性に気づいたのですよ。
時あたかも世間では荒川静の金メダルがフィーバーしていますが、私は君に金メダルをあげますよ。今後もがんばつてね。

ハンディキャップ・スーパーマン・プロジェクト

2006年02月23日 23時56分37秒 | その他
「ハンディキャップ・スーパーマン・プロジェクト」て、知ってますか?
私が勝手に名付けて、志ある人たちと立ち上げようとしているプロジェクトです。
どんなプロジェクトかって?
ハンディキャップをもった人たちに雇用の機会を創出するとともに、継続的に就労をしていただくことで、経済的自立と精神的自立を目指すスーパーマンを造っていこうというサポート・プロジェクトです。
立ち上がってまもないこともあって、まさにこれからなのですが、松山青年会議所の福祉委員会の皆さんと立ち上がりました。
これを強力に推し進めているのが、S伯さん。彼のパワーに引っ張られて、福祉委員会の皆さんは高い志の下、「なんとかせにゃならん。」という意気込みでがんばっている姿に感動し、お手伝いをさせてもらっています。(このフレーズは、役人らしい。)
今日の夕方、色々な話をさせていただきました。
少し気になっていたことをこの段階で、正直に話していた方がいいと思ったからです。S伯さんの強力パワーによって、福祉委員会のみなさんがズルズル引っ張られているような気がしたのです。そのために、嫌だということをはっきりといえない環境をつくってしまっているのではないかと気になったのです。
そのことをストレートにぶつけてみました。S伯さんと同行していたS本さんから「実はそうなんです。とんでもない事に足を踏み入れたというのが正直な感想なんです。今日、そのことが言えたので少し気が楽になりました。」
そうなんです、無理をしない方がいいんです。無理をすると、どこかでポッキリと折れてしまうものなんです。
S伯さんが他の誰よりも凄いパワーが出るのは、彼にはかわいいハンディキャップ・スーパーマンを3人抱えているということです。
同情のエネルギーだけでは、続かないのです。でも、焦らなくていいですよ。
S伯さんの周りの人たちは、同情で行動していませんからね。
志は本当に高いですよ。少しだけ、何をどうすればいいのか、わからないから不安なんです。
そのためには、このプロジェクトを儲かるビジネスモデルに仕立てあげましょう。
この国の人たちが、根底に持っている弱者に敬意を表せる国になるまで。
S伯さん、私も一生懸命、応援しますよ。

難しい仕事をやり抜く部下 PartⅢ

2006年02月22日 02時09分54秒 | その他
本課では、国際経済交流も所管しています。その中で、姉妹都市フェアという事業をやっているのですが、今日は、その打ち上げをチームのものと開催しました。
本市の姉妹都市はアメリカのサクラメント市、ドイツのフライブルク市、そして姉妹提携都市の韓国・平澤(ピョンテック)市の三都市との交流事業です。
簡単そうで、この事業はかなり神経を使ったり、さまざまなトラブルがおこります。なにしろ、展示品のほとんどが輸入品扱いになるわけですから、何が起こるかわからない。担当は、本当に苦労するのです。
担当チームはN島チーム。直接の担当はU都宮くんです。そして、それを支えるのが、D井くんとS水くん。
また、松山商工会議所との連携事業なので、その直接の担当のT井課長とT須賀くん。
特に、うちのU都宮くんと松山商工会議所のT須賀くんは、本当によくやってくれました。結構いろいろあったようですが、「どうだ。」と聞くと、「大丈夫です。順調です。」と顔色ひとつ変えずに言われてしまう。
「そうか、じゃあ、任せるから、頼んだよ。」と気軽に任せる私。
部下の嘘が見えるときがある。でも、その嘘を顔色を変えずにつく、その自信を上司は待っているのです。
それは、「嘘」というよりも「偽り」なのだと思うのです。
「偽り」は「人」の「為(ため)」と書きますからね。
本当に、よくがんばりました。心から感謝します。

学ぶとは...

2006年02月21日 23時45分02秒 | その他
今夜、松山青年会議所福祉委員会主催の講演会に行ってきました。
講師は、遠山真学塾の小笠 毅(おがさ たけし)先生(徳島出身)でした。
演題は「ハンディのある若者の進路」でした。
先生は、スウェーデンに20数回も行っているというつわもので、身体障害者の就学や就労について精通されておられる方であります。
私はといえば、たった一回の訪瑞だけで、知った風に人前で偉そうに話しているのです。本当に「井の中の蛙」とは私のことだと思いながら、小笠先生の話に聞き入りました。
その中で、心に残ったことを紹介します。
(その1)
  今、大企業に1.8%の義務雇用を課していますが、企業サイドにとっては
 あくまでも義務という観念的なことが払拭されませんから、採用される側の
 人格の尊重という点では多くの疑問が残ります。
 ====> 良かれと思ってもその手法によっては、かえって心の改善がされないと
    いうことを学びました。
(その2)
  もって生まれたハンディキャップに、成長ごとのハンディキャップを負わさ
 れる心の傷がわかりますか。
 ====> すみません、言われるまで気づきませんでした。肝に銘じます。
(その3)
  「教える」とは、ともに学ぶこと。
  「学ぶ」とは、心に誠実を刻むこと。
 ====> そのとおりですね。おっしゃるとおりです。

そして、最後に
 「発想のポディティブさが、新たな日本を創ります。」と
先生は私の名刺を褒めてくださりました。本当に、ありがとうございました。

地域間格差がつく理由

2006年02月20日 22時43分27秒 | その他
今日、臨海周辺企業と市幹部との懇談会が実施されました。
その中で市長が次のように述べられましたので、ご紹介をしておきます。
「厳しい都市間競争の中で、地域間格差もますます広がる可能性があります。
 それは、次のような3つのタイプの都市に分かれるからであります。
 1つ目は、やりたくてもやれない自治体。
 2つ目は、やれるのにやらない自治体。
 3つ目は、やれるからやる自治体。
 松山市は、この3つ目を選択しておりますし、今後もそうありつづけますので、
 企業の皆様、どうぞご安心下さい。」
この話は当初の原稿に入っておらず、市長のアドリブでありましたが、なるほどと関心したのは事務局の私だけでなく、その日の懇談会が盛り上がったことからもわかると思います。

オッペケペー!?

2006年02月18日 22時56分08秒 | その他
この写真の銅像誰だか知ってますか?桃太郎、残念。
今日は、職場の旅行で福岡に来ていまして、たまたま通りがかった商店街の入口で見つけました。名前は「川上 音二郎」。自由民権運動のときに、節をつけたオペッケペー節なる世相を皮肉ったものが流行ったということですが、福岡人気質がうかがえるのでご紹介します。

川上 音二郎 作 「オペッケペー節」

 権利幸福嫌ひな人に
 自由湯をば飲ましたい
  オペッケペ オペッケペ
  オペッケペッポー ペッポッポー

 堅い裃(かみしも)角取れて
 マンテルヅボンに人力車
 いきな束髪ボンネット
 貴女や紳士のいでたちで
 外部(うわべ)の飾りはよいけれど
 政治の思想が欠乏だ
 天地の眞理がわからない
 心に自由の種を蒔け
  オペッケペ オペッケペ
  オペッケペッポー ペッポッポー

大変、お騒がせをいたしております!?

2006年02月15日 05時40分59秒 | その他
ここ何日かのブログに対し、さまざまな方からの励ましの電話やメールをいただきました。
かなりサボっていた、このブログを少しだけ心の余裕が出来ましたのでスタートした途端の出来事でした。
本当に、皆さん、ご心配とお騒がせして、すみません。また、思いもよらぬ方からも連絡をいただき感謝いたします。
最近、満身創痍の自分に対し、何かが足りないぞと思っていたところ、このブログを再開してみたところ、その答えが見えてきたように思います。
常に謙虚さをもち続けることを信条としていたはずなのに、自分の脆さがいみじくも、露呈してしまったような感があります。
心の余裕がないことと、元来、筆不精の私が日記的に書かなければならないと捉えていたブログに対し、もっと肩の力を抜いて望むことにします。
その日、接した感動や言葉をできるだけ自分の言葉で紹介したいと思います。
その日起こった身近な感動探しをしてみようと思います。
懲りずにこのブログを見続けてくれていた皆さん、心からありがとうございました。

部下のバレンタインデー

2006年02月14日 22時14分36秒 | その他
おじさんにとっては忘れたいと思うのがバレンタインデーかもしれない。なぜなら、一枚もチョコレートが届かないよりは、義理でもいいから欲しいと、つい思ってしまうからである。でも、いただきましたよ、職場の女性たちからのチョコレート。でも、考えたら彼女たちの負担はかなりのものです。なにしろ、うちの職場は圧倒的に野郎の方が多いのですから。中には、臨時職員の女性もいるから、その出費は答えますよね。ごめんなさいね。でも、本当にうれしかったですよ。ありがとうございました。
ところで、今日、二組のお客様がありました。一組目は四国経産局の方で、うち一人が女性でした。彼女は、部下のN島君に本当はチョコを渡したかっのでしょうが、たまたま私がいたために職場の皆様でどうぞと言わざるをえない状況を作ってしまいました。ごめんなさい。
次に、二組目は本市に立地をしてくれた企業の担当女性でした。話がひとしきり終わった時点で、彼女もG君にだけ渡したかったはずのチョコを皆さんでどうぞといわなければならない環境にしてしまいました。ごめんなさい。
私に対する個人的な(好意的な)チョコはありませんでしたが、なんだか少しだけうれしかったのです。
おそらく、彼女たちは誰かの顔を浮かべながらチョコを準備してくださったのだと思います。むしろ、仕事でそれだけ部下たちが誠意をもって対応をしてくれているという証でしょう。
私にとっては(負け惜しみに聞こえるかもしれませんが)、二つのバレンタイン・プレゼントをいただきました。
一つ目が、かねてから誘致活動をしていた企業のプロジェクト責任者が正式表敬をしていただいたこと。
二つ目が先の四国経産局のY係長から、「昨年実施した商店街アンケートの中で、『地域のキーパーソンとなる人の名前を挙げてください。』という設問に対して、四国の中で松山だけ、市役所の人の名前が複数上がっていました。これは、すごいことだなあと思いました。」
この複数というのが、本当にうれしいのです。仮に、自分ひとりの名前が出るよりも本当にうれしいことです。そして、四国経産局が最近、私たちを信用し始めてくれだしたのが、実はこんな見えないところの評価であることを。
担当者の皆さん、地道な活動こそが信用を勝ち取る近道なのです。
今日は本当に素敵なプレゼントをいただきました。(やっぱり、負け惜しみです。)

何気ない一言。

2006年02月14日 05時36分45秒 | その他
部長と企画官が、仕事の成功と区切りということで、私と担当部下を労ってくれた。部長は、こよなく馬が好き(競馬でなく、馬術の方である)で、飄々としている。私が逆風のとき、盾になってくれているのか、よくわからなかった。
ただ、私のユニークな手法は認めてくれているようである。
部長 談:「この部に来るまでは、そんなに感じていなかったんだが、従来の前例踏襲主義では、地方自治は限界に来ているというのをつくづく思い知らされた。そういう意味では、課長みたいな人間が必要ということも痛切に感じたよ。」
そうなんです、部長。今、本当に都市間競争は、大砲こそ使ってはいませんが、熾烈な戦いを水面下で繰り広げているのです。そういう時代(とき)だからこそ、私のような人間が何人か必要なのです。(全部だと私も嫌ですが)ですから、ちゃんと私を守ってくださいよ。
そして、話が進み、再び
部長 談:「私のところに君の悪口を言いに来る(つまり、告げ口をしに来るということ。)奴がいるが、そのときには、いつもこう言って追い返してやるんだ。『じゃあ、君が、彼と同じことができるんだね』と、不思議なくらい反論をせずに退散していくよ。」
部長、ありがとうございました。この一言で、私、またがんばれます。

叱るということ

2006年02月13日 23時56分55秒 | その他
今日、仕事である会社の担当者を怒ってしまった。彼は、日頃、温和で物腰も柔らかい人であるにもかかわらず、言い訳をしない彼に対して一方的に叱咤してしまったのである。大変な無礼をしてしまった。挙句の果てに、「御社の姿勢が見えない。意思決定者であるM社長が、この席にいないとはなにごとか。M社長を呼べ。すぐに来れないなら出直して来い。」と、つい語気を荒げてしまった。
そして、一時間後、社長と担当者が改めて尋ねてくれた。
M社長は、丁寧に現在の進捗状況、私が求めた質問に適切に回答をしてくれて、遅れた理由も説明された。その理由は、確かに担当者からは言いにくいものであった。少なからず、自分の短慮を恥じた。私は、自分のことしか考えていなかっただろうかと。
そして、以下のメールをM社長からいただいた。
「本日は、大変なご無礼をいたしました。
 又、改めて、暖かくご指導をいただきありがとうございます。
 偶然ですが、本日、勉強仲間からのメールに松下幸之助翁の「道をひらく」を
 引用したメールが送られていました。
 いわく、
 ーー---------------
 おたがいに人間、叱られるということも、叱るほうにしても、あまり気持ちの
 よいものではない。
 知らず知らずのうちに、ものの見方考え方が甘くなり、そこに弱さと、もろさ
 が生まれてくることになる。
 ものの道理について真剣に叱る、また真剣に叱られるということは、人情を
 越えた人間としての一つの大事なつとめではあるまいか。叱られてこそ人間の
 真の値打ちが出てくるのである。叱り、叱られることにも、おたがいに真剣で
 ありたい。
 ーー---------------
 叱られるということもない立場でいると、どうしてもものの見方考え方、ある
 いは判断が甘くなりがちとなります。
 本日のように真剣に叱っていただけるということは、私にとって本当にありが
 たいことだと、感謝しております。
 どうか、今後とも色々とご指導いただけますようにお願いします。」

 ある部下に言われたことがある。「課長は威圧感があるので、声を荒げなくとも十分怖いんですから、大きな声を出さなくても相手はわかりますよ。」と。
そうか、そうなんだと反省し、なるべく声を荒げないようにしていた。でも、M社長も担当者も、人間的には本当にいい人たちだとわかっている。でも、それだけに欲が見えなかった。ビジネスモデルというのは欲と欲のぶつかり合いをして、摺り寄せていく。条件闘争に負けたら自己利益が減るのである。まして、中央のガリバーたちを引っ張っていかなければならないリーダー企業であるならば、不倶戴天の気持ちがいるであろうと内心思ったのである。これも期待値からである。
私も若い頃、先輩諸氏からよく怒られた。感情で怒られているんじゃないかと思うくらい激しいものであった。でも、今にして思えば、叱るほうは一切、手を抜いていなかった。真剣であったように思う。
そして、今日、後味が悪くなかったというと嘘になる。でも、M社にはがんばっていただきたい。今が、苦しいときかもしれない。それでも、がんばっていただきたい。地域の星になっていただきたい。当社(うち)もM社のようになろうと、目標になっていただきたい。
だって、がんばっているのだから.....。

時代が求める人、時代を切り拓く人

2006年02月11日 19時39分08秒 | その他
私には役所に入った時から可愛がってくれているN野さんという先輩がいる。N野さんとの出会いは、昭和54年に入所した選挙管理委員会事務局から始まる。すぐの先輩、N野さんは大変厳しい人で、仕事で少しでも手を抜くと、すぐ怒られた。
同日選挙が始めて行われた後、こっぴどく怒られた。指示待ち族であった私は、自ら進んで仕事をしていなかった。そのことを見逃さなかった。私はN野さんの前でポロポロ泣いた。自分の不甲斐なさが悔しくて泣いた。
その後、選挙事務の電算化を一任された。その時に、事務分析をする中で、どうしても従前の事務処理では電算化するのに、不具合が生まれる。そこで、N野さんに相談した。「そうか、わかった。なら、改めよう。」と言ったと思うと、皆を集めて、「電算化するには、従来のやり方ではうまくいかなくなる可能性があるので、これこれこうする。」、鶴の一声だった。
また、私に「乱読、寸読、積ん読、でもいいから、本を読め。」と教えてくれたのもN野さんだった。「選管というところは専門知識には秀でるが、世間から疎くなる。お前は行政マンだから、いろんな知識をもっておけ。」と言われた。
そんなN野さんが認めてくれ始めたのが、電算化を行い、開票担当としても独り立ちしはじめたくらいだったろうか。「お前、好きにやってみろ。」と言ってくれた。
今も、公私共にお世話になっているのだが、N野さんはいつしか部長、私も課長という年齢になった。
最近、私の良からぬ噂をどこかで聞いたのだろう、心配してお茶を誘ってくれた。
「お前なあ、『時代が求める人』がいるて言うが、『時代を切り拓く人』だからこそ、時代が求めるてこと知ってる?お前さあ、自分で『時代が求める人』だと勘違いしてない。時代を切り拓いていかないかぎり、時代は求めないんだよ。お前は、時代を切り拓いてきたと俺は思ってる。多分、社会もそう思ってる。くじけるなよ。お前の良さは、不器用でも必死で時代を切り拓く姿だよ。その姿に、みんな感動してるんだよ。」
久しぶりの、先輩のきついお言葉でしたが、いつもながら優しい言葉でした。
そうだ、俺が時代を切り拓くんだ。がんばるぞー!!

市役所の星☆☆☆

2006年02月10日 15時15分54秒 | その他
本市には、霞ヶ関等へ毎年、職員を研修にいかせております。
選抜の方法は、各部からの推薦でありますが、部の方針としては各課推薦をさせた後、取りまとめてから部推薦を決めるというものであります。
ですから、課推薦は、場合によっては課長の判断だけという場合もあれば、希望者を募るという方法もあります。
前者の方法だと、管理職としての的確な判断の下、好人物が選ばれる反面、管理職の都合で出したくなければ断ることが出来ます。
後者の方だと情報が公開される分だけ公平な取り扱いができますが、推薦しにくい人物が手を挙げたり、いて欲しい人物が流出してしまう可能性があります。
私の本音は、せっかく育て上げた人材を手放したくないという自己利益の方が強いのですが、組織の利益を考えれば優秀な人材ほど、さまざまな体験をさせる方がいいのであります。
格好よく言っていますが、本当は「出ていかんといて!!」と言いたいのです。
それは、私よりもすぐの上司にあたるリーダーの方が切実なのです。
でも、当課ではまずリーダーを集め、チームスタッフに希望を募るように指示をしました。
その時にぐずるリーダーが一人もいなかったことです。内心、凄~いと思いました。
そして、希望者がきちんと手を挙げたことについて、報告が出てきました。
おそらく、互いに変な遠慮があったと思います。
希望は直接、課長にという手もあったのですが、あえてリーダーに募らせ、リーダーから報告をさせることとしました。
なぜなら、有能な部下がいなくなって一番困るのはリーダーですから、その心構えをしておいて欲しいと思ったからです。
そして、今日、Gちゃんが決定したと報告を受けました。
Gちゃんはどこに出しても恥ずかしくない人物です。きっと、将来、組織の利益のためにがんばってくれるでしょう。
課長は何もしてあげれませんでしたが、私を反面教師にしてがんばってください。
Gちゃん、君は市役所の星なのだから...。

志半ばで逝った江副君へ送る

2006年02月09日 23時46分32秒 | その他
嗚呼、江副(えぞえ)よ、江副。
君は、その若さでいくことを潔しとするのか。
君の熱き思いは、志半ばで潰えるのか。
その志を受け継ぐ者がどれほどいるのか。
君のやったことはあまりにも多く、偉大である。
しかし、遣り残したことも多く、どれだけ無念であろう。

今日、私よりも若い江副君が通勤途上に電車の中で倒れ、かえらぬ人となった。
彼は、長年、公営企業局で組織管理や人事管理、事務改善など、いわゆる内部管理を一手に引き受け、奮闘してきた。まさに戦士であった。
その仕事は、嫌われても褒められない、本当につらい仕事である。ストレスばかり溜まり、太ってしまう。
十年前に倒れ、不死鳥のように蘇り、自分を騙しながら戦っている君をときどき見かけては、がんばってるなと思ったものである。
でも、本当は苦しかったんですね。
今日、君は、その苦しみから楽になりましたか。もし、そうなら、それだけが我々同志の救いです。
覚えていますか、普段、寡黙な君が、同じ電車に乗り合わせ、組織とはどうあるべきか、その中で人事管理がどうあるべきかを熱く熱く語り始めると止まらず、市役所までお互い議論しながら歩いたことが何度もあったことを。
がんばる者が評価される組織をつくりたいと。
風通しのいい組織をつくりたいと。
挑戦し続ける組織をつくりたいと。
未来につながる組織をつくりたいと。
そして、地域の人たちが幸福になる組織をつくりたいと。
みなさん、歴史に名を残すこともなく、人のために命をも顧みず、華々しくもなく、一心不乱に仕事に打ち込む人間もいるということを知ってください。

君の志を受け継ぎ、私たちは戦い続けます。
静にお眠りください。  合掌


難しい仕事をやり抜く部下 PartⅡ

2006年02月08日 01時54分52秒 | その他
まちづくりの難しさは、一人ひとりの価値観を摺り寄せる難しさです。
総論の話をしているうちはいいのですが、各論に入り始めるとまったく話が進まなくなります。
どうしてもエゴが出てくるからです。どこに妥協点があるのかをさぐりながら、意見調整をしていく。実は、この調整能力こそがまちづくりに最も必要な能力であり、やる者にとっての醍醐味なのです。
いつもいつも、クルクル変わる話をつむぎながら、一つの糸にしあげていく。たまには、絡んだところもあるけれど、粘り強く解きほぐしていく。
「わかった、あんたの言うとおりしようわい。」と言わせた時が、何ともいえない快感なのです。
でも、油断しちゃあいけません。また、翌日には変わりますからね。
そこで、まちづくりを担当している家ちゃんと誠ちゃん、あなたたちは本当にここ数ヶ月、粘り強くまちの人たちと会話してきましたね。
12月に、「課長、私に説得させてくれませんか。」と言った家ちゃん、まさかこんなに大変だとは思わなかったでしょう。
でも、本当にあきらめず部下を引っ張りながらよくがんばりました。
誠ちゃんは、君の背中を見ながら学んでいますよ。
おそらく、まちづくりを担当する部署でこれほど部下に現場第一主義を強要する上司はいないでしょう。
でも、あなたたちは気づいていないかも知れませんが、確実に君たちの力は付いてきています。
ですから、どんな時にもへこたれず、がんばってください。
明日の松山市は明るいぞ!!

新しいことは、困難なことだらけ。

2006年02月07日 22時15分04秒 | その他
仕事で新しいことをしようとすると、さまざまな障害が起こります。
それは何故かというと、特に行政がやると地域の中に必ず得をする人が出てくる反面、損をする人が出てくるからです。
よかれと思ってやったことでも、知らない間に誰かを傷つけたり、損をさせることがあるのです。
このことに気づくのに、たくさんの時間を費やしたような気がします。
新しいことだけがすべていいとは思いません。
既にあるものを有効に活用し、それでも足らざる場合は新しい活路を切り拓く努力をすればいいのです。
時代の先駆者になるつもりはありません。私たちの仕事は、自己の利益を追い求め始めた時点から、賛同者を一人ひとり失うことになるからです。
私たちは、常に地域の利益追求を最優先すべきなのです。そうすれば、賛同者が必ずや増え始めます。
私は胸を張って進みたい。部下にもそうあって欲しい。
自分の仕事に誇りと自信をもっていただきたい。
今日、9月から懸案事項であった新しい取り組みが決着しました。
たくさんの方の応援と、さらには上司と担当者たちの本当に弛まない努力の結晶です。この人たちの思いを裏切らないために、この新しいつぼみを必ず咲かせて見せます。それが、私の使命であり責務だからです。