走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

市長からの感謝状

2013年12月18日 21時26分32秒 | うれしい

前の職場の生石地区に葬祭場ができた。

その施設の東側道路は通学路に指定されていたのだが、朝は車の抜け道として利用されていて子供たちにとっては難所の一つになっていた。

いわゆる通学路危険区域だ。

毎朝、ここに立っていただいている地域の見守りの人たちからは、何とかならないかという話が出ていた。

そして、この通学路に隣接する土地が売却され、葬祭場ができるという。

地区の交通安全協会の役員の人たちからは、地域の勉強会で「通学路」をテーマに取り上げていたこともあり、何とかしたいと支所に相談があった。

内容は隣接する部分を通学路として提供していただき道路と隔離したいというのだ。

そこで、ダメもとでいいからみんなでお願いに行きましょうということになった。

まず、学校と話をしましょうということになり、私が校長先生にお話に行く。

ただ、施設の一部を通学路に提供してくれというのは利益にも絡むのでは難しいのではないかと心配もされていた。

だが、とってもいい話なのでぜひ実現してほしいとお願いされたので、メンバーを決め、相手側につなぎを付けた。

お願いに行くと、正直、相手は構えておられた。

迷惑施設というイメージがあるので、内心は心配されたのではないか。

事前に大方の話はしておいたので、この件については好意的なお答えをいただいた。

これ以外にはないかというようなことを聴かれたので、これだけですと答えると、ほっとした様子だった。

私たちにとっては大収穫だった。

何よりも地域の様々な人たちがスクラムを組めば実現できるという自信につながった。

そして、今日、そのことに対して市長から企業の代表に感謝状が贈られた。

私はすべて行政がする必要はないと思う。

自分でできることは自分でする。

仲間と助け合ってできることは仲間とする。

行政改革を担当するにあたって、上杉鷹山や山田方谷の本から学んだことだ。

そして、企業にはCSR活動という社会貢献活動がある。

企業が本気を出せば地域にさまざまな貢献ができる。

トップがやるとさえ言っていただければできるのである。

利益確保も大事だが「会社」を反対にすれば「社会」である。

今回の感謝状は小さなことかもしれないが、少なくても会社の風土としてCSR活動の重要性が根付けばありがたい。

そして、今回の件が地域の他の企業の模範になることだろう。

そういう意味からも市長表彰になったのは意義深いと思う。


即今、当処、自己(そっこん、とうしょ、じこ)

2013年12月17日 20時33分57秒 | つぶやき

タイトルに掲げた言葉は、禅の言葉である。

意味は、「今、ここで自分が生きることを大事にする」ということだそうだ。

すなわち、先々を追いかけるのではなく、「日々の仕事にきちんと向き合うことが明日につながる」という考え方である。

私たちは、夢や理想に向かって突き進むことが大切である。

そして、それに向かっていくためには「志」というエネルギーを保ち続けることだと思う。

司馬遼太郎の言葉を借りると、その「志」ほど塩のように溶けやすいものはないと。

ただ、日々の真摯な生きざまの積み重ねが「志」を持ち続けることにつながるとも表現している。

この考え方は、タイトルの言葉と通じるところがある。

計画は作れるのにカタチにできない人をいっぱい見てきました。

さまざまな原因によって頓挫してしまう。

でも、そういう人たちをよくよく見ていくと、日々の生きざまを大切にしていなかったような気がする。

生きざまは計画、実行には直接関係ないが、それを支える基礎の部分のようなものだと思う。

例えば、人間関係を構築する上で、相手の肩書や実績というよりも人間性を重んじることの方が多いのではないか。

仮にそうでないとしたら、その人自身にも問題があると思う。

自分に合った人間性かどうかが新たな人間関係につながるものである。

そして、私はその人間性の原点を日々の生きざまに置いている。


東京出張2日目

2013年12月16日 23時55分21秒 | 職場の出来事

 

今回の出張は、公益財団法人 明るい選挙推進協会主催の「ソーシャルメディアを利用した選挙啓発に関する研究会」の立ち上げに参加するためであった。

先の7月の参議院議員通常選挙からネット選挙が解禁され、総務省も同財団もソーシャルメディアを選挙啓発に積極的に活用した。

従来の選挙啓発の手法が効果がないというわけではない。

ただ、大きなうねりとしてコミュニティという概念に変化が起こっているからではないか。

経済部門から社会教育へ、そして市民にいちばん近い支所勤務を経験してきたことで、この考え方の確証を得たと思っている。

地域コミュニティの衰退は歯止めがかからない。

その要因は、個人主義の蔓延と地域に対する帰属意識の希薄化。

その一方で若者を中心に価値観コミュニティ(自分で勝手につけた造語)は拡大の一途である。

これをソーシャルメディアが後押しする。

この二つのコミュニティの大きな違いは、枠にはめ込めるか、はめ込めないかといったちがいだけである。

従来の選挙啓発が枠のうちに向けた発信だとすると、これだけでは足りないと思っている。

よくよく考えてみれば、枠をはめるという概念は行政側からの論理である。

インターネットの誕生からソーシャルメディアに至る過程の中で、その(枠にはめるという)概念が陳腐化していっているような気がする。

それが故に、従来の手法だけでは足りない。

また、ソーシャルメディアには双方向という新たな機能があり、これをうまく使いこなせれれば、新たな広がりを見いだせる。

そういう意味で、この研究会が日本の新たな選挙啓発の道標になることを期待している。


東京出張

2013年12月15日 22時55分24秒 | 職場の出来事

今日は、東京である。

明日の会議が10時からあるために前入りした。

日曜日に移動するのは珍しいのだが、おかげで余裕をもって移動できた。

東京にいる娘と食事もできた。

娘に東京の感想を聞くと、刺激的で楽しい街だという。

わかるような気もする。

いつ来ても、変化している。

どういうわけか(大学は岡山だったので、東京は無縁なのである)東京にたくさんの友人がいて、いずれも愉快な仲間たちである。

どう愉快なのかというと、アーチスト系、プロデューサー系、ベンチャー系とありとあらゆる人たちがいて、自分の業界とはまったく無縁な人たちばかりだから、どうしても話が面白い。

話を聞いていて、「へぇ~」という内容ばかりである。

ある意味、この田舎ものをかわいがってくれている。

面白がってくれているのかもしれない。

だが、別に馬鹿にされているわけでもない。

今まで積み上げてきた雑学が役に立っている。

彼らにとって、私の仕事や肩書にはまったく興味を示していない。

その証拠に、人を紹介されるたびに部署名も肩書も紹介しようとしない。

ただ一言。

「おもしろい人なんですよ。」

内心、「それだけかい」と思ってしまうが、気持ちがいいくらいだ。

仕事とは関係ない話でアイデアを求められる。

私の方も仕事とは関係ないので、大きな話をしてしまう。

彼らがほしいのは、持続可能な形や計画を実現化するためのタテツケをどうすればいいのかということである。

そういう意味では絵空事ではすまない。

現実的な話をしながら、発生するだろうリスクまで予測する。

そのためのリスクヘッジをどうするか。

楽なのは、10の内6程度話せば通じる。

ここが東京でビジネスをしている人の違いかもしれない。

そして、授けたチエをそれぞれの人脈に落とし込んでいく。

こんな話は、だいたいカフェで始まりカフェで終わる。

それも一件のカフェで終わらない。

何件もカフェをハシゴする。

よく人に、「何か面白い話はないですか?」と聞かれるが、面白い話ばかりである。

なぜなら、知らない話ばかり聴けるからである。

なんにでも興味を示してしまう性格が功を奏しているのかもしれない。

そして、いつも心地よい満足感に満たされながら、東京をあとにする。


みかん一筋

2013年12月14日 20時39分39秒 | すばらしい出会い

 一昨日、愛媛県の伊方町の三崎にある農業生産法人㈱NADAの大岩康久社長と知り合いました。

とても愉快な方で、初対面から吸い込まれるようで、どの話も素敵でした。

感服したのが日本の商習慣を大切にされておられるところでした。

過去に、東京の有名な果物屋(パーラもやってたなあ)さんとお付き合いされていたときに、直取引を望まれたのでお断りされたそうです。

その果物屋さんとお付き合いされていると聞いただけでも、どれだけ品質の高い商品を卸されていたかがわかりますが、そのブランドを蹴ってでも自分のポリシーを貫かれた生き方が何よりも大岩さんらしく、自分のようにうれしくなりました。

スウェーデンでは無駄をいっぱい作ることで雇用の場を創り、拡大しました。

そして、わが国では無駄を省くこと、効率性を追求することで、たくさんの雇用の機会を喪失してしまいました。

きっと、大岩さんには一人勝ちでは(ビジネスは)長くは続かないという信念があるのだと思いました。

ビジネスパートナーとして組むなら、きっとこういう人がいいとも思いました。

また、大岩さんのところのみかんが美味しい理由の一つに土があるそうです。

その大切な土を見においでと言ってくださったので、ぜひ伺おうと思っています。

 

 

 


伊予柑大使

2013年12月12日 22時24分54秒 | グルメ

皆さんは、ご自宅でどのようなドレッシングを使っていますか?

当家では、生野菜を食べるときには既存のドレッシングでは飽き足らず、荒胡椒をかけ、その上にすし酢をかけるシンプルな方法が主流でした。

そんな時、妻が近くのホームセンターにある産直市で「伊予柑大使」というドレッシングを買ってきました。

このドレッシングは、地元企業が作っており、ここ最近、我が家のブームになっています。

食べる前のイメージとしては、柑橘系特有の酸味があるのだろうと思っていました。

正直、酸っぱすぎるのは嫌だと思ったのです。

そんな私に、妻は「騙されたと思って食べてみなさいよ」と促され、食したわけです。

「うまい!!」

驚いたことに柑橘系なのに食材本来の味を邪魔していないのです。

このドレッシングは、さまざまな姉妹商品があるようで、今はゴマ味を使っています。

これもなかなかのものです。

ただ残念なのは、手作業で作っているらしく陳列ケースにないことがあるのです。

手作りですからしょうがないとは思うのですが、どうか切れないように生産してください。

野菜を多く取らないといけない私からの切なる願いであります。

 


枠にはまらない

2013年12月11日 20時11分54秒 | つぶやき

ホンダのスタンスを言い表すコピーに「枠にはまらない」というのがある。

町工場から生まれたホンダ。

今では、世界を代表する企業となった。

巨大企業が陥りやすい、閉塞感にも似た組織の限界点。

それを打破すべく内外に向けたメッセージが、「枠にはまらない」なのだろう。

そして、そのメッセージは誰よりもうちに向けた要素が強いような気がする。

そのためには、まずトップ自らが、さまざまなシーンで失敗を恐れず、果敢に挑戦し続ける姿勢を示す必要がある。

巨大企業病から脱出し、新たなステージに向かうためには、この「枠にはまらない」精神が何よりも大切なのである。

若い人たちが、この精神を持って前に進む限り、この国の未来は明るい。

そして、若い自治体職員が、この精神を持って前に進む限り、このまちの将来は希望に満ち満ちるのである。


苦手な人とは

2013年12月10日 20時52分21秒 | つぶやき

世の中には、苦手だと思う人がいっぱいいる。

私の場合は、「誰々さんを知っています」と初対面からご紹介される人。

閉口してしまう。

権威主義者は苦手である。

心のどこかで、「その人じゃなく、あなたが知りたい」と叫んでいる自分がいる。

そして、「まぁ、いいか」とつぶやいている。

こういう人は、私のネットワークに登録されない。

次に、他人の夢や活動を紹介してくれるが自分の夢や活動をまったく語ろうとしない人がいる。

結局、何がしたいのか見えてこない。

こういう人も、私のネットワークに登録されない。

そして反対に自分のことしか考えていない、身勝手な人も合わない。

「この世の中、あなただけで回っているわけではないんですよ」と心のどこかで嘯(うそぶ)く自分がいる。

これが私の「苦手な人」のものさしのようだ。


本当の絆とは

2013年12月09日 22時28分57秒 | つぶやき

人の相性が合うというのは簡単なようで難しい。

まず、初対面で9割くらい(相性が)合う人か、そうでない人かがわかってしまう。

そして、この人となら仲良くなれそうだと思い、付き合い始めても途中からおかしくなったりする。

なぜ、おかしくなるのか。

それは相手を信頼し、期待してしまうからかもしれない。

そして、信頼や期待を裏切られると、「あの人は、ああいう人だったのか」と勝手に決めつけて波風を立たせる。

よくよく考えてみると、相手は当初からそういう人だったかもしれない。

勝手に自分で過信したに過ぎないのに...

むしろ、相手のありのままを受け入れないくらいなら付き合わない方がいい。

本当の絆とは、相手の悲しみや苦しみを分かち合える、そんな関係ではないのか。

それなのに、こちらの都合で相手を解釈し、こちらの都合で関係を断ち切ってしまう。

理不尽とはこのことである。

あなたには、本当の意味での絆でつながっている友が何人いますか?


調子のいい人

2013年12月08日 19時32分24秒 | つぶやき

世の中には様々な人がいる。

こちらの調子のいい時にはじゃれるようにすり寄ってきて、調子が悪くなると踵(きびす)を返すように遠ざかる。

人の世の常だから致し方ないと諦めるようにしているが、そういう人に限って何処かで躓(つまづ)いていると風の便りに聞く。

私の周りには、さまざまな知恵やアイデアをもらいに来る人が多い。

どういうわけか、専門外の話でも相手の話を聞いているうちに不思議とアイデアが浮かぶのである。

なぜそのような才能がついたのか。

人並み外れた好奇心と、どん欲なまでの向上心、多種多様な人的ネットワークのおかげかもしれない。

そして、アイデアをもらった人たちは、それらを行動に移し、最初のうちはうまくいく。

だが、途中からおかしくなる。

当然である。

アイデアは、ブラッシュアップ(磨き上げる)しなければ、途中で頓挫(とんざ)してしまう。

言葉は悪いが、タダで得たものは身につかないのである。

出発点として、ヒントをえるのはいいが、お膳立てしてもらって、しかも軌道に乗るところまで頼った後、自分のものにする。

うまくいくわけがない。

自分の足で稼ぎ、自分で知恵を絞り、汗をかく。

当然、自己投資がともなう。

それを飛ばしたやり方は身につかない。

人が築き上げたネットワークを利用しても、自分のネットワークになることはまずありえない。

そして、いつかボロが出る。

最近、このような「調子のいい人」がよく見えるようになった。

何よりもこういった人たちは、「いける!」と思った瞬間から、離れて行ってくれる。

そんな時、黙って見送ることにしている。

 


やり残し

2013年12月07日 18時50分32秒 | つぶやき

年の瀬が来ると、どうしてもその年を振りかえてしまう。

歳を重ねてくると余計である。

そして、若い頃はやり残したことを「来年こそは」と思っていた。

だが、いつしか、そのことにこだわらなくなり始めた。

諦めたわけではない。

おそらく、振り返るだけでなく、残りの人生も見るようになったからかもしれない。

そして、できることと、できないことが見えてきた。

そして、残りの時間で何ができて、何がやりたいのかを整理する。

次に、それらに優先順位をつけてみる。

自ずと下位のテーマはやりきれない可能性が出てくる。

いわゆる「やり残し」が出てくるのである。

「いたしかたない」と諦められる自分がいる。

だからこそ、上位のテーマは何が何でもやりきろうと思うのである。

「やり残し」は、諦めの産物ではなく、やりきった証なのだと自分に言い聞かせるようになった。


うまくいかないから、人生は楽しい

2013年12月06日 21時15分12秒 | つぶやき

何をやってもうまくいかない...

そういう方は多いのではないか。

そして、もがけばもがくほど、どんどん深みにはまっていくような、そんな気がすることを経験された方も多いのではないか。

私も振り返った時、何度かそんな経験をした。

最初は、あいつのせいだ、あれが原因だ、挙句の果てには世の中が悪い等々...

そこには、自己責任のかけらすらない。

ただ、よくよく考えてみると一歩踏み出したからこそ、うまくいかないことにぶち当たったのである。

黙って首を引っ込めて丸まっていた方がよかったのかもしれないが、性分がそうはさせなかった。

「不屈の精神」という言葉があるが、ぶち当たっても亀のように何度も首をもたげ、のっそりと一歩前へ歩みだしていたような気がする。

そして、踏みつけられたり、挙句の果てに蹴飛ばされたりもした。

だが、ゆっくりと方向を変え、元の方向へ戻して歩み始めていたような気がする。

その動きはけっして早くない。

まさに愚鈍で、鈍才である。

だが、どんな時も諦めなかったような気がする。

自分で自分を鼓舞しながら、目の前のことに必死でぶつかっていたような気がする。

たとえ、それが大きかろうが小さかろうが関係なかったような気がする。

そうすることで自分のモチベーションを維持していたのかもしれない。

そして、そんなことを何度か繰り返すうちに自分の信念のようなものが出来上がった。

そして、心のどこかに、こうくり返すようになった。

「だから、人生は楽しい」

「うまくいかないから、人生は楽しい」と...

 

 


本質を見抜く力

2013年12月05日 21時24分35秒 | つぶやき

色々な方々とお話しする機会が多いのだが、要領の得ない方がおられる。

その話を聞きながら、「この方は本質を見抜く力を持っていないんだろうなあ」とつい思ってしまう。

話がとにかく回りくどいのである。

何よりも、本質がなんなのか、そのことすら追求しようともしない。

「どうなんだかな」と思ってしまう。

一方で、「結論は何?」とせかす方もおられる。

実は、「結論」と「本質」とは違うのだということに気づいておられない。

こういう口癖の方は、成果主義者にちかく、そのプロセスを無視する御仁が多い。

そうなると、やらされた方はたまったもんじゃない。

しかも、そのプロセスにおいて涙ぐましい努力をしていたとしたら、「何もわかってくれない!」、そう感じるに違いない。

私は、上司という立場で意識していることは、部下が本質を見抜く力をつけてくれるよう訓練することだと思っている。

そこで投げかける言葉は、「この事業の目的を一言でいってみて」とか、「この事業は誰のためにするのか一言でいってみて」である。

この「一言でいってみて」が曲者である。

一言で言えないときは、やり直しである。

一言で言えるということは、本質を見抜いている可能性が高いからである。

問いかける分、こちらも本質を見抜いておかないといけない。

この「一言でいってみて」を言える上司になることを意識してきたし、これからも言い続けようと思っている。


大成する人とは

2013年12月04日 23時31分25秒 | つぶやき

 さまざまな方々と知り合いになる機会が多い私にとっては、初対面のイメージはとっても大事です。

そして、知り合った人たちがずいぶんと偉くなったり、企業のトップという方々にお会いした時に共通することがあります。

それを私なりに整理すると次のようなものです。

  ・大きな目標を平気で抱いてしまうような人

  ・物事に感動し、感激できる人

  ・自分の役割に真剣に、またがむしゃらに取り組める人

  ・努力していることを努力と思わないような人

  ・悪い結果は、自分の責任であると思える人

 どうですか、皆さんもなるほどと思ったのがいくつかありましたか。

 これとは、逆にまとまりすぎて、冷静でへんに大人びた発言をする若者に出会うと、寂しくなります。

君たちの未来は、自分次第でなんとでもなる。

「どうせ...」などと言う前に行動をし、いっぱい失敗するといい。

その中から、上記のような性格が生まれてきます。

最初から、このようなことをすべて持っている人はいないのです。

まだまだ間に合いますよ!!


松山市議会議員選挙の期日が決まりました!

2013年12月03日 21時48分43秒 | 職場の出来事

昨日、定例の選挙管理委員会で松山市議会議員選挙の期日が平成26年4月27日(日)と決まりました。

この期日が決まると、わが職場では本格的な準備作業に突入します。

寒さが増す中で、各担当はポスター掲示場の設置場所の調査や投開票の準備作業等々、大変かつ大量の業務を黙々とこなしていかなければなりません。

本当に厳しい仕事ばかりですが、しっかりと取り組んでくれている担当者の姿を見ると頼もしい限りです。

「前もってできるものは前倒してやる」という基本的な考えのもと、早め早めの対応をしてくれています。

このことが、本番に近づくと発生する不測の事態に対応する時間につながるのです。

ますます寒さが厳しくなりますが、各人が健康管理に気を付けて乗り切ってくれることを願っています。

がんばれ!!選管職員。