走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

道後のストリート・ミュージシャン

2010年08月30日 23時01分44秒 | 地域散策
夜も更けると(と言っても20時半くらい)、道後の商店街にバイオリンをもったミュージシャンが自転車で現れる。

なにやらバッグからゴソゴソとミニノート・パソコンを取り出すとセットし始める。
リクエスト曲の楽譜を入れたクリアファイルをにわか観客に見れるように置く。

準備万端、スタンバイOK。



浴衣のお姉さんがなにやらその楽譜を見てリクエスト。
ミュージシャンは嬉しそうにパソコンからその曲を検索する。
すると伴奏が流れ出す。



それに併せて、切なく物悲しいバイオリンの音が商店街を通りに沿って流れ出す。
バイオリンだけだと何か足りない気がするが、伴奏があるので心に染み渡る。



観光客もいつしか足を止めて、聞きほれる。

道後観光の再生のヒントを見たような気がする。

道後に射的場あらわる!!

2010年08月29日 18時44分58秒 | 地域散策
道後駅を降り、商店街に入って50mほど行くと四つ角に出会います。
左に行くとにぎたつの道ですが、反対の左に曲がって10mほど行くと右側に射的場ができています。



最初は冷やかしのつもりでやってみたのですが、最初は当たらない。



腹いせに自分の腕を棚に挙げ、鉄砲のせいにする。
「おい、オヤジ!!この鉄砲重心がおおとらん(あっていない)ぞ!!」



「お客さん、打つまでに時間がかかりすぎとります。迷うほど、当たらんもんです」
気を取り直して、目標にあわした瞬間引き金を引くと当たりだした。

 1回300円 コルク弾5発 ・・・ 900円も使ってしまった。

 でも射的がこんなに奥が深いとは...

大学の同窓会

2010年08月29日 09時39分43秒 | うれしい
昨夜、道後の「さち家」で岡山理科大学(http://www.ous.ac.jp/)の同窓会がありました。
波田善夫(はだよしお/http://www.ous.ac.jp/gakuchoshitu/blog.html)学長を招いての楽しいひと時を過ごすことができました。

 

この日、朝の番組で「ガイアの夜明け」というので岡山理大の研究で「好適環境水(http://www.ous.ac.jp/OFFICE/KOUHOU/event/kengaku0904.pdf)」というのをやっていたのですが、このことが話題になり波田学長に直接この「好適環境水」についてお話をお聞きできたのは有意義だったと思います。
この「好適環境水」というのは不思議な粉を真水に入れると海の魚と川の魚が共存できるというものです。
目から鱗(うろこ)みたいな話ですが、これを応用するととってもおもしろいことができそうです。
大きな夢につながりそうな話なので、できれば一度「夢の扉(TBS系の番組)」でも扱ってくれないかと思うくらい素敵な話なのです。
なぜなら、雇用や中山間地域の過疎化する地域を再生する可能性を秘めているからです。
人間が海から上がってきた歴史をたどれば、わからないでもない研究でした。

 



締めくくりはやはり学歌斉唱で閉会でありますが、年に一回しか歌わない歌でも歌えるものです。
参加いただいた同窓生のみなさん、そして波田学長をはじめとする学校関係者の皆さん、ご苦労様でした。

戦争の爪あと

2010年08月26日 19時56分46秒 | つぶやき
職場の倉庫から写真の資料が出てきた。
道後支所管轄の内容かと思いめくってみると、どうやら合併前の道後村当時の資料であった。

悲しかったのは、松山市の一部ではあるが戦死者の数が4500人を超えていたことである。
その数の多さに改めて深いため息が出た。

遺族の名前が殆ど父親であった。
自分よりも早く逝ってしまった子どもの死をどのように受け止めたかは、それぞれ異なるだろう。
私自身、戦争が終わってから生まれた。
その私と同年代の父親ばかりである。
やるせない思いになった。

所管部署に電話して、しっかりとした保管を願いした。
私たちの幸せは、これら多くの人の死の代償の上に成り立っていることを改めて感じた。


魂はみんな同級生

2010年08月24日 23時03分49秒 | うれしい
最近、一回り近く、若しくはもっと離れた友人が増えてきた。
自分が歳をとってきたせいであろう。

外の友人(組織内の先輩、同僚、後輩ではない友人)だから、かなりフランクに話をしてもらえる。
いいか、悪いかは意見もあろうが、若い人たちの熱い思いを聴くのは楽しい。
聴きながら自分が同じ年代のときにこれほどまでに情熱を持って突き進んでいただろうかと思うと、決してそうではなかったと思う。

今日の会は、当初大阪から出張で来ていた友人との二人だけの食事会だった。
相手がお好み焼きが好きなのを知っていたからお好み焼き屋さんにした。
他の友人に、気が向いたら覗いてと電話していた。
電話をした理由が、二人がなんとなく似ているような気がしたから引き合わせたかったのである。

三人になった。
よく見れば、顔も似ている。
声もでかいし、よく笑う。
ほとんど同級生。
破天荒な人生を歩んでいる二人である。

声をかけていなかったのだが、私たちの席の横を偶然に通った友人が乱入してきた。
四人になった。
似たもの同士ばかりである。
よく笑う。
他のお客さんに迷惑になるなんて考えない。
本当に迷惑な話である。
熱くなる。
さらにヒートアップする。
珍しく、私を除く三人が今までの生い立ちを話し出す。
一言で言うと、みんな苦労している。
でも微塵にも感じさせない。
むしろ、ホロッとくるところで誰かが突っ込む。
笑いに変えてしまう。
みんなわかっているのである。

そして話は、地球規模どころか、宇宙全体の自然観の話から人類愛に広がる。
内心、「馬鹿じゃないのか」と思ってしまう。
でも、大真面目である。
私は、防戦一方というか殆ど聴き手である。

その中の一人が私に向かって「最近、元気がないんじゃないですか?」と茶化してくる。
内心、「うるせぇー。お前が話させないんじゃないか!!」と心の中で叫ぶ。

やっと出た言葉が「もう少し、年長の俺を立てたらどんなん?」
すると、直ぐ切り返される。
「ウチの娘が名文句を言うとりました。『お父さん、人は早く生まれたり遅く生まれたり歳の差はあるけど、魂は同級生よ』と」

参りました...

まほろばの会 第2回説明会

2010年08月22日 21時14分38秒 | その他
 今日の13時半からNPOまほろば(現在:認証申請準備中)の説明会が松山市のロープウェイ街のSOHSOH(松山市大街道三丁目2-10電話089・998・7373)であるというので出かけてきました。

 参加者は42名。大部分が農家の人たちで予定よりも多くの方々が集まっていただきました。
ほとんどが自然栽培法を取り入れている方々ばかりで、まほろばの活動にかなり興味をもっての参加でした。

ランチはSOHSOHの神野さんが準備してくれました。内容は、食材のうまみを最大限に引き出すためにあえてシンプルに調理していただいていました。

【ランチメニュー】
 ☆食前のジュース(はちみつレモン)
  「青空」さんのニホンミツバチの蜜と「西園寺農園」さんのレモンを使って
 ☆金太郎芋と媛っこ地鶏のかき揚げ
  「島津農園」さんの金太郎芋と「野の花工房」さんの平飼い媛っこ地鶏を使って
 ☆空芯菜とジャコ天の炒め物
  「内子 大崎」さんの空芯菜と「矢野傳」さんの無添加ジャコ天を使って
 ☆茄子とより海老の煮物
  「力石農園」さんの長ナスと「ファーレ」さんのより海老を使って
 ☆丸焼きオクラと完熟トマトの厚焼きオムレツ チーズ風味
  「徳田農園」さんのオクラと「高岡農園」さんのトマト、「力石農園」さんの
  平飼い卵をを使って
 ☆えだまめ豆腐
  「青空」さんの枝豆を使って
 ☆ピーマンの梅ゴマ和え
  「菜食土源」さんのピーマンを使って
 ☆大根のヌカ漬け
  久万高原町の大根を使って
 ☆白いとうもろこしの玄米混ぜごはん
  「中田農園」さんのホワイトコーンを使って(おかわり自由)
 ☆モロヘイヤと豆腐の味噌汁
  「内子 大崎」さんのモロヘイヤと「共同農産」さんの木綿豆腐を使って

このように直接、「食べる」を織り交ぜたイベントがいいなあと勝手に思った私でした。

師匠を乗り越える弟子

2010年08月21日 23時48分28秒 | ちょっといい話
 今日の夕方、NHKで現在大ヒット中のスタジオジブリのアニメ映画「借りぐらしのアリエッティ」の製作の舞台裏を追ったドキュメンタリー「ジブリ 創作のヒミツ~宮崎駿と新人監督の400日~」が再放送されていた。

 この作品では、37歳の新人・米林宏昌監督が大抜てきされ、宮崎は脚本のみの参加となった。
その背景には宮崎がこれまで「新たな“才能”を育ててこれなかった」という強い危機感があったからだという。
ジブリ作品では、これまで何度も若手の監督が起用されてきたが、宮崎はその強いこだわりから作品作りに介入し、最後には乗っ取ってしまうことも多かった。
 そこで、この作品では、宮崎は作品作りに介入しないという強固な姿勢を決め、これまで宮崎の下でアニメーターとして活躍してきた米林監督に監督業を一任。
一方、宮崎の手助けなしで映画を作りきることを任された米林監督は、圧倒的な重圧を感じながら作品作りに挑んだ。
 そんな、師弟の心の葛藤を400日にわたって密着する作品だった。

 また、スタジオでは、CGを駆使し、“絵に命を吹き込む”といわれるジブリ映画の創作のこだわりや秘密を検証する。ナビゲーターは広末涼子が務めていた。

 この400日間の師弟間の無言のラリーは凄いものがあった。
特に、米林宏昌監督の心の葛藤が凄まじかった。
仲間も最初から好意的とはいえない。
無言の「あんたで大丈夫なの?」的なプレッシャーを受けながら、孤独とも言うべきトップの心理状態をカメラは追う。
すべての最終決定をしなければならない極限の状態。
時間との戦い。
しかし、妥協できないこだわり。
それを貫き通さなければならないトップとしてのエゴのようなもの。
凄まじかった。

 そして、それをじっと無言のまま見守り続けた宮崎駿の凄さ。

 宮崎駿は、恐らく完璧なストーリーを渡さなかったと思う。
師匠・宮崎駿の企画にあえて手を入れさすためのあいまいな部分を残したような気がする。
先輩や師匠と思っている人の文章に筆を入れることの「迷い」を勇気を振り絞って入れたときの心の葛藤。
でもそれをやらなければ、その先輩や師匠を乗り越えることはできない。
痛いくらいわかる。

 そして、最後の試写会で宮崎駿は一筋の涙を流す。

社会を変える力

2010年08月17日 23時49分36秒 | 考え方
皆さんは「ソーシャル・セクター(社会的事業)」という言葉をご存知だろうか?

その代表の1つテーブル・フォー・ツー(TFT)という団体がある。
この団体の活動は大変ユニークなもので、企業などの社員食堂にヘルシーメニューを導入してもらって、それを注文すると自動的に、20円が子どもの給食分として開発途上国に寄付されるというものである。
利用する側にとっても知らない間にメタボ対策といいこと活動に参加できるし、導入した企業にとってはイメージアップにつながる。
一挙両得どころか一挙数得になるというしくみである。

この団体の理事兼事務局長の小暮真久氏は、次のように語っている。

 まず、ソーシャル・セクターの存在目的とは、単純明快に「世の中に変化を起こすこと」です。
世界中の人々が何の不安も感じず日々の生活を営み、安心して子どもを育てられる環境にいるならば、わざわざ世の中を変える必要などありません。
しかし、残念なことにこの地球上には、貧困、公害、紛争などさまざまな問題が、未解決のまま放置されている。
これらの問題は個人では解決できない。
 ならば、政府や国連に全て任しておけばいいかというと、その動きも限定的でありそれらを補完するものが必要になってきている。

 そもそも社会問題というのは、社会に歪みがあるから発生するのですから、その歪みを正す方向に社会を変えれば、それらの問題は解決するはずです。
 しかし、社会を変えるとなると、誰かがそれを真剣に考え、戦略を立てて人々を導いていかなければなりません。
その役目を引き受けようというのが僕たちのようなソーシャル・セクターなのです。


 私たちは、パートナーシップ型行政によるまちづくりを目指していますが、こういった使命感を持った人たちと出会わなければ現実的には難しいのかもしれないということを感じています。
そして、出てくるのを待つのではなく、そういった人材を育てるという行動を起こす時期にきているとも思います。

ご指名

2010年08月16日 20時19分46秒 | 職場の出来事
窓口の仕事をしていて気付くのは、前に来たときに優しくしてくれたスタッフの顔を覚えていて、必ずと言っていいほど、そのスタッフのところに座るお客さんがおられる。

中には名前を覚えていて、ご指名を頂くお客様もおられる。

スタッフも慣れたもので、そのお客さんの特長や性格を覚えていて、その使い分けをしている。
この場合の「使い分け」とは、例えば、丁寧な言葉で話した方がいい場合と方言を交えた話し方の方がいい場合とに使い分けて話すなどの意味である。
どちらにしても、その話し方に心がこもっているかどうかがポイントとなる。
単に事務的に話されると心がこもっていないのでお客様にはすぐ見抜かれる。
たまにしか来ない窓口なのだから、事務的に処理されるよりは心をこめて応対してもらったほうがぜったいに嬉しい。

耳のご不自由なお客様には、大きな声で。
車椅子のお客様には、しゃがんでお客様と同じ目線の高さで、などなど...

そして、わが職場を見てみると私が指導しなくても接遇研修がよかったのか、それとも本人の意識が高いのかきちんとできている。
ときどき、自分の職場のスタッフは「すごいー!!」と大きな声で叫んでみたくなる。

終戦記念日

2010年08月15日 22時35分10秒 | つぶやき
今日は、終戦記念日。
朝のテレビ番組を観ていたら昭和天皇が終戦を国民に告げる玉音放送を、すべて流していた。
すべてを聴いたのは生まれて初めてだった。

原文と解説文を並べて紹介してあった。
終戦記念日を陳腐化させないために、さまざまな企画がメディアから毎年発信されるが、この玉音放送ほど胸をものはないのではないか。
戦争を知らない私でも、この心のこもった放送がその背景と今後進まなければならない方向を明示していると思った。

もし、この放送がなければどのようになっていたのであろうか...

今、この国があるのは多くの犠牲者の下にある。
そのことを改めて感じた一日であった。

 

  

オーガニック・マーケット

2010年08月14日 22時04分40秒 | 地域情報/その他
 「じい家」でやっているオーガニック・マーケットに出かけてきました。
 暑くなったので屋外でやっていたものを「じい家」の好意により室内で販売しています。

今日は、「桃太郎」という品種のトマト。甘い~



それから、大洲の「まことや」さんのラスク(プレーン&シナモン)、それにふわふわパンを買って帰り、先週買って帰った青空の「蜂蜜」をつけて食べてみました。
この蜂蜜は初夏のさわやかな味がして、花の香りが口いっぱいに広がります。

帰りがけに、「長ナス」をすすめられたので試しに買って帰って焼きナスをしたら、「旬の味や!!」と思わずうなってしまいました。

シゲちゃん誕生!!

2010年08月13日 05時53分58秒 | うれしい
スウェーデン人の友人のビョーン・二ルソン・二神君に二世が8月9日に誕生しました。
この写真は、シゲちゃん(漢字で書くと「重道」くん)二日目の写真です。
一緒に寝ているのは、パパのビヨーン君です。

なんだか、パパが出産したみたいに疲れきって寝ているような気もするし、でもやっぱり幸せそうなパパの寝顔です。

本当におめでとうございます。
シゲちゃん、健やかに、そして元気に育って下さい。

ゲンゴロウが帰ってきた

2010年08月12日 22時19分40秒 | びっくり
友達と話していて、ゲンゴロウが帰ってきたというのである。


特別なことをしたわけでない。
ただ、自然農法でお米を作っただけだという。
ゲンゴロウがウジヤウジャ発生しているというのである。

ゲンゴロウ(源五郎)とは?(ウィキペディアより抜粋)
ゲンゴロウ(源五郎)は昆虫綱コウチュウ目オサムシ上科に属する水生の数科にまたがるゲンゴロウ類(ゲンゴロウ上科として一括する考え方もある)の総称。
またその中でもゲンゴロウ科 (Dytiscidae) のみを指したり、ゲンゴロウ科に属する日本最大種Cybister japonicusのみの標準和名として用いられる。
同じオサムシ上科の水生グループでも、幼虫が鰓呼吸をするコガシラミズムシ科やミズスマシ科はゲンゴロウ類には通常含めない。
古くは食用に用いられた記録も存在している。

生態 [編集]
種によって水田や池などの止水域や、渓流、さらには海岸の潮間帯上部に位置するタイドプールや地下水などにも生息する。
日本では水田が身近であり、そこに住む種は昔から親しまれてきたが、近年水田の農地改良による餌生物の減少や、護岸により幼虫が蛹になれないこと、農薬、水質汚染、ため池におけるブラックバスの無差別放流などで数を減らしている種が目立つ。
かつては一部の地方では食用にされるほど多産した、代表種であるゲンゴロウ(ナミゲンゴロウ、オオゲンゴロウ)Cybister japonicusも準絶滅危惧(NT)(環境省レッドリスト)に指定されている。
生息地の消滅、個体数の減少の度合いはナミゲンゴロウが東京都で絶滅するなど[1]、同じレッドデータブック記載種である水生昆虫タガメを凌ぐ深刻さである。今日、日本の都市部や農村部でもっとも目立つ種は、中型種のヒメゲンゴロウとコシマゲンゴロウの2種であり、ハイイロゲンゴロウとマメゲンゴロウがそれに準じる状況である。

 とにかく、レッドデータブックにまで掲載されているゲンゴロウがである...
友達には、「クワガタの次に来るのはゲンゴロウかもしれんなあ。きっと儲かるから大事に育てないかんで」と言ったら叱責された。
「こんな経済優先の日本人が増えたから世の中がおかしくなったんだ」と
謝るしかなかった。

 怒られながら、人間にとって何が一番大切なのか、そろそろ気付く時期にきているような気がする。




紅ショウガのスイーツ

2010年08月11日 23時10分56秒 | ちょっといい話
日曜日の「情熱大陸」を観た。
主人公は料理人・目黒浩敬(めぐろ ひろたか)。

彼は、食材の持つ本来の味を大切にする。
でも、その生き方は気負っていない。
彼が仙台でやっているお店の名前は「アル フィオーレ」。

その中で地元温泉旅館を経営するご婦人にピンク色の綺麗なスイーツを出した。
その食材は紅ショウガだった。
彼女は感動した。
なぜなら、彼女には紅ショウガにまつわるちょっと悲しい思い出があったからである。
彼女の少女時代にさかのぼる。
宿で働く母親に甘えたくとも甘えられなかったという。
そんなある日、蔵の中の蓋の開いた樽を見つけた。
その樽の中に手を突っ込むと赤い紅ショウガが出てきた。
それを口に含み、噛んでみると「カリカリ」という音ともに、なんともいえぬ味あったことのない感覚を覚えたという。
その味は、寂しかった彼女の心を忘れさせる味だったというのである。
そして、それから毎日、夕方六時頃になると蔵に忍び込み、その紅ショウガを食べたという。
気がつくと、樽の中の紅ショウガを食べつくしてしまったというのである。
その話を料理人目黒に語り、彼はその話を覚えていた。
そして、彼女は今、その母親の介護に追われていることも知っていた。

目黒はそれを覚えていて、一週間前から下ごしらえをし、彼なりの技法で彼女の食後のスイーツとして出したのである。

ナレーションは、「忘れないことは、優しさだ」と語りかける。
その優しさがデザートに注がれる。
手間隙をかけた「パンナコッタ」
その紅ショウガのほのかな酸味が50年前の思い出を呼び起こしてくれる。
彼女の感激はひとしおだった。

料理を通して人を喜ばせること。
それが料理人目黒の喜びだという。