走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

おもしろいスピーカー

2011年09月23日 22時18分24秒 | びっくり
 今夜、異業種交流会に参加してきた。

 そこで、㈱エンサウンド(http://ensoundspeakers.jp/)の菅代表と知り合いになりました。
 菅さんは、私の地元で「踊るうどん屋」で名をはせていた人です。

 趣味のスピーカー製作が高じてうどん屋さんを止めて「スピーカー専門店」を立ち上げたそうです。
 菅さんのつくるスピーカーと今までのスピーカーの違う点は、

 ・スピーカーボックスが柔らかいということ
 ・軽量なのに音が割れない(自然な音色)
 ・箱鳴りが無いのでボリュームを上げてもギスギスする感じがない
 ・中高音のみならず、低音も歪みが無くクリアでボリューム感もある
 ・エンクロージャー(ボックス)を透明にすることもでき、デザインが多種多様に及ぶ
 ・エンクロージャーが振動しているが、その振動までリアルで心地よい(クッションなどに内蔵できる)

 そして、これらの性質を使ってさまざまな商品を開発されているようで、今夜は肩掛けバックにi-Padを組み合わせた商品を持ってこられていました。
そこから出てくる音のクリアさにはびっくりさせられました。

 内心、「これ、いろんなことに使える!」と思ったのは、私だけではなかったと思います。
ちゃっかり、名刺交換もさせていただきました。

 松山からこんな商品が生まれるのか...と思うと、とってもうれしくなりました。



年金制度について

2011年09月22日 19時36分09秒 | つぶやき
 今、年金制度について再び熱い議論が重ねられている。

 なぜ、このような状況になったのだろうか。
 そもそも論から言うと社会経済情勢が右肩上がりを前提とした制度であるということ。
確かに人口増加社会においては、最もわかりやすい制度であったろう。
しかし、時代は一変する。
少子高齢化から人口減少化社会の到来である。
安心しきって胡坐(あぐら)をかいていたために一部の不心得者が現れたり、絶対ばれないと思っていた管理方法が脆くも露呈した格好となる。

 そして、真逆に反転した社会現象の中で根底から制度の見直しを問われている。
そういう意味では、負の遺産を引き継いだ現政府は気の毒としか言いようがないが、国民のための制度改革を見直さなければならないであろう。

 マスコミにお願いしたいのは、長期的かつ鳥瞰(ちょうかん)的な視野を持っていただきたいということである。
国民生活に密着する年金制度を最低でも百年の大計で論じて欲しいということである。
間違っても重箱の隅をつつくような取り上げ方は誰に一番影響が出るかを考えて欲しい。

 そして、直接、制度改革に携わる方々にお願いしたい。
年金制度だけでなく、他分野にも踏み込んだ中でどう取り組むかを考えて欲しい。
例えば、なぜ人口減少化社会になったかということである。
当然、少子化になったからである。

 では、なぜ少子化になったのか?
それは親が、子どもにとっての未来が明るいと感じられなくなってきているからではないか。
 年功序列制度や終身雇用制度が壊れた社会の中で学歴社会も崩壊している。そうした現状の中で、子どもに教育費を投下しても何にもならないということを気づき始めている親も増えてきた。
高い教育費を投下する意義すら見出せなくなっている。
そうなると、ニートやフリーターはもっと増える可能性がある。

だからこそ年金の原資をどうやって集めるかを考えるよりも、どうやったら年金を納めたいと国民に思っていただくかにエネルギーを費やして欲しい。
 具体的にいうと、子どもを成人まで育てるのに一番かかる経費は食費ではなく、教育費である。
このことを年金制度と重ねて議論した話はあまり聞かない。
だが、家庭の中で家計を一番圧迫しているのは教育費ではないのか。
遊行費に回る可能性がある制度よりも教育費の負担をいかに減らすべきか。
 なんでもないようなことが社会のさまざまな分野でほころびとして出始め、それが顕在化してきている。

 また、教育費といっても公立・私立、そのほかに私塾など多様であるが、日本の最大の資源が人的資源とするならば、徹底してここに投資して欲しいものである。
例えば年金資金の運用を教育関連産業に回すことで、個人の教育費の負担を軽減するような社会システムができないものであろうか。
 さらには、投資される側の教育産業にはそれなりに厳しい基準や評価基準を新たに設けるなどして教育品質を高める必要もあろう。

 どうか、一制度の見直しだけではなく社会全体として、国民の未来としての改革をお願いしたい。

工場も九州に集まっている!

2011年09月21日 18時22分42秒 | つぶやき
 3・11以降、中小企業も含めて企業の生産拠点が海外に流出していると書いたが、国内に目を向けると国内の生産拠点が九州に移っているというのである。

 半導体が活況を呈していた頃、九州は九州バレーと呼ばれ国内の製造拠点にもなっていた。
 しかし台湾や韓国などの台頭によって、少し薄れてきたような気がしていた。

 そして、九州新幹線の全線開通をそれほど大げさには捉えていなかったが、よくよく考えれば(九州新幹線の全線開通は)ビジネス客も大いに行き交うようになる。
 実はこのことの方が、観光客が増えるよりも痛手になるからである。
 なぜなら、キャッシュフロー的に考えると観光客がリピーターとして戻ってくる周期よりもビジネスマンの方が戻ってくる周期のほうがはるかに短いし、回数が多いからである。
 つまり、地域経済への貢献が高いということである。

 だからこそ、小泉内閣の時まで観光客数と云っていた表現を交流人口と言い換えるようにしたのである。

 そして、何よりも九州の方が四国よりも一体感で上を行っているような気がする。
 くどいようだが九州新幹線の全線開通は、さまざまなシーンで対岸にいる私たちにとっては脅威になる。

 私自身、九州新幹線の全線開通にこだわる理由があまりわかっていなかった。
 しかし、戦略的に見ると中長期戦略的にさまざまな分野でメリットがあると判断され、産学官が一体となって活動を続けられてきたことがわかる。
 なにしろ、一自治体や一政治家のレベルでは実現しないからである。

 当然、地元負担もかなりのものであろう。
 ただ、その一点だけを捉えて是々非々を問うても仕方あるまい。

 それによってもたらされる経済効果や中長期的に見てさまざまな産業や企業を誘致できれば、雇用が生まれ、消費につながるからである。
 そして、何よりも九州という舞台から人的資源の流出を減らすことができる。
 このことが地方にとっては何よりも変えがたいことである。

 本当に羨ましい限りである。

 ただ、私の地域は風水害が少ない。
 今回、台風の被害にあわれ、甚大な被害にあわれた方々にはお見舞いを申し上げます。
 そして、台風の進路(一部には暖流の流れに影響されるという説がある)の右側が被害がひどいことを考えると、松山は確率的には左側に位置(暖流が流れ込まない瀬戸内は台風が横切ることが少ない(前回の台風は例外です))している。
 さらに、四国山脈が自然の防波堤になってくれるおかげで被害が思ったより少ないのである。(その分、雨が少ないと揶揄されるが...)
 
 企業の皆さん、工場は無理でも研究機関や本社機能の一部をリスク管理上考えるなら松山は最適なところですよ~!!

 

シニア層の起業家たち

2011年09月20日 21時56分03秒 | びっくり
 今、五十代、六十代の起業家が増えてきているという。
昨日のNHKのクローズアップ現代では、その特集をしていた。

 内容は、起業といっても成功する人もおれば失敗する人もいる。
その結果は明暗だが、今までにないパワーが生まれてきているといい、わが国の経済に活力を与えるのではないかともいわれ始めている。

 それらの実態は、豊富な実績と幅広い人脈を生かし起業するそうで、1991年には五十代以上の人が起業するのは全体の11.5%に過ぎなかったのに対して、2010年では26.6%と四人に一人は五十代以上の起業家となっている。

 まず、シニアならではの長所を生かし、56歳で脱サラして起業した中嶋さんの場合は家電製品のマニュアルを翻訳するアウトソーシング会社を起こしました。
現在はスタッフ100人、年商14億円。
中嶋さん自身、営業畑一筋に生きてきて飛び込み営業をいとわないという。
そして、全スタッフをすべて正規雇用しているという。
そのことを中嶋さんは企業を成長させるための大事な要素だといわれる。

 また、普通の農業を営んでいた永堀さんは耕作放棄地に目をつけて小松菜を生産し始めた。そして、若者の雇用を目指したのだが長続きしない。そこで年齢制限を外したところ高齢者ばかりが集まったというのである。
永堀さん自身、経営の安定化を目指しさまざまなことに取り組んできた。
だからこそ、お年寄りに優しい企業をつくることができた。
なかには大企業を定年し、時間をもてあまし生活習慣病になっていた人が働くことによって健康になったという例も取り上げていた。

 一方さまざまな経験を持つ人たちが集まって生産者と販売者を結ぶコンサルタントビジネスをスタートしたが、5年目に解散することになった例を挙げている。
そのおもな理由は、当初燃えていた情熱が時間とともに薄れてしまったというのである。
そして、何よりも5年くらいでそれぞれの人脈が途切れていたというのである。

 また、一人で環境ビジネスに挑戦している起業家の例も出ていた。
こちらの方は、たった一人でやっているので商品開発の視点が偏っているような気がした。

 これら失敗した人たちの誤算は、今までいた企業の看板の大きさを自分の実力と勘違いしたことではないか。
やめればタダの人に過ぎないということ。
また、ここでわかったのは人脈はせいぜい5年くらいしか持たないということ。

 誰かが言っていた。
 内向きの人脈形成に終始すると、定年と同時にその人脈がプツと切れてしまうと。
 ほんとうにさびしいかぎりである。

 今の自分の役職と付き合う人と、自分と言う人間と付き合う人の選択眼もいるんだろうなと感じたしだいである。

 

観光客が鹿児島に集まっている!

2011年09月19日 23時08分29秒 | 考え方
 今、鹿児島に関西圏を中心に観光客が集まっている。
前年比の6割り増しという。
そのおもな要因は、九州新幹線の全線開通にあるという。

 松山市の観光客とかなりかぶるところがある。
松山市の観光客に関西圏が多かったのは、道後温泉本館が建設されたときに伊佐庭如矢(イサニワ ユキヤ/今の道後温泉本館を建てた人物)が関西航路を引っ張ってきたところまで歴史はさかのぼる。

 しかし、今は橋の開通とともにその航路もなくなり、そして今まさに九州新幹線との厳しい競争の中に置かれている。
観光産業の難しさは、熾烈な都市間競争の中でいかに勝ち残るかにある。
それは、生易しいものではない。

 勝ち残るためには、まず観光産業関連事業者と行政とのよりいっそう強固な連携であろう。
そして、大手旅行代理店などを含めた戦略的シナリオの作成も必要であろう。
当然、短期的な戦略シナリオも必要だが、中長期的な戦略の方が大事である。

 また、観光というキーワードだけでなく、例えば環境や医療、福祉、介護、文化、スポーツ、ファッション、エンターティーメントといったキーワードで観光客を集客する手法も考える必要がでてきている。
 さらに、海外の観光客にも積極的に注目することだろう。

 大切なことは、まずどうやって観光客を呼び込むかだけを考えるのではなく、まず国内外の観光客の動きにアンテナをはり、観光客が何を求めているか鋭敏になることである。
間違っても自分自身を満足させるための行動にならないことだ...


中学校の体育祭

2011年09月18日 21時36分25秒 | つぶやき
 今日は中学校の体育祭があるというので出かけてきました。

 昨日は雨で体育祭の開催は無理かなと思っていたのですが、朝起きると曇ってはいましたが雨は降っていません。
開催が危ぶまれていたのですが、事前に学校に問い合わせたところ予定通り開催するということでしたのであわてて身支度をして出かけました。

 予定通り(プログラムは)進行していったのですが、「スパイダーロード」という障害物競争の時に、あることに気づきました。
障害物ごとに審判を生徒自身に担当をさせているということです。
これがなかなか厳格で、通り過ぎていてもできていない場合は呼びに行き、そこからもう一度やり直させるのです。
競技をしている生徒はいっぺんに心が萎えしまいます。
おそらく自尊心が傷つきながらゴールしたことでしょう。

 このことを審判役の生徒からの考え方と競技して指摘された生徒の考え方のどちらで考えるかで、まったく正反対の考え方になることでしょう。
 
 見ていた大人の一人が、「私たちならあそこまで厳格にはできませんなあ」と横の人に語りかけていました。

 つまり、ナアナアが一番と言うことをいいたかったのでしょうか。

 審判役の子どもの心が傷ついていないと思ったのでしょうか。
 誰よりも審判役が一番辛いということを理解してやれない大人が増えたから、この国はおかしくなってきたんじゃないのかと思ってしまいました。

 私たちは、法というものをつくる立場にあります。
 それだけに、法令を遵守しなければなりません。

 ごまかしが市民には通用しなくなったということをしっかりと肝に銘じる必要があります。
そのことを今日改めて中学生に教えられました。

覚悟

2011年09月17日 22時20分53秒 | つぶやき
 今週の自分にとって大きな出来事とは、母の認知症が始まったことです。

 仕事が終わって、夕方、いつものように母を訪ねると立ったままカステラを食べていました。
 「座らないの?」と問いかけると、返事が返ってきません。

 しばらくして、母が「朝ごはん食べてきたん?」と問いかけてきました。

 「え! 今仕事から帰ったとこよ」

 「何いよるん、今は朝やろがな」

 そのとき、内心はっとしました。
 認知症の初期症状は、体内時計が壊れると聞いたことがあるからです。
 そうなると、夜中に突然起きだしたり、食事直後に「お腹がすいた」と言い始めるそうです。
 そして、介護する側が心がけることは否定的な言葉を発しないように心がけるということ。

 例えば、夜中に突然起きだした時には、きっと夜と朝を間違えているので、「朝になったから起きる」という言葉を否定せずに「そうやね、朝やね」といってカーテンを開けて本人に夜であることを本人自身に確認させることが大事だそうです。

 つまり、全否定から始まると、かえって逆上してしまうことが多いそうです。

 これは、スウェーデンの介護を勉強したときに学んだことです。

 認知症は進行を緩やかにすることはできても完治させることは現代医学では難しいと聞いたことがあります。
そのためのケアをこれからいろいろと試してみようと思っています。

 そして、母の記憶からだんだんと私たち家族の記憶が薄れていくことです。
 なによりも、そのことが一番ショックでした。
 死んだ父のことも忘れていくのでしょうか...

 母のこれから残された時間がどれだけあるかわかりませんが、できるだけ幸せな時間を刻むことができればと思っています。

人を大切にするということ

2011年09月16日 19時00分34秒 | つぶやき
 今、日本の企業も自治体もターニングポイントにあるような気がする。

 というのも3・11以降、わが国のもろさが顕著になってきているような気がしてきたからだ。
原発事故以来、世界トップクラスといわれた技術力もあっけなく崩れ去っている。

 また、子どもたちの学力はさまざまな国々の子どもたちに遅れを取り、20年後には世界から「後進国」と云われているかもしれない。
なぜ、このような事態になってしまったのだろうか。

 私たちは、本当に人を大切にする社会をつくってきたのだろうか...

 どのような組織においても、第一に人材をいかに上手に活用するかが大きな分かれ道になるような気がする。
経営が苦しくなると、どうしても安直に人をカットする傾向がある。

 しかし、その人材をどうすれば有効に活用できるのか見極める組織は少ない。
組織の窮地を救えるのは、やはり人なのだ。
このことに気づかないまま、必要な人材まで切り捨ててしまう。

 人にはさまざまな能力がある。
その能力を上手に引き出し、活用できてこそ、組織の未来が決まる。
ここで大切な点は、人はパーフェクトではないということ。
 武田信玄や徳川家康は、このことをよく理解していたと思う。
「こいつは壊し屋に向いているな」とか「こいつは建設型だ」というようにまだ開発されていなかった異能を発見するように努めていたという。
ひとつの能力を見て判断することはせず、決して見捨てたり、突き放したりすることはなかったという。
 一方織田信長は、一点このことにかけていたために自滅するような最期を迎えたのではないかと思う。
なによりも歴史がそのことを証明してくれている。

 そして、組織にとって「何が最も重要な目的なのか」を明確にし、拡大再生産することによって始めて再建できるのではないかと思うのである。


一茶の道

2011年09月15日 19時52分39秒 | 地域情報/その他
 ある友人から、北条地区での観光レンタサイクル事業の可能性についてアドバイスを受けたいというので、話を聞いた。

 こういう場合、単に自転車という交通手段単体で考えるよりも、公共交通機関とつなげて考えていく方が現実的だと思っている。
 その友人も、そのことについては十分理解しているようであった。

 そこで、JR北条駅を基点に一定の間隔で同心円を描きながら観光コンテンツを探していく。
 このやり方は、自転車の機動範囲が限られるため、無限円に設定するとかえって失敗するからである。

 そうやって考えると、コンテンツが少ないことに驚かされる。

 こういう場合は、眠っているコンテンツを掘り起こすしかない。
 しかし、この場合、明確なターゲットを設定しておかないと無理がある。

 野志市長は、この地区を「レトロタウン構想」として鹿島を中心とした再開発をしようとしている。
 こちらは担当ではないので、担当にお任せするとして、私の方は民間ビジネスとして成立するためのアドバイスをしなければならない。

 自転車・・・ここから来るイメージ ⇒ スローライフ ⇒ 中高年層

 このあたりをターゲットとして考えてみる。
 でも、自転車は電動サイクルでないと、せっかくの観光で疲れきってしまうと(松山に対して)悪いイメージだけが残る。
 そのことを提案すると、そのことはもう織り込み済みとのこと。(さすが...)

 正岡地区(神輿を神社の階段に放り投げて壊すというお祭りで有名な地区)の山本公民館長に観光コンテンツのネタになりそうなことを聴いてみた。
 すると、小林一茶がこの地を訪れ、連句(連句とは、最初の(五・七・五を長句という)に対して、その情景から次の脇句(七・七を短句という)を想像する連想ごっこです。それは幼い頃の尻取り遊びのように、出来るだけ素早く応じて、前の句とは関連があるが、しかも全く違う内容の句がよいのです。そして、何人かで、長句と短句を交互に繰り返すわけです。/連句協会公式サイトより)をしていたというのである。

 連句か・・・

 これって、俳句甲子園の進化版にできないか・・・

 なんとなくできそうという思いが芽生えてきた。
 ただ、いろんな仕掛けがいるような気がする。

 そして、それに関するコンテンツが点在し、造り酒屋さんのところまでつながるという。
 内心、「しめた」と思う。

 酒が飲めるぞ!!

 観光につきものの試飲ができる。(自転車の飲酒運転は禁じられています。試飲は難しい。残念!!)
 なら土産に酒を買って帰る。
 なら、自転車にはカゴをつける必要がある。
 そういえば、近くに味噌屋もあった。
 なら、味噌と漬物を買ってもらおう。
 なら、その漬物は売れない地場の野菜(流通外商品)で農家のおばちゃんにつくってもらおう...などなど

 そして、とどめは「一茶の道」というのがある。
 京都の「哲学の道」に対抗できるかも...
 対抗するためには、地元の人たちに年中きれいな花を咲かせる仕掛けができないか。
 勝手に公民館の美化活動の一環でできるんじゃないか...

 このようにどんどんコンテンツを膨らまさせていっていると、横から友人が一言。

 「なんでもええけん、商売になるようにしてくれ!」と悲鳴にも似た声。

 わかっちゃいるけど、止められない...


 

野田総理の所信表明について

2011年09月14日 19時28分29秒 | つぶやき
 昨日の野田総理の所信表明がわかりづらいと例によってマスコミが酷評していたが、しっかりと読めば箇所によっては共感し、希望のもてる内容だと感じた。
 特に前文の箇所は、私たち公に奉職するものとして常にもっておかなければならない心構えのようなものだと感じたので紹介しよう。

 この国難のただ中を生きる私たちが、決して、忘れてはならないものがあります。
 それは、大震災の絶望の中で示された日本人の気高き精神です。
 南三陸町の防災職員として、住民に高台への避難を呼び掛け続けた遠藤未希さん。
 防災庁舎の無線機から流れる彼女の声に、勇気づけられ、救われた命が数多くありました。
 恐怖に声を震わせながらも、最後まで呼び掛けをやめなかった彼女は、津波に飲まれ、帰らぬ人となりました。
 生きておられれば、今月、結婚式を迎えるはずでした。
 被災地の至るところで、自らの命さえ顧みず、使命感を貫き、他者をいたわる人間同士の深い絆がありました。
 彼女たちが身をもって示した、危機の中で「公」に尽くす覚悟。
 そして、互いに助け合いながら、寡黙に困難を耐えた数多くの被災者の方々。
 日本人として生きていく「誇り」と明日への「希望」が、ここに見出せるのではないでしょうか。


 ジョンFケネディは、就任演説で「私に何をするかを求めるのではなく、私たちが何をするかを考えて欲しい」と言いましたが、私たちも総理大臣だけに求めるだけでなく、私たちはこうするから、これを支援して欲しいという思いをもち始めようではありませんか...

ヒューマニズムをもっているか?

2011年09月13日 19時06分15秒 | つぶやき
 甘えの構造が組織に蔓延していたときに、行政改革を担当したことがある。
 当時の組織のリーダー的立場にあった部長さんたちと話していたときに、セクト主義ややる気のなさを感じた。

 腹が立つ機会が多かった。

 そんなとき、スクラップ・アンド・ビルドが現実的にはビルド・アンド・ビルドだと気づく。
 世の中は、地方分権推進法が制定され、地方自治のメカニズムが180度転換しようとした時期だった。

 このことを利用した。
 地方の自立は、健全な財政基盤と効率的な都市経営であるということを前面に押し出し、スクラップ・アンド・スクラップに舵を切った。

 その根底には、自分なりのポリシー(理念、哲学)があった。

 スクラップ・アンド・スクラップと言いながら、単に人員削減をしたわけではない。
 贅肉を落としても筋肉まで落とす気はなかった。
 では何が贅肉で、なにが筋肉か。
 全庁の全業務の洗い出しを行い、年間の繁閑やその必要性について検証した。
 おかげで、どの部署で今、何の仕事をしているかが、わかるようになった。
 そして、各部署に時間があるときは出かけていき、それが現実かどうか自分の中で照らし合わせていた。

 最終的に、必要か必要ではないかについては、担当者に意地悪な質問を投げかけた。
 「この仕事て、何の役にたつん?」と
 相手はムキになって、説明する。
 そのやり取りから、残すかどうか決めていた。

 そして課の定数を決めるとき、あえて少し少なめに配置することを心がけた。
 不思議なもので、そういう環境のほうがやりくり上手になることが見えてきた。

 こんなことをしていたから、内輪から嫌われていく...

 しかし、自分の中に「市民のため」という理念と真摯な気持ちがあった。
 理由は簡単。私たちの給料は市民の皆さんから持っているからである。
 その「意識」を常に持つことである。
 これは、究極的(童門冬二/どうもん・ふゆじさん風)にいえば、ヒューマニズム(人間愛)を持つことでもある。
 ヒューマニズムを根底に抱きつつ、再建作業をしていくことでしだいに方向性が見えてくる。

 行き着く先はもちろん「市民のために」である。
 市民のために私たちは健全な経営に邁進し、社会的責任を果たしていくべきである。

リスク管理とは?

2011年09月12日 21時27分36秒 | つぶやき
 リスクマネジメント(英語:risk management)とは、リスクを組織的にマネジメントし、ハザード(危害(harm)の発生源・発生原因)、損失などを回避もしくは、それらの低減をはかるプロセスをいう。
リスク・マネジメントとは各種の危険による不測の損害を最小の費用で効果的に処理するための経営管理手法である。(フリー百科事典/ウィキペディアより)

 役所に入所したときに先輩から、「お前個人の意見なんか必要ない。我々の仕事には個人の見解や意見など関係ないんだ。常に法律があり、そこから示された判例のみしか応えるな。だから、法律(当時は公職選挙法)を徹底して読み込め」
ずいぶんと理不尽な言い方だと思った。
しかし、先輩の言うことは絶対であったから従った。

 よかったのは当時の先輩たちが真ともだったこと。

 そして、幸せだったのはその先輩たちが現役を引退するまで部署が変わっても「偉くなればなるほどリスク管理を心がけよ」と口がすっぱくなるほどアドバイスしてくれたこと。

 特に、内部管理部門に配属されたときなどは「人切りタケちゃん」と、その先輩が命名してくれた。
先輩後輩の仲であっても、容赦なくその部署の人員を削減したが不思議と仲が気まずくなったということはなかった。
要らざるところに大鉈(おおなた)を振るうことをかえって喜んでいたような気がする。

 その時によくアドバイスを頂いたのは、「(俺は)内部管理部門のスタッフが偉いとはぜんぜん思わん。ただ、そいつらが持っている権限は、この組織全体や地域社会に影響する力があるということや。だから、慎重かつ大胆に行動せないかん。そのことを常に肝に銘じて行動せえよ」と。

 そして、「どんな制度も陳腐化する。それは、周りの環境が常に変化するからや。そのためには、いつもアンテナを張っておけ。そしたら、世の中がどっち向かって進んどるか見えてくる。お前は、たまたまこの組織の方向性をきめる立場の仕事を任された。そのことをしっかりと受け止め、常に謙虚で、常に市民のために仕事をせないかん。そして、リスク管理を徹底しておけ。ええか、どんな素晴らしい制度も、それを運用する人間ですべてが決まる。常に誰のために仕事をするのか、そのことを自分自身に問いかけられる人間になれよ」

 制度をつくることが目的になっている場合をよく目にする。
しかし、制度は地域社会を形作ったり、将来に向けた方向性を示すものである。
だからこそ、制度が出来上がってからが大事であると思っている。
また常に集中管理(効率性が高く、管理者の意思が色濃く出る一方でチェック機能が働くなる場合がある)と分散管理(非効率だが多種多様な情報が反映され、チェック機能も働きやすい)を繰り返していないと、せっかくつくったいい制度も悪用される可能性が高くなる。

 そのためには、私たち一人ひとりが市民のために制度を運用するという心を持っていれば、組織のためや自分のためとはならないと思うのである...

夢の技術 ・・・エレベーターで宇宙を目指せ!

2011年09月11日 21時05分28秒 | びっくり
 今夜の「夢の扉プラス」は、日本大学教授 工学博士青木義男 さんのお話だった。(番組ホームページから引用)

 先生は、NASAがスペースシャトル後の宇宙開発のひとつとして取り上げている「宇宙エレベーター」の開発者のひとり。

 2011年7月、「アトランティス」の打ち上げが、最後のスペースシャトル 飛行となった。
 今、宇宙開発は、新たな時代を迎えようとしている。
 その中の一つが「宇宙エレベーター」。
 なんと宇宙から地球上までケーブルを下ろし、それをクライマーと呼ばれる乗り物が登っていく。
 「安全」「大量輸送」「低コスト」…ロケットに代わる究極の宇宙輸送システム。
 全長10万キロ、実現すれば、人類史上最大の構造物となる。
 この壮大なる構想の開発に挑む一人が、日本大学理工学部教授、青木義男。
 「エレベーター」の権威である。

 青木は、3年前に「宇宙エレベーター」に出会った。
 「今、街中にあるエレベーターの技術を高めるのだって難しいのに、宇宙なんて出来っこない」
 しかし、ひやかし半分で行った宇宙エレベーターのイベントで、その魅力に惹かれた。
 少年時代、アポロ月面着陸で宇宙を夢見ていた青木少年の好奇心が、よみがえってきた。
 かつて、小説で描かれた宇宙エレベーターは空想の物でしかなかった。
 しかし1990年代に、軽くて強い新素材カーボンナノチューブが発見され、ケーブルの役割を担えるのではと、「宇宙エレベーター」実現の可能性が一歩近づいた。
 今、夢のような技術が、少しずつ動き出している。
 2011年8月初旬、青木は研究生らと共に、富士山の麓で行われた宇宙エレベーター技術競技会で600mの高さを目指しクライマーの開発を手がけた。
 さらに8月中旬、ドイツ・ミュンヘンで行われる宇宙エレベーター世界大会に挑み、見事準優勝に輝く。 

 そんな青木先生も高校時代は不良少年で頻繁に家出を繰り返していたという。
 そして、今の彼へと導いたのには中村先生という恩師の力がある。
 中村先生は、彼が人生に迷っているときに粘り強く彼に接したという。
 そして、彼は一念発起して大学教育者の道へと進むのである。

 高校時代の青木先生は手のつけれない生徒であったに違いない。
 中村先生は、「生きる」とは、「夢」をもつとは、「一生懸命」になるとは等々、人間として大事なことを彼に伝えたのではないかと思う。
 このことが結果的に人類にとって素晴らしい貢献をする人材を育てたことになる。

 そして、中村先生が彼に向けたメッセージの中に、「例え、この夢を君が実現できなくとも、君の意思を継ぎ、それを実現してくれる人材を育てることが大事です」と。

 人生の中で何人かの自分の先生がいる。
 時に、それは学校の先生以外の場合もある。
 振り返れば自分のことよりも相手のことを必死に考えて、指導をしてくれた人たちと出会っている。
 そんな自分は幸せである。

 そして、そんな人に自分もならなければならないと考えている...

雇用の創出・拡大について

2011年09月10日 19時01分37秒 | つぶやき
 雇用を創出・拡大するといっても、そう簡単ではない。
ただ難しく考える必要もないと思っている。

 間違っても行政が雇用を創出・拡大するための具体的なプログラムを作成したり、行動してはならない。
私たちができることは、雇用の創出・拡大のためのきっかけ作りしかできないという割り切りをすることから始めることである。

 例えば、過去にどの都市よりも先駆けて光ファイバー網の整備を仕掛けたことがある。
やり方は、通信キャリア(事業者)の整備支援のための制度を創設したことである。

 まず、キャリアに土俵に上がっていただくために「砂糖水」を準備した。
 一つ目は、国(総務省など)がインフラ整備をするときにはかなり厳しい足かせ(税金を投入するのだから当然といえば当然である)をするということがわかったので、ハードルを下げることにした。
 申請時の手続の簡素化、利用促進のための整備した施設の貸し借りの規制緩和である。
 そして、「競争の原理」を機能させるために、ヤル気のあるキャリアには公平に機会を与えることを意識した。
 また、相互乗り入れを仲介することで短時間で面整備を一気に広めることができた。

 その結果、整備後の利用者は急速に伸びた。
そして、家庭などと結ぶ「ワン・マイル工事」は今も続いている。

 大型家電量販店に押され、店を締めようと考えていた町の電気屋さんに通信工事の依頼が出始めたため息を吹き返し、息子に跡を継がせようとする経営者も増えてきた。

 これらに基づき、行政は何をしたかを整理すると次のようなものである。

 1.民間整備を誘発するための制度を創設した。
 2.民間投資を引き出すための呼び水となる資金を提供した。(経済効果は数百倍以上にはなっている)
 3.民間事業者に「競争」と「協調」を両立させる環境づくりを行った。

 これだけである。

 私たち行政は民間事業者のように徹底した利益追求をできるかというと、それは無理なのである。
ただ、市場を創るためのフィールドづくりは得意である。

 なのに、今の現状を見ているとたいそう無理をしていると思う。
例えば、雇用を生むために労働力が不足している第一次産業への労働力移転への発想は間違っていないと思うが、そののための人材育成プログラムを行政が直接仕掛けている。
しかし、この行動は、はっきり言って民間事業者の仕事である。
恐らく、雇用につながらないのは人材に必要とするスキルがないために、それを高めればつながるといった近視眼的発想に過ぎないと思う。
私たちがやらなければならないことは、労働力が他の産業に移転するためのきっかけ作りとなる制度をつくることである。
もっと俯瞰的にモノゴトを見る目を養わないと対処療法のまま終わってしまいそうな気がする...

 今一度、自分たちに何ができて、何をなさなければならないか冷静に考えれば、何かが見えてくるような気がする。

日本のモノづくり

2011年09月09日 21時22分17秒 | つぶやき
 私はドイツに行ったことがある。
 そのときの思い出のひとつにシャワールームのコックがある。
そのホテルはとてもいいホテルで、三ツ星級であったが、それにもかかわらず、それは違和感のあるものだった。
なぜなら、そのコックは大きく、かなり力を入れないと回らなかったからである。

 そして、その後、多くのドイツ人の人たちと握手を交わして気づくのである。
確かに、彼らの手にあわせるとあのくらいの大きさと丈夫さは必要だと...

 それに比べ、私たち日本人の何とかわいい手か。

 「モノづくり日本」と云われ、繊細さやきめ細やかさ、高い品質を探求する心は、単に「匠」という精神性のDNAだけでなく、私たち民族が持つ体格もかなり影響するのではないかと。

 先日、なじみのバイク屋さんに行ったときの話しである。
小型バイクの生産のほとんどが既にアジアを中心とする海外生産にシフトしていることを聞く。
そして、修理にもってきているその海外生産のバイクと日本で生産していた頃のバイクを見比べて驚いたことがある。

 ひとつは樹脂の劣化。海外のそれは白くなってきているが日本のモノはいまだ黒いままである。
 二つ目は金属部分の錆である。海外モノは、半年もしないうちに錆が浮き始めているが日本のモノはいまだ錆が出ていない。
これはメッキ技術の差だろうと店主は説明していたが、年数がたっている国産メーカーのバイクの方が新しく見える。

 このことについて、私たち消費者は知らされていない。
メーカーが国際社会の中で生き残るために商業主義になるのは仕方がないことかもしれない...
 ただ消費者も馬鹿ではない。
早晩このことには気づくであろう。

 翻って、3・11の東日本大震災から超円高といわれる昨今、中小企業までその拠点を海外へ移転し始めていると聞く。
その理由としては、「競争」だけでなく、国内の「市場性」もひとつとして挙げられるが、よくよく考えれば企業は自分で自分自身の首を絞めていないだろうか。
 消費は所得の割合に左右されるが、中小企業の海外移転(大手企業の海外移転にも要因はある)は、推計で約100万人の雇用が喪失されてしまうという。
このことは100万人の消費者を失うことにもなる。

 売れないと悩むよりも、もっと魅力的なモノをつくり、それを作り出すためにはどこが最適な場所なのかを、今一度大局的に考えていただけないであろうか。
日本が誇れる「モノづくり力」こそが、世界水準を創り出す源であるということを思い起こして欲しい。