走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

日本全国雪絵ちゃんの願い実現キャラバン in 松山

2010年06月30日 22時25分29秒 | インフォメーション
 昨日、友人から山元加津子さんの「1/4の奇跡(マキノ出版)」という本をいただきました。
帰って読んでいると、涙がボロボロ出てきました。
彼も泣いたと言います。
偶然ですが、その彼が今日、山元さんのキャラバン情報を見つけたので送ってきてくれました。
せっかくなので紹介します。

【イベント名】: 日本全国雪絵ちゃんの願い実現キャラバン in 松山

【開催日】: 2010年 07月 03日(土)
【時間】:  9:10 ~ 18:00 (開場 8:50)
  映画「1/4の奇跡~本当のことだから~」上映 9:10 ~ 10:50
  映画「光彩~ひかり~の奇跡」上映 11:05 ~ 12:45
  山元加津子さん講演 13:30 ~ 15:00
  ハートオブミラクルお知らせ 15:10 ~ 16:10
  映画「宇宙の約束~いのちが紡ぐ愛の詩~」上映 16:20 ~ 18:00

【会場名】: 松山東雲女子大学内チャペル(愛媛県松山市桑原3-2-1)
【会場定員】: 700人
【日本語字幕】: あり
【入場料金】: 1500円(前売り) 2000円(当日)
【割引料金など】: 前売り4枚セット5000円、未就学児と障がい者手帳・療育手帳お持ちの方 無料
                                 (車椅子の方は事前にお知らせください)

【主催者(団体)名】: 「雪絵ちゃんの願い実現キャラバン・松山」

【受付E-MAIL】: PCまたは携帯へ
【問合せ連絡先】: FAX 089-964-5454、TEL 090-9806-4940(合田)
【お知らせ】: お申し込みの際は、下記項目を必ずご記入の上、お申し込みください。
   ・お名前(フリガナ)
   ・お申し込み日
   ・お申し込み枚数(一般 何枚または4枚セット 何組)
   ・ご住所・ご連絡先(電話/FAX)

 冷房がありませんので、ウチワをご持参下さい。座席が固いので、クッションなどをご準備下さい。


デンマークのトマソン選手

2010年06月27日 17時05分24秒 | ちょっといい話
先週の金曜日、サッカーワールドカップで日本はデンマーク、に勝利しました。
思ってもみなかったことなので、はしゃぎたい気持ちは分かりますが、これが反対だったらどうでしょうか?
私は、あまりにもマスコミが手のひらを返し、サッカー一色になっていることを責めているわけではありません。
おそらく日本が負けていたならば、デンマークは敗者である私たちに敬意を表してくれたのではないかということが言いたいのです。
マスコミの報道の中に、どれだけデンマークに敬意を表した記事があったでしょうか。

 彼らの真摯な姿勢を皆さんは忘れてしまったのではないでしょうか。
これも林住職の受け売りですが、日韓ワールドカップのときにデンマークは和歌山県にキャンプを張りました。
そこでの彼らのスポーツマンシップは実にすがすがしいものでした。

まず、練習後には見学に来ていた地元サッカー少年たちと一緒になってミニサッカーを行ったり、全選手が少年たちに気軽にサインにも応えるというサービス精神で貢献してくれました。

 また、デンマークのキャンプ地での練習の話が凄いのです。
通常は練習といえども非公開が通例なのですが、デンマークは練習初日から全ての練習を公開したというのです。
このことについてある記者がオルセン監督にこう質問したそうです。
「他国は練習を公開しないで、試合に備えていますけどデンマークはこれでいいのですか?」と
すると、このオルセン監督は
「我々の強さは練習を秘密にしたところで変わらない。絶対的な自信をもって試合にのぞむだけだ。何より、キャンプ地を提供してくれた和歌山の人たちが喜んでくれることはどんどんするべきなんだ・・・。試合も大事だが、この交流も大事にしたいと選手全員も言っている」

 どうですか、素敵な国であり、チームだとは思いませんか。
 なのに私たちのとった行動や言動はあまりにも軽率で恥ずかしいと思いませんか。


 次にトマソン選手のエピソードについてお話しましょう。
彼は、この大会で4得点をあげ、デンマークを決勝トーナメントに進出させた立役者です。
オランダリーグのフェイエノールトで活躍した小野選手と同じチームに所属した選手です。

 そんな彼が参加したある握手会での出来事であります。
子どもたちがサインを求め長蛇の列をつくっていました。
そのような中で、トマソン選手の前にある少年が立ち、少しモジモジしていました。
後ろに立っていた母親らしき人が彼を促します。
「ほら!早くしなさい!」
トマソン選手は、通訳を通じ「どうしたの?」とその少年に尋ねました。
意を決した少年はポケットから一枚の紙切れを取り出し、トマソン選手に渡しました。
それには英語でこう書いてありました。

「ボクは小さいころに、病気にかかって口と耳が不自由です。
 耳は聞こえません、話せません。
 だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです。
 デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです。
 頑張ってください」と

 その手紙に通訳も、その場にいた記者たちも驚き、言葉も出なかったそうです。

しかし、トマソン選手はニッコリと微笑み少年にむかって
「それなら君は手話はできますか?」と手話で語りかけたというのです。
その『言葉』に驚く少年と母親
再度、トマソン選手は聞きます。
「手話はわかりませんか?」
それを見ていたある人がトマソンに選手に英語で
「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と伝えました。
多くの人が手話を万国共通と勘違いしますが、国によって違うのです。
「そうだったのか...」という顔をしたトマソン選手はすぐに通訳にこう言いました。
「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と
微笑んで「わかりました」と答える通訳
トマソン選手は
「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」
このやり取りを見ていた後ろで順番を待つ人たちは、何も文句を言わなかったそうです。

そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まりました。

「君はサッカーが好きですか?」
「はい。大好きです」
「そうですか。デンマークを応援してくださいね」
「はい。あの聞いていいですか」
「いいですよ。何でも聞いてください」
「トマソン選手はどうして手話ができるんですか?正直、ビックリしました」

この少年の質問に彼は答える

「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます。
 その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と
 その彼の言葉をじっくりと読む少年。
そしてトマソン選手は少年に言いました。
「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが、
 君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています。
 君は一人ぼっちじゃないという事を理解していますか?」
この言葉に黙ってうなずく少年
「わかっているなら、オーケー!
 誰にも辛いことはあります。君にもボクにも
 そして君のお母さんにも辛いことはあるのです。
 それを乗り越える勇気を持ってください」

 このやり取りを見ていた母親は号泣したそうです。
この光景を見ていた周りの人たちも涙したというのです。

 そして、トマソン選手は最後に少年にこう言いました。
「ボクは今大会で1点は必ず獲ります。
 その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるようにボクは祈っておきます」
この言葉に、少年は初めて笑顔を浮かべながら、
「はい!応援しますから、頑張ってください」と応えました。

 そして、サインをもらい、その場をあとにする少年と母親。
その母親は目に涙を浮かべてこう言ったそうです。
「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ。
 日本と試合することになっても、私らはデンマークを応援しますよ」と


 この大会でトマソン選手は少年との約束を守り、得点を決めました。
1点どころか、彼は4得点という大活躍だったのです。

他国の一人の少年との約束を守ってくれたトマソン選手とそれを育てたデンマーク。
日本人以上に武士道の精神を持ったデンマークと浮かれるだけの日本。

これでいいのでしょうか?

おめでとう!!

2010年06月25日 22時17分45秒 | うれしい
 ワールドサッカーで決勝トーナメント進出を決めた今日、前の職場の部下だった宮前公民館主事の忽那君から男の子が生まれたとの嬉しいニュース。
 生まれたての写真も送ってくれました。
 可愛いですね!! パパそっくりです。

こちらもビックニュースです

大きくすくすく育って下さい。
忽那君、本当におめでとう

なんくるないさ~

2010年06月24日 21時39分40秒 | ちょっといい話
 先日、TVを観ていてお笑いコンビ“ガレッジセール”のマネージャーの話が紹介されていました。
 その話とは、そのマネージャーのミスでガレージセールのゴリさんを予定していた沖縄行きの飛行機に乗せることができず、結果的には4時間半も空港に待たせることとなったというのです。
その間、マネージャーはゴリさんに平謝りしたそうです。
でもゴリさんは、そのことについて一言もマネージャーを責めずに、「他のルートがないか考えよう」と言ってくれたそうです。

 そして、先乗りして一人で舞台をつないでいたもう一人の川田さんに電話連絡したところマネージャーに、「なんくるないさ~(沖縄の方言で「なんとかなるよ」という意味)」と言っただけだというのです。
ガレッジセールは沖縄出身で二人は中学校のときにコンビを結成しました。
どこか沖縄の人が持つ明るさや楽天的なところが出ていて、素敵なコンビです。
でも、元来、沖縄の人が持つ気質は、単に南国だからということだけでなく、戦争という悲しい出来事を乗り越えてきた人間の本質的優しさに裏づけされたものではないでしょうか。

 人は誰でも失敗します。
その失敗を責めることは簡単です。
でも、失敗していちばん悔やんでいるのは誰でもない、失敗した当人なのです。
ですから、ガレージセールの二人のとった行動や言動はすばらしいと思います。

 
 今日、私は休みをもらって母を病院に連れて行きました。
 いつも検査の後、「どうやった?」と質問します。
 いつも返す言葉は、「なんともないよー」です。

誇りがあれば生きていける

2010年06月22日 21時51分34秒 | ちょっといい話
 法政大学大学院政策創造研究科教授の坂本光司さんの講演を聴いたことがあり、その話に吸い込まれて、あさ出版から出ている「日本でいちばん大切にしたい会社」を1巻・2巻まとめ買いしました。

 その中に、「樹研工業株式会社」の紹介がありました。
 その内容は、ある社員が重い病気にかかり三年間闘病生活を続け、結局は病院で息を引き取ったそうです。
 その間、同社はこの社員に対して病に伏せる前年の年収を16で割り、毎月、前年と同じ月給を支払い、夏と冬に二か月分のボーナスを支給したそうです。
どんなに厚遇している企業でも半分くらいしか支給されない中で、これは破格の待遇でしょう。

 また、同社が立派だったのは、この支払い方法であると坂本さんは言いいます。
そのお金を銀行振り込みや家族に取りに来させるのではなく、毎月、その社員の枕元まで現金を届けたというのです。
そして奥さんは、ご主人の枕元からありがたく家に持って帰られたそうです。

 ある時、坂本さんは、同社の松浦社長にこのことをたずねました。
松浦社長は、
「人間、誰でも運悪く交通事故にあったりします。ましてや、その人が死んでしまったとするならば、いちばん困るのはあとに残された家族です。会社で、どんな盛大な社葬を上げたとしても、その家族の生活が楽になるわけではありません。社員だけではなく、家族もわが社の仲間ですから」と応えられたといいます。

 実は、私も高校二年のときに父親が仕事中の事故で亡くなり、盛大な社葬を上げてもらいました。
そして、勤続年数にかけた見舞金が支給されました。
ただ、父親は何度か転職をしていましたから勤続年数は短いものだったため、当時の交通事故死の保険金と比べても三分の一以下だったと思います。
家族にとって一家の大黒柱を失うことで、どれほど生活が困窮するかは身を持って経験しています。
それだけに、同社の姿勢は頭が下がります。
何よりも、病床のご主人からお金をもらう奥さんの気持ちは、「うちの主人はこんなにも会社から感謝されているんだ。これほどまで主人は会社に貢献したんだ」と誇りに思います。
実は、この「誇り」こそが家族にとってのそれからの人生の糧になるのです。

 形のない「誇り」が時として生きるためのエネルギーになるということを感じた素敵な話だったのでご紹介しまた。

子は鎹(かすがい)

2010年06月20日 21時54分32秒 | つぶやき
今日は父の日。
働き出した娘から父の日のプレゼントをもらう。

来月の誕生日プレゼントとを兼ねてだという。
ということは、かなり無理したのか。

中身は財布だった。
前から欲しくて、でも我慢していたのでよけいに嬉しかった。

私は娘に助けられている。

娘の無垢な思いに助けられている。

「子は鎹」ということわざがあるが、その『鎹(かすがい)』とは木と木を結ぶコの字型の鉄の釘を言うそうで、まさに親同士をしっかりと結ぶ役割を例えているのだろう。
娘のひたむきな思いに心動かされ、薄情な父親を恨むわけでなく、こちらの方がいつも心動かされる。

もし、自分がこれから「心豊かな生き方」ができるとするならば、ずいぶんと娘の力があるからであろう。
どこまで頑張れるかわからないが、娘のために精一杯生きていこうと思った父の日である。

新たな発想

2010年06月18日 21時32分53秒 | おもしろい
 昨日、民間企業が主催する都市経営の勉強会に参加してきた。
真に失礼だが、昨夜の遅く(朝早く?)まで資料をまとめていたため、不覚にも前半の半分くらい寝てしまった。
私のどうも「眠たいセンサー」が、興味がわかないと感知すると途端に機能不全に陥る。

 お世辞でなく資料はよく分かるし、内容もすばらしかったのだが、私の肉体的な問題で本当に失礼なことをしてしまった。(深く反省)

弁解がましいが後半は、きちんと拝聴させていただいた。
その内容を聞いていて、今までの考え方を転換しなければ受け入れにくい手法だと感じた。
そして、「こういうやり方もありか」といたく感心してしまった。
また一方で、世の中「地域主権」というが本当に地方の自治体職員がそのレベルに達しているかというと、私も含めてはなはだ疑問であるということ。

 中央主権の場合は、頭も資金調達も国頼み(?)でやってきた。
特に、地方自治体の職員にとって資金調達は苦手なのである。
わかりやすく言うと、親の扶養に入っている子どもに「明日から自立するように」と言われても、自立するノウハウも支度金もない中では難しいということである。

 また、自立するためには、都市経営について市民へわかりやすい説明をしなければならないが、その手法も問題があるように思える。
近年は説明責任の下、情報開示の体質や風土は定着し始めたが、それでも、まだ行政目線であり、見る側・聞く側の目線ではない。
ただ、その手法が分かっていないだけで理解すれば早いと思っている。
そのためにも、環境整備や個々のスキルアップに注力しなければならない。

 また、単に目先だけ(短期的)の説明では足りない。

 最近の民間の合意形成をはかるための説明手法はすばらしいものがある。
 特に株主に説明する場合の手法を見ると、行政が市民に説明する手法と比べてもその先進性は評価できるし、行政もどんどん取り入れていく必要がある。
ただ、株主は利益優先という基本に立ち返れば、そこから逆算すると自ずと説明のためのシナリオがつくれる。
 また、ビジョンも夢物語ではなく、現実にそったものでなければならないから、期間的にはそんなに長くはない。
 一方、行政に課せられた市民への説明責任は、さまざまな価値観を持った人たちに対して行なわれるものであるから、難易度は高い。
逆に言えば、最低でも100年くらいの期間で夢を語らなければ共感していただけないような気がする。
今は確かに苦しくても輝く未来があるということを示すのが、私たち行政に携わるものの責務だと思っている。
その間に社会環境の変化により多少の軌道修正は必要だが、ぶれない方向性を示す時機にきていると思ったのは私だけだろうか...

ゴルフがダメでも人生はダメにならない

2010年06月17日 23時27分24秒 | ちょっといい話
 Associe(日経ビジネス)の06/15号にプロゴルファーの宮里藍さんの話が出ていた。
 宮里さんのデビューは華々しかった。
それだけに2007年夏からの深刻なスランプは、彼女を長く苦しめた。

 その原因は、彼女の武器だったショットの安定性と正確性よりも海外へ出て目の当たりにしたパワーヒッターに惑わされ、飛距離を求めたスイングの改造をしたためと言われる。
そして、この試行錯誤が元来の彼女の持ち味を消し去ってしまったというのである。

 しかし、彼女は復活する。
その復活は、彼女自身の「らしさ」を取り戻したことにあるという。
まず、ピア・ニールソンとリン・マリオネットの指導を受けることから始まった。
2人の特徴は「感性重視」にあるという。
選手自身にとって心地いいスイングを追及する。
この方法論が宮里の心を開放したという。

 父の言葉も大きかった。

  「ゴルフがダメでもおまえの人生は不幸せではない」

とても素敵な言葉だと思う。
父親だからこそ、娘がどこで悩んでいるのか痛いくらいわかっていたのであろうし、傍で彼女を見続けていたからこそ出てきた言葉であろう。

 こうして、「ゴルフだけが人生じゃない」と悟った時、心に余裕が生まれたという。
そうなると、自分を支える人の顔も見えてきた。
素敵な家族、友人、マネージャー。
そうか、私は幸せなんだ...。

 人生には何度かの苦難がある。
時に人生の分岐点の時もある。
でも、苦しいからといって逃げても何の解決にもならない。
苦しいからこそ、試練なのである。
苦しいときこそ、前を向いて、胸を張って進まなければならない。
進むうちに、不思議と道は拓けてくる。

 そして、人はぜったいに一人ではない。
誰かがどこかで支えてくれている。
失敗したら、スタートラインに戻ればいい。
それでもダメなら、ちがう競技に変ればいい。
人生、やり直しができないというが、人に「感謝」の気持ちを持ち続ければ何とかなる。

 

おかげさまで

2010年06月16日 21時42分29秒 | つぶやき
 「おかげさま」という言葉は、「影(かげ)」に感謝の思いで、「お」と「さま」をつけた言葉だと林住職は言われています。

 そして「影」とは、その人を支えてくれている人全てを指すそうであります。
また、「その支えてくれている人たちすべてに、常に感謝しなさい」とも言われています。

 そういわれると、自己を振り返ると、日常生活の中で感謝する気持ちを忘れていたような気がします。

 試しに、今朝出掛ける時、「いつもお弁当を作ってくれてありがとう」と家内に言ってみました。
きょとんとした顔をされました。
一番身近だからこそ、一番感謝しなければならないとの思いからであります。

 会話の冒頭に「おかげでさまで」という言葉を頻繁に使ってみようと思っています。


 それを実践する機会がやってきました。
 昨夜、地域の広報委員会の委員さんのお宅が火事にあい、全焼してしまったという記事が新聞に出ていました。
早速火事見舞いをもって尋ねたところ、現場検証をしていたところでした。
その方は途方にくれておられるようで、声をかけにくい状況でした。
挨拶も早々に退散しようと思い声をかけると、「すべて焼けてしまいました」と落胆した表情でかえってきました。

 「何かお困りではないですか?」とたずねると、「病院に行きたいんやが、何にも残ってないんで途方にくれとんよ」とかえってきました。
そこで、「市役所関係で急ぐ書類があれば言ってください。私どもの方でできるだけのことをいたしますから」と申し出ました。
早速、帰りに思いつく部署を回って、直ぐに手続きをして回りました。

 平素地域の方のお世話いただいている方が本当に困っているときにお手伝いする、「おかげさま」のお返しを少しでもできればと思った一日でした。


運がよければ

2010年06月15日 22時51分41秒 | 考え方
 最近、医療関係のTV番組が増えているような気がするのは私だけだろうか。
内容もかなり専門的で、医療の現場の日進月歩を感じる。

 高校二年のときの学年最後の期末試験の最終日、早く帰宅した。
 一本の電話がかかってきて、母が電話をとった。
その電話は、「ご主人が怪我をされましたので○○病院まで至急来ていただけますか」というものだった。
母は、相手の声が落ち着いていたので大したケガではないと判断したのか、「いっしょに行ってみる?」と軽く聞いた。
私は、迎えに来いというのだから骨折くらいはしているかもしれないと思い、男手があった方がいいかもしれないと思い、付いて行くことにした。

 病院の玄関には父の上司がおられ、暗い顔で「奥さん、先生の話を聴いてもらえませんか」というと診察室に私たち親子を案内した。

 他の患者さんを診ておられたので、終わるのを待った。
診察が終わると、その患者さんのカルテを書き、椅子ごとクルと私たちの方に向き直り、「まことに残念ですが、ここに来られた時にはすでに亡くなられておりました。
 運のいい人は助かるんですが、アバラが折れ、内蔵に突き刺さり、内臓破裂でした。
 地下に安置しておりますから、看護婦に案内させますので会いに行ってください」
 何が起こったかわからなかった。


 そして、市役所に入って定員管理を担当していた時に、消防職員も含めて厳しい職員の抑制をしていた。
でも、唯一、例外(増員)がある。

 それは、高規格救急車(従来の救急車から、救命のための機具などを搭載したり、救急救命士を搭乗させることで、救命率を高めることを目的にした救急車)を導入したときである。
すんなりと認めた。
それだけではなく、上の判をもらうためのアドバイスまでした。
消防の担当者は驚いていた。
常に増員を許さないと言い切っていた私がである。

 恐らく、私が後にも先にも仕事に私情をはさんだ出来事である。
職員としては、プロとして、私情を挟むことに厳しかった私が、あの時の医師の「運のいい人は助かるんですが...」の一言のために
 でも後悔はしていない。

 私たちは、どこにいても、まず市民の生命の安全と安心を守ることを優先することが使命だと思っているからである。

誰でも、誰かを支えてる。

2010年06月14日 21時34分30秒 | ちょっといい話
 ある大企業の人事担当部長の話。

 その部長は、リストラ担当部長で、組織のためと思ったら非情と言われようとリストラを断行したといいます。
ときには下請け企業にもリストラについて口出しをしていたというのです。
彼は、その行動を正しいと信じ、なんの迷いもなかったというのです。

 それが、あることからリストラが会社にとって決していいことではないと経営者の幹部たちに進言し、説き伏せたというのです。
 そして、リストラから苦しくとも社員を大切にする会社に生まれ変わってから、その企業の業績は上向きになったというのです。

 その出来事とは、ある社員の話です。
彼は真面目で、確実に仕事をこなすのですが、スピードが遅い。
人事異動のシーズンになると必ずと言ってもいいほど、名前が挙がるが社内でも有名で、どの部署からも敬遠されることはあっても取り手がみつからないというタイプでした。
結局、毎年、現状維持というとになります。
思い余った部長は、リストラのリストに彼の名前を書き込んだそうです。

 そして、それを内示する直前に行われた社内運動会に出たときのことです。
お昼休みに、その社員が家族とお弁当を広げて食べていました。
彼は、部長に気づかない様子でした。
好奇心で気づかれないよう傍に近づいていき、家族の会話を盗み聞きしたそうです。
勝手に、会社で信頼されていない彼が、家庭でも同様なのだろうと思ったからです。

子どもの声が聞こえてきました。
「今日は本当に楽しいね」
すると奥さんが
「そうよ、これもパパのおかげよ。
 パパがこんな大きな会社に勤めてくれて、毎日がんばってくれているおかげよ。
 みんなで、パパにお礼を言いましょう」と言ったそうです。
子どもたちは声をそろえて
「パパ、ありがとう!!」
続けて
「そして、パパを雇ってくれている会社にもお礼を言いましょう」
「うん、パパを雇ってくれてありがとう!!」

それを聴いた部長は、思わず植木に身を隠して声を押し殺して泣いたというのです。
例え仕事場で支えられる側であったとしても、家庭では家族を支える人であるんだと。
そのことに気づいてから、その部長は人が変った様にさまざまな部署に出向き、さまざまな人に声をかけていくようになったというのです。

 私も去年、ある組織の統合を経験しました。
その中で事務事業の見直しをすることになりました。
主管課には、何割かの業務を引き取って欲しいという話が持ち込まれました。
私はこのことに頑(かたく)なに「引き取れない」と反発しました。
 何度も担当課長と担当者が足を運んでくれましたが、答えはいっしょでした。
 部下たちの中には心配して、「私たちのことを思っているなら、私たちもがんばりますから引き取りませんか」と言う者まで出てきました。
 何回目かの時、担当者のプロパー職員が「課長さんらしくありませんね。課長さんは、仕事に対して常に前向きに取り組まれるという話を聴いていましたが、矛盾していませんか?」
「はい、どう思われようが結構です」
それを聴くと彼は顔をあからさまにそむけるようになりました。

後日、その担当課長さんが一人で見えられ、「らしくないなあ~」と言うのです。
私は、憤りました。
「あなたは本当に部下のことを考えていますか?」
「考えますよ。あなたなんかよりはるかに」
「そうですか、わかりました。ではすべての仕事を引き取りましょう」
「わかってくれましたか」
「わかりましたが、そうなるとプロパー職員はどこに配置されるのですか?
 この職場には席はありませんよ。
 それよりも新しい組織で仕事がないのに、どう雇うのですか?
 すべてクビにできるんですか?
 その人たちの家族はどうなるんですか?」
私は、つい声を荒げてしまいました。
相手は、真っ赤な顔をしてうつむいたままでした。
そして、彼は前言を撤回し、自分たちで引き続いてほとんどの業務を行うことになりました。

 そのやり取りを聴いたのでしょうか。
 どのプロパー職員も、私に挨拶をしてくれるようになりました。
 私は、組織人としては失格です。

 でも人を大事にしない組織に未来があるとは、私は思わない。

社会の役に立つということ

2010年06月13日 23時06分50秒 | ちょっといい話
 今日のお昼に松山市小中学校PTA連合会の中村和憲会長にお会いした。

 昨日の潮干狩りについてお聞きすると、天気にも恵まれ、全部で2,500人くらい参加されたそうでたいそう喜んでおられました。
 また、5年間潮干狩りを続けたおかげで、子どもたちがとったアサリの中にとっても小さな貝が見つかったというのです。
会長の推測によると「これはですね、毎年、とりそこなった貝が居ついて子どもを産んだんじゃないかと。これをもっと続けると、そのうち梅津寺海岸にアサリがもどってきて、最後には海水をきれいにしてくれるんじゃないかと思うとうれしくなってしまって...」
 私は、中村会長のこの純粋さとあどけなさ(ゴメンナサイ)がとっても好きです。

 その中村会長がある中学校の2年生の職業科授業の講師を依頼され、今春から引き受けたそうです。
 その最初の授業で早速、宿題を出したそうで、内容は「次の授業までに家の仕事で手伝ったことを次回に発表してください」というもの。
次の授業の時に生徒たちはその宿題をしてきたそうですが、しっかりと毎日家の手伝いをしている子と、明らかに今回だけ手伝った子がわかったというのです。
 そして、子どもたちが手伝った仕事を板書すると、驚くくらい家の仕事があったというのです。
 そこで、これらの仕事を日々誰がやっているかという質問を投げかけたところ、答えは「お母さん」になったというのです。
家の仕事をやったからといってお金を稼ぐわけではありません。
でも、仮にお母さんがその仕事をしなかったとしたら家族はみんな困るわけです。

 仕事は必ず誰かの役に立つということをまず教えたかったというのです。

 確かに、どのような仕事も必ず社会の役に立っているのです。
  かごに乗る人、担ぐ人、そのまたわらじを作る人...
 子どもたちにとって、「心豊かに生きる」ことを教えてくれる素敵な先生だなと思ったのは私だけでしょうか

熱血!ホンキ応援団

2010年06月12日 23時20分58秒 | ちょっといい話
 皆さんは、土曜日の19時からテレビ朝日系で「熱血!ホンキ応援団(番組ホームページ  http://www.tv-asahi.co.jp/nekketsu/)」という番組が放映されているのをご存知でしょうか?
 この番組は、ホンキで頑張っている人をホンキで応援する、ドキュメントバラエティです。

 今日は、『赤字の洋食店を立て直したい!』そんな62歳の吉祥寺の洋食店店主・怱那義昭さんのために、人気シェフ川越達也が立ちあがるというもの。

 忽那さんは、約30年前に、アメリカで人気店を経営していたことがある実力の持ち主。
しかし現在では、時代の流れにのれず赤字経営が続いていた…

 そこへ、人気シェフ川越達也が店の再建を目指し訪れる。

 川越シェフは、忽那さんにお客さんが遠のいたわけを自分なりに見つけ出させるところから始めました。
ここからスタートしたのは、「今のお客さんの嗜好はこのような味です」と教えるのは簡単ですが、それでは一過性で終わると判断したためだと思うのです。

 まず、店の前に定点カメラを備え付け店の前を通る通行人の年代を自ら集計させたのです。
今までの「おいしいものをつくっておれば、お客さんの方からやって来る」といった待ちの姿勢をかえる必要性もあると判断したからでしょう。
川越シェフは、何よりも忽那さんの意識改革にこだわったところがあります。

 次に、忽那さんのつくる料理を試食してみて、「料理が枯れている!」と川越シェフは言い放つ。
その味が現代人にそぐわないことを自ら売れている料理を作り比較させたのであります。
そしてただ一言、「今の若い女性が好む味はこういう味です」と言い放つ。
しかし、レシピは教えない。
それは、川越シェフが忽那さんを一流のシェフだと認めていたからでありましょう。

 忽那さんにとって料理の味を変えるということは、過去の栄光とプライドをすべて捨てることだったのです。
そのことを悩む彼を奥さんが「今のお客さんに合わせて味を変えたらいいんじゃないの」と後押しをします。
その一言に、忽那さんはすべて捨て去ることを決断します。

 そうと決めたら、実力のある忽那さんの動きはモーレツでありました。
そして、「女の料理」と「男の料理」の二通りを創りあげます。
メニューを二つ創りあげたのも忽那さんがきちんとターゲットにあわせて何をしなければならないか、しっかりと受けとめていたからでありましょう。

 そして、試食の日、川越シェフが「女の料理」を食べて納得をし、続いて「男の料理」を食べ終わると涙をこぼし始めます。
「今まで大変えらそうなことを言いまして失礼しました。最高においしいです」
職人の意地にも似た、男と男の真剣勝負だったからこそ自然と出てきた涙でしょう。

 また店再建の裏に怱那親子の感動秘話も隠されていました。
忽那さん夫婦は子どもさんに恵まれなかったために5歳の子どもを養子にしていました。
その息子さんも19歳。
今は消防学校に入り、消防士を目指しています。
そして、リニュアールオープンの日、最後のお客さんはその息子さんでした。
息子さんは、食べ終わると
「おいしかったです。
 5歳の時にこの家に来た時から父さんは厨房で調理していました。
 その背中をずっと見ながら『かっこいい』と思っていました。
 僕も父さんのような人になりたいと思いました。
 (今は、道はちがうけれど)私が消防士としていつか父さんを支えます。
 どうか、それまでがんばってください」と

 この親子の歴史を顧みたとき、忽那さんがどれほど真摯に仕事をしてきたかがわかります。
でも現実は、そんなに甘くないのです。
外部環境の変化やお客様のライフスタイルの変化などなど、変わらなければならない部分があるのです。
それを自覚した忽那さんの勇気と努力に敬服するとともに、今後の繁盛を願いたいと思います。


やぶられてもいいルールとは?

2010年06月11日 04時20分35秒 | ちょっといい話
 昨日の研修を受けたときにマニュアル化の大切さと、そのことに依存する怖さみたいなものをしっかりと学びました。

 特に、私たちの仕事はコンプライアンス(法令の遵守)が前提にないと成り立たない仕事です。
しかし、それは時にトラブルや相手側をひどく傷つけることがあります。
そのことを承知しながら、貫き通さなければならないことがあります。
非情だとか、融通が利かないと罵倒される場合もあります。
でも、守らなければならないことは、守らないといけないのです。

 でも、この中で業務を運用する中で定めた要綱や規則には、幅広く表記することで現場の裁量に委ねてもらえているものもあります。
その時の運用時に注意しなければならないのは、特定の人だけが得をするようなことがあってはならないということです。
そして、その運用した内容を、いつでも、誰にでも、きちんと説明できなければなりません。
いわゆる透明性と公平性を確保しておくということだと思います。

 この話とは矛盾するかもしれませんが、「素敵なルール破り」について、林住職が話してくれていますので、ご紹介します。

 皆さんは東京ディズニーランドに行ったことがありますか?
 このアミューズメント施設は、決め細やかなサービスと、いっとき異空間にお客様を誘(いざな)うという類を見ない施設です。
この施設が他の追随を許さないのは、徹底したスタッフ教育にあり、膨大なマニュアルにあると言われています。

 そして、そのマニュアルの中に、レストランでの「お子様ランチ」が出せる年齢を8歳までと制限しているものがあるそうです。

 ある日、若い夫婦がお店に入ってきて、自分たちが食べるメニューと「お子様ランチ」を注文したそうです。
応対した女性スタッフは、お子さんを探しました。
でも傍らには小さなお子さんがいなかったそうです。
そこで、そのスタッフは「恐れ入りますが当店では8歳以下のお子様のみにお子様ランチのサービスをしておりまして、大人の方にはお断りしております。誠に申し訳ございませんが、ご了解いただけますでしょうか」と丁寧に断ったそうです。
 夫婦は顔を見合わせて、曇った表情でご主人が話し始めました。
「実は、私たちには今年6歳になる息子がおりました。でも、先月、交通事故で亡くなってしまいました。その息子は、このディズニーランドが大好きで、この店のお子様ランチがとても好きでした。ですから、今日はその息子と一緒に来ているつもりになり、お子様ランチを頼んだのですが、どうしてもだめでしょうか」
スタッフはこみ上げる涙を抑えて、「少々お待ち願えますか。今から上司に相談してまいりますから」と言って、彼女は急いで上司のところに行き、この旨を相談しました。
 
 上司は、すぐに出すように指示しました。

 女性スタッフは、その若い夫婦をテーブル席に案内をし、子供用の椅子まで準備しました。
そして、注文されたメニューとお子様ランチを出したそうです。

 この様子を見ていた他のお客様からクレームがついたそうです。
その内容は、「きちんとルールを決めたなら、それを守ることが大切であり、これじゃあ差別じゃないか」と言うものでした。
それを許可した上司は、そのお客様に丁寧に「私たちは心のこもったサービスをお客様に提供することを第一義に心がけています。そのためには、時に例外を認める場合があってもいいと思います。私は、やぶってもいいルールがあってもいいと思っています」ときっぱり言われたそうだ。

 私たちサービス業に携わる者として、この話を聴いて、何が大切で、何をしなければならないかということを常に自問自答しなければならないという好例だと思いました。

 常に心豊かに、心のこもったサービスを提供することを心がけたい


支所・市民課合同 接遇基礎研修

2010年06月10日 20時01分40秒 | 職場の出来事
 今日は朝から松山市ワンストップサービス連絡協議会が企画する「接遇基礎研修」があり、参加してきました。

本市では窓口業務に携わる職員に対して、徹底して接遇の重要性を学ばせます。
その内容は、堅苦しいものではなく、チームを組んで行なっていくというもので、その中でチームワークの大切さについても学びます。

 正直言うと、今さらという思いもありましたが、実際に受講すると「なるほど、なるほど」、「そうなんや」、「確かに」といった言葉を心の中でつぶやいていました。
 また、車椅子のお客様や電話応対など飽きることのない内容でした。

 初心にかえる大切さを改めて学びました。

 そして、心のこもったサービスの大切さも、固まりかけた頭に楔(クサビ)のように打ち込まれた思いでした。