走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

生石地区のまちづくり(その4)

2011年10月31日 19時04分27秒 | つぶやき

 津波がきたら「遠くより、より高くへ」と云われています。
 生石地区は、昔、(津波が来ると)埴生山(はぶやま)に避難していたそうだ。
 ちょうど鯛崎という交差点にある小山から埴生山に通じる遊歩道があり、そこを伝って避難したという。

 そして今、そのつながっていた道が宅地開発か何かで切れている。
 しかも、埴生山に通じる道はかなり迂回しなければならない。
 とても子どもの足では逃げ遅れてしまうかもしれない。

 そう思いながら地域をウロウロしていると、高い建物が目に付く。
 幸いにも高いマンションが近くにある。
 マンションの管理はたいてい管理組合である。
 すべて賃貸だと、施設管理者か...
 私もマンションに住んでいるのでそこいらの事情はわかっているつもりである。

 もし、津波がきたらなにもためらわずに子どもたちを助けてくれるだろうか。
 普段から、緊急時の避難をさせてくれるような協定のようなものを結んでおいた方がいいのでは...
 また、平素からマンションを使った避難訓練もしておく必要があろう。
 やはり、管理組合と協定を結ぶ受け皿としてはまちが一つになった組織がいいと思う。

 一方で、民間事業者の建物の中にも高いものがいくつかある。
 例え、地域の中にあるといってもやはり協定はいるだろう...
 ここは一番、企業の社会貢献活動を高めるアイデアも必要であろう。

 また一方で、埴生山に通じる避難道の見直しや新たな避難道をつくる必要も出てくる。
 これは、桑原地区が地域の人たちだけで作った遊歩道の手法を参考にしよう。

 さらに、避難道を作るだけでは駄目だ。
 そこに避難道があることを平素から知ってもらわなければならない。

 地域のある人が、「昔はお花見なんかで、よく山に登っていたからどこから上がったらいいかみんなよく知っていたが、今じゃあ知らんのじゃないのかのう」と言ったことが耳に残っていた。
 この地域は近年、たくさんの住民が移り住んでくれた。
 その分、この地域の歴史文化をあまり知らない人も増えている。
 恐らく、埴生山に通じる道がどこにあるのか知らない人の方が多くなっているような気がする。

 生石公民館の角田(かくた)公民館長に相談に行く。
 「避難道の整備が出来たら、ハイキングイベントみたいなものを公民館でやってもらえませんか?」と
 快く承諾してくれた。

 少しづつではあるが、地域の人たちに何をしなければならないかをわかりやすく説明できるよう、準備が出来始めた。(つづく)

二人の地域活性化伝道師

2011年10月30日 23時23分55秒 | すばらしい出会い

 今日はお城下大学に出かけてきました。
 講師の木下斉(きのした・ひとし)さんとは久方ぶりの再会でした。

 講演を聴いていて、ますますバージョンアップされておられるなと感心するとともに、自分の未熟さに自己嫌悪とまではいかなくても成長のなさを恥じた一日でした。
彼の話はたくさんの現場から得たものであり、ほとばしる情熱と変革者としての自信のようなものが感じ取れました。

 また、話の内容も理に適っていて、現場に現実がプラスされ、より強みを発揮されていました。

 あとで名刺交換をさせていただいたのですが、内閣官房地域活性化伝道師という肩書きが刷り込まれていました。

 内閣官房地域活性化伝道師?

 ん?

 昨日、お会いした斉藤俊幸(さいとう・としゆき)さんの名刺にも同じようなことが書いてあったような...

 取り出してみると、総務省地域力創造アドバイザー、地域再生マネージャー(ふるさと財団)、地域活性化伝道師(内閣官房)と刷られてありました。

 斉藤さんは、さまざまな地域のまちづくりに参画しておられ、今は高知県本山町に住みついて(永住ではありません)、都市と田舎との交流事業などを中心に取り組んでおられるとのこと。
最近のヒットは、石釜でピザを焼くイベントが受けているということでした。

 Kさん夫婦のご紹介でしたが、初対面からお互いすっかり打ち解けて「遊びにつながる企画をやりましょう」といってわかれました。

 きしくも、地域活性化伝道師(内閣官房)の方に二日続けてお会いするとは何か因縁めいたものを感じました。
 
 なにか出来そうな予感です。

生石地区のまちづくり(その3)

2011年10月28日 19時52分51秒 | つぶやき

 津波が来た時に助かる確率を高めるためには、いかにいち早く情報を入手し、発信する機能があるかであろう。
 そのためには、動脈硬化が生まれるような情報発信システムでは肝心な時に用をなさない。
 そして輻輳してもいいから、一秒でも早く「津波がきた」という情報を発信するシステム構築が必要であろう。

 そう考えると、生石地区に仙台空港に押し寄せた大津波を照らし合わせると、同様に空港から一気に大津波が押し寄せてくることになる。
 そして、空港をはさんで南北には臨海工業地帯があり、これらの工場も甚大な被害を被る。
 東日本大震災では、動かないといわれていたタンクが津波にさらわれプカプカ浮かんでいた映像を覚えておられるだろう。
 さらには、そこから大火災が発生し、まさに「火の海」になっていたことも覚えておられるだろう。

 だからこそ、何をしなければならないかは見えてくるし、少しでも早く行動に移しておいた方がいいということが見えてくる。

 (工場の)設備などは後で資金さえ調達できれば何とかなるが、そこで働く多くの方の人命はかけがえがないものであるから、いかに助けるかを優先すべきである。
 幸いにも、施設内に高台になりそうな施設がいくつかあるので、普段どこに逃げるかを訓練しておけばなんとかなるのではないかと思っている。

 お願いしたいのは、「津波が来た」という情報を地域にも一報を入れて欲しいのである。

 特に、未就学児のいる施設には一刻も早く情報を伝えて欲しいのである。

 そのためには、津波発見者が簡単な操作でそのことを伝達する設備(システム)を整備しておく必要があろう。
 また、情報発信者は一人ではなく複数選定しておく必要もある。
 このことは、仮に担当者を一人だけに限定しておくと、仮にその人に何かがあったときに情報が滞ってしまう。

 また、どういうスキームで情報を伝達させ、それを誰が担当するかを決めておく必要がある。

 そうなると、民間事業者、空港関係者、地域団体の役員、公共施設の関係者など、さまざまな人たちに参加いただいた組織作りも必要になるであろう。

 幸いにも仙台空港の被害を私たちは報道機関を通して目の当たりにしている。
 つまり、災害時のイメージがしやすいということである。

 災害時には、さまざまな人や組織の壁があってはならない。

 そのためにも生石地区というフィールドの中に住んでいる人や働いている人の心を一つにした組織の必要性が求められている。

 この続きは、次回としよう...


【参 考】
 近年、遠隔操作で放送設備を起動させ、放送が出来るものが出回っている。
 しかも、複数の人が操作できるということである。
 だからこそ操作マニュアルみたいなものが必要になる。
 そして、それを誰が操作するのかの役割分担が明確なっておく必要がある。

生石地区のまちづくり(その2)

2011年10月27日 22時13分35秒 | つぶやき

 生石地区のまちづくりの取組のテーマは「安心・安全」と先に掲げたが、実は切実な問題がある。
 
 このテーマの取り組みとしては、平常時の治安を守るための防犯と、災害時に備えた防災の二つに分かれる。
 
 幸いにも生石地区の見守り活動の中心に位置づけられる「青パト」は松山で一番保有台数が多い。(現在20台)
 このことを見ても地域の人たちに防犯意識が高いことがわかる。

 この意識をまちづくりに上手に組み込めないかと考えた。

 そして、3・11の東日本大震災の時の仙台空港の津波がこの生石地区に押し寄せてきた時にどうなるかをシロウトながら予測してみた。
 一気に生石地区は水没する可能性が見えてきた。
 そうなると子どもたちはどうなるのか。

 未就学児の施設と小中学校(私立も含めて)の子どもたちが約2500人いることがわかった。
 小中学生は、当面、授業中なら屋上へ避難すればなんとか何が逃れられるのでないかと思っている。
 一方、未就学児が800名もいることがわかった。
 この子たちは、自分の意思で逃げられない。

 どうやったら助けられるのか。

 普段から近くの地域の人たちとの避難訓練が必要だと思った。
 こういう場合、施設の中だけでの訓練は多いが、その垣根を取り去った避難訓練が必要である。
 ここまでなら自主防災組織でもなんとかなるような気がした。

 しかし、空港近くに250名の子どもがいることがわかった。
 車が必要かもしれない。
 「青パト」をその子どもたちを助けるための「救助パト」にしてはどうかと思った。
 そうなると組織の枠がかえって邪魔になる。
 また、近くに大きなタクシー会社がある。
 民間事業者を巻き込めれば現実的である。
 そのためには、自主防災組織という枠だけでは難しい。

 だから、地域が一つになった交渉窓口となる組織が必要なのである。

 まだまだ一つになる必要がある。(つづく)


北 杜夫さんの死

2011年10月26日 20時31分32秒 | びっくり

 夕方のニュースを観ていて悲しいニュースが飛び込んできた。

 作家・北杜夫さんが亡くなられたというニュースである。

 自分の中で北さんは特別な存在であった。
 北さんの本を読むまでの私は読書嫌いであった。

 中学生の時の親友の田所好成くんが、そんな私を見かねて、ドクトルマンボウ・シリーズを一度でいいから読めとしつこく薦めてきた。
 私は嫌々手にした。
 おもしろい!

 私の本に対する見方が変わった。

 そして、彼には内緒でそのシリーズを読んでしまう。
 確か、青春期から始まって、昆虫記、航海期へと読み進んだ覚えがある。

 さらに、タイトルは忘れたが遠藤周作氏とのやり取りの作品を読んだ。
 そして、遠藤作品へと移っていく。

 気がつくと、純文学の代表作も読むようになっていた。
 夏目漱石を読むと、彼と仲の悪かった森鴎外の作品を読む。
 三島由紀夫の初期作品から憂国まで読むと他の作家に移るといった具合だった。

 原文にも挑戦してみたが、明治初期の作品は自分にとっては難解で途中何回も挫折した。
 そのうち島崎藤村の作品に行き、彼の詩の作品に行き、そこからさまざまな作家の詩集を読み進み、宮沢賢治へ行き当たるのである。
 横道へはそれることもしばしばで、石川啄木の「一握の砂」などは心酔してしまう。
 ちょうど感受性豊かな時期とあいまっていたためかもしれない。

 本代がなかったので、高校時代は学校の図書館によく通った。
 当時の国語・古典・漢文が担任ということもあり、高校二年に上がる時に文系クラスか理系クラスかを選択する時に、理系を選択した時にはずいぶんと担任の子川明治先生を驚かせた。

 なにしろ、中学まで国語は大の苦手でテストの点はかなりひどかったが、高校に入るとずいぶんとよくなっていたからである。

 北さんの話に戻そう。
 彼がなぜ特別なのかというと、テストのときに彼の洒脱でユニークなテスト回答(青春期を参考)がずいぶんと参考になったからである。

 例えば、高校時代は生物でずいぶんと彼のテクニックを使った。
 「森の進化過程を説明せよ」という質問で、上手に説明ができないので、まず線を引き、矢印を引っ張り、それに草をはやし、また矢印を描き、低木を加え、またまた矢印を描き高木を描き森にした。
それで10点中8点をもらう(ずいぶんと甘い)

 染色体地図の質問では、地図の鉄道の記号に似ていたのでその上に坊ちゃん列車を描いたら、先生にはかなり受けて満点をもらった。

 大学時代は、法学部の試験で答がわからなかったので、いつも講義を受けていた教室の配列図を描いて、「いつもココに座っている私です」と書いたところ、努力賞ということでなんとか「可」をもらった経験がある。

 私の学生時代の試験は、ずいぶんと北さんに助けられたのである。

 そんな彼が、26日、享年84歳、腸閉塞で亡くなられた。
 私の青春の思い出のひとつがまた一つ幕を閉じた。

 ご冥福を祈りたい。   合掌

生石地区のまちづくり(その1)

2011年10月25日 23時03分14秒 | つぶやき

 昨日の続きですが、今、松山市では地区ごとに「まちづくり協議会」を設立し、地域住民によるまちづくりに取り組んでいます。

 しかし、住民にその必要性がしっかり伝わっているかというと必ずしもそうではないような気がします。
また、既に協議会という組織を立ち上げておられる地区でも、そのあたりが理解されず迷走し始めているところもあるのではないでしょうか。

 今、地域コミュニティの現場は後継者がいないことが横に置かれているような気がします。
以前にも書いたことがあるのですが、以前は地域コミュニティを担う人材が次から次と入ってきて、育つ環境にありました。
例えば、PTA役員を務め、子どもの卒業とともに役員を卒業されてた人材が地域コミュニティのお世話をしてくれる。
 そして、その人材が育ち、地域コミュニティを担う人材になっていくという好循環システムが暗黙のうちにありました。
 しかし、PTA役員を率先してやってくれる人材が激減し始めてから、地域コミュニティの人材にも影響が出始めました。

 好循環システムが機能しなくなっただけでなく、システム自体がなくなり始めています。

 今、一番立て直さなければならないのは、このシステムを再構築し、機能回復を図ることだと思います。

 そのためには、コンセンサスがはかれやすい目的や目標を地域の皆様に説明し、納得していただくことだと思います。

 そこで、当生石地区では「安心・安全」をまず掲げることとしました。

 この続きは、明日のブログで...
 

支所長特別連絡協議会

2011年10月24日 18時03分15秒 | 職場の出来事

 今朝は、三役と主要部長を交えての「支所長特別連絡協議会」が開催されました。

 会の内容は市内を東西南北のブロックに分け、その中から輪番で各地区の歴史や文化、地区まちづくり協議会の進捗状況等について発表するというもので、市長自身タウンミーティング時に私たちがつくる「戦略カルテ」で予習するのだそうです。

 今回、私は発表者に当たっていて、どのような切り口にしようか考えたのですが、ありのままで望むことにしました。

 というのも、市が進める「地区まちづくり協議会」がこの生石地区では準備会すら立ち上がっていないということ、ただ地域の代表の人たちと「こんなこと、せんといかんと思います」的な話は既に始めているということ、地域の人たちと議論するための協議資料も出来上がっているということを説明することにしました。

 内容については、少しづつこのブログで紹介しようと思いますが、3・11以降私の中でまちづくりに対する思いが大きく変わってきました。
職場の目の前にある生石小学校から流れてくる子どもの声や歌声を聴きながら、この子たちの命を守り、未来を夢と希望にあふれたものにするために何をなすべきかをずっと考えるようになりました。

 そして、堀江公民館長だった久保田さんの言われた「コミュニティ分権」の大切さをかみ締める毎日です。



座れます!

2011年10月23日 19時16分06秒 | グルメ

 前に松山市平和通2丁目に中華居酒屋「永和・平和通店」がオープンしたことをご紹介させていただきましたが、オープンキャンペーン半額というのもあって押すな押すなの大盛況でした。

 そして、オープンキャンペーンも終了し落ち着いてきたということで、予約も取れますよと連絡がありました。
なぜ、連絡が入るのかというと、私の場合すぐお店の人と仲良くなるために、さまざまなお店から特典があるときは情報が入るようになっています。
 また、お店によっては私の紹介ということで安くしてくれるところもあるようです。

 高いお店はあまりご紹介できませんが、安くて美味しいお店をこれからも紹介したいと思っています。

  

 永和・平和通店のご予約は

  TEL 089-925-2707

 ※お詫び※

 平和通店でもチャンポンやってました。
 ここのチャンポンは、細麺ですがジャコ天などが入っていて「瀬戸内チャンポン(すみません、勝手に命名しました)」として
 最高です。



お城下大学 第一回

2011年10月22日 00時13分03秒 | インフォメーション
 松山市まち更新推進支援プログラムを活用した第一回まちづくりフォーラムが次のとおり開催されるそうです。
御用とお急ぎでない方はぜひお越しください。

 笑顔あふれる中心商店街へ

  お城下大学

 開催日   2011年10月30日(日)

 会 場   シュロス日銀前4階第一会議室

 プログラム 13:00 開場
       13:30 開校記念講演「まちの再生事業と全国連携 -商店街の自律に必要なこと-」
       14:40 パネルディスカッション
             -中心商店街に期待する機能と役割とは-
       15:30 終了予定

 講 師   木下 斉 一般社団法人エリア・イノベーション・アライアンス代表理事
            内閣官房地域活性化伝道師

 参加申込先⇒FAX (089)998-3588
            氏名・フリガナ・年齢・性別・住所・電話番号・所属を記入して、10月29日(土)まで申込ください。

       TEL申込先 (089)998-3533
       メール申込先 machi-m.1@tau.e-catv.ne.jp


 現時点での二回目以降の日程と講師は次のとおりです。

  第2回 2011年11月20日(日) 松山観光ボランティアガイド 岩井 仁茂
 
  第3回 2011年12月17日(土) 初台リハビリテーション病院 酒向 正春
 
  第4回 2012年 1月15日(日) (株)愛媛CATV     白石 成人
 
  第5回 2012年2月頃       未定 

不況のきっかけは...

2011年10月21日 06時10分35秒 | 職場の出来事
 昨日、職場のK君がめずらしくこんな質問をしてきた。

 「今の不況はリーマンショックからですか?」と

 私は、こう答えた。
 「私なりの持論でいくと、リーマンショックというよりは1989年の東西ベルリンの壁の崩壊に端を発しているように思うよ。
  これにより、東側諸国の安い労働力がせきを切ったように一気に西側に流れ込む結果になったんよ。
  それによってどう変わったかというと、西側は安い賃金でモノが作れるということがわかったから、インターネットなんかの普及なんかも加わって一気に国際競争が激化し始めるわけよ。
  結果的にコスト競争の中で、誰も儲からないという結果になるわけ。
  そして、リーマンショックや今回の欧州危機などの何回かのアップダウンがあるわけやけど、決していい方向に行っていないことだけは確かやね。」

 「そしたら、どうなるんですか?」

 「そうやなあ、人類の歴史からすると世界大戦前夜のような雰囲気やね。
  特に、深刻なんは米国も景気が悪いということやね。
  過去、米国が経済危機を脱出するきっかけはほとんどが戦争やからね。」
  
 「こわいけど、戦争が起こったら日本はどうなるんですか?」

 「太平洋戦争前は資源がなかった。
  そして、今はそれに加え食料でさえ自国でまかなえないという最悪の状態になっている。
  そんな状況の中で戦争をしても勝てんやろ。
  この国はどこか強い国の属国になるしか生き延びていく道がないのかも。
  今だって考えようによっては米国の属国やし、日本の歴史を振り返ったときにほとんどが属国でしか生き延びる道がなかったんやないかなあ。
  でも、そろそろこの国のさまざまな分野で『これじゃあイカン!』と皆が立ち上がらないかん時機にきているような気がする。
  それがダメなら地方分権という流れの中で、『この地域から』といった発想が必要なんやないか」

 といった池上さん的会話がありました...

やっちまった!

2011年10月20日 02時20分56秒 | つぶやき

 テレビを見ていて、今、中国が製造業を労働集約型から自動化へ大きく転換しようとしているという。

 思えば1989年11月10日ベルリンの壁が崩壊して以降、それまで流入することのなかった東側の低賃金の労働力がセキを切ったように(西側諸国に)流入した。
そのことで、国際競争は熾烈化し、安い賃金の労働力を求め、西側諸国は製造拠点を積極的に動かし始める。

 結果的には、わが国などは空洞化現象が始まり、自動化の進展とあいまって雇用創出・拡大の魅力が製造業からなくなり始めた。

 中国は、「一人っ子政策」により日本以上に超高齢化社会が急速に訪れるだろうと予想されている。
 また、いくら人口が多いといっても国内市場だけではあれほどの民を食べさせることは出来ないであろう。
そのためには、国際競争力をもっと向上させるとともに維持し続けなければならない。

 国家として体をなすためには、中国という国は大きすぎるであろう。

 何が言いたいかというと、GDPが日本を追い越したといっても、日本の10倍以上にならなければ継続していくことは難しいと思うのである。
もっとわかりやすくいうと、中国にとって超高齢化社会の訪れは社会保障制度を簡単に揺るがすということであろう。
そのためには下座さえする少子化政策を転換しなければならないが、現実的ではないとすると生産力を高めながら世界の国々から外貨を稼がない限り国家として維持できないのではないかと思う。

 しかし、世界の国々がそれを許しておく余裕がなくなった。

 EUは、バルブ崩壊時の日本の様相を呈している。
 アメリカもリーマンショック以来、復活の奇跡は起きていない。

 さらに、EUの崩壊は発展国へ投資している資金を回収する方向に向かっていくだろうから、右肩上がりのベクトルが加工し始めるであろう。

 つまり、地球規模で大不況の嵐が吹き荒れるのである。

 こういうとき、人類の歴史は大きな戦争を起こしている。

 そういうことにならないよう祈るだけである。

 そして、平和ボケしている能天気に近い国家が、経済も防衛も、そして社会保障も真剣にならなければ国民の未来は暗いと思う。
 
 

持続可能なサイクル観光事業

2011年10月19日 06時21分31秒 | アイデア

 自転車で町おこし...

 そんな相談が舞い込んできた。
 秘策がないわけではない。

 最近、観光分野を考える時に松山市というエリアだけでは限界があるのではないかと思うようになった。
 
 例えば、自分たちがヨーロッパに旅行へ行くことを計画するとしたら、恐らく一国のある都市だけを観光しようという考え(ビジネス目的の場合は除く)には至らない。
どうせ行くなら、せっかくだから2~3ヶ国は訪れたいと思うであろう。

 では、国内旅行に目を転じると北海道に目的地を決めたとする。
時間にも余裕がある場合は、北海道全土とまでは難しいが、せめて東半分は回りたいと思うであろう。

 何が言いたいかというと、ターゲット(この場合は国内観光客か海外観光客かのわけ方)を絞り込んでいくと、その行動範囲が見えてくる。
例えば海外旅行客をターゲットに置くと、彼らだって日本のある地方都市だけを観たいかというと、そうではないような気がする。

 また、外国人の観光スタイルは日本人とは異なるような気がする。
日本人のように名所旧跡だけを見て回る旅行よりは、思い出づくりをしていくような旅行ではないか。
それゆえに、旅行に出かける前にしっかりとしたテーマ性をもって観光に来る場合が多いのではないか。

 そう考えた時に、今までにない観光スタイルを考えるというのはどうか。
そのツールとして自転車があるような気がする。

 具体的にどうするかは企業秘密(?)なので明かせないが、近々、カタチにしようと思っている。
 自分ながらグッドアイデアだと思っている。

 

「ライスワーク」から「ライトワーク」へ

2011年10月18日 06時34分28秒 | うれしい

 このブログの9月20日号で「シニア層の起業家」が増加していることを紹介したが、「ガイヤの夜明け」という番組を観ていると、「第二の人生が面白い!~急増する熟年起業家~」というテーマの番組が放映されていた。
内容について、ホームページから引用すると次のとおりである。

 いま、熟年世代の起業が増えている。
「儲けは無くても、人や社会の役に立ちたい」「会社に勤めていた頃からの夢を実現したい」
起業の理由は人それぞれ。
また、その形も色々。
ちょっとしたアイデアで、お金をかけずに事業を始めた人。
老後のために購入したマンションを売り払い、その資金の全てを注ぎ込み"世界初"となる製品の開発に挑む人・・・。

 少子高齢化で労働力人口が減少していく中で、熟年、そしてシニアの世代は今後の日本経済を支える重要な働き手として期待されている。
その現場を追いかけた。
 あなたは、第二の人生をどう生きますか?

82歳!画期的商品を開発中
 熟年起業家の斉藤勝さん、82歳。
重度の難聴である。
定年後、通信技術を独学で学び、67歳で聴覚障害者のための画期的な商品「シルウオッチ」を開発した。
自宅の呼び鈴の音を感知すると、腕時計型の受信機をバイブで震わせ知らせてくれる。
開発後、斉藤さんのもとには1000通もの"感謝の手紙"が寄せられた。
「会社勤め時代よりも、今の方がずっと楽しい」と語る。
現在、10人の社員を抱え、次なる製品を開発中である。

社会の役に立ちたい!
 自動車部品メーカーに40年以上勤めた鈴木久雄さん(63歳)。
退職後の2009年、高齢者のために何か役立ちたいと、あるアイデアを商品化した。
それは「リアル野球盤」、1セット3万円。
高齢者が気軽に楽しみながら、運動機能も高め、認知症の予防にもつながるというゲーム。
開発費の元手はほとんどかかっていない。
鈴木さんはいま、このゲームの製作を知的障害者に依頼し、彼らの収入UPにつなげたいと奔走する。
モノづくりの現場一筋で、セールス経験のない鈴木さんが営業に動き始めた・・・

マンションを売って、資金を全て注ぎ込んだ!
 仁田原徳男さん、61歳。
外資系生命保険会社に勤めていた時に「ペット用マイクロチップ」の存在を知った。
そこに商機を見出し、「世界にもまだない、画期的な商品を開発し、ひと花咲かせたい」と58歳で起業した。
しかし、この3年間は無休。開発のために、コツコツと貯めたお金で買ったマンションも売却した・・・。
この秋、その製品がようやく完成しようとしていた。
そして、ペット用マイクロチップの使用がすでに義務化されている台湾に乗り込む。果たして・・・

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 どの登場人物もイキイキとしている。
 働きつづけるところまで働きたいという人がたくさんいる。

 この国は、お年寄りを邪魔者扱いしても、社会の一員として評価しているのだろうかと思うときがある。

 お年寄りの生産力が他の世代よりも引けをとっているのだろうか。
 お年寄りの方も「歳だから...」と甘んじていてはいけない。

 人間の尊厳として「働く」ということが、社会に貢献しているということを再認識して欲しい。
 働けば納税し、その税が社会に再配分されるわけだから、絶対に社会の役に立っている。

 主人公の一人、鈴木さんが言われた「ライスワーク」から「ライトワーク」へ
 食べるためだけに働くことから、人々に希望の光を当てる仕事をしたいという言葉が胸をうつ...