走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

わがままな居候

2011年04月21日 22時35分21秒 | ペットのうさぎ
うちの居候のソナタです。
お腹がすくとゲージをカンカン音を立ててかじり、「ご飯がまだだよ」と催促します。
そのくせカメラを向けると嫌がってベストショットを撮らせてもらえません。
本当にわがままな居候で、飼い主に似たのでしょうか...












知っている人が増えているかも...

2011年04月20日 21時46分44秒 | 職場の出来事
 今日は窓口に娘が中村・松山市小中学校PTA連合会の紹介でCDを製作するときにプロデュースしてくれたOさんが来てくれました。
 そういえば、ご自宅兼事務所は職場のすぐ近くにあることを思い出した。

 「覚えていますか?」と聞かれ、「もちろんです。その節は娘がお世話になりました」とお礼を申し上げたところ、「先日はうちの子が生石小学校の入学式で祝辞をいただきありがとうございました。心のこもった祝辞で、思い出に残りました」と言ってくださいました。
 顔が赤くなるくらい恥ずかしかったのですが、たった一人でも大切なお子さんの記念日に思い出が残ってくれればそれだけでやったかいがあります。

 日ごとに、この地区にも知り合いが多いということに気づかされる日々であります。

地域の現場での仕事の始め方

2011年04月19日 01時20分31秒 | つぶやき
 地域の現場で仕事をし始めて感じることは、まず、その地域が好きになれるかどうかである。
そのためには、できるだけその地域のよさを探し始めるわけであるが、そこに住む人たちがその場所を終の棲家として決めた理由があるはずである。

 私がまずやることは、地域の地図を引っ張り出して東西南北の端っこがどこら当たりか頭の中に叩き込む。
次に、名所旧跡などの場所をその地図上に落とし込む。
さらに、その歴史などを調べるのである。

 そして、自分の歴史の中でこの地域とのかかわりがないか見つけ出す。

 今回の生石地区には、母方の叔母も父方の叔母もいる。
特に、母方の叔母とは一回りしか違わなかったので、叔母というよりも姉である。
その夫に当たる叔父には、本当に(現在も)世話になっている。

 この職場から自転車で5分以内のところにその家はある。
先日も、人のいい叔父は現役を退き、自宅にいるため、電話がかかってきて「昼飯食いにこんか?」と言ってくれた。
相変わらず心根の優しい叔父である。
せっかくの申し入れだったが、「ごめん、出れんのよ」と断る。

 昔、ここいらあたりは砂地で、らっきよやイチジク、ザクロしか植わっていなかったような気がする。
飛行場が今ほど長くなかった時代に、砂浜で地引網をし、その後、貝(たしか「カラス貝」と言っていたような気がする)を焼いて食べた記憶がよみがえる。
ジュウジュウ焼けた貝の上に醤油を落としただけのシンプルな食べ方だったけれど、いまだに記憶のすみに残っている。

 泊まった夜は、昔は外トイレで、そこに行くまでに飛行場の青色のライトがくるくる回っていて、その光が襲ってくるような気がした。
宮沢賢治のようにさまざまなものを擬人化する子どもだったために、そのライトの光が追いかけてくるような気がして、トイレを出ると走って家まで戻った。
息の上がった私を見て、叔母の姑さんは良く笑った。

 この生石地区を好きになるかどうかより、子どものころからこの地区をこよなく愛していたような気がする。
はじめて自転車で遠出したのもここである。

 少しづつなじみながら、このまちの元気の創り方を模索しようと思っている...

生石散策(その1)

2011年04月18日 21時05分36秒 | 地域散策
 少し余裕が出てきたので、前支所長に言われた生石地区の文化財などを調べて、散策してみた。
鯛崎交差点(北吉田町)横にある小山が日清、日露戦争の戦死者の「忠魂碑」と聴き、散策がてら観に行ってみた。

 観に行ったときは、桜が満開で、時折吹く風に桜の花びらが舞い、異次元空間に誘われたようであった。

 交差点のすぐ横にある。

 坂を上ると色とりどりの花が咲く。









 頂上に聳(そび)え立つ碑


親心

2011年04月14日 22時45分01秒 | つぶやき
 十代前半の少年が交通事故にあい、脳死状態に陥ったという。

 ご両親は、勇気ある決断をされた。
 臓器提供という選択である。

 法が改正され、臓器提供できる年齢が引き下げられた初めての症例だという。
ご両親の思い、決断されるまでの苦悩はいかばかりであったことだろう...

他人にはわからない苦しい選択であったに違いない。
脳死で痛みがわからないにしても、早く楽にしてあげたい親心もあっただろう...
臓器だけでも生き続けて欲しいという親心もあっただろう...

 マスコミは十代初めての臓器提供ということで、かなり大きなニュースでとりあげた。

 そっとしておいてあげれなかったのだろうか。
なかには、その是々非々まで街角の人たちにインタビューするところもあったように思う。

 本当にそっとしておいて欲しかった。

 ご両親が、どれほど悲嘆にくれ、どれほど涙を流したことか...

 東日本大震災といい、マスコミには事実を伝える使命があるというのはわかるが、デリカシーは必要ないのだろうか。

 そして、臓器提供を受けられた方には、ぜひ元気になっていただきたい。
 健康には充分に留意され、ぜひ少年の分まで長生きして欲しい。

 少年のご冥福を祈るとともに、生きるチャンスを頂いた方のご健康をお祈りいたします。

感激の送別会

2011年04月11日 22時30分03秒 | うれしい


 道後には道後地区と湯築地区の二つの地区民生委員協議会がある。

 今回の異動で大変ご迷惑をおかけしたのにもかかわらず、湯築地区では役員の皆さんから送別会をしていただいただけでなく、日をかえて道後公園の桜の下で委員の皆さんがそろった中で、改めて歓送迎会をしていただいた。
 本当にご迷惑しかかけていないのに、果報者だと心からありがたく思った。

 

そして、今日、今度は道後地区の皆さんに送別会をしていただいた。
一年という短い期間で、正直、手探り状態で要領も悪くご迷惑だけかけただけだ。
うれしかったのは何人かが「何年おられたんかなあ?」と問われたこと。
そして、頭をかきながら「すみません、一年です」と照れながら答えること。

 本当に皆さん、ありがとうございました。
健康でますます地域のために活躍してくださることを心からお祈りしております。


捲土重来

2011年04月11日 01時38分05秒 | びっくり
             


 このブログでも紹介したことがある元経済産業省の鈴木英敬さんが三重県知事として最年少知事として当選を果たした。
まさに、捲土重来(けんどちょうらい)である。

 彼の情熱はすさまじいものがあり、彼のエネルギーに触れるとこちらも元気が湧くだけでなく、「何とかしなくっちゃ」がうつってしまう。
常に現状に甘えることなく、何に対してもおもねることなく、その信念と志をぶつけてきた。

 そして挫折を知らなかった彼が、先の衆議院議員総選挙では一敗地にまみれた。
その後、二度お会いしたがなんだか凄みが増していた。
そして、人の心の綾やうらはらを学びつつも、それを承知で人を愛するということが出来るようになったような気がした。

 三重県の未来を想像すると、何かワクワクするようなことが出てくるような気がする。
事実、彼は経産省時代に資本金なしでも株式会社が出来るようにした。
他にもさまざまな規制やそれまでの仕組みを改正した。
何事も是是非はあるが、今に甘んじてはいけないという彼の姿勢は多くの人の心を変えた。

 今回の勝利は、彼の地道な足で稼いだ勝利であろう。
本当にその活躍が楽しみである。
直接関わることは出来ないが、異郷の地で応援し続けたい。

 ただ、ひとつだけお願いしたいことがある。
知事になられたのだから、私のことを全国の地方公務員の三本の指に入る『変態オヤジ』呼ばわりするのだけはお許し願いたい。
本当に...

元気応援歌

2011年04月06日 23時10分22秒 | 激励
 ある居酒屋さんのトイレで見つけました。
素敵な詩だったので書き写してきました。


悲しくても元気がよく

つらくても元気がいい

貧しくても元気がよく

くじけても元気がいい

元気があれば

   何でもできる

元気があれば

   どうにかなるさ

とにかく

  元気でがんばろう!



 人生いろいろあります。
 でも、まずはカラ元気から...

青空入園式

2011年04月05日 19時10分38秒 | 職場の出来事
 今朝は、地元の生石保育園の入園式に市長代理として出席してきました。
当園は運営管理を民間委託にしており訪問すると、スタッフの皆様が(私に)かなり気を使っているように見受けられました。(ただの「おっちゃん」なんですが...)

 敷村園長は申し訳なさそうに、「実は今日の入園式は、屋外で行うので砂埃などでご迷惑をお掛けすると思うのですが...」

 それを聴くと内心、「うわあ!!外なんや」と嬉々としてしまう自分がいました。

 時間が来たので、屋外の指定された席に着くと、目をキラキラさせた子どもたちでいっぱい。
泣く子もいれば、制御不能な子どももいて、実に愉快です。
入園式と聞いていたのですが進級式も兼ねているようで、祝辞の内容と若干異なるのですが細かいことには気にとめずにやってしまいました。

 ただ、子どもたちにお祝いを言うところでは、子どもたち目線に合わせたかったので座り込んで紹介しました。

 後で敷村園長に「雨が降ったときにはどうするおつもりだっんですか?」とお尋ねすると、「雨のときはお隣の公民館を利用させて頂くことになっていました」と。
見事に地域と連携プレーがとれているなと思いつつ空を見上げると雲ひとつない青空が広がっていました。