走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

機を見て敏なる感性

2013年02月28日 22時55分28秒 | つぶやき

 失敗を恐れて何もしなくなると膠着(こうちゃく)した組織となってしまう。
 確かに社会情勢によっては、今動いた方がいいのか、後で動いた方がいいのかの判断はちがう。

 ビジネスでもタイミングはとても大事だし、孫子の兵法だって「時の利」は大事だといっている。
 だからといっていつまでも行動しなくてもいいかというと、そうではないと思う。

 動かないことは防御ではなく、逃避である場合が多い。
 なぜなら、やらない方が楽であり、きれいな言い方をするとリスクヘッジにつとめているといった言い訳ができるからである。

 それでも、周りも同様に動かないのならまだいい。
 しかし、大概はその動いていない時に長期展望に立ち、虎視眈々と勝機を狙い、戦略・戦術を練っている場合が多い。
 
 そして、タイミングが来たときに一気に打って出るのである。

 都市経営は既に守りから攻めの時代に入っている。
 他の都市のモノマネでは勝ち残れないところまできている。

 先例に倣(なら)うとは、単におこぼれを頂だいする程度しか魅力がないことに早く気づくべきである。

 また、ライバルは他都市だけでなく、民間企業も私たちのライバルになり始めているということをご存知だろうか。
 例えば、少子・高齢化が続けば住宅の余剰が出始め、公営住宅と民間住宅は入居者をめぐって熾烈な獲得競争が始まる。

 公営住宅と民間住宅は性質も目的もちがうといわれるかもしれない。
 しかし、本当に入居者にそんな明確な線引きができるのであろうか。
 入居者の思いは「安くて、便利で、きれいなところ」だと思う。
 施設管理者が誰であろうと関係ないのである。

 「機を見るに敏なる」という言葉があるが、そろそろ本気でその感性を磨いた方がいいのではないか。

 そして、そのためには「失敗を許す文化」を組織風土として定着させる時期に来ているような気がする。
 

素敵な朝

2013年02月27日 21時08分11秒 | 職場の出来事

 私の職場はとても小さな出先機関です。
 ですから窓口としては最大3つが精一杯です。
 その理由は、支所長の私と、事務対応スタッフが4人、そして用務員さんの計6人体制で、事務対応スタッフのうち1人は電話対応で控えているため、窓口が3つというのがその理由です。

 そして、来月の中旬頃から四月の中頃までその窓口が混み合います。
 市民の皆さんが人事異動や進学などで住所移転などのさまざまな手続きが集中するからです。

 一昨日、その繁忙期をどうにかしたいから職場内研修をやりたいので残らせて欲しいと申し出がありました。
 快諾したのですが、一つだけ尋ねました。

 「どういう、方向で話し合うの?」

 「お客様を少しでもお待たせしないように、話し合います」

 「わかりました、ではお任せします」

 といって、私は残らないこととしました。

 翌日、話し合いの成果をまとめ報告しますといわれたので待っていると、今朝の朝礼で報告がありました。

 内容を見てみると、窓口を4つにするというものでした。
 休息時間も半分に短縮し、がんばるというものでした。
 その他にもきめ細かくまとめられていました。
 かなり、チエを出しあったことが窺えます。

 サービスの基本はマンパワーです。

 ですから、マンパワーを投下するほどクオリティは向上します。
 それは、わかっていました。
 大切なことは、これを指示してやらせるか、気づいて率先垂範するかでは、同じ労働力を投下してもクオリティに差が出てきます。
 そして、お客様にいかに心地よい窓口をつくりたいかが読み取れました。
 
 内心、うれしさがこみ上げましたが、黙って頷いていました。

 すべて任せることにしました。
 「支所長が頼りないと部下は育つ」と勝手に思った素敵な朝でした。

 


 
 

人を動かす大切さ

2013年02月26日 19時39分48秒 | つぶやき

 地域の仕事に携わるようになって公民館を含めると早7年になる。
 とても充実し、楽しく仕事ができている。
 地域の人たちと話ができるのがたまらなく楽しい。

 たくさんの財産やチエも蓄積できた。
 何よりも人に助けていただかないと何もできないということを心底思うようになった。

 昔の自分は机に向かって座ったまま人を動かしていたような気がする。
 そんなときの自分を振り返ると、赤面してしまう。
 情けないとも思う。

 きっと自分の力を過信していたのであろう。
 人には「看板を自分の実力と勘違いしないように」、なんて偉そうなことを言っていたような気がする。
 誰よりも自分が一番勘違いしていたような気がする。

 地域の人たちと本気で接することができ始めた頃から気づいたのは、その人たちが無償の愛で行動しているということ。
 そして、誰よりも先頭に立って行動しているということ。

 本当に頭が下がった。
 自分がやってこそ意味があるということをその背中を見て学んだ。
 
 どんな仕事でも、自分が苦労するからこそ喜びが生まれるんだということを教わった。
 他人任せにしてばかりだと、例え成功しても、充実感につながらないことを教わった。

 そして、その一生懸命さが人を動かすことをいやというほど教わっている。
 

 

ものごとの芯をみる

2013年02月25日 19時18分55秒 | つぶやき

 会議に出ていて感じるのは、その話の論点が何であるのかを理解せぬまま、だらだらと聴いて終わるという人を見かける。
 ずいぶんとつまらない話だっただろうなと同情してしまう。

 その一方で、お話をされる方の中にも今日の話の「芯」が何であるのか、説明がヘタだけならいいのだが話さずに終わられる御仁がいる。
 何のために出席したのか、出席してもらったのか、双方とも不幸な出来事で終わってしまう。

 聴く側も話の「芯」が何であるのか短時間で見つける訓練をし、見につけておかねばならない。
 そういう意味では漫然と話を聞く姿勢から、真剣勝負的な姿勢で話を聴かねばならない。

 少し大仰になったが、「芯」とは、ものの本質や話の本質をさす。
 これを見出して理解するのとしないのでは大きな違いになるということがいいたいのである。

 重箱の隅をつついても仕方がない。
 その重箱をどのように活用し、それによって何が生み出されるのか、そのことを見ることの方がずっと大切だということである。

 


 

 

企画書の書き方

2013年02月24日 22時57分59秒 | つぶやき

 振り返れば企画書の書き方本をかなり読んだ。
 ワンシートにまとめる企画書からパワーポイントを使った企画書までありとあらゆる手引本を読んだ。

 そして、自分なりのカタチができ始めた。
 そのカタチとは、できるだけシンプルにするということ。

 基本は紙芝居。
 起承転結になるように、4の倍数になるようページをまとめている。

 そして、読み手の立場や年齢、忙しさの度合いなどを推し量りながらまとめる。

 最近はすべて書かないように意識している。
 
 「不立文字 教外別伝(ふりゅうもんじ きょうげべつでん)」という言葉があるが、本当に言いたいことや教えたいことは、決して文字や言葉では表せないという意味。
 つまり、相手側に想像できる余地を残しておくというもの。

 これが案外うまくいく。
 
 これが私が行き着いた企画書の書き方である。 

和顔愛語(わげんあいご)

2013年02月22日 00時41分53秒 | つぶやき

 平和通に「すみれ」というお好み焼きさんがある。
 店名は「smile(スマイル)」をローマ字読みして「すみれ」なのだそうだ。
 お店のスタッフが笑顔でお客様を迎える。
 お客様に満足して笑顔で帰っていただく。
 そして、スタッフが笑顔でお客様を送り出す。
 そんなお店を作りたいというところから店の名前を決めたということを聞いたような気がする。

 そして、ある時、車椅子の少女から質問されたことがある。

 「おじさん、人と人の心をつなぐのはどうすればいいと思う?」

 少女の目線までしゃがみこみながら

 「相手を思いやる心を持つことかなあ?」
 「うーん、ちょっと違う」
 「じゃあ何かなあ?」
 「笑顔だよ」
 「そうか、笑顔か!」
 「そう、笑顔だよ」

 この少女のほうが深い。

 なぜなら、禅の言葉の「和顔愛語」とは、いつも和らいだ笑顔と、温かい言葉で接すること。
 一人ひとりがそう心がけることで、私たちの社会はずいぶんと暮らしやすくなります。
 人と人の心をつなぐもの。
 それは微笑みと思いやりある言葉です。
 
 私よりこの少女の方がずっと大人である。

 
 

生石地区まちづくり協議会準備会、立つ!

2013年02月21日 00時55分50秒 | 地域情報/その他

 昨夜行われた、「第6回 生石地区明日のまちづくりを考える会」が開催され、前半、ボーイスカウトなど地域の中の子ども育成活動の活動状況が報告されました。
 そして、その後、同会の今後の方向性として「生石まちづくり協議会」に向け、準備会を立ち上げることになりました。
 そのきっかけとなったのが、福山会長の次のような熱い思いが発露されたからではないかと思います。

  まず初めに多くの皆さんに、この勉強会にご参加いただきましたことに心からお礼を申し上げます。
  ありがとうございました。
  さて、ご挨拶というよりも、提案がございます。

  この5か月足らずの間、子育て支援・防災・福祉について皆さんと一緒に学んできて、どの分野も様々な課題があることを私自身改めて感じています。
  おそらく皆さんの多くの方も同じような思いを持たれたのではないかと思います。

  これらの課題の根源には、地域コミュニティの質が変わり、以前に比べて地域の絆が弱まってきたことがあるように思います。
  勉強会で気づいた今、生石地区住民の絆を強め、より有益なコミュニティを再構築していくため、団体の枠を超え、団体同士が強く繋がる新たな組織が必要だと感じています。
  従来の縦割り行政によって類別・分断された組織に加え、地域全体を包括・代表する組織を作り、みんなで地域づくりをしていくことを提案させていただきます。
  ただ、これは「屋上屋を重ねる」ことになっては意味がありません。

  むしろ、各種団体のためになる、各種団体が情報を共有することなどにより、今よりも効果や成果がよりよくなる、楽になるなどの必要があります。

  ご存知の方も多いかと存じますが、松山市には幸い「まちづくり協議会」という制度があります。
  地域の課題について生石地区住民1万9千人の総意としてまとめ、協力して解決していこう。
  行政とは対等なパートナーとしてさらに連携を深めながら、「自分たちの地域だから、自分たちでつくっていく。」
  当たり前ではあるが、強い信念、志で繋がる「生石地区まちづくり協議会」の発足を念頭に準備会の設立を提案します。

  そして、このまちづくり協議会の第一の目標を「埴生山の里山整備」としたいと思います。
  それは、大災害時に埴生山は、避難場所として最適と考えられるからです。
  地域課題の優先順位は、住民の命を守ることだと考えます。

  また、埴生山の整備は、今の子どもたちが失いつつある「ふるさとを愛する心」を取り戻すことにも繋がります。
  私たちが子どもの頃、野山を駆け回り、木の実や野草で遊んだ経験を今の子どもたちは残念ながら持っていません。
  こうした体験は、子どもたちの情緒を育み、ふるさとを愛する心を育ててくれると信じています。

  さらに、埴生山は、富久町をはじめ生石のどこからでも見える山で、春はお花見、夏は虫取り、秋は紅葉と埴生山を通じてふるさとの四季を感じることのできる場所です。
  生石の住民共通のシンボルとしてこれ以上ふさわしい場所はないと思います。

  まずは、避難路を整備し、高齢者や障がいのある方、小さな子どもがもっと楽に上がれるようにし、次に誰もが平素から利用しやすい山にしていくことを目標にしていきたいと考えます。

  二年前の東日本大震災を思う時、高台に立ち帰って来ぬ家族を呆然と待つ少女の姿が目に焼き付いて離れません。
  そして、この少女はこれから先、どうやって生きていくのか不安でたまりませんでした。
  私たちは、今を生きることも大切ですが、子どもたちの未来への手助けも使命として課せられていると思います。

  「埴生山の里山整備」は、たいへん大きなテーマでたくさんの困難も待ち受けているだろうと思います。
  しかし、生石地区住民の願いとして着実に進めることが未来への足掛かりとなるだろうと信じます。

  みんなで力を合わせて子どもからお年寄りまで、安全や財産を守り、快適な暮らしができるよう頑張っていこうではありませんか。
  この勉強会を先に述べた「生石地区まちづくり協議会」準備会へと発展させ、行政に私たちの思いを届ける組織づくりをスタートさせたいと思います。

 そして、参加者から意見を求めたところ賛成意見が多数寄せられ、決議されました。
 生石地区のまちづくりは、この時点から新たなステージに進みました。

素敵な言葉

2013年02月19日 01時18分34秒 | つぶやき

 NHKで「猫のしっぽ カエルの手 京都大原 ベニシアの手づくり暮らし」という番組をご存知だろうか。
 その中で「雪国のぬくもり」というのがあったのだが、雪深い会津を主人公のベニシアさんが訪ねるというもの。
その番組の最後に、ベネシアさんが出会った人たちを思いながら次のような思いを語る。
とてもきれいな内容だったのでご紹介します。


 寒さ厳しく 霧で薄暗い冬の日です。
 空に舞う雪を見上げていたら
 涙が浮かんできました。

 寂しいけれど 終わりに近づいた長い旅の中で
 出会ったすべての人の笑顔を思い出したからです。

 雪国 ここ福島に暮らす人々はどんな苦難も
 乗り越えられる強い心を持っていると感じます。
 燃える薪のそばで暖をとりながら 手芸品を作る人たち
 彼らの暮らす農家の周りには 雪はシンシンと積もります。

 生きていると困ったことや挫折は
 次々と起きるものですが
 それでも私たちの心の奥底の
 何かが前進させてくれるのです。

 なぜなら 誰しも心の奥底に
 光り輝く時を待つ太陽があるからです。


第6回 生石地区 明日のまちづくりを考える会(ご案内)

2013年02月16日 01時31分24秒 | 地域情報/その他

 ●テーマ   子育てについて2

        生石地区の子どもに関する各種団体の活動を紹介しながら、
それぞれの現状と課題を取り上げます。
        また、最終回ということで前六回を振り返りながら、今後
地域としてどのような取り組みを行っていくのかを
        協議したいと思います。

 ●日 時   平成25年2月20日(水) 19:00 ~ 20:30

 ●場 所   生石公民館

 ●主 催   生石地区・明日のまちづくりを考える会

 ☆連絡先   生石支所 TEL972-0323
             担当/竹村、玉矢


 ☆どなたでも参加できます。お誘いあわせの上、ご出席ください。


人の心は弱いもの

2013年02月14日 23時13分41秒 | つぶやき

 以前の自分と今の自分を比較した時にずいぶんと変わったなと思う時がある。
 
 自分の中ではそんなに変わった意識はないのだが、いい意味、歳を重ねたせいか。
 それとも考えるのが煩わしくなってきたせいか。

 いずれにしても、自分は自分と思えるようになった。
 別に利己的になったというわけではない。
 人のやることにあまり腹が立たなくなった、それだけである。

 きっと、私の中で「人の心は弱いもの」と悟ったせいかもしれない。
 別に排他的になったわけでもない。
 人は、相手の肩書きや地位で阿(おもね)ることはよくあること。
 だからといって一々取り上げていても詮無いことだとわかるようになった。

 そして、以前の自分はどうだったかと問いかける。
 そうたいして変わったものじゃない。

 まっすぐ前をみて歩きたい。
 邪心をもって生きる人がいてもそれはそれ。
 人を追い落とすことでしか生きられない人もそれはそれ。

 地域の活動やボランティア活動に参加することで、初めて会った人から心からお礼を言われる。
 感謝される。
 そのたびに自分のプライドが高まるような気がする。
 そして、いかに高邁に生きるか、それだけでいいような気がする。

 別に欲が消えたわけではないが、所詮この世は空蝉(うつせみ)なのだ。

 大切にすることは、自分が高まれば高まるほど謙虚でいられるかということ。
 人に「変わったねェ」といわれたことがある。
 いい意味で、枯れてきたのである。

 素敵な人生を送れたかどうかは、所詮自分で決めるもの。
 思う存分やってみて、周りの人の心を動かすことができた時、カタチになる手ごたえを感じる。
 そんな時、この仕事をやってよかったと思う。

 振り返れば周りの人たちに恵まれて、仕事を愉しむことができた。
 きっと、どこで、どんな仕事をしようとも、周りの人たちを巻き込んで仕事を愉しむ自分しか想像できないのは、きっと変態のせいか...
 

こりゃあ、おもしろい

2013年02月12日 23時27分25秒 | つぶやき

 小さな町工場の社長や小さなお店の自営業の店長などの友達がたくさんいる。
 気のおけない友達である。

 彼らの多くが私が役人ということもあり、「初対面の時には構えてしまった」と後日よく言われる。
 風貌もかわいいタヌキならいいのだが、グリズリーのような大型の熊といった風貌なのでよけいにそう思われるのかもしれない。

 だが実際は気の弱い、心根のやさしい熊ちゃんなのである。(笑)

 こんな私に対して異口同音、言っていただけるのが「役人のイメージがすっかり変わった」という言葉である。
 どんなに変わったかを追求するのは怖いので言わずもがなではあるが、どうやら「おもろいやっちゃ」的な感じのようだ。

 そして、付き合ってて勇気をもらうことがあるというのだ。

 自分自身では気付かなかったのだが、「こりゃあ、おもしろい」という言葉を発した時に不思議と自信が湧き、「がんばってみよう」と思うということである。
 
 それも屈託のない満面の笑みで、「こりゃあ、おもしろい」というのだそうだ。
 本当に意識していないのである。

 そのせいか、新技術や壁にぶち当たった時にお呼びがかかる。

 なんとなく、その苦しみや不安が垣間見える。
 だが無責任に相槌を打つわけにはいかない。

 でも話を聞いていると、その技術や商品が世の中を変えるよう気がするときがある。
 本当に閃きなのである。

 そして、それが社会の中に組み込まれたときに利用者が笑顔で使っているイメージが想像できる時がある。
 そんな時、つい笑顔が溢れる。

 そして、つい言ってしまう。

 「こりゃあ、おもしろい」と

下町ロケット 第二弾

2013年02月11日 21時43分43秒 | 映画

 以前、小説「下町ロケット」をこのブログで紹介したことがある。

 この小説がWOWOWでドラマ化され、DVDになっているものをレンタルビデオ屋で見つけ、この連休間に観た。
 このホームページから紹介すると

 ストーリーは、

 ●第一話
  かつて、宇宙ロケットの開発を担当していた下町の町工場・つくだ製作所を経営する佃航平(三上博史)のもとに、一通の訴状が届く。
  自社の主力製品が、大企業・ナカシマ精機の特許を侵害しているというのだ。
  相手の法廷戦略により、製作所は存亡の危機に立たされる。
  一方、帝国重工では国産ロケット打ち上げ計画が進んでいたが、その責任者・財前道生(渡部篤郎)は衝撃的な事実を知る。
  自社開発した部品の技術が、既につくだ製作所の特許技術として登録されていたのだ。

 ●第二話
  佃(三上博史)はナカシマ精機との第1回公判を終え、慣れない特許裁判の先行きに不安を感じる。
  裁判の影響からつくだ製作所は大口取引先との契約も徐々に停止され、社員達に動揺が広がる。
  そんな矢先、特許裁判を得意とする弁護士・神谷涼子(寺島しのぶ)が佃のもとを訪れ、ある提案をする。
  一方、帝国重工の財前(渡部篤郎)は、主要部品の特許取得がつくだ製作所に先を越されていたことの責任を上司の水原から追及される。

 ●第三話
  佃(三上博史)は帝国重工・財前(渡部篤郎)からの特許買い取り提案を拒否する。
  会社の経営状況を心配する社員達は、その決断を下した佃に対して反発。
  部品供給という夢を主張する社長の佃と、現実的な考えを持つ社員達の間に溝が生まれる。
  一方、財前も特許が手に入らず、社内での立場が危うくなっていた。
  佃に弁護を名乗り出た神谷(寺島しのぶ)であったが、ナカシマ精機側の弁護士・大川から思わぬ妨害を受け困惑する。

 ●第四話
  佃(三上博史)は元同僚の本木からロケット技術者に復帰しないかと誘われ、夢と現実の間で思い悩む。
  つくだ製作所の担当を外された財前(渡部篤郎)に代わり、部下の富山が部品供給のテストを実施。
  技術面、財務面ともに厳しい基準で審査する帝国重工に対して、つくだ製作所の社員達は自信を失う。
  一方、長引いていたナカシマ精機との特許裁判であったが、神谷(寺島しのぶ)がとった行動をきっかけにして、事態が急転する。

 ●最終話
  一致団結したつくだ製作所は持ち前の技術力を発揮し、部品供給のテストで好成績を得る。
  しかし、納品において予想外のミスが発覚。
  佃(三上博史)は富山からテスト中止を通告される。
  再納品を懇願する佃に対して、富山は断固としてそれを拒否。
  望みを絶たれた佃の前に、財前(渡部篤郎)が現れる・・・。
  果たして、佃は自らの夢、そして仲間、家族の夢を乗せて、ロケットを宇宙へと打ち上げることができるのだろうか。


 なかなか面白そうでしょ。ワクワクしながら、時に痛快に観れますよ。
 そして、この中で佃社長の名せりふ

 「会社というのは二階建ての家のようなものだと思う。一階で生活し、二階で夢を見る。一階がしっかりあって、はじめて二階がある。二階がなければ、その日その日暮らしになってしまい疲れきってダメになってしまう。そんなものだと思う」と語るシーンがある。


 私たちは、後輩や部下たちに「夢とは何か」、「夢とはこういうものなんだ」と語ったことがあるだろうか。
 そして、「夢に向かって進むためには何をしなければならないか」を語ったことがあるだろうか。

 今、多くの若者が夢をみつけられずに組織を辞めようとしている。
 人はその若者たちを批判したり、中傷するかもしれない。

 その前に、私たち自身が、そういった若者に対して、本当に夢を語り、夢を実現するため何をなすべきかをどのように導いたか、胸に手を当てて考えてみる必要がある。


中西省三さん、逝く

2013年02月08日 22時15分22秒 | つぶやき

 道後支所の時代にずいぶんとお世話になった中西省三さんがお亡くなりになられた。
 本当にお若く逝かれた。

 残念でならない。

 公民館を担当していた時から、道後公民館の事業を見に行くとお顔を拝見するようになった。
 聞くと、前公民館長だという。
 いつも笑顔で、特に子どもたちの事業の時にはとても素敵な笑顔であったことを思い出される。

 そして、道後支所に赴いた時に中西さんが地域のさまざまな活動に取り組まれていたことを知る。
 しかも、どの活動においても実績を残され、多くの人たちに慕われていた。

 本当に無二の心で活動をしておられた。

 その人となりは、心から尊敬できた。
 本当に残念でならない。

 今日は葬儀であった。

 松山には珍しく雪が舞った。
 中西さんを惜しむように、悲しむように雪が舞った。

 どの人の心にも中西さんは残るであろう。
 どうか安らかにお休みください。

 合掌

通学路

2013年02月07日 23時18分59秒 | 地域情報/その他

 地域の中に新たに葬儀場ができることになった。
 ちょうど、その建設地の東側道路に面したところが通学路になる。

 その東側道路はちょうど大きな路からの進入路になるため、子どもたちの登校時に出勤車と重なり、抜け道として進入してくる車が多く、歩道のないその道は子どもたちにとって、とても危険なのである。

 しかし、私有地なので勝手に子どもたちがその中を通学路として通ることはできない。
 地域の勉強会の中でも取り上げられた危険箇所である。

 学校からはその施設の中の東側を通らせていただけないか、相談を受けていた。
 ちょうど持ち主が変わり、葬儀場ができるという。
 その葬儀場を運営する企業を探し、色々な人のお力をお借りし、窓口までいきつく。
 連絡をいただきお会いいただくことになった。

 うれしかったのは、事前に相談内容をお話したことで、工事期間中から子どもたちが通りやすいようにと、歩道分を確保しアスファルト舗装までしていただいた。
 期待が膨らむ。

 そして、今日、校長、教頭、公民館長、交通安全協会長と私で出向く。
 私などは何の役にもたたないが、「いるだけでも心丈夫です」とおだてられ有頂天になりお仲間に入れていたただく。
 
 もしものことを考え、作戦を練っていたのだが徒労に終わった。

 施設完成後も子どもたちが通りやすいように再舗装していただく計画になっていた。
 しかも、車道とはっきり分けるために色の付いた舗装にしてくれるとのこと。
 至れり尽くせりである。

 企業の社会貢献の一環でもあるのだろう。
 このように理解いただけるとずいぶんとやりやすい社会になる。

 今回、特によかったのは皆が心を一つにし、行動を起こしたことである。
 行動を起こすだけで、いい方向に転がることがずいぶんあると感じた一日である。