走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

しんどいけれど

2008年03月31日 23時34分28秒 | その他
☆★☆ 送別会

 今夜、公民館元気活力支援担当チームの送別会に参加させていただきました。
 冒頭の私の挨拶で、「私の下であったために、しんどく、つらい思いをさせました。何のお返しもせずに送り出すことになったのは、私の不徳のいたすところであります。しかしながら、新しい職場でもがんばってください。」とさせていただきました。

 すると、O君から「確かにしんどかったですが、つらくはありませんでした。」と言ってくれました。
 彼曰く、「目標を明確に示してくれて、あとは自由にやれましたから」と。

 なんだか、救われたような気がしました。

坂本屋ひな祭り

2008年03月29日 18時42分51秒 | その他
★★☆ 久谷遍路道

 久谷の奥に遍路道があります。
 そこに、坂本屋(http://www.pref.ehime.jp/guide/ehimail/vol15/special1_sakamotoya.html)というお遍路さんを接待するところがあります。
今日はここで、享保より少し後の時代に作られたという雛人形を土居教育長と見てきました。

 周りの桜は、まだまだでしたが快晴でしたので、春陽気に心ポカポカになりました。

辛い選択

2008年03月27日 22時05分23秒 | その他
★★★ 課の人事異動Ⅱ

 今朝、課の人事異動を発表しました。
 最後、微調整をし、教育長まで了解を得てから発表をいたしました。

 何人か辛い思いをさせた職員がいます。

 Kさん

  この二年間、常に私の傍らにいて、私を支えてくれたリーダーです。
  彼は、口数の少ないタイプですから、私が押さえ込んでしまった可能性が
  あり、本来、成長できる芽を伸ばしきれなかったのではないかと危惧して
  います。
  ときどき彼から発せられる値千金のアドバイスは、本当に助かりました。
  何度繰り返して頭を下げても足りないくらい、彼に感謝しています。
  私にとっては、ずっと傍らにいてくれる方が、正直、楽なのですが、
  今回、断腸の思いで現場に出ていただくことにしました。
  彼が行く現場は、歴史のある地区で一世を風靡した地区でありますが、
  近年は人口の減少化が顕著で衰退が著しいところであります。
  彼が私の下で働いてくれた集大成を形にしてくれることを期待しています。


 Oさん

  以前、このブログにも登場してもらったOさんに、もう一度現場に
  出ていただくことを決断しました。
  彼は、ここ何ヶ月間、きびきびと前向きに仕事をしてくれました。
  報告もネゴも卒がなく、ちゃんと上司の出番も考えた段取りを
  してくれました。
  まさに、上司を育ててくれる部下でした。
  彼にとっては、つらい結果だろうと思います。
  でも、彼のこの一年の行動が新たな彼を創りあげる分岐点のような
  気がしています。
  大いに期待しようと思います。


 Yさん

  今回の異動で一番悩んだ人事でした。
  なぜなら、結果だけを見ると何か失敗をしたような形に受け止めら
  れるからです。
  まず、リーダーの定数には限りがあるということです。
  そういう意味では、リーダーからはずれるということは、降格と
  いったイメージに捉えられる可能性があるからです。
  恐らく、愚痴もヤル気も一気に落ちることでしょう。
  彼は、親分肌で部下の面倒を一番見てくれたと思います。
  相談を受けるとすべてを受け止めてくれるリーダーでした。
  私の評価は、高かったのです。
  でも、人間関係がうまくいかなかったのも事実です。
  ですから、他の地域のリーダーを晴らそうとした時に、たまたま席が
  なかったのです。
  また、今回、二人の新人リーダーを置くことを決断しました。
  この未知数のリーダーと彼を比較した時に、私の立場としては
  Yさんを重用した方がリスクは少ないと思います。
  でも、二人の新リーダーの技量も見てみたいのです。
  ただ、それだけです。


 二人の新リーダーへ

  君たちにとっては、リーダーに置かれることはかえって迷惑かも
  しれません。
  でも、君たち一人ひとりが松山市の財産であります。
  今までの立場とは明らかに異なります。
  部下よりも汗をかける上司になってください。
  模範となる上司になってください。
  そして、なによりも地域の人たちに愛される公民館主事になって
  ください。
  お願いするとともに、期待しています。
  

辛い作業

2008年03月26日 01時38分16秒 | その他
★★★ 課の人事異動

 昨日の人事異動を受け、早速、午後から転入組みの人たちに来ていただき簡単な面談を済ませ、課の人事異動の作業を始め、夕方には案の案が出来上がりました。
 転入組みの人たちにとっては、何とも頼りなく物足りないものだったかもしれません。
 しかし、時間をおくと外野からさまざまな情報が入ってきます。
そうすると、私は自分の直感より、人の意見に惑わさされてしまう可能性がありますから、お互いが不幸になることも考えられます。

 また、公民館の現場は、非常に狭い空間で限られた人間関係の上に成り立っています。
相性があわないと、不幸な結果になります。
それは、誰が悪いわけではありません。
私は、人には引き付ける相性と跳ね返す相性があると思うのです。
 ですから、その人の能力だけでなく、人間性なども見させていただきながら配置を考えます。

 でも、蓋を開けるとうまくいかないことがあります。
これは、私の責任であります。
ですから、異動作業は精神的にはボロボロになります。

ともに働くということ

2008年03月25日 23時25分50秒 | その他
☆☆★ 今日、異動の内示がありました。

 今朝、人事異動の内示があり、私たちの課でも約1/4の入れ替えがありました。
とてもいい人材ばかり抜かれたようで残念なのですが、こればかりはいたし方のないことです。
 むしろ、新たに入ってくる人材に期待し、ともにがんばろうと心新たにしています。

 今日は、松山市全体の異動の内示なのですが、これを受けて私たち課内の人事異動に着手しました。
午後から、新たに来ていただく人達と面談をさせていただきながら、どういった人なのかを自身の目で確認させていただきました。
私たちの課の難しさは、いきなり未経験の公民館という最前線に、一人ポーンと送り出されてしまうのですから、たまったものではありません。
 しかし、課長は非情にも、そのことに関係なく配置していきます。
 そのときに大切なことは、なぜその公民館等に配置するのかを明確に説明ができるよう作業することだと思っていますし、そうしています。

 また一方で、来年度の課の方針や事業戦略・戦術についてわかりやすく説明をする必要があります。
「そのために、君をここにおきたい。」と説明できる上司になろうと努力しています。

 転出される職員のみなさんへ

  本当に地域や住民のために働いてくれました。
  そして、私をよく支えてくれました。
  心から、お礼を申し上げます。


 残られるみなさんへ

  引き続き、私がご迷惑をおかけすると思いますが、
  ご支援をお願いします。
  また、地域や住民のためにがんばってください。


 新たに転入されるみさんへ

  ともに汗をかき、ともに地域や住民のためにがんばりましょう。
  「つらいことを楽しく、楽しいことをより深く」の精神で
  ともにがんばりましょう。

厳粛

2008年03月24日 12時19分22秒 | その他
☆☆☆ 泊小学校卒業式

今日の午前中は泊小学校の卒業式に市長代理で出席してきました。
昨年に引き続いての出席でしたので気分的には楽でした。

卒業生は昨年五人に対し、今年は三人、そして来年はゼロになるそうです。
でも、式は厳粛かつ心温まるものでした。

 こういった式を堅苦しいと揶揄されるご尽もおられますが、節目節目のこういった式の中に改めて日本の持つよさを感じました。

中島文化祭

2008年03月23日 22時27分08秒 | その他
★☆★ 今年度、最後の文化祭

 松山・高浜港から高速艇で20分くらいのところに中島という島があります。
 今日は、そこの文化祭に行ってきました。
 朝8時半から開会式が行われ、その後、保育園児から小学生、中学生まで、それぞれが歌や踊りなどのセレモニーを披露してくれました。

 昨年は、演歌歌手の坂本冬美さんが来られ、文化祭に花が添えられましたが、今年は来ないということで少し寂しい気がしました。(でも、ちゃんと坂本冬美コーナーがありました。)

 この文化祭の売り物は、炭火焼のイカ焼きと牡蠣焼きです。値段もお手ごろです。

 帰りに船着場の待合室で、土筆(つくし)と何種類かのみかんを買って帰りました。
器量は悪いですが、味はおいしく、まるで私のようでした。

紙芝居コミュニティ発信!!

2008年03月22日 19時32分50秒 | その他
☆☆★ 紙芝居免許皆伝

 今日の午後は、石井公民館の紙芝居講座の修了式に出席するために出かけました。
この講座は、紙芝居の「いろは」からスタートし、師範代、免許皆伝までの4回シリーズです。

 私たちは、昨年から団塊の世代が退職し始めたのを契機に、そのシニア層を地域活動の中に取り込もうと、検討をし始めています。
私もそうなのですが、人は歳を増すごとに、人のためになることをしたいと思い始めるものだと思うのです。
 しかし、難しいことはできませんから、わかりやすく、楽しいことからスタートしようと思っています。

 そして、そこから生まれてきたのが「紙芝居」なのです。
シニア層にとっては、とっても懐かしく、郷愁をかき立てるものだと思ったからです。
でも、これがそう簡単ではありません。
前にも書きましたが、紙芝居は本当に奥が深いのです。
また、人前でやるというよりは、演じることの難しさ、一度経験していただくと良くわかっていただけると思います。

 そして、今日、免許皆伝の人が4人誕生しました。
この人たちが、リーダーとなって、一人でも多くの免許皆伝の資格を持つリーダーを育ててほしいものであります。

 イーダーの皆さま、ご協力ありがとうございました。


★☆☆ NPOユニバーサル・クリエートの定例会

 石井公民館の紙芝居講座の修了式の後、NPOユニバーサル・クリエートの定例会に出席してきました。
少しづつですが、一歩一歩着実な成果が見えてきました。

 これもたくさんのチエの結集だと思います。
 先が明るく広がって見えてきました。

クレームから学べるもの

2008年03月21日 23時11分48秒 | その他
★★★ 思い返せば

 私は小さい時、引っ込み思案で、母親が学校の個別懇談会で「もっと積極的になるよう家庭でも指導してください。」とよく言われた。
その理由は、授業中、手をぜんぜん挙げない子だったからです。
先生の質問に対する答がわからなかったわけではありません。
当てられて、人前で答を話すのがとにかくイヤだったのです。

 今の私からは、想像もつかないような子でした。
人に流されるのが楽だと思っていましたから、自分がリーダーに成れるなんて思ったこともありません。

 多分、人と面と向かって話すのが嫌いでした。
恐らく、一人っ子で自分ひとりで遊ぶことが好きだったからでしょう。

 そんな私が市役所に入ってから、さまざまな窓口業務を担当してきました。
選挙管理委員会事務局の時には、当時は不在者投票事務がありましたから、その窓口(ほとんどがクレーム対応)でした。
かなりキャリアを踏んでも、なぜかクレーム対応からは抜け出せませんでした。
選挙管理委員会事務局は14年間勤務しましたから、その間の選挙全部でクレーム対応だったような気がします。
しかも、年を追うごとにクレームの質が複雑になってきていたような気がします。
 そして、その次の学校教育課時代の学籍事務担当の時もクレーム対応でした。
 なぜか、事業部門のときは、クレーム対応から抜け出せませんでした。

 こんな私も、最初頃は、クレーム対応がイヤでイヤで堪(たま)りませんでした。
でもいつしか、苦にならなくなり始めました。
いつからかはわかりません。

 民間では、クレームの中にビジネスチャンスが潜んでいると言われますが、行政に対するクレームは、そのほとんどが憤懣(ふんまん)やるせない思いからくるものですから、そんなに簡単ではありません。
つまり、理不尽なクレームが多いのです。

 でも、最初に気づいたことは、大きな声を出す人は攻略しやすいということです。
それは、人は何時間も大声を張り上げ続けることはできませんから、じっと疲れを待てばいいのです。
実は、議論の時もそうですが、相手が感情的になっている時には、どのような提案も受け入れてもらえないからです。
 それに反して、声の起伏が少なく、理詰めでクレームを言う人は、長丁場になると覚悟しなければなりません。

 クレーム対応の秘策はありませんが、私は怒られながら、しばしば「この人が本質的に求めているものは何なんだろう?」と思ってしまいます。
 そして、その求めるものが法的に問題ないのか、さらに仮に言い分どおり認めたときに今後、何の問題も起こらないのかなどを組み立てます。
 さらに、今まで認めなかった市民がいたとしたら、アンフェアな対応にならないかといった面からも考えます。
その判断を下していくと、大体はノーを言わなければならないことの方が多くあります。

 問題は、その時の断り方です。
 まず、相手を否定するような言い方はしないことです。
相手の感情を逆なでするだけですから。
どんな理不尽なクレームでも、何点かは理にかなったところがあります。
そこを徹底的に肯定しながら、できるだけ相手に自分の非があることを気づかせるようにもっていければ、師範代の腕前です。

 もう一度、クレーム対応について整理すると、
  ①相手の疲れを待つ
  ②相手を否定しない
  ③相手の肯定できる点を見つけ、何度も肯定する
  ④相手に自分の非を気づかせる
  ⑤今後の対応フローと予定日を明示する

 クレームは何度も申しますが、対応をするのは嫌なものです。
 でも、クレームが発生したときに「そらきた!!」と思えるようになったら、まちがいなく免許皆伝です。

人の嫌がることをやると

2008年03月20日 22時15分09秒 | その他
☆☆☆ 当たり前のことをすると

 仕事をしていて、さまざまな調整が起こります。
その時によくあるのは「それは、私の部署の担当ではないと思いますよ。それに手いっぱいで人もお金もありませんし...。」と断れることがしばしば見られます。
いわゆる「仕事したくない症候群」にみまわれている人たちです。

 私はある先輩から、「やる気というのは人の仕事を奪いとるくらいの勢いでやって評価されるものだ。」と言われ育ちました。

 そして、それを実践すると、まずドカッと仕事がやってきます。
それらの仕事を一つづつかたずけていくと、一方的な押しつけから相談へと変わります。
さらに、最新の情報を提供してくれるようになりました。

 そのおかげで今の自分があります。
私は人と違うとよく言われますが、違うことをしたのではなく、人の嫌がることをしてきただけなのです。

愛媛子ども虐待を考える会(仮称)

2008年03月19日 23時16分45秒 | その他
★☆★ 今日のできごと

 私の部署では子育て支援も担当しているのですが、児童虐待だけは今まで関わっていませんでした。
しかし、このことについては地域のつながりが希薄化してきてたことも、問題をより深刻化しているんじゃないかと個人的には思っていました。

 そんな折、知り合いのO先生(県医師)から児童虐待についてお話を聴かせていただき、その勉強会を立ち上げる時には、ぜひ参加いただきたいというお誘いを受けていました。

 しかし、何ができるのかと自問自答していましたが出てきた答は、自分のできることからやってみようというありふれたものでした。
 具体的には、虐待が発生した時に、いかに初期対応ができるか否かだと思うのですが、そのための地域社会システムが必要であると気づきました。
そして、いきなり児童相談所に連絡する間でいたっていないケースがあるでしょうから、それを受け止める機関が必要ではないのかと。
 どうやら、この会が目指すのは、その中間的な機関のようです。

 なるほど、必要やなあと。
 微力ですが、何かお手伝いができそうです。

 参加者は、児童相談所、NPO、育児相談員、児童養護施設施設職員、県警、行政など、さまざまな方がおられました。
本当に難しいと思いますが、子どもたちのためにがんばりたいと思っています。

若い芽

2008年03月18日 19時48分54秒 | その他
☆☆☆ 若い職員のアイデア

 本市では若い職員の横断的プロジェクトで自由に職員提案する制度があります。
今日は、その成果発表会がありました。

 その中に「子育て支援提案」があり、その一部が私たちの部署に関係していたので、同席をしていました。
よくまとまっていたのですが、担当スタッフや経験者が入っていなかったために、どうしても詰めの部分で甘いところがありました。
でも、よくまとまっていて、その意気込みは十分伝わってきました。

 若い職員が真剣に議論しながら、まとめたんだろうなあとプレゼンを聴きながら、その過程に思いをはせていました。
彼らが一生懸命まとめたものを担当者としてどう調理していくか、これから先は私たちの仕事です。

 今、日本という国には「当事者意識」がなくなってきたと言います。
しかし、今日の若い職員たちは、自分の仕事でもないことを真剣に自分のものとして受け止めがんばってくれたのです。
中には、「いらんことをするな。」と一瞥(いちべつ)するだけで相手にしない御仁もいるかもしれません。
しかし、彼等は少なくとも、目先だけでなく地域やその中の住民の幸せを思い、取り組んでくれたのであります。

 そのことを何よりも大事にしたいと思います。


☆★☆ 小栗上野介の逸話

 江戸幕府が終焉を迎えようとした時に、小栗上野介(おぐり・こうずけのすけ)という勘定奉行がいました。
彼は、日本で始めて横須賀に造船所を造った人です。

 彼の逸話の一つにこのようなものがあります。

 「幕府の運命に限りがあるとも、日本の運命には限りがない」

幕末にある幕臣が「幕府の運命もなかなかむつかしい。費用をかけて造船所を造ってもそれが出来上がる時分には幕府はどうなっているかわからない」と言ったのに、小栗上野介が語った言葉。

小栗はさらに様子を改めて、
「私は幕府の臣であるから幕府のためにつくす身分ではあるけれども、結局日本の為であって、幕府のしたことが長く日本のためとなって徳川のした仕事が成功したのだと後に言われれば、徳川家の名誉ではないか。国の利益ではないか。同じ売り据え(売家)にしても土蔵付売据の方がよい。あとは野となれ山となれと言って退散するのはよろしくない」と語った。
(島田三郎「懐舊談」・『同方会報告』明治28年6月・第1号・17P/のち1977昭和52年立体社より復刻)

 何のために仕事をするのか、誰のために仕事をするのか、それを日々自分の中で噛みしめながら仕事をしていると、若い職員たちの提案は、本当にありがたいと感謝してしまいます。


卒業式

2008年03月17日 18時27分17秒 | その他
☆☆☆ 高浜中学校の卒業式

 今日午前中、市長代理として高浜中学校で祝辞を代読させていただきました。
驚いたことが二つあります。

 一つ目は、卒業生のクラスが2クラスしかいないということです。
本当に子どもたちが少なくなっていることを実感しました。

 二つ目は、生徒たちのきびきびした動きに驚かされました。
もともと、この中学校の生徒はあいさつができ、礼儀正しいというイメージと二年前にPTA主催の潮干狩りをやったときに、前日の準備をたまたま通りがかっただけなのですが、いやな顔をせず手伝ってくれた好いイメージがあります。

 また、卒業生代表の挨拶がとてもよく、つい涙腺が緩んでしまいました。
これからたくさんの苦労を経験すると思いますが、くじけず、人を思いやる人になってほしいと思います。


☆★☆ 高浜公民館の川内公民館長の卒業

 川内公民館長が任期途中で退任されるという情報を得て、今日、卒業式で同席をさせていただく機会を得ましたので、式の後、いろいろとお話をさせていただきました。
館長の意思は固く、自分が任に就いた時から考えていた高浜地区の歴史年表作りが終えたこと、家庭事情の大変さなどなどをお聞きするうちに、慰留の言葉が出なくなりました。
 館長はボランティア・ガイドもされ、この地区に秋山兄弟の銅像があることから、NHKの「坂の上の雲」のドラマが始まる前に、この高浜地区の歴史観光ガイドのネットワークを整備したいといった夢も聞かせてくれました。
 この高浜地区は、スポーツで有名でしたが、そこに歴史文化を融合したのは、恐らく川内公民館長が始めてではないでしょうか。

 地域は、こういった地道だけれども次の世代に引き継いでいくものを大事にしなければ衰退します。
そのことを川内公民館長は、ご理解され、実践してこられたのだと思います。
本当に長い間ありがとうございました。
そして、今後とも地域活動を異なる分野で支えていただければと思います。

サラリーマン川柳

2008年03月16日 10時58分57秒 | その他
★★☆ 思わず噴出す

 今年も第21回第一生命サラリーマン川柳(通称「サラ川」という。)の傑作100選が発表されました。
私は、この川柳が大好きで、毎年楽しみにしています。
 例えば、上司を風刺したものを紹介すると

 ●「空気読め!!」それより部下の 気持ち読め!!
 ●赤字だぞ あんたがやめれば すぐ黒字
 ●「まかせたよ」 言われた割には 指示多い
 ●風通し 言ってる上司が 防風林
 ●やってみろ 結果よければ 俺の指示

 そして、私の体型的に言うと

 ●温暖化 おなかの肉は 段々化
 ●原油高 この日のために 脂肪ため

 どうです、「プッ」と噴出したものがありますか。
 このサラ川の最初頃は、私も部下という立場でしたから、無責任にこの川柳を見て笑っていたのですが、いつの間にか風刺される側に回っている自分に気づくと、心から笑えない自分がいるのも事実です。

 部下の声なき声を聴く上司になっているかというと疑問ですが、来年度は部下とのコミュニケーション手段として、この「サラ川」を応用した「よく聞け上司・公民館川柳」なんてやってみてもイイかもと思う私です。

あさひ派か、ことり派か

2008年03月15日 23時37分58秒 | その他
☆☆☆ UDON

 今日、テレビで「UDON」という映画をやっていました。
隣の香川県が舞台のこの映画は、夢破れた主人公がブロードウェーから帰国するところから始まります。
 そして、帰国し、一大ブームを巻き起こし、そこに親子愛や家族愛が絡み感動のエンディングで幕を閉じる映画です。

 そして、この映画もあって「うどん」といえば、四国では「讃岐(さぬき)うどん」というイメージが定着したと思います。

 でも、松山にも地元の人しか知らないおいしいうどんがあるのです。
それは、とってもマイナーなようで、多くの人が知っている「鍋焼きうどん」です。
場所は、中心部の銀天街商店街の裏通りにある「あさひ」と「ことり」という鍋やきうどんしか置いていないお店です。
よく似て非なるこの両店の鍋焼きうどんは、松山市民には本当に定番で、子供の頃、郊外に住んでいた私などは、母親が「お城下の鍋焼きうどんでも食べて帰ろうかなあ。」などというとときめいたものであります。

 しかし、この両店の鍋焼きうどんには決定的なちがいがあります。
それは「甘さ」です。「ことり」と比べると「あさひ」の鍋焼きうどんの方が甘いのです。
この決定的な違いが、松山市民をあさひ派か、ことり派かといった意見に二分してしまうのです。

 お酒を嗜(たしな)まれる方は、恐らくことり派でしょう。そして、甘党の方はあさひ派だろうと思います。

 讃岐うどんほど麺にこしはありませんが、なぜか病み付きになる味です。
場所はわかりづらいので、商店街を歩いている年配の方を捕まえて場所を聞いてみてください。
そして、「うどんといなり」というだけで、すぐに出てきます。
その時の注意が、二つあります。
 ①お金は前払いです。
 ②ついてくるれんげはアルミなので鍋の中に入れておくと熱くなって
  持てなくなります。使わないときは、鍋のふたに置いておきましょう。

 ※写真は、あさひの鍋焼きうどんです。