走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

生石支所最後の日

2013年03月29日 21時04分06秒 | つぶやき

 とうとう生石支所での仕事、最後の日になった。
 感慨無量である。

 このまちの風が好き。
 このまちの匂いが好き。
 このまちの音が好き。

 無常にもこのまちを去らなければならない。

 このまちの人が大好きになったのに
 何よりもこのまちが好きになったのに

 残念である。
 皆さんによくしてもらえたという思いしかない。
 たくさんの人たちに、「定年までおればええがね」と言ってもらえた。

 申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 
 支所の玄関から生石小学校の桜が見える。
 満開である。
 

戦友

2013年03月29日 01時53分15秒 | つぶやき

 昨夜、新たな道を踏み出す戦友を見送った。

 なぜ、新たな道を踏み出すことになったのか詳しくは聴いていない。
 そんなことはどうでもいい。

 惜しむ声もあれば、表面だけの餞別の挨拶もある。
 様々な憶測や身勝手な解釈をされ、自分本位の解釈で変な噂を流した御仁もいたようである。

 どちらにしても興味本位意外なにものでもない。

 何もしてやれなかったし、何も言ってやれなかった。
 悔しい思いを押し殺しながら、決断したことであろう。

 だから、あえて何もいうまいと思った。
 ともに戦った戦友だから...

 山本五十六が「男の修行」について次のように残している。

 苦しいこともあるだろう
 云いたいこともあるだろう
 不満なこともあるだろう
 腹の立つこともあるだろう
 泣き度いこともあるだろう

 これらをじっとこらえていくのが
 男の修行である。

 がんばれ、戦友!!

生石地区まちづくり協議会準備会 発起総会

2013年03月27日 23時53分58秒 | 地域情報/その他

 本日、生石地区のまちづくり協議会・準備会が立ち上がりました。
 総勢83名の参加をいただき、規約、役員などを決定しました。

 会議には、野志市長が参加いただき、熱い応援をいただきました。
 総合司会は、角田公民館長(同準備会の副会長に就任)が行い、方向性や同準備会の思いについては初代会長に選任された福山会長が発表されました。

 25日に異動の内示があり、最後の大仕事でしたが、たくさんの方々の力をお借りし、無事、終了いたしました。
 心から感謝申し上げます。

虚心坦懐(きょしんたんかい)

2013年03月19日 23時37分53秒 | つぶやき

 本市には、職員提案制度というのがある。
 業務の改善や経費をかけずにできる事業提案などを職員に求めるというものである。
 どうしても提案したいことがあって今回提案していた。
 本当に久しぶりの提案である。
 正直、第一回目に提案してから二回目の提案である。

 そして、今日、入選したので22日に表彰しますと担当者から連絡を受けた。
 正直、表彰式は面映い。

 だが、入選することで提案したことが具現化するのがうれしい。

 提案内容は、公共施設(学校や公民館など)の屋上ににWi-Fiアンテナを建てて欲しいというもの。
 ただ、これを行政が建てていくとかなりのコスト負担が必要となるので、民間の通信事業者に建ててもらい、通常はサービスを提供してもらい、儲けてもらおうというもの。
 維持費もその利益から負担してもらおうという、本当に虫のいい話である。
 そして、災害時は優先的に行政や被災者のために使用させてもらおうというもの。
 民間事業者に加担するのかという意見もあるだろう。
 ただ、工事発注は地元に落ちる。
 利益が出れば、税金も取れる。

 かなり身勝手な提案だと思いながら、提案した。
 その理由は、地域の災害について話していたときのこと、生石地区は地盤が本当にもろいと聴いた。
 津波も怖いが、液状化の被害の方がもっと怖いという。

 つまり、液状化が起こると看板や電柱の倒壊の危険性があるというのである。
 電柱の主なものは、電気と通信。
 通信関連の電柱が倒壊すると、情報の入手や発信ができなくなりますから、被災者やその家族は不安な時を過ごさねばならないということです。

 何とかしたいと思いました。
 しかし、支所長という立場では何もできないのが現実です。
 そこで、職員提案ということになったのです。

 ですから、入選よりも具現化することの方がうれしいのです。
 まさに、虚心坦懐。
 提案者の名前など残らなくていいんです。

 悪く考えてはいけないのですが、被災したときをイメージしたときにすぐに携帯電話やメールがつながる。
 そんな環境を平時から準備しておきたかったのです。

 今回の表彰は、私が取ったのではなく、熱心に勉強会を行い、この地区として何をしなければならないかを話し合う内容から出てきたことですから、地域の人たちのものだと思うのです。


己の弱さを知る

2013年03月13日 05時20分47秒 | つぶやき

 自分の過去を振り返った時、ずいぶんと無理をしていた自分がいたことに気づかされる。
 確かにそういう時期が必要だったのかもしれない。
 そういう時期があったからこそ、今の自分がある。

 ずいぶんと、弱くなったと思う。

 恐らく、己の限界が見えてきたからだろうか。
 己の限界を認めるのが怖かった。

 例えるなら、ウサギと亀。
 自分はウサギであり続けたいと思っていたのかもしれない。
 だが、気づくと自分はウサギではなく亀だったんだと気づく。

 それを知ったときの自分の気持ちは尋常じゃない。
 うろたえ、もがき、苦しむ。
 そして、居直る。

 亀でいいじゃないかと。
 
 ずいぶんと気が楽になる。
 たくさんのウサギに追い越される。
 時には亀にだって追い越される。
 でも、腹も立たないし、「どうぞ」と道さえ譲れる自分がいる。

 きっと、かけがえのないものを見つけたからだろう。
 職場の向かえ側にある小学校の子どもたちの下校が始まりだすと、ざわつきだす。

 気分転換に、外へ出て、子どもたちを見送る。
 「さようなら」と通るたびにいってくれる。
 笑みがこぼれる。
 まさに、至福の時である。

 「この子どもたちのためにがんばろう」と思える。

 そんな時、「亀でいいじゃない」と思える自分がいるのである。

花は咲く

2013年03月11日 22時09分15秒 | 東日本大震災

 東日本大震災から早二年。
 被災者にとってはあっという間の二年だったかもしれません。
 そして、まだ帰り来ぬ人を待つ人にとっては長い二年だったかも知れません...

 亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


 花は咲く
 花は咲くプロジェクト

 作曲:菅野よう子
 作詞︰岩井俊二

 歌詞

 真っ白な 雪道に 春風香る
 わたしは なつかしい
 あの街を 思い出す

 叶えたい 夢もあった
 変わりたい 自分もいた
 今はただ なつかしい
 あの人を 思い出す

 誰かの歌が聞こえる
 誰かを励ましてる
 誰かの笑顔が見える
 悲しみの向こう側に

 花は 花は 花は咲く
 いつか生まれる君に
 花は 花は 花は咲く
 わたしは何を残しただろう

 夜空の 向こうの 朝の気配に
 わたしは なつかしい
 あの日々を 思い出す

 傷ついて 傷つけて
 報われず 泣いたりして
 今はただ 愛おしい
 あの人を 思い出す

 誰かの想いが見える
 誰かと結ばれてる
 誰かの未来が見える
 悲しみの向こう側に

 花は 花は 花は咲く
 いつか生まれる君に
 花は 花は 花は咲く
 わたしは何を残しただろう

 花は 花は 花は咲く
 いつか生まれる君に
 花は 花は 花は咲く
 わたしは何を残しただろう

 花は 花は 花は咲く
 いつか生まれる君に
 花は 花は 花は咲く
 いつか恋する君のために

新しいことをした者が勝ち、しない者は負ける

2013年03月08日 04時52分32秒 | つぶやき

 成毛さんは、次のようにも言っておられます。

 「思想や理論に頼らない」だけでは不十分です。
 大事なのは、「判断すらしない」ということです。

 うまくいくかどうかは結局のところ、『運』の側面が強いのですが、まずはやってみなければ、運をつかむことはできません。
 思いついたことはとりあえずどんどんやってみる。
 「思いついたから」やる。
 「面白いから」やる。
 あるいは、「新しいから」というだけの理由でやってしまう。
 説得力がある理由は、ないほうがいいのです。
 そして、うまくいけば続けて、うまくいかなければどんどんやめることです。
 時間をかけて判断しても正しい答えが得られるかどうかわからないのなら、とりあえずやってみて、マーケットに答えを聞くほうが早いのです。
 判断するプロセスはとばして、一気にアウトプットまでたどりつく方がコストもかかりません。

 ですから、これから何をすればいいのか迷っていたとしても、理論に頼るのは賢明ではありません。
 ただ一つ確かなこと、つまり「新しいことをした者が勝ち、しない者は負ける」ということだけを胸に刻んで行動することが大事です。


 行政に身をおくものとしては、この考え方は少々乱暴のように思えますが、都市経営だって常に変化しており、それにいかに対応するかといった心構えとしては正しいような気がします。


「変化」を妨げるとは

2013年03月07日 23時27分27秒 | つぶやき

 プレジデント2013.2.18号に成毛 眞さんの話が掲載されていたので一部抜粋して紹介しよう。

 一つの書物や思想には、成功するためのノウハウが書かれているわけではないということです。
 それを基準に物事を判断し、進めようとしているのだとしたら、成功するのは難しいと思います。

 その理由はいくつかありますが、まず挙げられるのが、「判断を間違えやすい」ということです。
 ある思想や理論は、もしかすると、過去においてはその瞬間、正しかったとしても、次の瞬間には時代遅れになっているかもしれません。

 世の中は常に変化しています。

 また、ビジネスにとって最も大事な「変化すること」を忘れてしまうということも問題です。
 特に、成長している業界においては、仕事を進めるうえで一番大事なのが、世の中や市場の変化に応じて、自分自身の考えを素早く変えていくということです。

 しかし、ある理論にこだわるようになると、何かを始める前に、やるべきか、やめるべきかという判断を下そうとするようになります。
 そうした判断は、決めるだけでも、時間がかかります。
 データを集めて、整理分析し、比較検討して、議論する必要があるからです。
 そして上司の了解を取らなくてはいけません。
 そうしている間にも、マーケットは変わっていきます。

 そのうえ、それだけ時間をかけて得られる答えは、先に述べたように、すでに時代遅れになっている可能性があります。
 また、人や組織はいったん時間をかけて下した判断に拘束されがちですから、さらに新たな変化をするということに対して、億劫になってしまいます。
 こういったことが、「変化」を妨げるのです。

安心感と明るい未来

2013年03月06日 19時48分17秒 | つぶやき

 わが国の近年のデフレ状況下は、さまざまな分野や場面で閉塞感が満ち満ちていた。
 そのやるせなさは、例えば新卒者の就職難や生活苦からの自殺、餓死など、考えられないような事態が続いていた。

 そして、そのことを異常と捉えない風潮さえあった。
 成長社会から成熟社会へと移行したわが国の現状がそこにあった。

 成長社会を懐かしんでも仕方がないのだが、今と決定的にちがうことは「安心感」と「明るい未来」ではないだろうか。
 例えば、人事制度。
 終身雇用制度と年功序列制度は、能力と関係なしに(誰にでも)「安心感」と「明るい未来」を与えていたのかもしれない。
 
 格差社会というと所得格差がすぐにイメージしてしまうが、むしろ能力格差から発生する(能力格差)社会なのかもしれない。
 一方で能力至上主義といいつつ、「無能者」として決めつけ、切り捨ててしまう社会になったような気もする。
 そして、その無能者の基準はまちまちのようであり、そのことが本来成長すべき人材を失ったケースもあるような気がする。

 人が人を裁くが如く、容赦のない社会になったのではないか。
 「弱者を大切に」といいながら、表面的なところだけつじつま合わせをする社会になったのではないか。

 今、変わらなければならないのは、社会全体が「安心感」と「明るい未来」に満ち満ちた社会に変化すること。
 そのためには、私たちがしなければならない仕事はたくさんある。

 もっともっと、がんばらなくちゃ!!

成功を忘れられるか

2013年03月05日 23時50分29秒 | つぶやき

 人はいい仕事をすればするほど、その仕事が忘れられないと思う。
 しかもその成果がいい結果であればあるほど、そうに違いない。

 しかし、最近はそうであってはならないという。
 というのも景気がよくて売上が伸びているときは、成功した戦略を繰り返す意味があったが、成熟市場では過去の成功事例が通用しないというのである。

 むしろ成功事例に基づく発想は、その発想をかえって狭めてしまうというのである。
 だから、どのような成功事例も意識して忘れたほうがいいというのである。

 参考にならないのは、他の成功事例も同様だという。
 もちろん成功事例を学ぶことが無駄とはいわない。

 ただ、過去の事例を学ぶのは「こういう考え方もあるか」といった発想の幅を広げるためであり、事例そのものは参考にならないという。
 状況の異なるところに過去の事例を当てはめても、99%はうまくいかないのだと。

 成功事例があると、人はそれに寄りかかり、自分の頭で考えなくなるとも。
 それに慣れると、いざ新しいアイデアを求められるときに対応できなくなる。

 私は個人的には、同じ事を繰り返すことを極端に嫌った。
 それがルーチンワークだとしてもである。

 また、相手に対して成功事例を得意げに自慢される御仁がいるが、聴かされる側にとっては楽しくない。
 そんな時、天邪鬼な私は自分の失敗談ばかり話す。
 意識してである。
 その方が、相手は反面教師的に取り込んでもらえると思うからである。

 成功事例はできるだけ捨てる。
 それが己の成長だと思う。
 
 

アブダクション

2013年03月04日 23時16分44秒 | つぶやき

 過去にこのブログで「演繹(えんえき)法」と「帰納法」について、書いたことがある。

 最近は、こういった論理的な思考だけでは足りなくなってきたようだ。

 というのも、法則からロジックを重ねて結論を導くのが「演繹」、事例の積み重ねで結論を導くのが「帰納」である。

 しかし、社会環境の著しい変化は論理的思考だけでは足りなくなったというのである。
 そこで登場したのがアブダクションという非論理的な考え方である。

 アブダクションは、いきなりひらめきで仮設を立て、それを検証することで結論付けていくというやり方だ。
 このやり方は、演繹でも帰納でもない。

 第三の思考法だという。
 非論理的であり、悪くいえば根拠のない思いつきに過ぎない。
 しかし、根拠にとらわれないからこそ、既存の枠を飛び出す自由な発想ができるというのだ。

 もちろん単なる思い付きのままでは、まわりを説得することは難しい。
 仮説をデータやロジックで検証して、説得力を持たせることが重要。
 後付けでも構わないので理論武装すれば、組織内での企画が通りやすくなる。
 データやロジックは、アイデアを出すためではなく、出たアイデアを補強するために活用したほうがいいという。
 

スピード感とは?

2013年03月03日 21時14分45秒 | つぶやき

 プレジデント2013.2.18号より、抜粋した。

 マーケティングは戦略は重要だが、戦略に固執するのはよくないという。
 
 例えば、化粧品の新ブランドをギフトとして売る戦略を立てたとしよう。
 そして、戦術を考えていく中でメッセージカードをつける案が出てきたとしよう。
 直感的に「これはいける」と判断する。
 アイデアをさらに練って、ポストイットをつけることも考える。

 ここまで来ると、マーケティングのコンセプトも「ギフト」から「メッセージ」に変わってくる。

 真面目な人は、もとのコンセプトが変わることを嫌がるだろう。
 たしかに、マーケティングは、まず戦略を固め、戦略に沿って戦術を考える手順が一般的だ。
 ただ、いい戦術があるなら、戦略を戦術に合わせて変えてもいい。
 大切なのは化粧品を売ることであり、戦略にこだわることではない。

 自分で立てた戦略だからといって、変更を躊躇してはいけない。
 お客の心をつかむには、朝令暮改ならぬ”朝令朝改”のスピード感が必要だ。


 といった内容であった。
 私は、「スピード感」とはこういうことだと思う。
 

生石地区独居高齢者の集い

2013年03月02日 19時36分51秒 | 地域情報/その他

 本日は、生石地区の社会福祉協議会に招かれ、「独居高齢者の集い」に参加してきました。

 
 渡邉武敏会長のウィットにとんだ挨拶からスタートしました。

  

  
 午前の部は、劇団「ぷか」さんの人形劇「三枚の札こ」が上演されました。参加者は昔を思い出したのか和やかな雰囲気になっていました。

  

 
 午後の部の一番手は、西中学校の吹奏楽部の皆さんの演奏からスタートしました。

  

  
 続いて西中学校のコーラス部の皆さんによるコーラスでした。

 あっという間に時間が過ぎてしまいました。
 最高齢のおばあちゃんは、なんと103歳!

 まず、「集う」ことの大切さを改めて感じさせられる一日でした。

夢をみたい

2013年03月01日 23時40分32秒 | つぶやき

 最近、自分で何してるんだろうと思う時があるんです。

 もっと、他の生き方があるんじゃないかと思う時があるんです。

 かといって、仕事や職場に不満があるわけでもないんです。
 職場の人間関係も良好ですし...

 でも、なにかちがうんです。
 
 そういって仕事を辞めた若者がいる。

 単に適正な仕事に就けなかったんだろうといってしまえばそれまでだが、本当に当人だけの問題だったのだろうか。

 その若者は、きっとその仕事で夢を見ることができなかったからかもしれない。

 私たちは既に、その若者たちに夢を抱かせる立場にある。
 自分たちの仕事の中で、夢を熱く語っているだろうか。
 若かった頃、一生懸命に、そんな夢かなうわけないだろうと馬鹿にされながらも、大きな夢を語っていたような気がする。

 もし、最初からそんなものを語ったことがないというなら、それは悲しい人生ではないか。

 振り返った時、人に自慢できる仕事をいくつしたか。

 もし、一つもないとしたら、それも悲しい人生である。

 自慢できるとは、大きな仕事ばかりではない。
 一つのことに、こつこつと真摯に向き合い、積み上げる仕事。
 それも立派な自慢できる仕事である。

 大切なことは、一生懸命にやってきたかどうかなのだ。
 例え、誰に認められなくともである。

 夢には自分自身が見つけたものと、誰かの夢を継承するものと、様々ある。
 しかし、いずれにしても夢をもつことは大切なこと。
 特に、この人の夢を継ぎたいと思わせるような夢を見させること。

 そんな夢を描きたい。
 そして、自分の終焉が来るまで私はそんな夢を見続けたい