走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

地域に愛される部下

2008年01月31日 21時20分24秒 | その他
☆☆★ 花嫁探し

 私の部下に独身男性が数名います。
その中の一人に地域から「嫁さんを世話する会」が自然発生的に誕生しました。
これは、私の中では少し驚きでした。
公民館主事のみなさんに「地域に愛される公民館主事になってください。」とは言いましたが、ここまで愛されるとは思ってもみませんでした。

 しかも、結納の日(11月23日)まで決まっていたのには驚きました。
彼は、非常に自然体で、ほっといたらいつまででも独身でいそうなタイプです。
地域の人達は、そこら当たりがよくわかっておられるようで、本人の好むと好まざるとに関わらず、結納の日が決められたようです。

 この会には、どうやら私も加入しているようで、会員は最低一回はお見合いをさせることというのが課せられたミッション(使命)のようです。
「そろそろ身を固めた方がよかろげ。」と口ばかりだった私にも、地域の人達から行動を促されたようで、改めてがんばろうと思いました。

 でも、まだ数人の独身がおります。
 今なら、選り取り緑です。
 関心のある方は、コメントをいただければと思います。

確かな鼓動

2008年01月30日 23時30分31秒 | その他
☆★☆ フェリシモの優しさ

 久しぶりにフェリシモ(神戸に本店のある通販会社)の三木さんにお会いしました。
今回の来松は、フェリシモが求める織物をアトリエ(障害者就労施設を私たちはこう呼んでいます)に作ってみませんかという申し出でした。

 そして、前々から障害者就労の支援活動をしているNPOユニバーサルクリエート(佐伯代表)にそのネットワーク化もあわせてのお願いでした。
三木さんとのお付き合いも古く、互いの思いが以心伝心で伝わる仲になり始め、私たちの動きの鈍さを時に叱咤激励し、温かく見守ってくれています。

 また、私たちの活動と同じく障害者の人格の尊厳のために、現実を前提とした指導をしてくれています。
例えば、製作段階からの競争原理の導入、商品の品質、どれもこれも厳しいことばかりです。
そして、繰り返して言われるのが「私たちも商売ですから、甘いことなんか言うてたらあかんのです。」
甘えの構造から脱出さえできれば、しっかりと自立できます。

 そして、ありがたいのはアトリエの皆さんへ「気づき」というエッセンスを話の中に織り込んでいただけるということです。
例えば、「みなさん、外にも目を向けないかんですよ。」、「本物のプロと組んだら、本当に売れるんです。組み合わせ方だけです。」と。

 佐伯代表の精力的な活動が、今、大手IT企業や大手コンビニなどを動かし始めています。
このことは、何よりも行動の積み重ねです。
そして、「一人ではできなくとも助け合えば形にできる精神」です。
いきなり全体を成功事例にはできないということを、活動を通して見えてきました。
きれいごとで形にできないことも見えてきました。
でも、プロデュースができれば、今以上にはよくなると信じています。
NPOユニバーサルクリエートの立ち位置がしっかりとわかってきた今日この頃です。

三津浜地区の昔遊びイベント

2008年01月27日 16時19分26秒 | その他
☆☆★ 子どもたちにとっては新しい遊び?

 今日の第二弾は、三津浜公民館前の広場で開催されている「昔遊びイベント」を見に行ってきました。
写真は、「猪子」をやっているところです。
他には、竹馬や独楽回し、カルタ取り等、さまざまな昔遊びを子どもたちに体感してもらおうというものです。
 でも子どもたちにとっては、どれも懐かしいというよりは、新しい遊びと捉えているんだろうなと思いました。


★☆★ 子ども力の再生

 昔、子どもたちの遊びは、インドアよりもアウトドアの方が圧倒的に多く、子どもたちは年齢に関係なく塊(グループ)を作っていました。
そして、その中に自然発生的に「ガキ大将」が生まれ、子どもたち同士が自分たちなりのルール(規律)をつくり、それを守るようにガキ大将が指導するという構図が出来上がっていたと思うのです。

 今日、改めて、このような遊びが廃れていった要因は、やはり大人の責任なんだと反省するとともに、そのことが子どもたちの中にあった「子ども力」まで奪い取ったことを後悔してしまいました。

 そして、私たちがミッション(使命)の一つに、この子ども力の復活をどのようにしていくか考える時機にきていると思うのであります。

このようなイベントは意味がないようにとられがちですが、とっても意義があることだと思います。
永原公民館長、公民館関係者の皆さま、そして横本公民館主事お疲れ様でした。

潮見地区文化祭

2008年01月27日 15時11分11秒 | その他
★☆★ 季節はずれの文化祭

 今日は朝から潮見公民館で開催された文化祭を観てきました。
他の地区では、文化祭といえば秋なのですが、潮見地区は果樹農家が多いため農繁期を避けて、この時期に文化祭を開催するようになったそうです。

 その式典の中で地域に貢献された方を表彰されていたのですが、潮見地区では30年以上も前から蛍の里として、その復活活動に取り組んでおられる人がいます。
最初は、かなり上流域で活動をスタートされたそうですが、今では下流の潮見小学校の横まで蛍が飛ぶようになったそうです。

 蛍の季節になると、蛍が乱舞し、幻想の世界にいざなわれていくようであります。
でも、一口に30年といっても簡単ではありません。
恐らく毎年毎年積み重ねた結果なのでありましょうが、大変なご苦労もあったでしょう。
それを評価され、今日の栄誉であります。
本当におめでとうございます。

 また、公民館長が体調をくずされ、昨年12月に退かれたため、現在公民館長席が空白の中で、公民館長補佐や公民館関係者に支えてもらいながら、がんばった重松君に拍手をおくりたいと思います。

みなさん知ってました?

2008年01月26日 20時41分39秒 | その他
☆☆☆ 水野広徳顕彰シンポジウム

 今日、お昼から松山市子規記念博物館で催された「水野広徳顕彰シンポジウム」に参加してきました。
この中で驚いたことを教えますね。

 一部の基調講演「水野広徳と松山」で伊予史談会 副会長 高須賀康生氏が話していた秋山兄弟と水野広徳との関係についであります。
私は個人的に、前々から水野広徳が秋山兄弟と親交があったのか知りたいと思っていました。
 あったのです。それも驚くことに秋山好古ことを書いた文献(すみません、書籍名を言われたのですが聞こえなかったためわかりません。)がどうやら水野広徳の筆によるものだということです。
 そして、もっと驚くことに、この文献を司馬遼太郎氏も読み、小説「坂の上の雲」に引用しているということです。
高須賀氏によると、なかなかの文筆家が書いたものだろうと云われてきていましたが、水野広徳とどこにも書いていなかったので彼とは結びつかなかったのだそうです。
しかし、彼の経歴を追いかけるとそれが浮かび上がってきたというのです。

 凄いと思いました。
ひょっとしたら、水野広徳の見えない力によって司馬遼太郎氏に小説「坂の上の雲」を書かせ、そして司馬遼太郎氏が戦記小説ではないと言い続け、最期まで映像化させたくないと語った精神まで引き継がせたのではと想像するとワクワクしてきました。

 たまには、こんなアカデミックなシンポにも参加すると新たな発見がありますよ。

いろいろな人がいる

2008年01月25日 05時34分19秒 | その他
☆★★ タイプ別性格

 先日、ある社長さんと話をしていた時に変化や新しいことをしようとした時に、人は次のような3つのタイプに分かれるので、それを意識しておくと随分楽になると教えられました。

 タイプ① 環境順応型
 タイプ② 環境拒絶型
 タイプ③ 環境破壊型

 タイプ①の環境順応型は変化等に柔軟に対応し変化できるタイプをいい、このタイプにはモチベーションを向上させる働きかけを行う必要はないそうです。
 そして、タイプ②の環境拒絶型はいわゆる頑固なタイプで頑(かたく)なに変化等を受け入れようとせず絶対に変わらないタイプだそうだ。

 ここまで聞いていて、私自身、意識改革をするタイプは二通りと勝手に判断していた感があることに気づきました。
そして、タイプ②の環境拒絶型に一生懸命、意識改革を働きかけていたような気がします。
内心、「そうだよなあ、価値観は人それぞれ異なり、相容れない価値観もあるよな。」と。
むしろ、無駄にエネルギーを費やせず、まず変えていけそうな人から意識改革を働きかけた方が確実性があるのではないかということに気づきました。
意識改革のアプローチにもプライオリティ(優先順位)をつける必要性について、やっと気づいたのであります。

 それには、タイプ③の環境破壊型に絞り込むべきだと思いました。
タイプ③は、環境の変化に気づき変わろうとしたのだが、何かの原因によって今までやってきたことも含めて破壊してしまうといったタイプなので、その原因を追究し打開策を伝授してあげれば、破壊までに至らないのかもしれない。

 そのことに気づいただけでも、すご~く儲けたような気がした一日でした。

 

水野広徳 顕彰シンポジウム

2008年01月24日 20時59分55秒 | その他
★★★ 水野広徳、知ってますか?

 松山市三津浜で生まれた言論人(ジャーナリスト)・水野広徳(1875~1945)をご存知ですか。
明治37年に日本海軍軍人として日露戦争に従軍し、日本海海戦史「此一戦」を出版してベストセラー作家となりました。
 しかし、第一次世界大戦後の欧州の悲惨な戦況視察のあと、一転して非戦を主張するようになりました。
大正10年、軍部の反感に会い退役を余儀なくされた後も、重なる発禁処分にもひるむことなく、言論人として率直、明快な態度自分の考えや筆を曲げることはありませんでした。

 この反骨に生きた水野広徳の生涯を検証し、坂の上の雲のまちづくりを進めていくうえでも、忘れることができない郷土の偉人を顕彰するためのシンポジウムです。
 詳細は、以下のとおりです。お誘い合わせの上、どうかご参加いただければと思います。

 日 時:平成20年1月26日(土) 13:30~16:00

場 所:松山市立子規記念博物館 4F 講堂

 参加費:無料

前々職の後輩たち

2008年01月23日 21時29分12秒 | その他
☆★☆ 行政改革推進課の思い出

 私は過去に三つの課を渡りながら、ずっと同じ仕事をしてきた経験があります。
それは、企画課事務管理係から行政管理課事務管理係、そして行政改革推進課と通算で7年間という長きに渡って仕事をさせていただいた経験であります。
内容は、組織管理、定員管理、事務改善、そして行政改革です。

 その間、行政改革大綱を三度策定をさせていただき、地方自治が地方分権へと転換していくはざ間で仕事ができたことは、自分にとって大きな財産となりました。
組織改正も、社会背景が高度成長期から右肩下がりへの時代に入っていき始め、縮小傾向に向い始めていた頃です。
 そのような中、現場からはかなり非難ごうごうでしたが、役所の事務事業をすべて洗い出したことがあります。
回収した調書に基づき、事務事業ごとに年間の繁閑グラフに置き直し、それを課全体の繁閑グラフに落とし込むという新たな手法で分析したところ、驚くべきことがわかりました。
それは、年間のMAXの定員で課の職員数が設定されているということです。
民間であればMINの値の社員数で正社員数が決定され、繁忙時にだけスポットの社員(例えば、派遣やアルバイトなど)を使うといった具合です。

 これは自分にとってはかなりのショックで、これが定員適正化計画の策定やアウトソーシングの考え方につながっていきました。
それまで業務分析をコア(核)業務とノンコア(非核)業務に分類しようという思想は自治体経営の中にはありませんでした。

 また、行政改革大綱の中に「顧客満足(CS)」という言葉を使い始めたのも私からではなかったかと思います。
顧客の視点に立つ、それがどれだけ重要なことか、本当に理解されず、いつもジレンマを覚えた日々でした。
これが結実したのが、市民課のワンストップ窓口です。

 そして、組織改正でも大きな仕事をさせていただきました。
それは組織の最大単位であります「部」を6部も減らし、「壊し屋」といったありがたくない称号を内輪からいただくほど嫌われたことからもお分かりになられると思います。
組織は大きくなると、それにあわせて役職も多くなります。
それは、専門性を追求する上で必要な手法でもあります。
しかし、それにより責任が細分化され、責任転嫁やセクト主義が蔓延し始めます。
 また、このことにより意思決定の時間に手間取ってしまうということにもなります。
これらのベースになったのは様々な組織論に関する本でした。
その当時の組織論に関する本をむさぼり読みました。
ハーバード流組織論や軍隊における組織論まで読んだ気がします。
組織の統廃合は行政改革ではないと言われたり、「朝令暮改(ちょうれいぼかい)」と言われたりしましたが、少なくとも、それまで組織風土として根付いていた「組織は増えても減らない。」という思想から「組織は減ることが当たり前」の思想へは転換できたと思っています。

 そして、組織管理を担当しながら限界を感じていましたが、そのことに対して出た答えは器(組織のこと)ではなく、その中の人ですべてが決まるということでした。
 ある先輩から、「何割かは組織の中に人を入れるのではなく、人に合わせて組織を作らないかんときもあらいなあ。」と諭されたことがあります。
そのとおりなんです、人がすべてなのです。

 今日、その時の職場の後輩たちが来て、来年度の組織改正にともなう事務分掌の変更点について説明してくれました。
いわゆる仁義を切りに来てくれたのです。
組織改正が発表されるまで知らないと、蓋を開いた時に現場とトラブルことが多くあるからです。
このことに関しては、一言も異議を唱えませんでした。
その背景やここに至る苦労がよくわかるからです。
そして、何よりもやりにくいのは私が先輩であるということと、私に対する敬意と遠慮みたいなものも入り混じったものが感じ取れたからです。

 そこで先輩から一言。
 いいんですよ、何でも自由におやりなさい。
 何が是で非かは、私たちが決めるのではなく後世の人たちが決めることですから。
 市民のためだと思ったら自分を信じ、思い切りやったらいい。
 私がやらせてもらったように。

 

落葉

2008年01月22日 22時54分24秒 | その他
☆☆☆ 妻の誕生日

 今日は妻の誕生日でした。
普段、苦労ばかりかけているのでせめてもの罪滅ぼしにと食事に出かけました。
何が食べたいかと聞くと、「おいしい天婦羅が食べたい。」という返事が返ってきたので、一番町の「くろす」(愛媛県庁向え側)に決めました。
 このお店は、目の前で旬の食材を天婦羅にして揚げてくれるのと値段が手ごろなので決めたのですが、妻は目の前で天婦羅が揚がるという演出に至極ご満悦でした。

 天婦羅が揚がるまでに時間がありますので、その間を使っていろいろと話をしました。
大方は東京に行った娘のことでしたが、それ以外に何を話そうかと考えるとかえって出てこないものです。
それを察してか、妻の方からあれやこれやと話を引出してくれ、なんとか会話が続くような状況でした。

 「私たち、結婚して今年で27年ね。」
 「そうやな、あっという間やったなあ。」
 「そうね、いろいろあったよね。」
 「・・・」

 意を決して

 「随分、苦労かけたなあ。」
 「何よ改まって。」
 「いや、本当に好き放題さしてもらって...。」
 「いやねぇ、どうしたの?」
 「いつもお前たちから、『まるでうちは母子家庭ね』て言われてたよなあ。」
 「そうね、そのせいで菜衣(なえ/娘)なんて、絶対公務員とは結婚しない
  なんて言ってるわ。」
 「本当に申し訳ないと思ってるよ。」
 「改心でもしたの。」
 「遅すぎるかなあ?」
 「そうよ、遅すぎるわ。」
 「どうすればいい?」
 「この先も好きにしたら。」
 「ええんかな?」
 「ええも、悪いも、それしかできんやろ。中途半端に変わらずに、最後まで
  好きにしたらええんやない。」
 「ええんやろか?」
 「ええよ。私も菜衣も、人のために一生懸命になる、そんな父さんが好きや
  から、ついてきたんよ。」
 「・・・」

 本当に苦労をかけました。
 そして、今後もよろしくお願いします。
 
 

百年誇れるまちづくり

2008年01月21日 00時32分10秒 | その他
☆☆★ 文化に彩(いろど)られたまち

 最近よく思うことに、松山という土地柄や風土についてがあります。
若い頃は、都会でもなく、田舎でもなく、本当に中途半端なところだと、少し卑下していたところがあります。
でも、不思議と嫌いにはなりませんでした。
なぜそうなのかさえ真剣に考えたこともありません。

 そして、最近、このまちが本当に文化や歴史に彩られた他の地域にも負けないいいところだと痛感するようになりました。
これがアイデンティティでしょうか。
私は、この松山で生まれ、松山で育ち、家族を持ち、そして恐らく松山で最期を終えることでしょう。

 誰が、このような素敵なまちをつくってくれたのでしょうか。
それは、すべて先人が成してきた積み重ねなのです。
 では、今、私が仮に百年後の子どもたちに感謝されるまちづくりをしていると胸を張っていえるのでしょうか。
残念ながら、今の私では自信はありません。
でも、決して遅くないと思っています。

 まちづくりは永遠につながるものであり、そして何割かのゆるぎない理念によって一貫したまちづくりを行う時期にきていると思います。
ここであえて何割かと言ったのは、社会環境の変化に順応して変わらなければならない部分があるからです。
しかし、しっかりとした芯が通っていれば、つながったまちづくりができると思うのです。

 そして、そのことが百年先の人たちに誇ってもらえるまちへと進化していると思うのです。
私たちがそうであるように。

粟井ふれあいマーケット

2008年01月20日 19時30分05秒 | その他
★★★ やっと見れました

 粟井公民館では、オンリーワン事業を上手に活用してふれあいマーケットを月に一回(毎月第三日曜日粟井公民館駐車場で開催)開催しております。
何度か見に行く予定にしていたのですが、その他の用務が入って実現できませんでしたが、何とか今日実現しました。
 今日はあいにくの雨でしたので、公民館の中での開催でしたが、思ったより多くの人たちが参加しておりましたのでびっくりしてしまいました。

 もともと粟井公民館は、オンリーワン事業費をあまり使わずに自主事業でやってくれています。
樋野公民館長とお話していて、よく言われるのが「課長さん、お金があればそれなりのことはできます。しかし、大事なのはお金なしでどうやって工面しながらやるのか、もう一つ言ったら、どうやって儲けるのか、それが大事なんや。」
含蓄のあるお言葉ですし、それを行動に起こされています。


★☆☆ 進化するイベント

  同席していた天崎君曰く、「立ち上げた時と比べると出店数が増えてますよ。」ということでした。
なぜ増えているかというと、そこには見えないチエが凝縮されているような気がしました。

 まず一つ目の仕掛けが、子どもたちを上手に巻き込んでいるということです。
子どもたちにお店の経営を任せ、売上管理もさせています。
生産者から販売者まで流通の一連の流れを小さい時から体験をさせるということは本当に大事なことで、作るときから漫然と考えるのではなく、消費者の心をつかむためにはどうすればいいのかと考え始めると思うのです。

 教育とお金儲けを切り離そうという考えがありますが、世の中に出て困らない人に育てるためにはとても必要なことだと思います。

 二つ目の仕掛けが、子どもたちを金儲け主義にするのかという批判をかわすために、子どもたちの労働対価として現金ではなく「スマイル」という通貨を作って、それで支払っています。
子どもたちは、そのスマイル金を使って、食事やおやつを買うのです。
つまり、地域通貨のミニミニ版です。
その仕組みもよく出来ていて、地域通貨には原資が必要であり、その原資は一定量維持できるか、増える仕組みが必要です。
ここでは、売上利益が、その原資に回るようになっていて、子どもたちを育む原資になっているのです。
 きっと粟井公民館でふれあいマーケットに参加した子どもたちは、一流の生産者やビジネスマンになることでしょう。



障害者就労支援のための地域社会システムの構築

2008年01月19日 23時05分14秒 | その他
☆★☆ 持続可能な地域社会システムの構築

 今日は、久谷から市内に戻ってNPO ユニバーサル・クリエートの会議に出席してきました。
論点は、今目の前にある商品をいかに売り切るかでした。

 そして、なによりも各施設(私たちは「アトリエ」と呼ぶ)に動きが出始めており、生産効率が高まっているという報告がなされました。
ということは、どんどん仕事をとってこないといけないということです。
 そこで、私が提案したのが、このままでは持続性に問題があるのではないかということです。
もっと私たちの行動を認知してもらうために、プロモーション活動も大事なのではないかと。
そして、他の機関とのコラボレーションも含め、地域社会システムを構築しましようと。
ここでは、まだ秘密ですが、具体的な機関名をあげつつ、ビジョンも含めて説明ました。

 すると、言いだしっぺが企画書を作れと言われ、「そらそうじゃ。」と思い、受けました。がんばろう!!

きつねうどんと狸うどん

2008年01月19日 22時44分47秒 | その他
★☆★ 久谷・坂本・大黒座「伊予八百八狸」イベント

 今日は、午前中はゆっくりして午後から久谷・坂本にある蔵を改造した大黒座へ出かけました。
 今日は、伊予八百八狸を掘り下げて世間に広しめようというイベントを地元の南海放送ラジオが実況中継するという、私たちにとってはまたとないイベントでありました。
 少し遅れて到着したため、イベントは既に始まっておりました。
入り口でお茶と狸もなかをもらい(無料でした)、薄暗い中に入っていくと写真のように語り部の方が伊予八百八狸の話をしており、みなさん熱心に聴いておられました。
客席をみると子狸たちも熱心に聴いていましたので、ついスナップショットを撮ってしまいました。


☆☆★ きつねうどんとたぬきうどん

 話の中で、きつねうどんとたぬきうどんについて解説がありました。
どうやらきつねうどんが先にできて、その後、きつねうどんがあるなら狸うどんがあってもおかしくないだろうと、江戸末期で京都で発祥したらしいです。
きつねうどんに対して狸うどんは、揚げを細切りにして餡(あん)をかけたものが発案され、それを狸うどんと称したそうです。
 そして、その食文化が関東に行き、揚げの細切りが天かすへと代わり、餡かけもなくなったそうです。
 ここからは私の想像ですが、天かすに代えたのは、天婦羅だと思っていたら、天かすですから衣だけだったので騙(だま)されたという、落語文化が花開いた江戸文化の洒落ではないかと思うのです。
本当に勝手な想像ですが...


★★☆ 伊予人の気質

 なぜ伊予で狸文化が広がったのかという話もあり、伊予人の洒落っけ、いわゆる「よもだ」の精神が育んだんじゃないのかなという一説でした。
なるほど、それは一理あるかもしれないと聴いていましたら、「昔の人は、呑みすぎで帰りが遅くなって、その言い訳に『狸に騙されて帰り道がわからんようになったんじゃげ』と言ったそうな。」と
 「これ使える」とつい思ったのは、私の伊予人気質がそうさせるのか


☆★☆ オンリーワン事業

 当課には「オンリーワン事業」というのがあり、自分の生まれ育った地域を愛し大切にする心を育む、いわゆるアイデンティティを育み、持ち続けてもらおうという事業があります。
そのためには、地域の資源にどのようなものがあるかを探すところから始まります。
そして、その資源を誇りに思えるように仕上げていかねばなりません。
私たちは、この事業を真面目な切り口からだけでなく、地域の人たちが一人でも多く感じてもらうためには、「わかりやすく・楽しい」ものに加工していこうとしております。
このことに気づいている公民館主事がすべてかというと、そうではないのですが、坂本公民館のように気づき、既に行動を起こしているところもあります。
 そして、それによって仕事は増えるのですが、自分ひとりでは限界がありますから、仲間を増やしていく。
今回の場合だと地域の人やNPOの人たち、最後にはメディアまで動かしてしまう、すごいことだと思うのです。
何よりもキーワードは「狸」。
真面目に考えると変ですよね。
でも、不真面目なことを真面目に考える姿勢、大切だと思いません?

もったいない図書館

2008年01月17日 02時03分38秒 | その他
☆☆★ 後がない行政改革

 日曜、朝のテレビ番組を見ていて、福島県の矢祭町の話が紹介されていました。
 同町は、合併をしないことを取り決めた以降、厳しい財政状況に追い込まれました。
前町長は町民に対して、本音で向かい合い、町民の心を揺さぶりました。
そして、自然発生的に町民から自分たちでできることは自分たちでやるんだという住民自治の最終形の様なまちづくりを実現しました。
住民がサポーターからプレーヤーになった瞬間です。

 私たちは、地域の最前線にいて、まだまだこのような経験をしたことがありません。
しかし、これに近い活動をしてくれる地域はあります。
私たちが、公民館を通して住民の皆さんに無理なお願いをする。
場合によっては嫌々される方がおられるのも事実です。
でも、ほとんどの方が地域のためになるならと高邁な精神で活動に参加していただいております。
私たち職員はこれに甘えてはいけないと思っています。
でも、時には甘えていいのかなと思い出しました。
それには、何よりも心が通じ合わなければなりません。
日頃からの付き合いが大切です。
公民館主事の中には休みの日も気になって出てくる者がたくさんいます。
そうした者のほとんどが、ひたすら地域のためや地域の人のために汗をかいてくれています。


☆★★ 30万部の蔵書

 同町では本を買うお金がないのに図書館をつくろうと考えました。
 そして、人の善意により開館時には30万冊の蔵書を集められ、スタートをされておられます。
本当に凄いことだと思います。
町民に本を読んでいただきたいという、本当にシンプルなところにだけ拘ったからできたことでしょう。
 そして、いま、町外からたくさんのお客さんが同町を訪れていると言うことです。
こんな経済効果をあげる手法を私は知りません。何しろ元手があまりかかっていないでしょうから。
 そして私なら、その図書館前でみやげ物屋さんをするでしょう。

 
☆★★ 公民館の図書室

 あまり認知されていませんが、公民館には図書室(一部ないところもありますのでご注意下さい。)があります。
 そして、公民館活動の組織の中には、図書部を設けている公民館が多くあります。
写真は、生石公民館の図書室の光景ですが、子どもたちが驚くくらいくつろぎながら本を見ています。

 こういった環境を作っていただいたのは、すべてボランティア力です。
とにかく、本を好きになってもらう。
ボランティアの方々の思いが本の管理からも読み取れます。
幼児向けの本は、低い位置に並べられており、目線にあったところで取り易い位置に本を置いてあります。
なるほどと、いつも新たな発見があります。
インデックスもわかりやすく作ってあります。
子どもたちがお目当ての本を探せるようジャンル別にカラーシールを本の背に貼ってあったりと、本当に工夫がなされています。

 このように、公民館の図書室は本が好きなボランティア力がなければ成り立ちません。



たぬきに纏(まつ)わる話(その二)

2008年01月16日 23時06分31秒 | その他
★★★ 狸に尽力してくれた織田政毅氏、逝く

 狸をつかったまちづくりの取り組みは、いくつかの理由からでした。
 前職の時に商店街振興の一つとして、札幌市の狸小路商店街に松山市の伊予八百八狸の子孫が嫁いで行っているという話を中村時広市長が聴きつけ、これを題材にした商店街振興をするようにという命がおりていたのが一番大きな理由です。

 私が前職に就いたときには、その話が着々と進んでいて、狸のモニュメント(松山中央商店街の銀天街と大街道の接続点のスクランブル交差点前に鎮座)の制作やそれぞれの狸の狸の結婚式など、松山特有の洒落話に花が咲いたような企画でありました。
 そのあまりの真面目さに、私など何も考えずのめりこんでいったものです。

 ところが、事件が起こりました。
狸のモニュメントの制作で、予算があまりにも少なかったために断念しなければならない可能性が出てきたのです。
これには、慌てました。
どうやって積算したのか担当者に聞いたところ、石代だけで、制作費(デザイン費を含む)や工事費が入っていないということが見えてきました。
 料理で言うなら、一番のメインデッシュが順番に出てきていて直前で予算がないので出ませんと言われたような事態であります。

 「契約担当部署に泣きついて来い。」と担当者に声を荒げたような気がします。
そして、赤字覚悟で現れたのが、オリタ総業の織田政毅社長でした。
 「わはは、役所さんも無茶しますな。」
 「はあ、お恥ずかしい。実際、どの程度の予算が必要でしょうか。」
  と恐る恐る聞いて見ました。
 「通常なら、この三倍から四倍ですかな。何しろ石屋は石は彫れますが、
  その前にデザインがいって、その方の指導で制作していきます。
  そして、それを据え付けるんですが、今回のような形ですとコロコロと
  転がる可能性がありますから、土台工事が必要となりますから、
  それくらいはもらわんと割が合わないんですよ。まして、これくらい
  大きいと、材料が近くにないと思いますので、遠くからトラックで運ばな
  いかんし、石は重いもんですから...」

頭の中で電卓をおきながら気が遠のいていく思いがしました。
その雰囲気を察したのか、
 「予算上げられる時に失敗されたんですか?」
 「はあ、私、先月、この課に着たばかりで、その時にはすべて決まって
  まして...」
 「そうですか。前はどちらにおられました?」
 「はあ、行政改革推進課というところに。」
 「そういえば、私の甥がなんかそんなところにおったな。」
 「しめた!!」と思いました。
 甥の名前を確認してから、
 「あなたの甥は優秀な職員で、将来、有望な職員ですよ」と褒めちぎったような気がします。そして、
 「これしかないんです。」
 「わかりました、何とかします。」

 そして、発注し、据付工事にまで付き合った。
 「ようできたな。」と工事を見ながら思いました。
 それから、デザイナーも含めて、狸活性化委員会を作ろうということになり、定期的に「狸会議」を開催しました。
織田さんは、ニコニコしながら、この会議に欠かさず出てきてくれました。
参加者は全員、「何かおもろいことやりましょ。」感覚で、手弁当で参加してくれました。
「松山の未来は狸しかない。」などと大胆発言が出て、みんな大真面目に「狸グッズはこんなんがおもしろい。」と商品開発企画会議にまで発展してしまいました。
あんなおもしろい会議は、後にも先にも経験がありません。
洒落が洒落を呼び、本当に大真面目な会議になってしまいました。
 でも、形にできなかったのは私の責任です。

 その後、織田さんにお返しできたのは、お墓の紹介が数件です。
 でも、豪放磊落で茶目気のある人でしたから、
 「いつまでも気にせんでいいですよ。」と気遣っていただきました。

 そして、14日、織田さんは突然亡くなられました。
 67歳、あまりにも若すぎる年齢で逝かれました。
 残念です。
 ご冥福をお祈りいたします。

               合掌