走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

あったかいものづくり

2008年09月30日 22時13分08秒 | その他
 地域ICT推進協議会の開催

 本市では、総務省の地域ICT利活用モデル構築事業を昨年度から認定を受け、ICTを活用した地域活動の活性化方策に取り組んでいます。

 しかし、ICTを前面に押し出すと地域では受け入れてもらえません。
ICTは、どこまでいっても手段や手法になっても、地域活動を直接的に元気にするものではありません。
 どこまでいっても、主役は人なのであります。

 そこで、有識者で構成する推進協議会が今日開催されたのですが、今年度は予定より事業予算が大幅に減額されたこともあり、地域ボランティアの人材データベースやボランティア・ポイントシステム、そして動画コンテンツを配信するしくみづくりを実証実験する予定であることを説明させていただきました。

 事務局説明は短時間で済ませ、ほとんどを協議(フリートーク)の時間に当てました。
 各委員のお話を聴かせてもらいながら、新たな発見がいくつかありました。
 そして、なによりもデータベースの構築が無機質になりかねない可能性があるので、ヒューマン的な価値を付加して欲しいという意見が印象的でした。

 常に人を中心にし、何事も人が動くような仕掛けを心がけて欲しいという委員の言葉を肝に銘じながら、システムの再構築に取り組んでいこうと決心しました。

直感力

2008年09月29日 23時40分44秒 | その他


 今日、ある人の紹介で姓名判断をしている人がいるというので、興味津々、お会いしてみました。

 そして、まず名刺交換をさせていただいたのですが、いきなり長男ですねと言い当てられてしまいました。
それは、親をみる名前だと思ったからだそうです。
 そして、席につくなり、次々と私の性格を当てられてしまいました。

 内心、「凄い」と思いながら、話を聞かせてもらいました。
 成功するためには一定の法則があって、名前の最初の文字と最後の文字に、その法則があるそうです。
 話は、私の前世の話までいたり、あまりそういうことを信じない私が、思わず前のめりでその話に聞き入ってしまいました。

 そして、「直感」を信じられた方がいいですよとアドバイスされました。
過去に直感で行動した時と考え抜いた時とでは直感で動いた方が成功していませんかと尋ねられました。
 そういえば、そういえばであります。
 私の場合、「下手の考え休むに似たり」かと改めて認識してしまいました。

 でも、「直感」というのは、以前にも書いた気がするのですが、平素の積み重ねから出てくるものであります。
ですから、時間をかけて、あれこれ迷って失敗するよりも、直感を信じて行動する方がうまくいく例が多いようです。

 占いなどあまり信用しない私ですが、ときどき自分を軌道修正するにはいい機会かなと、つい思ってしまいました。

泊校区運動会

2008年09月28日 20時03分38秒 | その他
 島の運動会

 今日は、高浜港からフェリーで15分ほどで着く興居島の泊校区の運動会に行ってきました。

 ちょうどラジオ体操が始まったところでした。
 ここは、泊小学校の卒業式に二年続けて出させていただいた縁もあって、馴染みのある地区です。

 でも、本当に子どもたちの数は少なく、写真はその子どもたちが水軍太鼓の演奏をしてくれているところです。(手前は、石丸公民館主事です。)
役員の方も家族総出で協力いただいているようなケースもあるようです。

 そして、何よりも高齢化が進んでいる地区ですので、運動会の花でありますリレーがありません。(おそらく、お年寄りが多いために走っていて怪我をするといけないという配慮からだと思います。)
 でも、ゲートボールや簡易ボーリングなど、他の地区ではみられない高齢者になじみのある競技がプログラムの中に入っています。

 みんながいつまでも元気でいられるためにも、運動会は地域にとっては大切なイベントだと帰りのフェリーの中で改めて感じました。

今村克彦という人物

2008年09月27日 20時30分42秒 | その他
 すごい講師

 今日の午後から松山青年会議所と松山市との共催で行っています「松山市民シンポジウム」に出かけてきました。

 一部の講演の講師は今村克彦(http://ethankki.exblog.jp/)さんでした。
 恥ずかしい話ですが、今日まで今村克彦さんを知りませんでした。
 そして、オープニングの紹介ビデオは、今風に言うと超ドハデな感じで、その派手なパフォーマンスに少し閉口しました。
 そして、今村さんの登場です。
 内心、「やっぱり!!」と感じました。

 でも、講演を聴いている内に見事に私の第一印象を裏切ってくれました。
 その熱い思いと厳しさの中にあるやさしさが、私だけでなく聴く人すべてを感動させたことでしょう。

 まず、彼のプロフィールをホームページを引用しながら紹介します。

 元教師。講演家であり、作曲家。ミュージシャンにして、執筆家。
 イベントクリエーターにして今村組最高顧問。それが今村克彦さんの顔であります。

 教師生活24年の長きにわたる彼の実践は、教育界でも大きな注目を浴びながら、2006年4月「教育者」であり続けたいために、安定した公務員「教師」を捨て、野にくだった。51歳。

 彼は自らを「共育者」と名乗る。彼の信念はここにある。

 今村さんが出会って来た子ども達や大人達の感動の秘話や彼自身の生い立ち、又深い理論と洞察力に裏打ちされた教育論、子育て論は他のどの教育講演をも凌駕する内容です。

■講演内容
 24年間小学校教諭だった今村克彦さんの実話からくる感動の講演でした。
 最後は、恥ずかしいくらい涙が出てきて止まりませんでした。
 話の中で共感したことを以下に簡単にまとめまてみます。

 「敬語」は心の現われ。
 心から敬服しない限り、敬語は出てこない。(最近の子どもの言葉遣いの乱れを大人が指摘するけれど、その大人がしっかりと子どもたちと向かい合っているのか)

 また、子どもを変えようとばかりするけれど、親が変わらなければ子どもは変わらない。

 親の子どもに対する欲求は際限がない。
 しかし、それを押付けすぎる親があまりにも多すぎ、そして自覚していない。

 子どもはとにかくほめてやって欲しい。(日本人は、褒め方ベタ)

 [駄目な親とは?]
  ・ほめない親
  ・話を聴かない親
  ・励まさない親(但し、叱咤激励はちがう)

 昔の親は学歴はなかったが、人のありようについては、ことあるごとに子どもに伝えていたと思う。
実は、親として子にしなければならないことは、この人としていかに生きるかを教えることだと思う。

 [3つの躾かた]
  ①あかんもんは、あかんのやを教えるしつけかた。
   (人として、してはいけないことを心がきれいなうちに、
    ちっちゃいうちに教えてください。)
  ②わけを言うて、しつける。
  ③身をもってしめし、やらしてみるというしつけかた。

  この3つは子どもが大きくなるほど、下のウエイトを高めていく。

 もっともっと聴きたい講演でした。本当に今日は得しました。

番町地区運動会

2008年09月27日 19時33分39秒 | その他
 お城下の運動会

 今日は、市役所の東隣にある番町小学校で同地区の運動会が開催されていましたので観に行ってきました。

 ここは、一時郊外に居住者が流出し始めたために、児童数が減ってきました。
 街中が本当に空洞化し始めた時期があるのです。
 それは、まさに過疎地区のような様相でした。

 そういう時に、夜のまちの治安も悪くなり始めました。
 不思議なものです。
 まちの治安が悪くなる原因はさまざまですが、住む人が少なくなることで治安も悪くなるということに気づきました。

 最近コンパクト・シティという言葉をよく耳にしますが、それはインフラ整備というハード的な視点だけでなく、治安や防災という視点からも考察する必要があると思います。

 校区の弾力化プログラムやマンションなどの増加によって、番町小学校も若干ですが子どもたちが増えています。
私にとっては三度目の運動会ですが、観ていても子どもたちの数が増えているというのがわかります。

 私は、子どもは子どもたちの中で育てる方がいいと思うのですが、そのためにも子どもは多くなればなるほどいいと個人的には思います。
 でも、まだまだ少ないのが現実です。
 ですから、ここの運動会は、地区運動会と小学校の運動会の合同開催です。
 そのためか、この地区ではプログラムの中に、小学生と地区の人たちがいっしょに取り組むものが多くあります。
 私も、「大玉ころがし」と「運を天にまかせて(サイコロをころがし、出た色のポールを回るというもの)」の二つの競技に参加させていただきました。
小学生の子どもたちと手をつないで走り回ったのですが、自分では早く走っていると思っていても、側から観ていると足が絡まっていたようです。
しかも、走り終わった後の息切れは、平素、いかに運動不足かがばれてしまいます。

 でも、競技がスタートするまで子どもたちと手をつないでいたのですが、その小さな手から伝わる体温が、緊張からかだんだん上がってくるのが、なんだかうれしかったのは私だけでしょうか。





不思議なご縁

2008年09月26日 22時18分37秒 | その他
 一通のFAX

 昨日出席しました「情報通信による地域活性化セミナー」の記事が地元新聞に掲載されました。

 その記事を読まれた県内のある自治体の職員の方からファックスをいただきました。
内容は、私と同名であり、「なんと読まれるのですか」という質問でした。

 名前というのは、本当に不思議なもので、同名だと気にかかるものです。
私の名前の読み方は当て字のようなものですから、子どものときからまともに読まれたことがありません。

 由来は、父親が好きだった軍人からとったもので、母親が言うには生まれる前から命名されていたということです。(男か女かわからなかったのですが...)
なぜ、命名したかの詳細な由来を聴く前に他界しましたから確認のしようがないのですが、死後、その軍人の伝記を読んだことがあります。
 その中に、乳母の名前が、父親の姉の名前と同姓同名であることを発見しました。
ひょっとすると、ここらあたりにヒントがあるかも知れませんが、本当に確認するすべはないのです。

 でも、名前が同じというだけで、これからお付き合いが始まれば、本当に不思議な縁だと思います。

学校Ⅲ

2008年09月25日 00時12分54秒 | その他
 さまざまな学校がある

 昨日、山田洋二監督の学校シリーズ第三弾がBSで放映されていました。
一作目の『学校』は夜間中学が舞台になっており、二作目の『学校II』は養護学校が舞台でした。
 そして、三作目の『学校Ⅲ』は職業訓練所(技術専門校)が舞台になっています。
前作までと大きくちがうのは、主役が西田敏行さんから小林稔侍さんに替わっていたこと。
しかも、その主役の立場が先生から生徒へと立場が180度違うということです。

 前作よりも、少し恋愛的な要素を織り込みながら、そこは山田監督。
寅さんのようにプラットニックラブの域を超えていません。
でも、惹かれあいながら、成就できない男女の悲恋を淡く描くあたりは、山田監督でしか描けない技だと思いました。

 そして、相手役の女性が大竹しのぶさんだったのですが、この役者さんの不思議なのは映画によって美人になったり、かわいくなったり、ブスになったりと、本当に七変化する方だということです。
 障がい児を持つ母親でありながら、女性を残しつつ、その狭間でゆれる難しい役を見事に演じておられます。

 しかし、山田監督は、本当にさまざまな学校を、このシリーズで世の中に紹介されておられます。
恐らく、なぜ学校が必要なのか、また義務教育だけの学校だけでは足りないのかといった深い思いがあって描かれているんだろうなと思いました。

 人が人をつないでいくためには、どんな立場でも、いくつになっても『学校』は必要なんです。きっと。

がんばれ!!風早オールラヴーズ

2008年09月24日 21時19分29秒 | その他
 夢には障害がつきもの

 このブログで紹介したことのある粟井公民館の青少年健全育成に絡めた事業として硬式野球をやろうという企画ですが、チーム名も「風早オールラヴーズ」に決まり、進み始めました。

 立ち上げるまでに関係者の皆さんには大変なご苦労がありました。
 けれども子どもたちのためにと、本当に献身的に取り組んでおられました。

 そして、チームが立ち上がると、今度は練習場を見つけるのに苦労をしています。
私もそれまで知らなかったのですが、硬式野球には規定の広さがいるそうなのです。
まず、その練習場所探しから苦労されておられるのです。

 さらに、それに加えてさまざまな制度の壁が立ちはだかり始めました。
 単に、子どもたちのためにという純粋な思いから出た行動なのに、さまざまな障害が立ちはだかってきました。

 でも、諦めないでください。
 きっといつか、その崇高な行動は評価されると思います。
 がんばってください。

五明地区体育祭

2008年09月23日 21時58分15秒 | その他
 町民全員参加!?

 今日、松山市の山間部に位置する五明地区の体育祭に出かけてきました。
 過疎化が進む同地区では、世帯数の多い地区とはちがい華やかさがないかもしれませんが、地域の人たちが全員出てきているのではないかと思うくらいの参加率の高さです。

 小学校(五明小学校)の児童も幼稚園(五明幼稚園)の園児も合同参加です。
 そして、それぞれの先生方、更には支所長、公民館長、役員の皆さん、すべて競技に参加しないと人が足りません。
 でも、温かい運動会でした。

 帰り道、コスモスや彼岸花が咲いているのを横目で見ながら、愛車「流星号」を駆って帰りました。
 もう秋の気配が風の匂いにのって当たり一面漂っていました。

おくりびと

2008年09月21日 22時18分21秒 | その他
納棺師!?

 昨夜、映画「おくりびと」(http://www.okuribito.jp/statics/)を観てきました。泣き笑い、そして「死」というものを不浄のものではなく、次の世界に旅立つもんのようなものとこの映画は、教えてくれます。

 物語は、オーケストラのチェロ奏者をつとめる主人公・大悟(本木雅弘)が、そのオーケストラの閉鎖によって無職になってしまいます。
 そこで、大悟は一大決心をするのです。
 帰郷して、仕事を探すことに...
 そして、職を探していて飛び込んできた求人広告は、
 「年齢問わず、高給保証!実質労働時間わずか。
  旅のお手伝い。NKエージェント!!」

 大悟は、旅行代理店と思い込み、面接に出かけていきます。
 社長の佐々木(山崎務)から、
 「あぁこの広告、誤植だな。"旅のお手伝い"ではなくて、安らかな"旅立ちのお手伝い"。」――求人広告を手にNKエージェントを訪れた主人公・大悟は、思いもよらない業務内容を告げられる。それは【納棺(のうかん)】、遺体を棺に納める仕事だった。戸惑いながらも、妻の美香(広末涼子)には冠婚葬祭関係=結婚式場の仕事と偽り、納棺師(のうかんし)の見習いとして働き出す大悟。美人だと思ったらニューハーフだった青年、幼い娘を残して亡くなった母親、沢山のキスマークで送り出される大往生のおじいちゃん・・・そこには、さまざまな境遇のお別れが待っていました!

 遺体を棺に納める"納棺師"。一見地味で触れ難いイメージの職業をテーマにしながらも、ユーモアを絶妙に散りばめて、愛すること生きることを紡ぎだす異色の感動作が誕生しました。ひょんなことから"納棺師"になった主人公が、さまざまな死に向き合うことで、そこに息づく愛の姿を見つめていきます。

 メガホンをとるのは『木村家の人々』『僕らはみんな生きている』でユーモアを、『バッテリー』『壬生義士伝』で感動を届けてくれた、日本映画を代表する監督・滝田洋二郎。脚本には小山薫堂。人気TV番組「料理の鉄人」などの構成作家として活躍し、脚本を手がけたTVドラマ「東京ワンダーホテル」が大きな反響を捲き起こした彼の、初の映画脚本作品としても注目を集めています。そして主人公の心そのままに、時に激しく、時にやさしく、チェロの音色で織りなす感動的な音楽を手がけるのは、名匠・久石譲。また、物語の舞台は山形県庄内平野。名峰・月山を背景に、美しい自然を四季の移ろいとともに叙情的に描き出しています。

 人生に迷いながらも成長していく新人納棺師・大悟を演じるのは本木雅弘。現代に生きる日本人の等身大の姿をコミカルかつ繊細に演じ切ります。本木さんは、本当にすごい役者さんだと再認識しました。予断ですが、彼がNHK超大河ドラマ「坂の上の雲」に主人公(秋山真之の役)の一人として出演してくれるのは本当によかったと思うと同時にスタートを心待ちにしています。大悟の妻・美香を演じるのは広末涼子。夫の仕事に嫌悪感を抱きながらも、やがて彼を理解し尊敬していく妻を、透明感あふれる自然体の演技で魅せてくれます。そしてベテラン納棺師・佐々木を演じるのは、飄々とした風貌と深みのある演技で圧倒的な存在感を放つ山努。さらに『ホテル・ハイビスカス』の余貴美子、『佐賀のがばいばぁちゃん』の吉行和子、『武士の一分』の笹野高史など、多彩な演技派俳優が勢ぞろいし、名実ともに実力派キャストの競演が実現しました。

 人は誰でもいつか、おくりびと、おくられびと――。
あなたは大切な人を、どう“おくり”ますか? そしてどう“おくられたい”ですか?
すべての人に普遍的なテーマを通して、夫婦の愛、わが子への無償の愛、父や母、肉親への想い、友情や仕事への矜持などを描き出す本作が、観るものに笑いと涙、そして大きな感動を、必ずや与えてくれることでしょう。

 ぜひ、あなたも、この抱腹絶倒と涙がとまらない映画「おくりびと」を観に行ってみてはいかがでしょう。

期待値から

2008年09月16日 21時44分22秒 | その他
 それなのに、それなのに

 今日、あることで他課の後輩を叱責してしまいました。
 彼にも彼なりの言い分があったと思うのですが、問答無用に近い怒り方をしてしまいました。

 自己弁護のようですが、今、上司や先輩が部下や後輩を怒るというのをあまり見なくなりました。
上に立つ者として、下の人たちに嫌われたくないという思いは誰しももっていると思います。

 実は、私もまぎれもなくその一人です。
 でも、許せなかったのです。
 本質がどこにあるのかを見ていないような気がしたからです。
 なぜ、自分の部下でもない彼をここまで怒るのか。

 それは、彼が私の元部下だったからです。
 人事異動で彼を抜かれた時、私はどれほど落胆したことでしょう。
 しかし、どう見ても抜擢人事です。
 憎らしいくらいの的を射た人事でした。

 断腸の思いで彼を送り出しました。
 それなのに、それなのに、何だと。
 怒り出すと止まらない。
 ついつい大きな声も出してしまいました。
 でも、必死で怒ったつもりです。

 例え、今はわかってもらえなくても、いつか、どこかではわかってもらえることを信じて、怒ってしまいました。
 彼のために。
 

携帯電話で痩せられる!? 第三弾

2008年09月15日 11時10分48秒 | その他
 本当かしら

 次に、無駄食いの洗い出しをします。
 まず、間食が減ります。

 これには自分でも驚きます。
 そうすると摂取エネルギーの総量が自ずと減ってきます。

 次に、外食がいかに過度の摂取エネルギーを取っていたかが見えてきます。
すると、なぜか外食に出る回数が極端に減ります。
(付加価値として、当然ですが経済的支出が減ります)

 ここまでで、体重が約5キログラムぐらいが5ヶ月かけて減っていきます。
 一ヶ月1キロを馬鹿にしてはいけませんよ。
 これが継続されれば、その積み重ねで確実に体重が減るのです。
 しかも、自分の身体に警戒されずに減っていくのです。
 つまり、リバウンドしにくい身体をつくりながら、体重を減らしていくのです。

 そして、次のステージについて説明しましょう。

 私は食べ物の写真を撮り続けながら気づいたことがあります。
 それは、ダイエットは食にだけ注視しますが、これは対処療法にしか過ぎないことに気づいたのです。

 つまり、自分の日常生活自体を見直さなければ根治療にはならないということです。
 そこで、始めたのが携帯電話のカメラによる日記の作成です。
 できたら一時間おきに自分の写真を撮るのです。

 これも、ちょっと勇気が要ります。
 でも、がんばってください。
 写真を撮るだけですから。

 こちらも取り続けていて、自分の生活パターンと食べ物に因果関係があることが見えてきます。
運動量が多いときには、当然、カロリーの高い食べ物を自然に身体が求めていることに気づきます。

 このことがわかると、自分がやった運動によってどの程度エネルギーを代謝したかがわかってきますから、摂取エネルギーをそれよりも若干落とすか、次の食事の時に落とせばいいのです。
これは、随分気が楽になります。

 私は、このことを実行しながら、今、83キログラムまで痩せました。
 そして、この話は、まだまだ続きが書けると思います。

携帯電話で痩せられる!? 第二弾

2008年09月14日 20時58分30秒 | その他
 本当かしら

 それは、禁煙とダイエットの違いだと思うのです。

 私は、若い頃、タバコを吸っていて禁煙をした経験がありますが、禁煙はある時点を過ぎるとまったく欲しいと思わなくなります。
それは、タバコがあってもなくても生命を脅かすことがないからです。

 でも、ダイエットは過度のやりすぎは生命の危険を脅かしかねないということです。
そうなると、体内から維持しようとサインが送られ、ひどい時にはリバウンドを引き起こしかねません。

 今回、ダイエットをしてみてよくわかったことは、自分との戦いなのです。
それは、自分という身体に対して、地道にコツコツと説得するという戦いなのです。
つまり、このダイエットは、生命を脅かすものじゃないよと語りかけるものでないと成功しないのです。

 そこで、「痩せよう」という宣言をしないことにしました。
 とにかく、自分の食生活を徹底して分析してみようという目標を掲げました。
 それには、書くというよりも撮るという行為の中で、いつでも分析できるという柔らかい取り決めを自分とします。

 三食だけでなく、間食もすべて撮りまくってください。
 最初は、周りに人がいると恥ずかしくて、少し勇気が要ります。
 でも、痩せるためと割り切って、少しの勇気を出して撮りましょう。

 そして、必ず食べたものを振り返りましょう。
 いくつかのことに気づき始めます。
 このときはヘビーすぎたとか、このときは量が多すぎたとかいったことが見えてきます。
 ここでは、反省しなくてもかまいません。

 その内にあることに気づきます。

 ⇒つづく

携帯電話で痩せられる!?

2008年09月13日 20時15分09秒 | その他
 本当かしら

 私は体重がピーク時に93キロまで太ってしまいました。
 人間ドックの時には、当然、怒られるという状況が続き、それでも頑(かたく)なに太り続けていたのです。

 しかし、ある時、書店で記録するだけで痩せられるといった本を手にしました。
 それには、運動をしなくていいと書いてありました。
 実は、太りすぎて運動のみでやせようと思うとかなりのカロリーを代謝しなければ痩せられないということくらい、私にもわかっていました。
また、運動をやりすぎると、まず膝に支障がでます。(太ると、こじ付けがうまくなり、何かにつけいいわけをします。なんとグウタラな人間であろうか。)

 そこで、入りを減らそうと考えていました。
 それには、その日食べたものを徹底して記録しなさいというものでした。
 なるほど、なるほど。
 そして、記録をつけ始めました。
 日記をつけても三日坊主で終わる私も、これならと三ヶ月くらいは順調に続きましたが、メモ帳などを忘れる機会が増え、これも危うくなり始めました。
 「いかん、このままじゃあ、いつもの中途半端で終わってしまう。」

 苦肉の策として思いついたのが、携帯電話についているカメラ機能を使うというものでした。
つまり、携帯のカメラで口にするものをすべて撮りまくるというものです。

 ここで、少し横道に話がそれるのですが、これを始める時に自分が一日に取れるエネルギーが何キロカロリーなのかを頭の中にインプットしておいてください。
24時間に取れるエネルギー量から食べたカロリーを引き算していくわけです。
 一日に代謝するエネルギー量より摂取したエネルギー量の方が多いときには、必ず貯金のように悪玉コレステロールがたまっていくというとです。

 この計算は、実は誰でもわかることなのです。
 じゃあ、なぜできないのか。

 ⇒つづく

小さな出来事

2008年09月12日 22時45分12秒 | その他
 感謝

 先日、母のことをこのブログに書いたら、心配メールが届きました。
 書いていつも後悔します。
 いらぬ心配をかけてしまったと...

 今日、うれしいものが届きました。
 写真の10円饅頭をいただいたのです。
 しかも、黒糖味の一口大の饅頭です。

 母のことを心配してくれた人が「何かできないか。」と申し出てくれました。
 「何もありません。」と丁重にお断りすると、「せめて何か食べれるものはないか。」と再度、尋ねてくれましたので、この饅頭の話をしました。

 母は、手術をしてから、思うように食べ物が食べれません。
 そのせいか急に思い出したように、「あれが食べたい、これが食べたい。」と子どものようにせがむようになりました。
 そして、先日出てきたのが、この写真の饅頭であります。

 自分に時間がないことと、少し離れたところに販売店があるため、すぐに買いに行くには難しかったのです。
 そのせいか、この質問に、ついこの饅頭のことを口にしてしまいました。

 そして、今日、その人もわざわざ遠くまで買いに行ってくれたようです。
 とてもうれしく、久しぶりに、人の心の温かさを感じました。
 小さなことかもしれませんが、大きな心の優しさだと感じました。

 私は、最近、この心の温かさや優しさに気づかなくなっていたような気がします。麻痺をしてしまったようです。

 それをこの小さな饅頭が思い出させてくれました。
 母といっしょに、この小さな饅頭を口にほおばりながら、人の温かさまで味わいました。

 そして、母は「敬老の日が近いけん、こうてきてくれたんけ。」と聴いてきたので、「そんなとこよ。」と受け流した私でした。