走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

出杭力、道程力、造山力

2011年08月31日 23時17分35秒 | 考え方

 次に、「個人としてはどのような力が求められていますか?」という問いに対しては、

 「出杭力」、「道程力」、「造山力」の3つ。
人と違うことをやるのは勇気がいる。
出る杭を嫌い、釘を打ち続けてしまう組織がある。
ただ、出すぎた杭は打たれない。
中途半端に出ず、徹底的に出る力が「出杭力」。

 「道程力」とは、誰もいない原野に一人分け入って新しい道を造り、その道を孤独に耐えて全力疾走する力。
すでに存在する100メートルトラックを誰がより早く走るのかを競うのは真の競争ではない。

 3つ目が「造山力」。
1995年に私がMIT(マサチューセッツ工科大学)を選んだのは、頂が雲に隠れて見えない高い山だったから。
でもそれは幻想だったと後で思い知った。
山など初めから存在しなかった。
海抜はゼロメートルから新しい山を造り上げ、世界初登頂をすること。
新分野をゼロから作る「造山力」こそが、MITで生き残る条件だった。


 華やかな道を歩んでいるように見える同氏だが、本当に苦労して今の地位を築かれている事がよくわかる。
 


独創、協創、競創

2011年08月30日 19時48分29秒 | 考え方
 東洋経済の8/27号にMITメディアラボ副所長の石井裕さんのインタビュー記事が掲載されていたので3回に分けて紹介しよう。

 彼は、1956年生まれ、北大大学院修士終了。電電公社(NTTの前身)を経てMITに。手でデジタル情報に触って操作できる「タンジブル・ビット」の提唱者である。

 その彼に、「研究者として生き残るための条件とは何ですか」という質問に、
 
 いちばん大事なのは「独創」。

新しい価値を生み出すための飛躍がなければならない。
ただし真空地帯からは何も生まれない。
既存の知識やアイデアを、新しい視点と方法を組み合わせることによって、オリジナルな価値が出てくる。

 二つ目が「協創」。

 会社は組織、学校などでは、人々が力を合わせることで初めて大きなことをなしうる。
ある分野の専門家だけで集まるのではなく、アート、デザイン、サイエンス、エンジニアリング、ビジネスなど違った角度から光を当てると、気づきやひらめきを得られる。

 三つ目は、「競創」。

 周りと仲良くワイワイと研究するのもいいが、それだけではダメ。
進歩を生むのは、健全な競争と、切磋琢磨し合いながら互いを成長させる緊張感だ。


 この内容は同氏が研究者の条件として語っているのだが、どの分野の人にも通じるので掲載させていただいた。

「子牛で開墾」プロジェクト

2011年08月29日 22時05分42秒 | インフォメーション
 農商工連携サポートセンターの大塚です。

 昨日、第2回「子牛で開墾」ツアーが実施されました。
 「子牛で開墾」プロジェクトは耕作放棄地を

  ①肩肘張らず楽しく!
  ②2頭の子牛に頑張ってもらいながら
  ③都会の人と地域の交流によって

 開墾していこうというプロジェクトです。

 ツアー実施の詳細はこちら↓

  http://blog.canpan.info/noshokorenkei/archive/70

 次回、第3回は10月23日(日)です。


 先日お願いした南相馬市の盆踊りに1000着の「ゆかた」を集めるプロジェクト、無事目標の1000着が集まりました!
 ありがとうございました。
 呼びかけ人の大石ゆい子さんのブログをご覧ください↓

  http://madeilife.jp/

 大塚先生は、本当にエネルギッシュに活動をしておられ、それを支える方がすごい人たちが集まり始めています。
 人のために尽くすことがどれほど大切かをいつも教えられます。

キュレーター

2011年08月29日 19時57分26秒 | びっくり
 「キュレーター」・・・あまり聴きなれない言葉
れっきとした職業の名前である。
私自身も昨夜の「情熱大陸」という番組を見るまで知らなかった職業である。

 主人公は、林綾野さん。
番組では、300年の時を経て、フェルメールの名画に秘められた“レシピ”を蘇らせて、「美術作品」を「食」の観点で切り取るというものであった。

 林さんは、ゴッホ・ピカソ・モネ・フェルメール・・・名画に秘められたメッセージを読み解き、人々に伝える『伝道師』になりたいと語る気鋭のキュレーター。
日本では余り知られていない職業だが、専門的な美術の知識を元に展覧会の企画・運営全般を担当する仕事で、アーティストと社会の架け橋的な存在として欧米では非常に認知度が高いという。

 林さんの名前が注目され始めたのは名画の中にある“料理”をリアルに再現したレシピ本の執筆からだという。
ゴッホの絵に描かれたタマネギから、当時彼が食べたかもしれないスープのレシピを考案し、フェルメールの名画『牛乳を注ぐ女』に描かれた材料の数々から、絵の中の女性がその先に作ったであろう“あるお菓子”を蘇らせる。

 また、現在京都で開かれている「フェルメールからのラブレター」展にもPR担当として関わっている林さん。
修復後、世界初公開となった名作『手紙を読む青衣の女』をアピールしようと、オリジナルのアイディアを出し始める・・。

 そして、女性ならではの感性で、作品の核心部分を見る側になんとか伝えようとする。

 ときには、現地まで飛び、その足跡をたどることもある。
 しかし、見る側には平易にわかりやすく伝えようとしている。

 けなげなくらい...

 最近、さまざまな分野で、こういった「橋渡し役」の必要性を感じる。
 ギスギスした世の中になっている今だからこそ「キュレーター」のような立場の人が絶対にいると痛感した...

関西人と関東人

2011年08月28日 19時26分27秒 | おもしろい
 ブログネタを探すために身の回りの人たちの話に気をつけるようにしている。
 そして、今朝、妻から面白い話を聞いたので紹介しよう。

 あるテレビ番組で、「エレベーターの中で臭い屁をした場合に関東人と関西人は、どのような反応をするか」という比較実験をしたというのである。
事前に、何時でもどこでも屁が出る人を雇い、にんにくが入った餃子などを食べさせ、実験に臨んだというのである。(まあ、よく考えたものであるが、どうやってそのモデルを探してきたか不思議でならない)

 そして、まず関東で臭~い屁をエレベータ内で充満させる。
すると、反応は、気づかないふりをする、聞こえないよう笑う。

 一方関西では、みんながみんな突っ込む。
 「おっさん、なに食うたん?」、「どっか、体調悪いんやないん?」など

 出てきた人たちに、「なぜそのような行動をとったか?」という質問をする。

 関東人は、指摘して傷つくといけないからが大半。
 一方関西人は、突っ込んであげんとかわいそうやんが大半。

 人に対する思いやりは、同じ国であっても両極端であることがわかる。

 さて、あなたの「思いやり」は、どっち?
 
 

移住者と地元の人

2011年08月27日 22時47分02秒 | すばらしい出会い
 昼前のNHKの新日本紀行を振り返る番組「新日本紀行ふたたび」は、40年前にとり上げた鹿児島県・宝島の話だった。
 内容は、鹿児島県トカラ列島の「宝島」が舞台。
人口110の小さな島だ。
かつて新日本紀行では、素朴な暮らしの様子と離島ブームでやってきた若者たちを取材していた。
それから40年。
今、村を支え始めているのは、都会から移住してきた家族たちだ。
農業や漁業を島の人たちから教わりながら絆を深めている。
豊かな自然に恵まれて暮らす宝島の人々を見つめる...と言ったものだ。

 そして、離島ブームでやってきた若者たちを地元の人たちはやさしく受け入れていた。
「農業」のまったくのシロウトの彼らに対して地元の人が、「シロウトだから、きちんと教えるのは当たり前。教えてもらったらそれを学んで、実行していく。それが農業よ」と温かく包み込む。

 それから、夕方、「人生の楽園」という番組で岡山県の蒜山(ひるぜん)高原で脱サラしてペンションを初めたが、地元に良質の蕎麦ができることから、10割蕎麦にこだわり「蕎麦屋」になった人の話があった。
この人の周りにも彼らを温かく見守る地元の人たちが映し出される。

 映像にはないが、実は、移住者が地元の人たちに溶け込めないためにその地を離れる人の方が、ひょっとしたら多いのかもしれない。
それは、日本固有の村意識みたいなものが、「よそ者を受け入れない」風土にしてしまっているのかもしれない。

 だがよくよく見れば、上手くいっている場合は、移住者の方から地元に歩み寄っている場合が多いような気がする。
きっかけは、まず自分の弱さやできないことを相手に素直に伝えること。
そして、なによりも「教わる」という姿勢と、謙虚さを兼ねそろえることだと思う。

 相手が警戒心を解くきっかけは、「この人、イイ人かも...」と思わせることではないかと思う。

 そのイイ人の基準は、何よりも自分の話を熱心に聞いて、それを真似しようとしている姿である。

 それを見ると、人はもっと教えたくなるはずである。

 この積み上げが良質な人間関係を構築するのではないかと

 だから、人間関係の作り方を難しく考えるのではなく、
 「すみません、わからないので教えていただけませんか?」の一言から始めればいいのである。

復興トマト、その後

2011年08月26日 21時25分31秒 | 東日本大震災
 嬉しいニュースです。
「復興トマト」のパートナー、株式会社マイファーム(西辻一真代表取締役)は、復興トマトで実証された「塩分を分解する微生物を活用した
塩害土壌改良材」の本格生産を開始します。
販売は9月から。

 更にNTTドコモ、NECと提携して環境・農地用センサーにより改良材の効果測定を実施します。

  http://www.myfarm.co.jp/soil/
  http://www.myfarm.co.jp/newcontents/soil.html

 復興トマトの技術がいよいよ被災地の農地回復に向けて本格稼働します。
岩沼の復興トマトは、すばらしい技術の初めての実証になったわけですね。
 とても嬉しいです。

 今年4月、となりの部屋にあったマイファームのオフィスで
 「大塚さん、塩トマトって知ってますか?」
 「西辻さん、こりゃおもしろいね。やろう、やろう!」ということで始まり、その後東京大学の石川幹子先生のご紹介、岩沼ロータリークラブのご支援で実現した「復興トマト」の植え付け、育成、収穫。
物事が進むときは進むものですね。

 西辻社長は更に海外の展開を視野に入れています。海外には塩害に困っている農地が日本の何倍もあります。
岩沼発の技術が海外で花開く...夢ではないかもしれません。

 次の実証試験は9月11日の「復興キャベツ」植え付けです。皆様もこの機会にこのプロジェクトに参加しませんか?残席9です。

  http://www.npo-noshokorenkei.jp/nsc/business/experience/cabbage0911.html

 復興キャベツ募金もよろしくお願いします。

  http://bit.ly/pzyXeB

 復興トマトについてはこちら↓

  http://blog.canpan.info/noshokorenkei/archive/68

 

 大塚先生、順調に進んでいるようでよかったですね。
 このような被災地復興もあるということを一人でも多くの人たちに知っていただきたいと思いました。

情報とは?

2011年08月25日 22時19分17秒 | 考え方
 仕事のできる人の共通項にたくさんの情報源を持っているといわれるが、現実は果たしてそうなのか?

 一日24時間、通勤時間を含めて働く時間が9時間、平均睡眠時間が6時間程度とすると残りは9時間。
この残り時間で、その差がつくのかというと食事したり、風呂にはいったり、テレビを見たりでせいぜい2~3時間くらいか。

 何がいいたいかというと、現実の情報量というのは個人に大差はないのではないかということである。

 では、どこで差がつくか...

 ほとんど仕事中に得られる情報からではないかと思う。
 それは、おかしい...と思われる方もおられるだろうが、大切なことは同じ情報を得ても受け止め方でかなり差がつく。
 つまり感じ方というか、気づき方である。

 そして、その気づきをどう咀嚼(そしゃく)するかだと思う。

 咀嚼できれば、次にそれをどのように組み立てていくかである。

 私の場合は、いつも最後の完成形をイメージする。

 そして、そこから遡るようにしている。
 遡っていくと、これが必要だ、こういう仕組みが必要だと思いつき、それをノートに記録していく。
 そして、今の自分まで遡ると、その記録を体系化する。
 どのように体系化するかというと、「仕組みの壁」、「モノ(物理的)の壁」、「心の壁」にである。
 次に、障害となる壁の理由が何かを分析し、対処方法を複数書き出す。

 そこまでできたら、自分なりの行動計画(アクションプラン)をつくりあげるのである。

 だから、私の傍らには常にノートと筆記用具がある。

 でも、自分が仕事ができるかというとそうとはいえない...

訂正です。

2011年08月24日 21時50分56秒 | 職場の出来事
 8月17日の記事「都市ビジョンの作り方について」で市民の声を聴かないのではないかという危惧を書かせてもらったのですが、本市ではきちんと下記のような機会を設けるそうです。さすがであります。
どうか、皆さん、この機会にぜひご参加ください。(市の職員は応募できないのかなあ...)

松山市ラウンドテーブル(市民意見交換会)の参加者募集要領

1 応募資格 本市の区域内に住所,勤務先又は通学先を有する18歳以上の者で、
         平成23年10月から11月までの平日の夜(19時から21時までを予定)
         に開催する3回程度の会議に出席可能なもの

2 募集人員 テーマ毎に10人程度

3 活動内容 期間中、3回程度の会議に出席し、本市のまちづくりにおいて重要な
         以下のテーマ(3つのテーマのいずれか)について意見交換を行う。

●テーマ 意見交換の内容
 ◇ 少子化対策        子育て世代への支援、環境づくりなどについて
 ◇ 雇用の促進        企業誘致、地元企業の事業拡大、求職者の能力向上などについて
 ◇ 災害に強いまちづくり  南海地震などの大規模災害を想定した事前準備や応急対策などについて

4 活動期間 構成員決定時からラウンドテーブル終了時(11月末を予定)まで

5 交通費等 交通費等諸経費分として1回当たり2,000円を支払う。
         なお、支払いは、最後のラウンドテーブル終了後、振込にて一括で行う。

6 申込方法 応募用紙に下記の事項を記入し、下記の問合わせ先まで持参、郵送、
         FAX又は電子メールにて提出すること。なお、応募用紙は、市ホーム
         ページに掲載し、さらに、本館5階企画政策課及び各支所に設置する。

       (1) 郵便番号、住所、氏名、年齢、性別及び電話番号
       (2) 希望するテーマ(第2希望まで)
       (3)「住みやすい松山市にするために」を主題とした作文(800字以内)

       ※ 応募用紙の様式は別紙のとおり(Word版及びPDF版)
       ※ 提出された応募用紙は、返却しない。

7 申込期間 平成23年9月1日(木)から平成23年9月16日(金)まで(必着)

8 選考方法 書類審査により決定し、9月下旬に本人に通知する。

9 問合わせ先 〒790-8571
          松山市二番町四丁目7番地2
          松山市総合政策部企画政策課 総合計画担当(本館5階)
          電 話 948-6341、6943
          FAX 934-1804
          E-mail seisaku@city.matsuyama.ehime.jp

ショッキングなニュース/島田紳助引退

2011年08月23日 23時02分24秒 | びっくり
 芸能人の島田紳助が暴力団と交際していたことを認め、先ほど引退記者会見を開いた。
おそらく明日のモーニングニュースは、この話で持ちきりであろう。

 彼の性格からすると、「何がいけんの?」と言った感じだろうか。
彼の生い立ちを彼自身隠していない。
不良で、ヤンキーで、暴走族だったという経験からすると、その頃の友人も場合によってはそういう世界に進んだ人もいるだろう。

 だからといって、彼がその頃の友人を差別したりすることはないであろう。
口には出さないが、ひょっとしたら無二の親友がそういう世界の人かもしれない。
しかし、人間関係はその人たちにしかわからない。

 それが、犯罪などに関係していたならば社会的に責められたとしても仕方がない。
だが、人として付き合っていたということを認めない世界なら、キッパリと自分から印籠を渡してしまえ的な発想になったのかもしれない。

 最近の彼の言動は、同世代としてよくわかる。
デビュー時と比べると涙もろくもなっていた。
その分、心をゆすぶる熱い言葉が出ていた。
訊いていて、ずいぶん感動もした。感心もした。

 それは、彼の魂のような言葉にも聞こえた。

 きっとたくさんの修羅場を潜り抜け、悲しい思いや悔しい思いもしてきたのだろう。
だから、そういう生きた言葉が出てくるようになったのであろう。

 彼のことだから、口にしたことを撤回することはありえまい。
 洒脱で、小気味のよい話術は、時に人の本音を抉り出すこともあれば、清涼感のようにスカッとするときもあった。

 もう訊けなくなると思うと、残念で仕方がない。

 誰かが、「偉くなるのは人任せ。だが引き際は自分でやらなければならない」と言っていたが、それをそのまま実践したような引退劇である。
本当に引き際は難しい。

 だが、彼は漫才をやめる決断を「ダウンタウンの松本人志」の出現によって決めたという。
そして、今回の引退も彼に一番に伝えたという。
 自分の後継者が要る。
 だから、引退しても悔いが残らない。

 引き際の悪い人は、自分の後継者を見つけられない人か...

鎌倉シャツ

2011年08月20日 12時05分08秒 | ちょっといい話
 「ガイヤの夜明け」という番組を見ていて、東日本大震災で被害にあった縫製工場の話が紹介されていた。
その工場は、中国から研修生を受け入れていたのだが、震災後、その研修生が帰国してしまい3割生産能力が落ち込んだという。
誰も、この研修生を責めることはできない。

 そして、人件費などの事情から海外研修生を活用しなければならない中小企業の台所事情も垣間見える。
国際競争は、誰よりも中小企業を直撃している。
そこで、経営者は被災者の雇用に踏み切る。
 しかし、ゼロからのスタートなので生産能力はなかなか上がらない。
 
 話は変わって、「鎌倉シャツ(http://www.shirt.co.jp/)」というメーカーがある。
 この会社の創業者の貞末良雄さん(現会長)は、かのアイビーファッションの旗手「VAN」に入社し、独立した方である。

 実は私も、東京へ出張したときには丸の内ビルの地下にある店舗へ時間があると覗きにいったものである。
 そして、そういう事情(創業者がVAN出身であるということ)を知らないまま、自分の嗜好にあったファッションセンス(実は、私も一時IVYファッションに凝っていた時代がありました)の同店舗をお気に入りに登録していたのである。
 なによりもここのシャツは内側がすれないのである。
下着をきるのでわかりにくいのだが、ひどいシャツになると下着を通して肌がチクチクする時がある。
だが、ここのシャツはそれがしない。
価格は、5000円台だが縫製がしっかりしている。

 番組を見ていて知ったのだが、「巻き伏せ本縫い」という特別な仕様にしてあるというのである。
「それで着心地がいいのか」と思い当たる。

 この鎌倉シャツが、この縫製工場に手を差しのべた。
貞末会長は言う。「毎日支援することが大切」と

 そして、同社は「東北から、ありがとう」というタグを入れることにして、従来よりも多く追加発注した。
また鎌倉シャツ社員全員の応援ビデオレターをつけることで、ともにがんばりましょうと勇気づけたのである。
これを受けて縫製工場の社員の士気は上がる。
新人たちも、「がんばります」という言葉を言うようになる。

 この経営者は、日本人だけでがんばる大切さを感じ取っていた。

 日本のモノづくりの原点がここにある。
 利益だけを追求する従来の考え方では、誰も幸せにならないということを皆が早く気づくべきである。

 日本の細やかさを追求できる技術こそ、国際競争力なのである。
 

「復興キャベツ」の植え付けツアー

2011年08月19日 00時04分57秒 | インフォメーション
 農商工連携サポートセンターから次のようなメールが入りましたので紹介しておきます。


 農商工連携サポートセンターの大塚です。
岩沼市の「復興トマト」は7月下旬の長雨で一時生育が危ぶまれましたがその後持ち直し、いよいよ8月20日に収穫ツアーを実施します。

 次は「復興キャベツ」の植え付けツアーを実施します。
仙台市四郎丸地区は、今回の津波で壊滅的な被害を受けた名取市閖上(ゆりあげ)から、名取川のすぐ上流にあります。
海水が引いた後も塩分が残り、作付けができない農地が拡がっています。
四郎丸地区の野菜農家 井深勝之さんも津波によって農地の2/3を失ってしまいました。

奇しくも震災半年後の9月11日、皆様の手でここに「復興キャベツ」を植えに行きませんか? 
11月にはキャベツ畑として復活させます。

復興キャベツプロジェクトは東日本大震災の津波による塩害農地の復活を「直接」支援するユニークなプログラムです。

  【実施日】2011年9月11日(日)
  【参加費】5000円(昼食代、保険料、レンタカー利用料含む。)
       JR南仙台までの交通費は含まれていません。各自ご負担ください。
       (新幹線自由席を使って往復2万円です)
  【募集人数】20名
  【実施場所】仙台市四郎丸地区 井深勝之様の畑
  【集合場所】JR南仙台駅改札口に当日10:30
  【主催】復興キャベツ実行委員会
      委員長  西辻一真(株式会社マイファーム代表取締役)
      事務局長 大塚洋一郎(NPO法人農商工連携サポートセンター代表理事)
           大和田順子(ロハスビジネスアライアンス(LBA)共同代表)
           田澤文行(株式会社ふるさとファーム代表取締役)
  【お問い合わせ】
      NPO法人農商工連携サポートセンター 担当:筒井
      電話 03-5259-8097 Eメール info@npo-noshokorenkei.jp
  【お申し込み】
      プログラムの詳細とお申し込みはこちらから↓
       http://www.npo-noshokorenkei.jp/nsc/business/experience/cabbage0911.html


自律心

2011年08月18日 19時24分04秒 | 考え方
 今朝はペットボトルのゴミの日だった。
 奥様に命じられ(?)出勤途中に出しに行く。
 蓋(フタ)とラベルが取り除かれたペットボトルが透明のゴミ袋に入れられ、山のように積まれていた。

 この春からペットボトルのゴミの出し方が変わった。
 まだ半年も経っていない。

 でも、きちんとそのルールが守られている。
 仮に違反する者があっても、数%ではないのか...

 日本人とは、どうしてこんなにすごい民族なのだろうか。
 社会規範を守るというよりは、自らを律する能力が優れているのではないかと思う。

 言い換えれば、自らの判断能力的には疑問が残る。
 つまり、自分を持っているのかということ。
 誰かが「こうしよう」と言ったとする。
 その中身が有効だと判断すれば、その方向やルールに向かって邁進する適応力のようなものはすごいのかもしれない。
 単一民族主義を貫いてきたからか...

 しかし、それも時と場合である。

 今、この国家がどれだけ危うい局面に立たされているか、そのことを真剣に捉えている国民(正確には政治家)がどれだけいるのか。

 昨夜の番組で、急激な円高に対する回避策はないかと聞かれたコメンテータが以下の2つの提案をした。
  一つ目は、とにかく米国に何が何でも頼み込み円安にしてもらう。
  二つ目は、この円高をいかし海外企業のM&Aを一気に増やすことで、存在価値を示すとともに各国に脅威を与える。

 これは、バラエティー番組ではない。
 きちんとした経済番組である。
 幻滅した。

 今回の急激な為替変動で、米国はドルの価値が下がることで米国債を売られることを懸念したと思う。
 売られれば米国経済は、ますます悪化する。
 そして、米国がとった行動は、副大統領を中国に急遽派遣することであった。
 わが国を飛び越してである。(まさにニクソン政権時代のキッシンジャー外交を思い起こさせる)
 このことについて、わが国の政治家は誰も真剣に怒らない。
 とうの昔に、わが国は金を持っていても脅威になる存在ではないということをどの国も知っているのである。

 これだけ見ても、通貨戦略でも、もはやわが国は中国に敗れ去っている。
 経済が不況になれば、その歴史の中で戦争を仕掛ける米国が、もはや中国だけは敵にできない事情ができたのである。
 つまり、中国は武器を使わずに戦に勝ったということか。

 それは、孫子の兵法の中にある「戦わずして勝つ」である。

 こんな大国に挟まれている日本に自立心がどこまであるのか、疑問である。
 そして、ペットボトルからここまで考えるのは私くらいなものか...
 

都市ビジョンのつくり方について

2011年08月17日 22時05分47秒 | 考え方
 それぞれの都市には10年後のその都市を描く「基本構想」なるものがあり、それを具現化するための基本計画やその下の行動計画がある。

 つくり方はいろいろであるが、民間のシンクタンクなどにコンサルタント委託し、全庁的に調査を行いながらまとめ上げていく手法が多いのではないかと思う。

 この方法だと、何かが足りない。
 それは何かと訊ねたら... ジャンジャン!!

 それは明らかに「市民の声」だろう。

 10年先のこのまち(都市)をどうしていくべきか、これをお役人だけで創る時代はすでに終わったような気がする。
 時代は、「地方分権」と云われ、その都市経営における指針(ベクトル)となる「基本構想」をつくりあげるには、行政が市民と一体となってつくりあげていく、まさにパートナーシップ型まちづくりである。

 でも、何にもないところからは議論などできない。

 まず、トップを中心とする幹部で組織する都市経営戦略本部を設置し、部門毎の「わかりやすい目標」を決めていく。
 そして、例えば、
   保健福祉部門の介護部門なら、「日本一寝たきり老人が少ない都市づくり」を決めたとしよう。
   それを実現するためには、まず水際として「脳卒中にならないため」の地域学習講座を保健福祉部門と社会教育部門が
   タイアップして広めていく。
   そして、脳卒中で倒れたときにはできるだけ短時間で高規格救急車が到着する仕組みづくりと、搬送中に患者の状況を
   医療機関に画像伝送する仕組みづくりをすることを決め、消防局等の関係部署と民間通信事業者、医師会などが話し合う
   機会を儲け現実的な話を詰めていく。
   さらには、高度な脳神経医療や回復リハビリ治療が受けれる環境づくりを行うなど、脳卒中の予防から発生、回復まで
   の対応を時系列的に追いかけていきながら、どうすれば最善の策になるのかを組み立てていく。

 ここまで詰めるのは基本構想ではなく行動計画だといわれる御仁もいるかもしれないが、貴重な税金を使ってつくるのだから「絵に描いた餅」にしてはならないということである。

 このように考えていくと、行政だけでは完結できないことに気づく。
 もはや、まちの未来は行政だけが担えるものではないということに気づくべきだ。

 話を戻すと、トップダウン的に大きな目標を下ろし、関係部署でそのプランを出しながら、庁外の関係者の声を聴いておく。
 できあがった素案を都市経営戦略本部に持ち上がり、場合によっては設定した目標を変更する柔軟性を持ちながら整理していく。
 そして、その案をタウンミーティングなどを利用して、市民の声も幅広く聴いてみる。

 時間はかかるし、手間もかかる。

 だが、ぶれないビジョンが出来上がる。
 そして、このビジョンを具現化したアクションプランを細やかに評価し、軌道修正をしていく。
 予算化も、このアクションプランを優先する。

 木っ端役人が考えるビジョンのつくり方の一提案である。

 でも、市民のお眼鏡には適うのではないか...

もがきつづける君へ

2011年08月16日 22時30分15秒 | 悩める君へシリーズ
 今夜、久しぶりに役所の後輩と「メシ会」をした。

 時間が過ぎるとともに、愚痴に近い本音が出てくる。
 彼の年齢は、40歳。
 孔子はこの歳を「不惑」といった。

 しかし、自分も経験があるが、とてもてとてもそんな領域に達することはできない。

 彼を迷わしているものは何か?

 恐らく、彼自身だと感じた...
 彼自身、人生でいうと、大きな分岐点に差し掛かっている。
 なにかわからないが、「このままでいいのか」という自分と「このままでいいんじゃないか」という自分がいて、
 「もっとやれるはずだ」という自分と「もうやれないのか」という自分が激しくぶつかり合っているのかもしれない...

 つらいのであろう、苦しいのであろう。

 自分が置かれている立ち居地が、不満なせいもあるのかもしれない。

 全てのものを受け入れて、飲み干す度量を持つにはもう少し時間が要るのかもしれない...

 場面は変わって
 同じような年齢の中小企業の社長から電話がかかってきた。

 悩みを聞いてほしいというもの。

 内容は、5年前の自分と今の自分がちがうんだろうかというもの。
 というのは、5年前なら攻撃的に挑戦していたことが、今はサービス評価よりも金額的評価が高くなり、その精神が薄れている自分がいる。
 この変化は、なんなんだろうという悩みである。

 この相談には、価格競争に巻き込まれサービスの品質が落ちてしまうのではないかという恐怖感にも似た心理が働いているのではないかというアドバイスをした。
 また、現状の中でも、コストパフォーマンスをもっと突き詰められるところがあるのではないかと。

 行政改革を担当していたときに、贅肉を落とすためにぎりぎりの戦いがあった。
 しかし、やりすぎると筋力まで落としかねない状況が起こる。
 その境目が難しかった。
 だから、時間があれば、その担当課まで出向き、状況などを聞く。
 当然、相手は何を削減したがっているかすぐにわかってしまう。
 でも、わざとそうした。
 第三者が削減するよりも、まず担当に努力をして欲しかったからだ。
 なかには、居直って「やれるものなら、やっとうみゃ」といった人がいたので、思い切りやらせていただいた。
 嫌われるどころか、怨念にも近い反発も受けた。

 
 変わることは、怖い。
 だからといって変われない自分をそのままにしておくと、成長なんかあるわけがない。

 今の壁を打ち破るには、変わりたくないという深層心理を打ち砕かない限り前進はできないのである。

 「常に、自分は変わるんだ」という強い信念をもつことが大切なのである。

 昨日よりも今日、今日よりも明日。
 ちがう自分を自分自身の手で創りあげない限り、その答は見出せないであろう...