走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

旅立ち

2014年03月12日 19時43分52秒 | びっくり

元部下が、また一人別れを告げに来た。

今月末をもって退職するという。

彼なりに考えた末であろう。

昔の私であったら必死で止めていたかもしれない。

だが、新たな希望をもって進むための結果であれば、「それも善し」かもしれないと思うようになった。

むしろ旅立つことを喜んで送り出してやりたいとも思う。

彼のこれからの未来が素晴らしいものであるように心から祈りたい。

おそらく、彼は多くの人から「もったいない」、「馬鹿なことはやめろ」と言われたかもしれない。

しかし、仕事は楽しいことに越したことはない。

どんな仕事も辛いものであるが、自らが進んで決めた道なら我慢もできるはずである。

魅力ある仕事はたくさんある。

しかし、それを見つけられるかどうかは本人の力量でもある。

安住よりも楽しさを優先する生き方があってもいいと思う。

「がんばれ!!」としか言ってやれないけれど、とにかく「がんばれ!!」

 

 


痛い!!

2013年04月13日 18時12分19秒 | びっくり

 「ばね指」て知ってますか?
 手の指を曲げたり伸ばしたりする際に抵抗があり、ばね仕掛けのように動く症状をいい、曲げ伸ばしの際、痛みを感じるものです。

 そのばね指に左手中指がかかってしまいました。
 しばらく放っておいたのですが、朝起きると曲がったままで戻そうとするととても痛いのです。

 そこで行きつけのクリニックへ行くと、簡単に「ああ、ばね指ですね。やっかいですよ。」と言われる。

 「治るんですか?」

 「はい、ただ早く治す方法とゆっくり治す方法とどちらがいいですか。早く治す方法は、少し痛いんですが」

 「早く治る方法でお願いします。」

 「わかりました、では電気でしびれさしておいてから注射しましょう。」

 「はい(不安)...」

 そして、治療室に入り15分程度電気をあて、手がしびれたところで医師が入ってきて次のように言うのです。

 「こんなところに注射されたことないでしょ?たぶん注射の中で一番痛いかもしれないなあ。」

 なんだか嬉しそうである。

 そして、写真のところに直接注射され、

 思わず、「痛!!」

 「先生、原因はなんなんですか?」

 「よくわかっていないんですが腱鞘炎みたいなものです。老化の一種だと思ってください。」

 こちの方が痛かった。



夢の扉 + /人体の臓器や細胞を3DのCGで超リアルに再現!

2013年01月31日 18時54分14秒 | びっくり

 現役研修医が医学界に革命を起こす!
 科学も医学も可視化する最先端技術

 東京大学医学部附属病院 研修医/サイエンスCGクリエーター 瀬尾拡史 さん

 『“サイエンスを、正しく、楽しく。” それがモットーです』

 “心臓の周りには、どのように血管が張り巡らされているか―” “肺への空気の通り道、『気管支』ってどんな構造?―” 
 医学書で見ても、難解な私たちの体の中・・。
 CT画像などを見ながら、医師に治療方針の説明を受けても、なかなか理解が難しい・・。

 「患者さんが見ても分かりやすいモノを!」 

 人間の臓器や細胞などを細部まで“見える化”しようと、科学的根拠に基づいた正確な3D(3次元)のCGを作画する“天才”がいる。
 瀬尾拡史、27歳。
 国内では“未発達”の、メディカルイラストレーションの分野に革命を起こす、現役の研修医だ。瀬尾がCG化に成功したのは、細かく枝分かれする『気管支』。

 もとにしたデータは、なんと自らの肺のCT画像450枚!
 気管支が、ディスプレイ上で自由自在に動き、多角的に検証できる。
 瀬尾は言う。「高度な科学も、視覚的に理解が広まれば、10年かかっていた技術革新が5年で済むかもしれない」

 瀬尾が“科学するCG”を志したのは、中学2年生のとき。
 『驚異の小宇宙~人体』というテレビ番組で、人体や遺伝子の構造を描いた映像に魅せられた。
 東京大学医学部で学ぶ傍ら、CGの専門学校へも通い、スキルアップに励む。

 さらには、嘆願書を片手に大学を説得し、この分野で最先端を行くアメリカの大学への留学をも成し遂げた。

 そんな瀬尾が一躍注目を集めたのが、4年前、初めての「裁判員裁判」の時。
 専門用語が並ぶ鑑定書の内容を、裁判員も理解できるよう、CG化の依頼が最高検察庁から届いたのだ。

 そして、瀬尾が再現した死因をめぐる法医学CGは、審理に採用された―。

 瀬尾が今、挑むのは、3DでCG化した気管支を、医療技術に生かすこと。
 内視鏡を手にした現役医師たちによる、医学界史上、画期的な試みが行われる。
 果たして瀬尾のCGの有用性は―? 
 美しくも圧倒的なサイエンティフィックCGの精密な世界を、テレビ初公開!

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 以上が同番組ホームページからの紹介である。

 私も経済部門の時に科学雑誌を貪るように読んだ。
 それは、現在の最先端技術がどのようなもので、将来、科学技術がどの方向に進むのか、自分なりに見極めたかったからである。

しかし、難解な論文や専門書は読めない。
 そこでCGが具沢山の科学雑誌を手にした。

 そういう意味では、研修医でサイエンスCGクリエーターである瀬尾拡史さんのような方に大変お世話になったわけである。
 瀬尾さんの発想はすばらしく、さらに3G模型にアウトプットするプリンターにデータを出力し、気管支模型を作ってしまうこと。

 そして、それを使って内視鏡の研修に役立てる。
 驚いたことに、研修医の技術スキルは飛躍的に高まるだけでなく、習得までの時間が短縮されるという。
 このことが、何よりも凄い。

 私たちは市民とのコミュニケーションをする時、理解不能な文書を作成し、説明できたと思っている。
 しかし、市民は言わないだけで、内心、「何が言いたいか、わからん」と思っていることがある。

 明治時代に道後温泉本館を改築した道後湯之町初代町長伊佐庭如矢(いさにわ ゆきや)は、市民に向けて設計図から縮小模型をつくり、披露することで合意形成を図ったという。
 例えは違うが、人に伝えるという点では伊佐庭如矢も瀬尾さんも同じ思いではないか。

 そして、私たちはこの二人の思いを見習わないといけないと思った。

知ってるけ?

2012年10月10日 00時48分35秒 | びっくり

 友達の店に行ったら、「津山さゆり、知っとる?」といわれた。

 「誰、それ?」

 「やっぱり、知らんか...」と言うなり、傍らにあったCDをかけた。
 女性の演歌歌手の歌が流れる。

 「聴いたことないなあ」とつぶやくと、松山出身の演歌歌手なのだそうだ。
 彼曰く、「愛媛マラソンに合わせた曲なんやけど、『ランナー』という曲がブレイクしたんよ」ということなのだそうだ。

 そして、最新曲「無花果(いちじく)の歌」のPRチラシを見せられる。
 「どう、きれいやろ?」

 確かに、でも知らんかった...

 「ジャズぎり聴きよるけんよ」と痛烈な皮肉が飛んでくる。

 「きれいな人やねぇ」というと、「本人はもっときれいやけん」と追い討ちをかけられる。

 何もできないので、このブログで宣伝だけしておきます。

 

 

 

 がんばってくださいね、津山さゆりさん!!

 津山さゆり公式ホームページ  http://sayuritsuyama.p2bindsite.jp/


高校生が世界新!

2012年09月15日 23時50分07秒 | びっくり

 “北島2世”が本家以来の世界新記録を打ち立てた。
 競泳少年A(高2、3)男子200メートル平泳ぎで、鹿児島・志布志高3年の山口観弘(18)が2分7秒01で、ロンドン五輪金メダルのダニエル・ジュルタ(ハンガリー)の世界記録を0秒27更新した。
 日本人の世界記録は02年以降5度樹立した北島康介以来。
 ロンドン五輪出場を逃した新星が、4年後のリオデジャネイロ五輪の金メダル最有力候補に名乗りを上げた。

 岐阜の青空に右人さし指をゆっくり突き上げた。
 電光掲示版で世界新記録を確認した山口は世界最速の男になったことを誇らしげに示した。
 ジュルタの金メダルタイムを0秒27更新する2分7秒01。
 「正直、狙っていたのは2分6秒台。あと少しだった」。
 悔しさが先に口をつく当たりが、この男のスケールの大きさを物語っていた。

 北島も、ロンドン五輪銅の立石もいないジュニア世代のレース。
 山口はスタートから抜け出した。
 1メートル74と小柄ながら力強い腕のかきで、前半100メートルを自己最速の1分1秒72。
 150メートルで世界記録に0秒62に迫った。そして「僕の一番の強み」という得意のラスト50メートルでピッチを上げた。そのラップタイムは32秒23で、ジュルタの世界記録時の33秒12、北島の日本記録時の33秒27を大幅に上回る。風や波の影響を受けやすい屋外プールだったことは関係ない。驚異のラストスパートで世界記録を打ち立てた。

 今年4月のロンドン五輪代表選考会は100メートルも200メートルも北島、立石に続く3位で出場権を逃した。五輪では同学年の萩野公介が400メートル個人メドレーで銅メダルを獲得し、刺激を受けた。
 「負け惜しみに聞こえるかもしれないけれど、五輪に出られなくてよかった」。
 この1年間で4秒49短縮。
 五輪落選の悔しさをバネに、あこがれの北島の記録も超えた。

 02年秋の釜山アジア大会200メートルで初めて世界記録を出した北島は翌年のバルセロナ世界選手権で世界新で2冠を達成した。
 くしくも来年の世界選手権の開催地はバルセロナ。
 「直接対決で世界一になったわけではない。挑戦者として実力を証明したい」。
 山口の目の前には北島の歩んできた栄光の道が広がっている。

 ◆山口 観弘(やまぐち・あきひろ)
  1994年(平6)9月11日、鹿児島県志布志市生まれの18歳。
  志布志高3年。
  3歳上の兄・大貴さん(法大)が所属していた志布志DCで、5歳から水泳を
  始める。
  平泳ぎは100メートル、200メートルともに中学、高校記録を持つ。
  100メートルが苦手だったが、8月の高校総体で日本歴代3位の59秒56を
  マーク。
  来春から東洋大進学予定。
  1メートル74、67キロ。
                   <スポニチ 2012.9.16より>

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 すごい高校生が出てきたものだ。

 ただ、北島康介という世界トップのアスリートがいたからこそ、出てきた逸材ではなかろうか。

 水泳は、個人の記録に挑戦し続けるスポーツのようだが、その成果が後に続くアスリートを生む。

 私たちの仕事も同様で、自分と戦いながら、自分を目標にしてくれる仕事ぶりも大切なのである。

物騒な世の中

2012年09月05日 20時30分38秒 | びっくり

 今朝、女児の誘拐事件が2件発生したというニュースが飛び込んできた。

 本当に許せない事件である。
 何も抵抗できない子どもを無理やり襲い、どうしようと思ったのか。
 そのうちの一件は、タクシー運転手が気づき大事には至らなかった。

 もう一件は、同じマンション内での事件で、こちらも早期解決には至ったが被疑者の父親が殺されるという不幸な事件に進展している。

 どちらも事件性としては幼稚で、自己中心的な犯行である。

 私も今年度、124世帯あるマンションの理事長をおおせつかっている。

 世帯数が多いとさまざまなことが発生する。
 例えば、植栽の枝が邪魔なので何とかして欲しい、台所の排水口が流れにくいから始まって、長期修繕計画の策定や資金の効率的運用まで、その範囲は幅広く、日々、さまざまなことが起こっている。

 これって本業によく似ている...

 などと思いながら、できるかぎり笑顔で対応。
 とくにアクシデントのときなどは、相談に来られた人の顔は不安でいっぱい。

 そういう時は優しく「よくあるらしいですよ」といってあげると少し落ちつく。

 「業者さんを呼ぶと直りますからね」と付け加える。

 そして、ここが感じなのであるが、「この部分は共有部分なので管理組合の方でお支払できるのですが、この部分は専有部分ですから自己負担になります。まことに申し訳ないのですが、ご理解くださいね」というと大概は納得いただける。

 この共有部分と専有部分の線引きがはっきりしているので説明しやすい。
 例えば、ベランダの窓ガラスは大風で外から物が飛んできて破損した場合は共有部分の損傷として扱われる。
 一方、子どもたちがふざけていて内側からガラスを損傷した場合は専有部分の損傷として扱われる。

 同じ窓ガラスですが、内か外かではっきり線が引ける。

 私たち行政もこのようにはっきりと線が引けるといいのだが... 

 

銀メダリスト、現る!

2012年08月28日 22時51分01秒 | びっくり


 先のロンドンオリンピック柔道の銀メダリストの中矢力さんが母校・生石小学校に御礼に来られた。
 学校から案内があり、私も(ちゃっかり)同席させていただきました。
 試合中の負けん気の強い顔とはうってかわって、温厚で小学校時代の恩師の名前をすべて覚えていたのは、驚きでした。
 6年生の時の担任の先生から、「柔道以外は他のスポーツはからっきしダメやったなあ」とエピソードが飛び出るとかなり照れていました。
 子どもたちにはとても優しく、この中から明日の中矢力さんが生まれたらいいなあと、つい思ってしまいました。

 おそるおそる「銀メダル、さわってもいいですか?」とお願いすると、気さくに「いいですよ」といってさわらせてくれました。
 (とても重かったですよ)
 本当に素敵な好青年でした。

 次のオリンピックもがんばって欲しいものです。
 きっと生石地区あげて応援をしますからね。

  本人とお母さん

  恩師から花束や記念品をもらっていました

  恩師と記念写真

  恩師と記念写真

  子どもたちへと一生懸命メッセージを書いていました。

 

 

 

 

 

 

 子どもたちに夢を持つことの大切さを熱く語っていたのが印象的でした。

中学校のキャリア教育

2012年05月10日 22時53分13秒 | びっくり

 今日、市内の中学校のキャリア教育の講師を頼まれた。
 その中学では、熱心にキャリア教育に取り組まれているということで、まず子どもたちに「将来、どんな職業につきたいか」と訊ねるそうである。

 景気が悪いせいか、公務員志望が100名もいたというのである。
 そのため、2時限にわけ、2回同じ話をして欲しいということであった。

 志望する職業はさまざまで、どの職業もその職についている人たちが講師になって話をするそうである。

 ということは、私が公務員の代表??

 私が選ばれた理由を訊ねると、声をかけてくれたNさんが、「公務員といえばあなたの顔が真っ先に浮かびました」と気分がよくなる返答。
 つい、ずにのって、「ぜひやらして欲しい」といった内容の返答をしてしまう。

 いつもながら、勢いで返しておいて時間の経過とともに後悔する。
 「またやってしまった...」
 
 「何か決め事はありますか?」と訊ねたところ、「お任せします」という返答。
 なんと大胆というか、思い違いをしているというか、暴走しますよ...

 持ち時間は50分×2時限

 改めて学校の先生の凄さを感じる。

 子どもたちの夢を壊さないような話ができればいいと思っている。
 将来の優秀な後輩たちをリクルートするつもりで頑張ろうと思う。

90歳が変える未来のテクノロジー/温故創新

2012年03月15日 22時31分57秒 | びっくり

 先日、NHKのクローズアップ現代で90歳のお年寄りのチエをもらって、最新テクノロジーに応用しようとしている取り組みの紹介があった。内容は、次のようなものであった。

 大学院で研究が行われている最先端の家庭用バッテリーです。
 こちらは部屋の隙間風でも電気が作れる風力発電機。
 これらのテクノロジーの開発にヒントを与えたのは、実は90歳前後のお年寄りのことばです。

 働き盛りだった1960年代、家庭のエネルギー消費量は現在の半分以下でした。
 「自給自足だね なんでも作ったね」
 当時の暮らしの知恵を聞き取り、未来のテクノロジーを生み出す取り組みが進んでいるのです。

 かつて暮らしを支えていたのは自然の力でした。
 その知恵は今や大きなビジネスチャンスになろうとしています。
 環境経済学者は、
 「自然に学んだテクノロジーで1億人の雇用を生み出せる」と言う。
 90歳のお年寄りと先端技術の融合が生み出す未来のテクノロジー。
 その可能性を探ります。

 90歳前後のお年寄りから聞き取り調査をしている東北大学の古川柳蔵さんです。
 この日、訪ねたのは宮城県の山あいの集落の農家です。
 86歳の高橋敏幸さんといそ子さん夫妻です。
 

 「各家で近くの湧き水から水を取ってるんですか?」
 「そうそう。」
 古川さんたちはおよそ2時間かけて昔の暮らしぶりを聞き出していきます。
 「湧水、水路作って 水船、家の中に水船作って。 
 その水船の中にイワナがゴチャゴチャ入ってくるんだわ」
 イワナが飛び込んできたという水舟が今も残っています。
 

 山の湧き水を引き込み、上の段を飲み水に、下の段を食器や野菜洗いに使う、水を大切に使うためのシステムです。
 自然を生かす巧みな技術が暮らしに取り入れられていました。
 「自然に対して あまり無理しないことだな。無理すれば必ずどっかで破れていくんだ」

 聞き取りは山村の暮らしから町の暮らしまで広範囲に及びます。
 仙台市内に住む、今年98歳になる佐藤すずさんは、「昔はお互いに支え合うつながりやおおらかさがあった」といいます。
 「お風呂も頂いてね、みそ、しょうゆも頂きました。」
 「それは隣近所の人たちからですか?」
 「隣近所っていいもんですね。昔はね、助け合いですね。何もない時は、それでも楽しかったですね。なければないなりにね。」

 東北大学大学院 古川柳蔵准教授は言う。
 「90歳の方々から聞くと我慢じゃなくて、その中にやっぱり楽しみがあったり、知恵があって、なんかそういう豊かなところっていうのはぜひ将来のわれわれの社会作りに生かしたいなと。」
 90歳から聞き取った調査結果を先端技術にどう生かすのか。

 研究チームはまず130人以上の聞き取り結果の中から、現在、失われつつある物事を抜き出していきます。
 そして、その物事を支えている要素は何かを考えます。
 例えばうっかり調味料を切らせたとき、隣人と融通し合うみそやしょうゆの貸し借りには、おおらかさ、助け合い、そしてお金に換算できない価値があると考えました。

 また、水くみや炊事洗濯のために近所の人たちが集まり、会話に花を咲かせる井戸端会議。
 そこからは出会う仕組みと場、大事なことでつながる地域地域の楽しみを聞き出しました。
 聞き取りから抽出された要素はおよそ70余り。
 それを20代から60代の男女にアンケートを取り、現在の生活にも活用できるか調査しました。

 すると自然や社会的なつながりに関連の深いキーワードが重要だと分かってきたのです。
 90歳から得たキーワードをもとに、新しいテクノロジーを開発している研究施設です。
 「家は生産の場」というキーワードをもとに家の中で発電できるさまざまなシステムを導入しています。
 部屋の隙間から入る僅かな風でも回るマイクロ風力発電。
 そして、雨水がといを流れ落ちる力を利用した水力発電もあります。
 みそやしょうゆの貸し借りや共有をキーワードに生まれたのがバッテリー。
 「ポイントは必要なときに抜いて、それでいろいろな所へ持って行ける。エネルギーを必要に応じて動かせる」
 みそやしょうゆのように、地域でエネルギーを融通し合いより楽しく豊かな暮らしを可能にします。

 東北大学大学院 田路和幸教授は、
 「90歳のヒアリングを通じて科学技術をやっている人間がイメージすることができた。その街作りとかいうところにそのイメージがしっかりしたもんですから、いろんな展開っていうのはこれから可能になってくるだろうなと思います。」

 この研究には、大学以外に企業も参加しています。
 住宅メーカーに勤める佐藤哲さんです。
 90歳への聞き取り調査を行いました。
 そこで得たアイデアをもとにパークレットという新たな憩いの場を作ろうとしています。
 パークレットとは太陽光発電とバッテリーを組み合わせた現代版の井戸端。
 
 携帯電話などを充電したり電磁調理器で料理を楽しんだりする人たちが集います。
 自然エネルギーが人と人とをつなげる地域の新しいコミュニケーションの場です。
 仙台市郊外の住宅分譲地です。
 「この辺りですね。」
 ことしの夏ここに初めてのパークレットが設置される予定です。
 「今回、90歳ヒアリングから聞いたこのパークレットで全く新しい光景がここに出来るんじゃないかなと思って期待してます。」

 ゲストの石田秀輝さん(東北大学大学院教授)は、次ぎのようにまとめる。

 ●みそやしょうゆからエネルギーの貸し借りへ
  みそやしょうゆというのは、実はなくなったから借りに行くということだけではなくって、コミュニケーションツールなんですね。
  みそやしょうゆを借りにいくことで、お隣さんと、より近くコミュニティーがしっかりしてくる、そういう概念を持っているわけです。
  そう考えると、今の時代にみそやしょうゆでは、きっとないだろう。
  じゃあ何なんだろうと、だったらエネルギーではないのかと。
  今日うちたくさんの人が来るから、パーティーやるから、エネルギーちょっと貸してよね、電気貸してよね、しばらく旅に行くから、
  うちの電気使ってもいいよ、そういう概念がそのみそやしょうゆということから今の時代に移り変わってきている、そういう発想です。
  残念ながら今、いろんなものがエコになって、みんなの意識もエコになってるんだけども、環境劣化はどんどん進んでいる。
  そんな中で、僕たちはライフスタイルという研究をやってるわけですけれども、環境に対して。
  そのライフスタイルの研究をすると、もちろん今の人たちの潜在的意識の中に、利便性というのがすごく強くて、同時に自然を求めて
  る、楽しみを強く求めているんですね。
  でも楽しみって今、僕たちの周りに山ほどある。
  なぜ楽しみなんだろう。
  そこがきっかけなんですけども、90歳の方々は、必ずこうおっしゃるんですね。
  「昔は大変だったけども楽しかった。今はいっぱい便利になったけれども、今の人たちはかわいそうだね」と。
  じゃあその楽しみの構造って、一体なんだろう、それが分かるともっとすてきなライフスタイルっていうのが作れるかもしれない。
  それが研究の最初の動機ですね。

 ●大きな発電所ではなく、軒先の発電へ
  例えば、今の科学技術、テクノロジーとしましょう。
  それはテクノロジーそのものの効率化だけを計る物差しが多く使われている。
  そうすると、風力発電でも大きくなればなるほど効率はいいわけです。
  でも、それがわれわれの暮らし方の豊かさにつながるんだろうかと、それはやっぱちょっと違うかもしれない。
  実はわれわれの豊かさっていう構図の中には、自分が関与して例えば電気を作る、あるいはその電気を自分が作った電気を自分で使う。
  そうすることによって、すごく心が豊かになる、楽しくなるという概念がある。
  じゃあそういう物差しで計ったときには、100メートルを超えるような大きな風力発電機ではなくて、軒先でくるくる回っているような、
  そんな風力発電機があってもいいんだろう。
  そういう発想で、今のようなものが見えてきているわけです。
  なかなかたまらなかったり、たまったものをどうやって有効に使おうか。
  そこにまた新しい知恵が出てくる。
  例えば自然に生かされてることを知って、それから自然を生かしてうまく使って、そして自然をいなすと、そういうことがお年寄りの
  方々、当たり前のように体の中に入っているわけですね。
  いなすっていうのは、柳の枝が強風でも折れない、ふにゃっといなしていくわけですね。
  そういう概念ですね。
  正面からぶつからない。
  今のテクノロジーっていうのは、やっぱり自然というのを力任せに制御しようとする。
  そうじゃなくて、そこはちょっといなしておく、そういうことも新しいテクノロジーの形になるんではないかと思っております。

 どうです。「年寄りの言うことなんか...」とうるさがっているあなた。
 その話の中には、いっぱいビジネスチャンスが隠れています。

若き経営者の誕生

2011年12月07日 20時42分02秒 | びっくり

 今日の夕方のニュースを見ていてびっくりした。

 なんと東証マザーズに25歳1カ月という若き経営者が誕生した。
 社名はリブセンス

 その主人公の名前は、村上太一社長。
 国内市場での最年少上場記録を更新したという。
 2006年6月に東証マザーズに上場したアドウェイズの岡村陽久社長(26歳2カ月)を抜いたというのだ。

 大変失礼な言い方だが、どこか幼さが残る風貌で、同社の中でも年齢的には下から三番目という。
 どこかぎこちなく、つい「本当に大丈夫?」と疑りたくなる雰囲気である。

 リブセンスは求人サイトの運営事業者なのだそうだ。
 従来のサイトが求職者と企業を結ぶ代わりに企業から広告料という名目で収益を上げるビジネススキームなのだそうだが、一件も良縁につながらなくても企業は経費負担をしなければならなかった。
 そこで、村上社長は広告料という形ではなく、成功報酬型に切り替えたというのである。
 これによってミキハウス社等は、従来求人にかけていた経費を半分に削減できたという。
 さらに、就職が決まった人には上限2万円で祝い金が出るというのである。

 まさに、求職者も、求人企業も、リブセンスも「三方善し」である。

 こうやって説明すると、「なあ~んだ」という御仁がおられるかもしれない。
 だが、「コロンブスの卵」ではないが、誰よりも先に思いつくこと、そして誰よりも先に実行し成果を出すこと。
 口先だけの御仁には到底出来ない。
 多くの企業が自分だけを考えている中で、世の中にとっての理想形を追いかけた村上社長だったからこそ成し得たと思う。

 また、最近の上場はさまざまな面で審査が厳しくなっており、コンプライアンスや企業のアカウンタビリティーだとか、本当に難しくなっている中での上場なのだ。
 しかも、弱冠25歳の社長が成し遂げたのである。

 おそらく株式市場の低迷などで新規株式公開(IPO)の件数が伸び悩む中で、IPOを目指す若手経営者らに元気を与える素敵なニュースである。
 私たち大人(シニア層)もこのような若者に負けないよう、より精進していけば、この国の未来は明るい!

北 杜夫さんの死

2011年10月26日 20時31分32秒 | びっくり

 夕方のニュースを観ていて悲しいニュースが飛び込んできた。

 作家・北杜夫さんが亡くなられたというニュースである。

 自分の中で北さんは特別な存在であった。
 北さんの本を読むまでの私は読書嫌いであった。

 中学生の時の親友の田所好成くんが、そんな私を見かねて、ドクトルマンボウ・シリーズを一度でいいから読めとしつこく薦めてきた。
 私は嫌々手にした。
 おもしろい!

 私の本に対する見方が変わった。

 そして、彼には内緒でそのシリーズを読んでしまう。
 確か、青春期から始まって、昆虫記、航海期へと読み進んだ覚えがある。

 さらに、タイトルは忘れたが遠藤周作氏とのやり取りの作品を読んだ。
 そして、遠藤作品へと移っていく。

 気がつくと、純文学の代表作も読むようになっていた。
 夏目漱石を読むと、彼と仲の悪かった森鴎外の作品を読む。
 三島由紀夫の初期作品から憂国まで読むと他の作家に移るといった具合だった。

 原文にも挑戦してみたが、明治初期の作品は自分にとっては難解で途中何回も挫折した。
 そのうち島崎藤村の作品に行き、彼の詩の作品に行き、そこからさまざまな作家の詩集を読み進み、宮沢賢治へ行き当たるのである。
 横道へはそれることもしばしばで、石川啄木の「一握の砂」などは心酔してしまう。
 ちょうど感受性豊かな時期とあいまっていたためかもしれない。

 本代がなかったので、高校時代は学校の図書館によく通った。
 当時の国語・古典・漢文が担任ということもあり、高校二年に上がる時に文系クラスか理系クラスかを選択する時に、理系を選択した時にはずいぶんと担任の子川明治先生を驚かせた。

 なにしろ、中学まで国語は大の苦手でテストの点はかなりひどかったが、高校に入るとずいぶんとよくなっていたからである。

 北さんの話に戻そう。
 彼がなぜ特別なのかというと、テストのときに彼の洒脱でユニークなテスト回答(青春期を参考)がずいぶんと参考になったからである。

 例えば、高校時代は生物でずいぶんと彼のテクニックを使った。
 「森の進化過程を説明せよ」という質問で、上手に説明ができないので、まず線を引き、矢印を引っ張り、それに草をはやし、また矢印を描き、低木を加え、またまた矢印を描き高木を描き森にした。
それで10点中8点をもらう(ずいぶんと甘い)

 染色体地図の質問では、地図の鉄道の記号に似ていたのでその上に坊ちゃん列車を描いたら、先生にはかなり受けて満点をもらった。

 大学時代は、法学部の試験で答がわからなかったので、いつも講義を受けていた教室の配列図を描いて、「いつもココに座っている私です」と書いたところ、努力賞ということでなんとか「可」をもらった経験がある。

 私の学生時代の試験は、ずいぶんと北さんに助けられたのである。

 そんな彼が、26日、享年84歳、腸閉塞で亡くなられた。
 私の青春の思い出のひとつがまた一つ幕を閉じた。

 ご冥福を祈りたい。   合掌

脱常識

2011年10月03日 22時19分19秒 | びっくり
 地元の愛媛大学大学院教授・野村信福さんがテレビで紹介されていた。

 内容は、廃油から取り出した水素で、自動車を動かそうというもの。

 あらゆる産業から排出される廃油・・・
野村先生は、そこから水素を取り出し、乗用車を走らせようという世界初のプロジェクトを進めている。
それは、液体の中に太陽を造るという“常識外れ”の発想から始まった。

 そもそも、彼の斬新な発想は居酒屋で生まれた。
同僚の豊田准教授と飲んでいた時のこと、それまで気体から作るのが常識だったプラズマを液体で作ることを思いついた2人。
電子レンジのマイクロ波を使い、液体の中に3000度以上の状態を造り出す。
その分野では世界的に注目される研究者だ。

 研究を始めた10年前、誰もがマユツバものだと罵った。
しかし、彼には確信があった。
それは、大学時代の恩師が口癖のように言っていた言葉「まずは常識を疑え。脱常識」。
航空機事故に遭い、志半ばで他界した恩師の言葉を胸に研究を続けた彼。

 2002年、2人は世界で初めてマイクロ波を使った液中プラズマを発生させることに成功。
この技術で要らなくなった廃油から水素を取り出し、さらに廃油の処理コストも削減できるという。
環境への負荷を減らそうというのは世界の流れ。ただ石油に比べて供給コストがかかるのが水素燃料の課題。
廃油から取り出した水素で乗用車が走るようになれば、水素社会への新たな扉を開くことになると彼は言う。


 地方大学にこだわり続ける野村先生は、決して優等生ではなかった研究者のプライドをかけて次世代エネルギーへ挑戦しつづける。
 彼が研究者になれたのは恩師のおかげ。
その受けた恩を研究で返そうとしている。

 とても感激屋で不器用な研究者ではあるが、その熱き情熱が知らず知らずの間に周囲を巻き込み、動かしている。
 私は、水素社会は必ず訪れると思っている。

 がんばれ!! 野村先生。

龍馬プロジェクトの同志の死

2011年10月01日 13時14分12秒 | びっくり
 龍馬プロジェクトを立ち上げた吹田市議会議員・副議長の神谷宗幣(かみやソウヘイ)さんから、同プロジェクトに参加していた上島(うえじま)俊範さん(30)の死をしらせるメールが入りました。
私自身は、上島さんとは直接、お会いしたことがなかったのですが、きっと熱い人だったのだろうと思います。
報道内容は次のようなものでした。

死亡邦人は自民青年局副局長 政治家への道半ばで…ネパール小型機墜落

 ネパールの首都カトマンズ近郊で小型飛行機が墜落して乗客乗員19人全員が死亡した事故で、同機に搭乗していた日本人は、都内の外資系IT企業「EMCジャパン」社員の上島(うえじま)俊範さん(30)=東京都世田谷区=だったことが26日、分かった。
同社に人事担当として勤務しながら、過去に自民党神奈川県連の青年局副局長を務め、現在は超党派による政治団体に所属。
政治家を志していた。

 「その時が来たら、僕も政治家になって自分の力を試したい―」。
夢に向かって歩んでいた道は、不慮の事故によって途絶えてしまった。

 EMCジャパンなどによると、上島さんは今月末で同社を退職し、来月から他社に管理職として勤務するはずだった。
今月20日から30日まで有給休暇を取り、23日にネパールへ出発。
アラブ首長国連邦を回って26日に帰国する予定だった。1人旅が好きで昨年の夏休みもインドに赴いたという。

 カナダの大学を卒業。英語力を生かし、大手電気通信メーカーや人事サービス会社に勤務。一昨年4月からEMCジャパンで働いていた。
社会貢献活動にも熱心で、今年5月には東日本大震災で被災した福島県を単身訪れた。
8月には社内でボランティアを計画。約30人の社員と宮城県石巻市のカキ養殖業者の作業を手伝った。
同社に勧誘した上司の川西正晃人事総務本部長は「信じたくない。今でも笑顔でひょっこり戻ってくるような気がします」と心境を語った。

 会社員としての日常の傍ら、主に週末を利用し、政治家になる夢を行動に移してきた。
自民党神奈川県連によると、上島さんは2007年に同党に入党。
昨年4月から同6月まで同県連青年局副局長を務めた。
同県連常任顧問の小泉進次郎衆院議員(30)は、面識はないものの「心からお悔やみを申し上げたい。野党の自民党でも支えてくださった。感謝の思いとともに哀悼の意を表したい」とコメントした。

 昨年6月からは、全国自治体の若手議員らによる超党派の政治団体「龍馬プロジェクト」のメンバーとなり、役員に就任。同8月には台湾の李登輝元総統と面会するなど、精力的な活動を続けていた。
会長を務める大阪・吹田市の神谷宗幣市議(33)は「ひょうひょうとしていながら、話すと熱い人でした」と突然の訃報にショックを隠しきれない様子だった。

◆ネパール小型機墜落事故 上島さんが搭乗したネパールの航空会社「ブッダ航空」の小型機は25日朝、カトマンズの空港を離陸し、ヒマラヤの山脈を眺望する遊覧飛行を行った後、空港に戻る途中で丘に墜落した。
機体は粉々になり、乗客16人乗員3人は全員死亡した。
当時の現場上空は濃霧で視界不良だったというが、直接の事故原因は不明。
現地の大使館から26日朝に新潟市の実家に連絡があり、父親が勤務先に報告した。
母親と兄は現地に向けて出発した。


 本当に残念である。 合掌

おもしろいスピーカー

2011年09月23日 22時18分24秒 | びっくり
 今夜、異業種交流会に参加してきた。

 そこで、㈱エンサウンド(http://ensoundspeakers.jp/)の菅代表と知り合いになりました。
 菅さんは、私の地元で「踊るうどん屋」で名をはせていた人です。

 趣味のスピーカー製作が高じてうどん屋さんを止めて「スピーカー専門店」を立ち上げたそうです。
 菅さんのつくるスピーカーと今までのスピーカーの違う点は、

 ・スピーカーボックスが柔らかいということ
 ・軽量なのに音が割れない(自然な音色)
 ・箱鳴りが無いのでボリュームを上げてもギスギスする感じがない
 ・中高音のみならず、低音も歪みが無くクリアでボリューム感もある
 ・エンクロージャー(ボックス)を透明にすることもでき、デザインが多種多様に及ぶ
 ・エンクロージャーが振動しているが、その振動までリアルで心地よい(クッションなどに内蔵できる)

 そして、これらの性質を使ってさまざまな商品を開発されているようで、今夜は肩掛けバックにi-Padを組み合わせた商品を持ってこられていました。
そこから出てくる音のクリアさにはびっくりさせられました。

 内心、「これ、いろんなことに使える!」と思ったのは、私だけではなかったと思います。
ちゃっかり、名刺交換もさせていただきました。

 松山からこんな商品が生まれるのか...と思うと、とってもうれしくなりました。