走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

4人の瞳

2007年03月22日 12時20分49秒 | その他
★☆★ 島の卒業式

 今日、市長代理として高浜港からフェリーで20分くらいのところにある興居島の泊小学校の卒業式に行ってきました。

 卒業生は4名(男子3名、女子1名)、在校生は11名という小さな学校の卒業式でしたが、とても心温まるものでした。
 子どもたちも純朴で、昔、山の小さな卒業式や入学式にばかり出ていた先輩から、その良さを聞かされていましたが、自分が経験できるとは思っていませんでした。

 温かい雰囲気と子どもたちの成長ぶりがスライドで流されるのを見ていると、つい目頭が熱くなりました。

 地域にとって子どもが宝であるとよく言われますが、過去に3クラスもあった学年が今では複式学級になっている様を見ると、大事に育てることと、子どもたちが増える政策が何よりも大事だなと思ってしまいました。

 まちの活気は、まず子どもたちや若者であふれるようなまちづくりだなと、改めて思った一日であります。

マイスターの引退

2007年03月20日 23時34分07秒 | その他
☆☆☆ 残念な引退

 今夜、生石公民館の加藤公民館主事の送別会が催されました。
 加藤さんは、33年4ヶ月市役所職員として勤務されたのでありますが、この間、教育委員会畑一筋にがんばってこられた方であります。

 配属先は、今の人権関係の部署の他に、野外活動センター以外は、すべて社会教育部門で汗をかかれた方であります。
 私にとっては、心強いアドバイザー的存在でありましたが、とうとう退職を向えてしまいました。

 過去には、加藤さんのような社会教育畑のエキスパートというか、マイスター(職人)のような方が多くおられましたが、人事管理制度の改正などにより、こういった方々がいなくなり始めました。
本当にさびしいような気がします。

 どうか、引退後も地域活動に参画いただき、我々後輩たちを応援していただければと思います。

 加藤さん、長い間ご苦労様でした。

企業の力

2007年03月20日 22時22分13秒 | その他
☆☆☆ 子供の見守り活動

 NTTグループから見守り活動に協力したい旨の要請があり、本日、同社の車輌300台に見守りステッカーを貼っての出発式がありました。

 酒井事業本部長の挨拶の後、警察関係者、石丸教育委員会事務局長、角田松山市小中学校PTA連合会長の挨拶の後、ステッカーを貼った車輌が街の雑踏の中に消えて行きました。

 このように、最近、様々な企業から子供達の安心安全に協力したいとの申し出が多くなりありがたく、また子どもたちのための高邁な活動に対しまして心からお礼を申し上げます。
 また、当社もぜひ協力してもいいという企業がありましたら、私までご連絡をお願いします。

叶不(かなわず)

2007年03月18日 17時39分49秒 | その他
☆☆☆ 重森 三玲(しげもり みれい)

 今日、NHKの番組で昭和の名庭を創りあげた重森三玲氏の番組をやっていました。
 彼は、岡山県の生まれ。日本美術学校で日本画を学び、いけばなと茶道を研究したそうです。大正6年 (1917年) に画家を志して上京したのですが、全国から集まった画家の才能に意気消沈したそうです。昭和4年 (1929年)、京都に移り住むと、翌年には勅使河原蒼風らと共に「新興いけばな宣言」を発表、いけばなの革新を世に提唱し、昭和24年 (1949年) には前衛いけばなの創作研究グループ「白東社」を主宰、またその後前衛いけばな誌「いけばな藝術」を創刊しました。

 その後、室戸台風を契機に庭園の記録がないことに危機感を抱き、その行動として全国500箇所にさまざまな時代の名庭を実測し、その中で庭園を独学で学ぶこととなりました。
 また、彼が作庭した庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園が特徴的であるとされ、代表作に、東福寺方丈庭園、光明院庭園、大徳寺山内瑞奉院庭園、松尾大社庭園などがあります。

 昭和14年 (1939年) 『日本庭園史図鑑』26巻を上梓して庭園史研究の基礎を築き、また昭和51年 (1976年) には息子の重森完途と共に『日本庭園史大系』全33巻 (別巻2巻) を完成させるなど、庭園史研究家としても造園史に多大な功績を残しました。
 今も、国宝級の改修が行われるときには活用されているそうです。


★☆☆ 叶不

 番組の中で、彼の弟子の人が出てきて三玲からもらった本に「叶不(かなわず)」と書でかかれてあるものを見せてくれました。
 「夢は叶わない」という意味ではなく、常に夢を追いかける姿勢があれば更なる成長があると言う意味だと思いますと解説しておられました。
 「夢を追いかけること」の重要性、更には「追い続けること」の重要性を学ばさせていただいたような気がします。

中島文化祭

2007年03月17日 17時36分22秒 | その他
☆☆☆ 島の文化祭

 市町村合併で中島町が松山市になり、その中島公民館の文化祭に出かけてきました。
 高浜港からフェリーで1時間くらいかけて到着すると、快晴で風もなく温かい日差しに恵まれた文化祭日和でした。
 気のせいか行きのフェリーも満杯で、なんだか文化祭のためのお客様のような気がしました。

 港から徒歩で5分くらいのところに中島文化センターがあり、公民館はこの中にあるため、文化祭の会場も同センターで開催されており、書道や陶器などの作品展示の他にカラオケ大会など多彩な行事が開催されていました。


☆★☆ 坂本冬美さん

 一緒に行ったA君とお茶を飲んでいると、演歌歌手の坂本冬美さんが現れました。
 小柄で華奢な坂本さんは、テレビで見るよりもとても気さくで、周囲の人たちに愛嬌を振りまいておられました。
 なんだか、得な思いをしたのは私だけでしょうか。 

娘の誕生日

2007年03月13日 22時30分21秒 | その他
☆☆☆ 娘、18歳の誕生日

 今日は、娘の菜衣(なえ)の誕生日です。
 今月1日に高校を卒業し、あと半月くらいで私たちのもとを巣立っていきます。
 娘ができたのは、結婚して7年目でありました。
 待ちに待ってできた娘が、まもなく私たちから離れ、東京住まいを始めます。

 思えば、私が娘と同い年の時には、すでに父が死んでいました。
 ちょうど1年くらいしかたっていない時期ですから、まだまだ親父の死を引きずっていたような気がします。
 そして、岡山ですが大学に行くために親元を離れなければならないことに対して、迷っていました。
 お袋の身体が丈夫でなく、またお袋も親父の死を引きずっていることをわかっていたからであります。
 お袋の方も私のそのような迷いがわかっていたようです。


☆☆★ たった1回の「さようなら」

 そして、とうとう明日、家を出て行くという日、お袋は私に自分の前に正座するように命じました。
 「なにを仰々しい」と思いながら、あまりにも真面目なお袋の顔に、正座をせざるをえなくなりました。
 「なに?」
 「明日、お前は出て行く。その時に『さようなら』を言う。そして、大学卒業時にこちらに帰ってこない時、やはり『さようなら』を言う。それから、嫁さんをもらう時、やはり『さようなら』を言う。そして、順番では私が先に死ぬから、やはり『さようなら』を言う。面倒くさいから、まとめて『さようなら』を言っていけ。」

 最初は笑っていた私も、お袋のあまりの神妙な顔に、「さようなら。」と言ってしまいました。
 でも不思議と背負っていたものが、フーとどこかに飛んでいき、気持ちが軽くなったのを覚えています。

 私も娘に、このときのお袋の覚悟のような気持ちになり、「さようなら」が言えるだろうかとずっと考えてきました。
 しかし、なんとなくですが、最近、言えるような気がしてきました。
 

なんで僕の時に

2007年03月12日 02時19分24秒 | その他
★★★ 心当たりありますか?

 今、私の職場ではさまざまな改善に向けて準備を始めています。
 よくよく今回の改善の必要性について考えてみると、約60年前に公民館の礎となる制度が出来上がり、時代の変化とともに今までにもさまざまな改善が行われてきたのです。
 でも、それは対処療法的なものだったのかも知れません。
 また、それを繰り返していくと根本的な治療が行われていませんから、どこかで制度疲労が発生します。
 それが、今、私たちが抱えている現状なのかもしれません。

 では、なぜ根治療をもっと早くしなかったのか?
 それは、する必要がなかったのかもしれません。
 右肩上がりに経済も人口も伸びていた時代、地域活動もお金に困らなかったはずですから、なんとか事業が出来たのだと思います。
 また、それを支えるだけの背景があったと思うのです。


★★☆ なんで僕の時に

 そして、今、私たちはさまざまな制度疲労を含めた根治療に立ち上がろうとしています。
 そんな時、ある部下から「なんで僕の時に...」というぼやきが出ました。

 この時に、この事態をどう捉えるかで後の職員生活が決まってくると思うのです。
 誰しも、人に嫌われたり、地味な仕事は嫌だと思います。
 嫌だからやりたくないで先送りする人間になるか、真正面から取り組める人間になるかで、その人の価値が決まると思うのです。
 あなたは、どちらですか?

 私は、元来、貧乏症のためか、つい向き合ってしまって、「しまった」と後で後悔するタイプです。
 でも、その時は既にスタートしていますから、後に引けないというのが真実なのです。
 つまり、自分で自分を追い込むタイプなのです。


★☆☆ ポジティブに捉えられますか?

 「つらいこと」を「楽しく」、「楽しいこと」を「より深く」。
 これは、去年、私が現職についた時に部下の人たちに話した中の一つのフレーズです。
 おそらく、ぼやいた部下はこのことをすっかり忘れていたのだろうと思います。
 
 そして、「楽しい」と思わすことが出来ない私の力不足かもしれません。

 どんなときにも、どんなところでも苦境に立たされることはあります。
 その時に、逃げないで立ち向かえるコツは、必死の形相で立ち向かうのではなく、少し肩の力を抜いて、「これはチャンスだ、自分自身が成長するチャンスをもらえたんだ。」と頭を切り替えれば、結構、クリアできるものです。

 クリアするのに、立ちはだかった壁を力まかせに倒すのではなく、素材が何でできているのか、厚みはどのくらいなのか、よく調べてから立ち向かう方が効率的と思いませんか。
 また、今の自分の力量でないとわかれば、その壁を打ち破ってくれる人が来るまで待つというのも得策かもしれませんね...

 そういえば、私の座右の銘は「他力本願、相手のふんどしで相撲をとる」です。

荏原地区文化祭

2007年03月11日 23時56分25秒 | その他
☆☆★ 文化祭に行ってきました。

 松山で二番目に南にある公民館の荏原公民館の文化祭に行ってきました。
 30回目という節目もあり、「らくさぶろう(松山ではなかなか人気のある芸人)」を読んだり、豪華景品ありのにぎやかなものでした。
 会場の公民館は少し狭いのですが、多くの人たちでごったがえしていました。

 午後からは、議会の局内勉強会があったため、急いで帰ってきたために写真を撮るのを忘れていたのですが、公民館主事の白石君が撮ってくれていたようで、今日はこの写真を使わせてもらいました。

朋友、遠方より来たる

2007年03月08日 23時04分47秒 | その他
☆☆☆ 人儲(ひともう)けしました

 今日、NPO Eyesの横山代表から紹介したい人がいるということで、連絡がありました。
 私たちの共通の友人であります、AKさんからの紹介と言うことでした。
 AKさんの紹介と聞くと、なぜかワクワクしてしまいます。
 AKさんの紹介で外れた事がないからです。
 「外れる」と言うのは、私の中では、価値観は個々人で異なるわけですが、その価値観を近づけながら共通項を見出そうとします。その時にどうしても近づけようとしても近づけられない人がいます。
この時に、私は自分の中で「外れる」と表現してしまいます。

 そして、今日、お会いした㈱オークセール(http://www.aucsale.com/jsp/company/index.jsp)の福島代表は、久しぶりにワクワクできる人でした。 
 初対面なのに、色々なお話ができ、ほんの短い時間で充実した内容の話ができました。
 いわゆる「志」をもつ人の話は、面白い。

 イメージとしては、「経世在民(けいせいざいみん)」を地でいく企業人でした。
 「経世在民」の意味は、「世の中を治め、人民の苦しみを救うこと。」なのだそうですが、私の勝手な解釈は、「利よりも先に、世のため、人のために働くことで、後から利がついてくる。そして、その利を、また世の中ために還元する。」そういうことではないかと思うのです。

 過去に多くの企業人とお会いしましたが、口や考え方ではこのことを言われる人を見てきましたが、これを行動に移されている人はあまりにも少ないと思います。
それは経営が本来、利益追求をすることが目的でありますし、それをしないと株主に対しては背任行為になりますから限界があろうとは思うのです。

 では、この福島さんはどのように行動に移されているかというと、自分でできることから始められておられます。
 例えば、企業としてインターンシップを受け入れ、そして、徹底して社会人として、また働くという意義みたいなものを徹底して教え込まれるそうです。
 それは、青田買いのため?
 いえいえ、縁あって知り合ったのだから、中途半端な付き合いではなく、国家のためにどういう人材になっていただきたいかを中心において育てられるのだそうです。
 社員教育も同じだとも言っておられました。
 自社のためになる前に、国のために、世の中のために必要な人材になれと。

 久しぶりに感動しました。
 福島氏は、私よりも年齢で言うと10歳も若い。
 私は、10年前にこのような考え方には立てていませんでした。

 また、福島氏はここまで順風満帆にこられたわけではありません。
 大変なご苦労をされた苦労人であります。(初対面で自分の過去の失敗談や苦労話をしてくれる方は珍しいのですが)
 だからこそ、こういう行動ができるのかなと、思ってしまいました。

 AKさんのおかげで、今日も人もうけしちゃいました。
 

夢は、汗をかいた量だけかなう

2007年03月06日 19時40分04秒 | その他
☆☆☆ 3月6日 日経新聞の文化面

 今日の文化面は、愛媛県城川町(現:西予市)のギャラリーしろかわ館長・浅野幸江(あさのゆきえ)さんの話が掲載されていましたので、紹介します。

 今では、すっかり有名になった「かまぼこ板の絵展覧会」は毎年12,000点程度の応募があり、人口4,600人の町に年間2万人の来館者が訪れるという、文化で町おこしをした顕著な例であります。


☆☆★ きっかけ

 同ギャラリーは、1993年に開館した当時は普通の美術品を展示するものだったという。
そうなると、だんだん来館者が減り続け、カンフル剤としてミニ講演会を企画し、2回目に呼んだ洋画家の折笠勝之さんが「お土産です」といって持ってこられたかまぼこ板5枚に描かれたピエロの絵がきっかけになったという。
その絵を最初に見られた浅野さんは、「かまぼこ板がルーブル美術館の名品のようになっとる!」と深い感動を覚えたそうだ。
 実は、この感動が私は感性だと思うのです。
浅野さんは、ずっとギャラリーの来館者を増やす方法について考えられていたと思う。
だからこそ、この5枚のピエロの絵とそれがかまぼこ板に描かれていたというユニークさにピンときたに違いない。


☆★☆ かまぼこ板が里帰り

 同町は、林野率82%という山間地であります。
 間伐されたスギが海辺でかまぼこ板になり、それが第二の人生として絵の素材として生まれ変わり、里帰りするとのこと。
すごくロマンがあると思いませんか。

 「絵はいつでも、誰でも描けるから」と、展覧会の開催を提案したところ「こんな過疎の町から全国発信など無理だ」と周囲の反応は冷ややかだったそうです。
この当たりも、ドラマのシナリオのように、後の成功を予言するような雰囲気であります。
 常に、新しいことをする宿命のような話しでもあります。


☆★★ さまざまなドラマ

 当初、予算がなかったためにPRも全国の教育委員会などに片っ端からチラシを送ったといいます。
 しかし、兵庫県だけは阪神大震災の後だけに遠慮をしていたそうです。
でも、兵庫県から555点もの作品が集まったそうです。
西宮市の小学校からは「子どもの心を和らげることができないかと考えていた。わずかなひと時でしたが、1月17日以前に戻れた楽しい時間でした」と手紙が添えられていたそうです。

 「うららかな頃に」と題した猫の絵を描かれた大阪府の中沢裕美さん。
 礼状を送ったときには、裕美さんは急性骨髄白血病で亡くなられていたそうです。応募を知らなかったご両親は、礼状を見て驚かれ、ギャラリーを尋ねてこられたそうです。
 そして、案内をしようとした担当者にご両親は、「自分たちに探させてください。」と言って、長い時間をかけて探し当てたそうです。


★☆☆ 何気ないことが、かけがえのないこと

 私たちは、いつも何気なく仕事をしてしまうことが多い。
 でも、相手側には、このようなドラマがたくさん生まれている可能性があります。
何気ないことが、かけがえのないことにつながっている可能性があるということを私たちは意識する必要があります。
 そして、浅野さんが言う「夢は、汗をかいた量だけかなう。」ということを忘れてはならないと思いました。
 

 

個人の功名など小さなこと。

2007年03月05日 05時35分50秒 | その他
☆☆☆ 足跡について

 前職の関係の事業が進みだしたと報道がありました。
 私の方は、今の仕事に追われ、余裕がなかったためにS先生や関係者の皆さんに非礼をしてしまいました。

 後日、「あなたの残した足跡が、花を咲かせましたね。」と言ってくれた人がいるのですが、実は私はきっかけだけを作っただけで、形にしたのは今のスタッフであり、彼らの力だと思うのです。
 これは、とっても凄いことで、大変苦労しただろうなと思います。

 また、「せっかく自分が取り組んだのに、寂しくないですか?」と聞く人もおられましたが、武田信玄の四名臣の一人と言われた内藤昌豊の話を挙げ、私の姿勢を示させてもらいました。

 
☆☆★ 内藤昌豊の話

 昌豊は、その生涯において数え切れないくらい功名に輝いたが、なぜか信玄からは一通も感状を受け取っていない。
 そのことに関して、それでいいのかと人に聞かれ、昌豊は次のように応えたといいます。

 「合戦は大将の軍配によって勝利を得るもので、個人の手柄にこだわることなど、小さなこと。」といったと言う。

 私は、仕事をするとき、いつもこのことを気にとめながら行っています。


☆★☆ うれしい話

 今回の事業が進めば足の不自由な人たちにとっては光明がさすことになります。
 事実、私の友人もこの話を聞いて、子どもたちのために、早速、登録しましたというメールをいただきました。
 何よりもこのことが一番うれしいことなのです。
 歩いたことのない子どもが歩けたとしたら、さまざまな可能性が生まれます。
 すごいことだと思いません?
 私たちは、地域や住民のためになることができれば、個人の功名なんて小さいと思いませんか。

浮穴公民館文化祭

2007年03月04日 22時44分25秒 | その他
☆☆☆ 第二弾

 今日の二つ目の文化祭は、先ほどの坂本公民館からはさほど離れていない距離で、スクーターで10分くらいの離れた場所です。

 重信川の河川敷に面した、浮穴公民館もぽかぽか陽気で人の出がよく、それまでに苦労して準備をした公民館主事の労が報いられたようなお天気でした。

 後で、担当の主事からお礼メールが入ってきたのですが、前日の準備に前の担当者が手伝いに来てくれてありがたかったという内容でした。

 公民館主事たちの間では、このように前の担当者のアシストやブロック内のアシストが増えているような感じがして、頭が下がります。
私は、口では「互いに助け合うように。」と偉そうなことを言っているのですが、実践をしているわけではないので本当に口先だけで、実践している公民館主事たちには頭が下がります。

 それから、忘れてならないのが、他課に出て行った職員も手伝いに来てくれているということを聴くと、お礼を言わないといけないと思うのですが、結構、不義理を欠いています。

 メールでしかお礼がいえないのですが、そういうケースの時には私まで一報をお願いします。

坂本公民館文化祭

2007年03月04日 22時33分20秒 | その他
☆☆☆ 滑り込みセーフ

 松山で一番南に位置する坂本公民館の文化祭が坂本小学校でありました。
 日曜日ということもあって、40分の余裕を見ていたのですが、実際は私の家(三津浜という松山の西に位置するところにあります)からスクーターで45分もかかってしまいました。
 なんとか、来賓紹介には間に合いましたが、これからは気をつけようと自己反省したところです。

 暖冬ということもあり、人の出もよかったようです。

ボランティアの活用について

2007年03月03日 23時32分01秒 | その他
☆☆☆ 生石小学校のユニークなモデル事業

 今日は、放課後の子どもたちの居場所として、小学校のOAルームを活用し、地元大学生のボランティアのお兄ちゃん、おねぇちゃんたちが子どもたちの勉強を見るというモデル事業を教育長と一緒に見させていただきました。

 ツールとしては、各教科の単元別レベル別(三段階)に分かれたものがバーコードで表示してあり、子どもたちが自分でそれを選ぶと、それに該当するプリントが出てくるというものでした。
 大学生のボランティアは、そのプリントの答あわせをするのですが、当然、子どもたちが悩んでいれば、すばやくアシストに入るといった雰囲気です。
大学生のボランティアたちは複数いましたので、このような細かなアシストができるのです。

 このモデル事業は、放課後対策にボランティアがどの程度活用できるものかを検証するものでしたが、子どもたちの表情も教えているボランティアの人たちの表情もとてもいいものでした。


☆☆★ 目線の高さ

 この事業を見ていて驚いたのは、ボランティアの人たちが自然にひざを折り、子どもたちの視線にまで降りて教えていることでした。
 また、服装がカジュアルなため、年齢の近さと相俟って子どもたちには、すごく親近感を覚えるのだろうなと思いました。


☆★☆ 学ぶ心を揺さぶる

 子どもたちは、得手なところだけをやるのかなと心配していましたが、結構、不得手なところにもチャレンジしていました。
選択権は本人にあるのですが、「不得手なところだけやるの?」という質問には、「その日の気分!!」という答が返ってきました。
なるほど、であります。
 そして、自分で学ぶという意識が確実に芽生えているなと感じ取れました。
 実際にやっている子どもたちに聞くと、勉強をしているというイメージではなく、ゲーム感覚でやっているような感じでした。
 社会教育を学ばさしていないか、この子どもたちに教えられ反省させられました。