走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

匠の技(わざ)

2010年07月30日 01時00分59秒 | おもしろい
 京都には帯紐を組みひも技術でつくりあげる技がある。

 それが、今、ぜんぜん異なる分野で活用されようとしている。
 その一つがゴルフクラブのシャフト。
従来のカーボンシャフトだと「しなり」を出すために何層も重ねながら固さの違いを出すそうだが、カーボンを組みひも技術で角度を変えながら組んでいくと、固さの強弱をつけることができるというのである。
つまり、従来の方法だと無理やりという感があるが、組みひも技術で調整していくと自然なパワーバランスが出せるというのである。

 本当に凄い技術である。

 これをパワー吸収に応用すれば、自動車ドアの内部に組み込まれている衝撃時のバーを鉄からこの組みひも技術で創りあげたカーボンに変更すれば、より強く・より安全性が高まるというのである。

 なんでもないような組みひも技術が、最先端分野で応用されるというのである。
 とにかく驚きである。

 古い技術やお年寄りをバカにする人がいるが、そのスキルは凄いのである。

小さな出来事

2010年07月29日 23時47分03秒 | 職場の出来事
 先日、窓口に向かいの植栽が延びすぎて、その葉が落葉してその掃除に困っているという相談に来られた人がいる。
前の道路は市道だと言う。
話を聴くうちに、その家には老夫婦が住んでいたのだが、10年位前にご主人が先に死に、2~3年前に奥さんが死んだため、それから空き家になり、庭の植栽が放置されたため市道の方に植栽がせり出しているというのである。

そして、今は、その家が売りに出され委託販売を託された不動産会社の看板が立っているというのである。

早速、地図を見ながら場所の確認をしながら、部下の河原君に指示をして写真を撮りにいってもらう。
お客様とのやり取りが終わらないうちに写真が帰ってくる。
随分と便利になったものだ。
お客様にその写真を見せながら、「なるほど、ひどいですね」というと、帰りかけたお客様は座りなおして、最初から話が戻る。
それをまたゆっくりとお聴きする。

お客様には、「担当部署に相談をしてどのような対応ができるかをご連絡します。よろしければお電話番号をお聴きしてもよろしいですか」と話す。
帰られたのを確認して、すぐに担当部署に電話をすると、「行政としては直接行動(剪定)できないが不動産会社にはお願いできる」ということなのでお願いする。
また、ことの顛末についても教えて欲しいとお願いした。

そして、そのやりとりをお客様に電話した。
支所から帰宅したところだったらしく、その対応の早さに驚かれるとともに喜ばれた。

昨日の夕刻、担当部署から電話があり、「不動産会社から8月1日以降に剪定しますという回答がありました」と課長じきじきの報告。
ありがたかった。
そして、今朝、現場を見に行くと既に剪定作業が始まっていた。
お客様のところを尋ねるとたいそう喜ばれ、感謝される。

帰ってくる道すがら、うれしかったのだが、よくよく考えるとこれも窓口業務を田村主幹以下スタッフがしっかりとやってくれているおかげだと改めて感謝しながら、汗を拭き拭きもどった。

このような小さな出来事が現場の最前線ではよく起こる。
でも、そのたびに地域の人たちと仲良くなれるので本当に楽しい。

学びを諦めない生き方とは

2010年07月28日 23時35分46秒 | ちょっといい話
 有吉道夫(ありよし みちお、1935年7月27日 - )将棋棋士、九段をご存知であろうか。惜しまれつつ2010年5月に、引退。
大山康晴十五世名人門下生として知られ、年齢差が12歳ほどしかない大山の一番弟子で、1951年に15歳で入門してからの奨励会の4年間、大山のもとで内弟子生活を送る。1955年、19歳でプロ入り。

棋聖のタイトル獲得1回のほか優勝9回。また、タイトル戦の舞台での大山との師弟対決は4度実現しているが、師匠の壁を打ち破ることはできなかった。

現役期間は55年を数え、2001年には史上6人目の通算1000勝(特別将棋栄誉賞)を達成している。大山康晴、加藤一二三に次ぐ六十歳代A級棋士であり、順位戦A級在籍は21期というすごさである。同じ関西本部所属では、内藤國雄とは自他ともに認めるライバル関係で、関西将棋界を牽引してきた。

将棋に熱中したきっかけは、「矢倉囲いの美しさに感動したから」だという。

 この有吉棋士の将棋にかける執念はすごいものがあった。
そして、その戦いぶりは「最後まで気迫で打つ」ことを信条にしていた。
しかし、年齢には勝てず、自分の孫くらいの若い棋士に負けることもしばしばだった。
今の若い棋士はパソコンソフトを活用し、さまざまな戦いのシュミレーションに対応していく。
 
 一方、有吉棋士は超アナログ人間。
勝てるわけがないといえば当然なのだが、それでも果敢に若い棋士たちに挑んでいく。
ある日、奥様が、「そんなに(若い人たちに)負けるのがつらいなら引退なさってはどうですか」といったことがあるそうだ。
有吉棋士は、「自分より年下に学ぶことは恥ではない」と言って貪欲に若い棋士たちから学ぶ姿勢を変えなかったという。
きっと悔しかったのは勝負に負けることで、それが年上であろうが年下であろうが、そのことについては関係なかったのであろう。

 しかし、自分が培ってきたことが通用しないということがどういうことか、自分に置き換えると自尊心どころか、モチベーションを維持することも出来ない。

 有吉棋士は、このモチベーションを維持するために、常に頭を空っぽにし、スイッチを入れ替えていたそうである。

 そして、有吉棋士は言う。
 「学びを諦めない生き方とは、『知りたい』という探究心を常に持ち続けること」だそうである。

道後温泉まつり2010

2010年07月27日 05時31分29秒 | インフォメーション
道後地区では、道後温泉夏まつり2010実行委員会・道後村まつり実行委員会主催による道後温泉夏まつり2010が以下のとおり開催されます。夏のひと時、夕涼みがてら道後温泉に立ち寄ってみませんか。

 8月 1日 18:00~    オープンセレモニー    道後温泉本館前

 8月 1日~2日        道後村まつり2010   道後温泉本館周辺

 8月 1日~31日       和太鼓・郷土芸能・音楽  道後温泉本館前

 8月 1日~31日       光のプロムナード     道後商店街・道後公園

 8月 1日~31日       道後温泉お湯かけ祈願   道後温泉本館北側

 8月 1日~31日       昔なつかしキャンデー販売 道後温泉観光会館

 8月 1日~31日       風の音・風鈴まつり    道後温泉観光会館

 8月 1日~2日        道後村めぐり体験散策   道後周辺

 8月 1日~7日        七夕まつり        道後温泉周辺

 8月 6日~8日(19:30~20:00) 道後お伽座公演      道後温泉本館前

 8月13日~15日(19:30~20:00) 道後お伽座公演      道後温泉本館前

 8月20日~22日(19:30~20:00) 道後お伽座公演      道後温泉本館前

 8月11日           道後温泉芸子衆納涼夏の踊り 道後温泉本館前

 8月11日~13日       松山まつりin道後     道後温泉周辺

 8月14日~16日       子ども花火大会「線香花火」放生園東側

 8月22日           道後湯あがり朝市     道後にきたつの路

 8月31日(19:30~21:00)    ファイナルイベント    道後温泉本館前

*****************************************************************************
■問合先

 道後夏まつり2010実行委員会

  TEL 089-943-8342
  http://www.dogo.or.jp/




バースディケーキ

2010年07月26日 21時22分59秒 | うれしい
今日は54歳の誕生日。
また、一つ歳をとった。

一日早く、昨日、家内と娘とで出かけたときに帰りにケーキ屋によって欲しいと言われ、店に着くと車の中で待たされた。
しばらくして、出てくるとケーキをもっている。
もしやバースディケーキ?
でも、テレもあって聞けない。
そのままお袋のところに行き、ケーキの箱を開ける。
ホワイトチョコのプレートがついている。
正直恥ずかしい。
歳の数だけろうそくを準備してくれていたが、ろうそくでいっぱいになるから立てることを拒否される。
改めてそんなに歳をとったんだと一人感慨にふける。
でも、うちの女性陣は私の感慨よりも目の前のケーキである。
お袋などは、「さっきお昼食べたばかりだからこんなには食べれんかも」と言いつつ、あっという間に自分のノルマを果たす。

ところで私は学生時代に、あるチェーン店のケーキ屋の店長代理みたいなことをやっていたことがある。
そのせいかケーキのスポンジには自分なりのこだわりがある。
でもこのケーキ屋のスポンジは絶妙である。
ケーキ屋の店名は「ラブランシュ」
松山では結構有名らしい(家内と娘の弁)

何よりも私はこの店のフルーツケーキが一番のお気に入りである。
スポンジが二層になっていて、そのサンドイッチの部分にふんだんにフルーツが並べてある。
得した気分になる。
ここのフルーツケーキは本当におすすめである。

そして、バースディケーキありがとう。

NPO まほろば スタート

2010年07月25日 23時41分40秒 | ちょっといい話
 「NPOまほろば(現在申請準備中)」の参加者説明会が今夜開催された。
名称からするとなんとなく宗教がかっているようなイメージなのだが、意味は古(いにしえ)の言葉で、「素晴らしい場所」という意味なのだそうだ。
代表は、お好み焼き「すみれ」の代表取締役・芳野裕士さん。

 目的は、次代を担う子どもたちに安心安全な食材を提供する地域社会システムを構築することにある。
彼は、食材に関係すること、例えば食料自給率から食育まで「食べる」というキーワードで、いま社会が抱えている職に関する問題について提起しておられる。
なんだか大言壮語のように感じるかもしれないが、本人は大真面目なのである。
そして、行き着いた先が個人の問題でなく地域社会としての問題という点。
だからこそ、名称の中にフィールド(場所)がつくことにこだわられた。
説明の中にも、企業人だと「マーケット」という言葉を使われるのが通常だが、あえて「コミュニテイ」という言葉を使われていたことが印象深い。

 特に、芳野さんは木村秋則さんと知り合ってから、自然栽培の大切さに感銘し、それを広げるのも目標の一つにおいておられる。
地元でも芳野さんは飲食サービス業の風雲児である。
その経営手法は卓越しており、本業も他の同業者が苦戦している中、頑張っておられる。
なのに、なぜ非営利活動なのか。
それは、彼なりのこだわりがある。
おそらく企業人として、社会に貢献する一員であるという自覚を持っておられるからに相違ない。
そして、何よりも子どもたちのことを心配し、そのまた次の子どもたちのことを心配しておられる。

 その彼が立ち上がった。
 会場に集まったのは、今、地元でも流行っている飲食店の経営者やホテル経営者たち、さらには若手農業者の代表の人たちや消費者代表などが多数集まってくれた。
こういう会に参加させてもらうと、自然にそのエネルギーを吸収でき、自分自身も充電できる。
参加者の人たち一人ひとりと話をさせてもらった。
みんな前向きである。
当然、それぞれの収益が上がることを前提にしているが、それだけでは足りないということを理解してくれているようである。

 これも芳野さんの人望なのだろうなと感心しつつ、この活動がゆっくりでもいいから広がってくれることを願い、私の出来る範囲でボランティアをさせていただこうと思っています。

必死剣 鳥刺し

2010年07月24日 22時30分19秒 | 映画
私は藤澤周平の作品が好きで、今やっている映画「必死剣鳥刺し」を今夜のレイトショーで観ようと新聞の映画欄を見た。
なんと、9時半と12時半の2回しか上映していない。
こんな場合は、上映が早く終わる。
時間は11時過ぎ、慌てて家内に映画を観に行くことを宣言。
早めのランチを済ませ、身支度をして出かける。

家から15分のところに映画館がある。
チケットを買って座って待っていると、入場案内のアナウンスがある。
観客は私を含めて7人。
寂しい。

映画のあらすじは次のとおり。

海坂藩に属する中級武士、兼見三左ェ門は、能楽の観衆たる藩士たちの目前で藩主・右京太夫の側室、連子を刺殺した。
生活が贅を極め、それを諌めた忠臣を切腹に追い込んだ毒婦ながら、彼女を殺めた兼見は打ち首が相応と思われただけに、中老津田から一年の閉門と降格の罰のみを申し渡された兼見は驚く。
しかし、それが津田の藩主への嘆願ゆえと聞かされた彼は、温情に背かず刑期を過ごすのだった。
姪の里尾のみを世話係として傍におき、禄なき暮らしを続ける兼見をよそに、藩主の政策は身勝手を極め、農民たちは重すぎる年貢に直訴を試みんとしていた。
それを止めた藩主の従弟である隼人正は、次第に藩主への不信の念を深めていった。
彼が謀反をたくらんでいるとの噂を聞きつけた津田は、ある日秘剣を会得するという兼見を呼び、密命を託すのだった。

観終わって帰りながら、「やっぱり『蝉しぐれ』が一番やなあ」と思っていたら、つい帰る途中にあるレンタルビデオ屋さんによってしまい、「蝉しぐれ」と「山桜」を借りてしまった。
あきれるくらい藤澤周平が好きな私です。

愉快な仲間たち

2010年07月23日 19時17分14秒 | うれしい
昨夜、自宅でゆっくりしていると携帯に電話がかかってきた。
相手は、酔っている雰囲気。
次々と電話の相手が変る。
かなりご機嫌がいい。

出てこないかという。
自宅から車で20分から25分。
湯上りで一息ついたところだった。
「こちらまで来たら出て行っていいよ」とからかってみる。
「本当ですか?本当に行きますよ」
「本当よ」
「わかりました、今から出ます」
「ああ・・・」
話半分でも、メンバーの顔を浮かべると「本当に来るかも...」と不安がよぎる。

しばらくしてまた電話がかかる。
「今、向かっています」
「どこ?」
「本町あたりです」
10分くらいでは着くなと思った。
「じゃあ、伊予鉄三津浜駅で降りて。今から出るから」

急いで身づくろいして、待ち合わせ場所に向かう。
彼らは既についていて、待っていた。
時計を見ると9時を回っていた。

このあたりで空いてる店は...と思いつつ、よく行くお好み焼きもやっている「いとさん」へ向かう。
その店は、独身時代からよく通っていた。
夜、小腹が減ると電話予約してから「お好み焼き(今は「三津浜焼」といっている)」を取りにいっていた。
久しぶりである。
威勢のいいお姉さんが「あら、ひさしぶり」と声をかけてくれた。
「6人なんよ」
「じゃあ座敷にする?」
「かまんかなあ」
「今、電気つけるけん」

座敷に上がると勝手に座布団を引っ張り出してきて、座る。
宴が始まると、楽しかった日々を肴に飲みはじめる。
笑い声であふれた。

フッと気づく。
「しばらく、ブログを休んでいたからかなあ...」と勝手に思う。
気分がのらないときに無理にブログを書かまいと自分で決めている。
それと、書かなかった期間、たくさんのことをしていた。
 一番は、読書。
かなりの本を読み込んだ。
自分でも「難解そうな本だな」と思うものまで。
 二番目は、多くの人と会った。
そして、たくさんのことを学んだ。
外の人の話は刺激がある。
仕事とはまったく無縁な人ばかり。
それだけにラフに話せる。
自分の知らないことばかりで、話を聴いていても勉強になる。

そして、そんな身勝手な行動が、あらぬ心配をかけてしまった。
きっと、励ましてやろうと、ここまで来てくれたのか。
ありがたく、うれしくって、その心根の優しさに感謝した。

 こんな私を...

本当に楽しい宴が遅くまで続いた。
今日、「ちゃんと仕事に行ったのだろうか」と心配していたら、全員からメールが来た。

 またまた、うれしかった。

通訳の必要性

2010年07月22日 20時55分01秒 | 考え方
 今日の愛媛新聞に「専門的な通訳を必要とする国際学術会議誘致や企画支援に向け、松山市在住の通訳者らが昨年12月、全国学術会議通訳者連盟「FAIS(フェイス)」を設立。来月、通訳者対象の夏期講座など、設立記念イベントを開催する(以下省略)」という記事が載っていた。
このような活動は、今まであったようでなかったのです。
でも、必要な活動なのです。

 皆さんは忘れているかもしれませんが、松山市は「国際温泉文化都市」なのです。
そのための基盤整備として、こういった活動が必要だったのです。
でも、通訳という仕事は本当に大変な仕事なのです。

 随分前に、国の要人同士の通訳は、通訳の世界でも超一流だといわれています。
彼らは超一流を維持するために、隠れたたゆまない努力を行っているそうです。
 例えば、国際会議が行われる場合に、事前にその会議の目的や目標、そしてその会議に参加する国々の事情やその背景にある歴史文化などを含めて洗い出すのだそうです。

だからこそ、会議本番で一番的確な単語を俊司に導き出し、通訳するというのです。
そういう意味では、単に語学ができるというだけでは超一流の通訳にはなれないのです。
マルチな才能としっかりとしたコミュニケーション力が必要なのです。

 一方、最近私は通訳を頼まれることがあります。
でも、語学のできない私は、日本人と日本人、いわゆる立場のちがう人たちの通訳です。
では、なぜ私が呼ばれるかというと私なりの特技があるからかもしれません。

 その特技とは、

  わかりやすく説明する力
  聞き手に対してビジュアルなイメージを描かせることができる力

 この二つの特技は、実は私自身の欠点から来ているものです。
 はっきり言って私は能力は高くありません。
 ですから、相手から聴いた話を目の前でビジュアルに表現しながら咀嚼(そしゃく)していくというベタなやり方をしています。
これが、結構受けるのです。
コミュニケーション力を身につけるのは一見難しそうですが、実はそれほど大したことではないような気がします。
相手の目や表情、ジェスチャなどを観察しながら、話の中でのキーワードを探し、自分の理解が間違っていないかをその都度相手に確認していけば、それほど大きな違いがなくなるということです。

そして、最後に結論と次回までの検討項目を確認しておきます。

世の中がネットワーク社会になったという昨今、それと反対に私たちはコミュニケーション力が退化しているのではないかという出来事が身の回りで頻繁に起こり始めています。

 そういった状況だからこそ、私は頼まれればどこまでも通訳に行こうと思っています。

土俵が丸い理由(わけ)

2010年07月21日 22時20分27秒 | つぶやき
 今、大相撲が元気をなくしている。
 野球賭博、暴力団との交流などなど、今まで黙視されてきた黒い噂が顕在化したために起こったことである。
中には、自業自得だと思う人もいるかもしれない。
でも、「巨人・大鵬・玉子焼き」世代にとっては、当時の大鵬・柏戸の大横綱の姿は輝いて見えた。
彼らが大人の見本の一人だったような気がする。

 でも、琴光喜が子どもの頃通っていた相撲道場にマスコミのテレビカメラが入り、子どもを大写ししながら、「今回のこと、どう思う?」とマイクを傾けた。
信じられない光景だった。
その子どもにとって、きっと琴光喜は「希望の星」だったにちがいない。
いつかは僕もと、そう思っていたにちがいない。
 そんなにまでして、子どもの夢を打ち砕いてまで正義を貫き通さなければならないのか。
 なんとも味気ない世の中になったものだ。
 ルールはルール、間違ったことはなんでも断罪する思想が中心になっていて、「遊び」の部分がない。

 しかも、断罪した後のことは一切関係ない。
 なんともやるせない世の中になったものだ。

 相撲協会も国技という名の元に甘んじすぎたのではないか。
 楽に食べれると誰しも変化を求めなくなる。
 むしろ、それを守ろうとし、それが最優先されることになる。

 それで本当にいいのだろうか。
みんな相撲というスポーツの凄さを忘れてしまったのではないか。

 相撲は元来、躰全部をぶつけ合う格闘技である。
通常格闘技というと体格を揃えるものである。(ボクシングのように体重である程度揃えるように)
しかし、相撲はちがう。
体格の大きい力士もいれば小さな力士もいる。
これだけでも、アンフェアなスポーツだといってもいいだろう。
しかし、誰もそのことは言わない。

 それは、土俵というリングが丸いからである。
 通常、体格が大きい者の方がパワーがあるので、大きい者と小さい者が闘うと圧倒的に大きい者の方が勝つのが道理である。
 しかし、相撲では土俵を丸くすることで、そのパワーを弱めることになるし、円運動を利用しながら相手のパワーを活用する方法(技)もある。
つまり、パワーにアイデアを加味できる仕組みになっており、それは力のある者と力のない者にフェアなチャンス(機会)を与えることになる。

 日本人が本来有している姿勢は、弱者に対して単に「施す(または同情する)」という視点ではなく、相手に経緯を表しながら弱者のもつ力を最大限引出させるための機会を創出させるところにある。
だから、大きな力士も相手が小さくとも力を抜かず思いっきり当たっていく。
その精神は、「力」と「士(もののふ)」を組み合わせているところからもわかる。

 このことを相撲協会だけでなく、マスコミを含めた日本人全部が今一度思い起こして欲しいものである。