走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

ことのはじまり

2014年03月10日 23時22分10秒 | つぶやき

なんにでも、事の始まりがある。

そして、その時に最も大事なことは「最初の決心」だと思う。

その理由は、この「最初の決心」がどこまでもついてまわるからである。

例えば、名誉とか利益のために始めたとする。

そして、やればやるほど欲が透けて見えてきてしまって、いくら豊かな知識とか、すばらしい言葉で飾ってもごまかしきれなくなる。

事を始めるのに大切なことは、シンプルに、心の底から、「この道をきわめたい」と叫ぶことができるかどうかではないか。

それだけである。

今、自分がやっていることに、このことを当てはめると、ときどきぶれている自分が見えてくる。

時々、初心に立ち返り、「最初の決心」はどんなものだったかを問い返す。

そうやって私は時折、振り返ってみる。

ぶれるだけならいいのだが、ずれ始めていることもある。

そんな時は、勇気を出して、早い段階で軌道修正するようにしている。


時代が私を許さない

2014年03月07日 23時29分49秒 | つぶやき

昨日に引き続き、NHK朝の連続ドラマ「ごちそうさん」を見ながら感じたことを書き留める。

主人公の長男が出征する前夜泣きながら語るシーン。

やり残したいろいろなことを語りながら、ぽつりと「時代が僕のやりたかったことを許さなかった。僕はこんな国を許さない。僕はこんな国を変えてみせる。だから、這ってでも帰ってくる。」と泣きながら語る。

戦争がいかに悲惨で、個人の自由を奪うかを物語っている。

戦争は何よりも「自由」を奪う。

愛国心という名のもとに個人の「自由」を奪い去る。

「自由」は人生そのものである。

しかし、時に歴史は平気でその「自由」を奪ってきた事実を伝えている。

「この国に生まれてよかった」と思うには、不自由さを感じなければ実感できないのかもしれない。

しかし、その前に不自由にならないよう最善を尽くすことが大切である。

そのためには私たち一人ひとりが何をしなければならないかを真剣に考え、行動すべきである。

「どうせ私一人くらい」という気持ちが油断大敵である。

 


ごちそうさん

2014年03月06日 19時17分39秒 | つぶやき

ここ何日かのNHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」をみていて気づくことがある。

戦争という不条理な暗くて大きな陰に、それぞれの人生が巻き込まれていく。

なによりも、家族が食卓から一人、また一人と消えていく。

そして、今日、主人公はとうとう一人ぼっちの食卓に取り残されていく可能性が出てきた。

何よりも家族と食卓を囲むことを大切にしてきた主人公に、「戦争とはこういうことなんだよ」とわからせるかのように。

このドラマは、昔、多くのドラマで見られたような「茶の間」が舞台になることが多い。

茶の間で、さまざまに起こった事件を、家族が話し合って、協力し合って解決していく。

究極の家庭教育力である。

そして、私たち日本人が忘れてしまったことでもある。

日本の家庭教育力は、「食卓」に尽きるのである。

食事をしながら空腹感から満腹感へと人としての欲求を満たしながら、家族の悩みを聞き、家族で解決していく。

シンプルだが、人が人として生きていく過程の中で、最も大切なことをこのドラマは再認識させてくれる。

翻って食卓に並ぶメニューは戦後間もない頃と比べようもないくらい豪勢になった。

しかし一方で、人の心は貧相になった。

何よりも家族が食卓を囲めるのに囲もうとしなくなった。

食卓を囲まないだけで、ずいぶんと人の心は殺伐として、相手を思いやる心を消失させた。

「ごちそうさん」を家族がそろって食卓を囲みながら言えることが、幸福であるということを私たちはもう一度自覚せねばなるまい。

 


心に突き刺さる話し方

2014年03月03日 20時02分34秒 | つぶやき

コミュニケーション力が必要だと最近様々なシーンで耳にする。

その一方でスマートフォーンに代表されるコミュニケーション・ツールはどんどん進化を続け、便利になっているのにもかかわらずである。

逆にこれらの道具が便利になったせいなのか、両者には反比例の関係にあるような気がする。

では、コミュニケーション力とは何なんだろうか?

一言で言うならば、「伝える力」だろうと。

では、伝えるためには何に気を付けなければならないのだろう。

私は、「伝える」というのは無味乾燥な言葉の羅列では伝わらないと思っている。

なぜなら、そのような言葉は相手の心に残らないからである。

相手の心に突き刺さってこそ伝わるのである。

若いけれども演説の達人、小泉進次郎氏はその極意を次のようにまとめている。

 1 聞き手の反応を拾う

 2 不都合な点を明かす

 3 つかみのネタは現地調達

 4 知ったかぶりはしない

 5 難しい問いにも瞬時に返答

この5点の重要なところは、けっして独りよがりにならないということであろうか。

聴衆をよく観察し、相手の思いを瞬時に分析・理解し、一番的確な言葉で伝える。

これがたくさんの聴衆を虜(とりこ)にしている所以であろうか。

相手の心に突き刺さる言葉を伝えてこそ、コミュニケーション力がつくということか...

 


グローバル人材の育成

2014年03月01日 18時57分24秒 | つぶやき

大阪にいる弟分的な存在のD君と久しぶりに会った。

彼は私より10歳年下。京都出身。

松山の大学に来て、当時の私の職場にアルバイトに来たのが縁であった。

過酷な労働条件の中で、何人かいた大学生のアルバイトの中でも彼が一番よく働いた。

私も一人っ子、彼も一人っ子という共通の中で波長があった。

大学を卒業し、彼は地元に帰り、大企業に入社し、途中から起業した。

今は、企業研修等の講師を務めている。

彼とは時間や距離があっても飯を食べ、酒を飲むと、すぐ縮まる。

何も構えず、年の差も気にせず、立場も関係なく、笑い転げながら会話を楽しむ。

彼が私に持っていないものはグローバルな感覚である。

学生時代にアメリカへ留学し、そして中国へも行ったと思う。

当時、中国への渡航は珍しかった。

しかし、彼はアメリカを見た上で中国を見る必要性を語っていたような気がする。

私も同調し、大いに進めたような気がする。

そして、彼は今、仕事の傍らグローバルなネットワークを広げている。

うらやましいかぎりである。

なんとか追いつきたいと思い、私も私なりにまだまだであるがここ何年間でネットワークを広げつつある。

今、国は若者にグローバルな感覚を持たせるための支援制度を立ち上げ、後押しをしようとしている。

ただ、支援を受けられる若者たちの感覚はどうなのか。

D君のような若者がいっぱいできると、この国は面白い国になると思う。

今、D君は 若者たちをグローバルな人材に育てたいと思っている。

そのためには若者が夢を持ち、志を持って邁進することの大切さをよく理解している。

彼なら、きっと実現するような気がする。

キラキラ輝く彼の瞳が濁っていないことが何よりもその証拠である。


ごみ出しでわかること

2014年02月28日 23時16分25秒 | つぶやき

まだ身体が十分でないため妻に送り向かいをしてもらっている。

今朝、同様に送ってもらっているとごみ出しをしていたおばあちゃんがいた。

「今日はここら辺りはプラスチックごみの日やね。」と妻がつぶやく。

「そうやね。」と頷(うなづ)く。

「さっきのおばあちゃんの出してるごみ、見た?」

「見たよ。」

「カップ麺だけやなかった?」

「そうやね、同じカップ麺だけやったね。」

「きっと、独居老人なんやろね。同じカップ麺ていうことは特売日に買った方が安くなるしね。」

「そういうことか。」

「あの麺やったら、たぶん一個百円かからんけんね。一人で、生活もたいへんなんやろね。」

「昔、斑鳩(いかるが)の夕餉(ゆうげ)の時間に立ち上がる煙で、庶民の生活ぶりがわかったという話があったけど、ごみ出しだけでいろんなことがわかるということか。」

「何を悠長なことをいよるん。そんな生活を強いているのはどこの誰?」

「耳が痛いなあ...」

「しっかり仕事せんといかんねぇ」

いつもながら手厳しい妻である。

そのあと、そのおばあちゃんのことが気にかかった。 


イエスマンの後に

2014年02月27日 19時18分48秒 | つぶやき

「イエスマン」と言えば、上司のご機嫌取りというイメージがある。

イエスマンはどの分野にもいる。

このイエスマン、年を追うごとに増殖してているという。

なぜこのようなことになったのか?

戦後、この国は物質的な安定を人生の目標にする人が圧倒的に増えたため、もの目標のために、ものをいう勇気を失ったからだという人もいる。

出世、サラリー、そして安定した生活。

物言わぬ方が確かに得かもしれない。

いっぱい血を流すよりも、その方がずっと大人なのかもしれない。

しかし、人生を振り返った時、本当にそういう生き方で満足するのであろうか。

市民のために、地域のためにといった信念を持つならば、言うべきことはいい、時には自分の立場をなげうってでも自分の信念を通すべきなのではないか。

青いといわれるかもしれないが、よくよく考えると職員生活もあと三年とちょっと。

いまさらイエスマンになれたとしても幸せを感じるとは思わない。

平素から覚悟を持って生きていれば怖いものなどないと思っている。

振り返った時に、自分が考え、判断したことに、エラそうな言い方だが時代が追い付いてきたような気がしている。

だからといって自慢しているわけでない。

高所大所から物事を見る目を養ってきたからこそだと思っている。

そして、何よりも、現場、現物、現実の「三現主義」に拘(こだわ)ったからこその結果であろうと思っている。

自分の魂を売ってまで生きても仕方がない。

こういいながら、所詮はイエスマンになれなかった負け惜しみかもしれない...


夏の火鉢、旱の傘

2014年02月25日 21時50分20秒 | つぶやき

NHKの大河ドラマは黒田官兵衛。

昔からこの人物には興味があったので欠かさず見ている。

そして、官兵衛に関する本も数冊読んだ。

今の自分の仕事に参考になることも多い。

例えば、官兵衛の残した言葉に、「夏の火鉢、旱(ひでり)の傘」というのがある。

意味は、夏の火鉢も、かんかん照りの日の傘も、役には立たないが、冬になったら火鉢は暖かいし、雨が降れば傘でしのげる。

つまり、ある局面では全く使えなくても、別の局面では大きな力を発揮できる。

官兵衛は人物もこれと同じで、多角的に人材の能力をチェックして起用すれば、本来の力を発揮するものだと説いている。

人の短所ばかりに目がいく上司は多いが、人の能力は千差万別と悟ってそれぞれの長所を発見してやったり引き出したりする上司は少ない。

単純に人員だけを増やせばいいのではなく、一人ひとりの得て不得手を勘案して人材配置すれば実数を超える力を発揮することがある。

そのためには、その人材が持つ得意なことを伸ばすこと。

そうすれば組織に相乗効果が生まれ、より強さが増す。

また、官兵衛は人材配置にも気を配ったという。

家臣同士の相性にも細かく目を配っていたというから、かなり高度な組織編制をしていたことになる。

官兵衛は「家中間善悪の帳」という記録を携帯して、何か気づくとそこへメモをしていたというのである。

何を書いたかというと、家臣の誰と誰は仲がいい、誰と誰とは喧嘩状態で犬猿の仲だといった類(たぐい)である。

今風に言えば、何百という家臣たちの人間関係を“プロファイリング”していたというのだ。

例えば、しばらく戦った後、相手の武将と講和をまとめようという段階になって、複数の家臣を相手先に行かせる場合、その家臣同士の関係がよくなければ、先方の交渉もうまくいくはずがないと考えていた。

だからこそ、“善悪の帳”が必要となったのであろう。

また、官兵衛は「相口、不相口」という言葉も残している。

相口とはウマが合う、性にあう間柄であるということ。

不相口とは、その逆でウマが合わない関係のことだ。

これらは前述の人間関係のよし悪しを把握する重要性を語ったものであると同時に、戒めの言葉でもある。

人は組織を編成するときに、とかくウマが合う人、現代でいえばイエスマンで固めることがある。

また、ウマが合う家臣のことはつい贔屓(ひいき)してしまい、目をつぶることも多い。

逆にウマが合わない家臣のことはろくに話も聞かず、ただ遠ざける。

それをやっていると最初は居心地がよくても、たいていは失敗する。

能力よりも、相性だけを重視した組織がうまくいくはずがないのである。

官兵衛はそのこともきちんと把握していて、相性の合わない相手の話でもしっかりと耳を傾けたという。

官兵衛には、それだけの度量の広さがあり、人間というものはどういうものか、強い組織にするにはどうするべきか、を日頃から考えていたという証でもある。

これらのことは、現代社会の私たちにも十分通じる戒めである。


良好な人間関係を築くとは

2014年02月23日 13時51分55秒 | つぶやき

人間関係ほど、この世で難しいものはない。

職場での人間関係、学校での人間関係、趣味仲間の人間関係、そしてママ友の人間関係と、本当にたくさんの人間関係に囲まれて私たちは生きている。

中にはそんな煩わしい人間関係を嫌って仙人のような隠遁(いんとん)生活を送っている御仁もおられるかもしれない。

なぜ人間関係が難しいのかというと、誰でも「好かれる人」と「嫌われる人」が絶対にいるということではなかろうか。

この「嫌われる」というのが問題なのである。

ではどうすれば嫌われないようにできるか?

そんなことは不可能だと割り切った方がいい。

つまり、居直るべきである。

相性というのは大事なことで、「この世には相性の合わない人がいるんだ」と割り切ることである。

この「割り切る」というのが、あとの生き方をずいぶんと楽なものにする。

「好かれる人」とは、実は自分の個性や生き方も含めて寛容なやさしさを示してくれる人を言うのである。

人はそれぞれ個性を持っていて、生まれた時からのものと生まれた後からのものと、その二つによって形成される。

その個性が、自分では自然であっても第三者から見ればずいぶんと不自然なものがある。

この不自然さを許してくれる人が、いわゆる「好いてくれる人」なのである。

ただ、最初はそうであっても途中からそうでなくなるケースもある。

その原因はさまざまあるけれど、大概はコミュニケーション不足からくる勘違い等ではなかろうか。

そういう意味では、自分のことを「好いてくれている人」に対しては、心から感謝しなければならない。

自分が少しでも豊かな人生を送ろうとするならば、人間関係は良好な方がいい。

そのためには、まず、嫌われた人のことはとりあえず諦める。

そして、好いてくれている人たちに心から感謝し、できるかぎり自分の個性を寛容に受け止めていただけるかどうか早めに許しを請うことかもしれない。


重荷を背負っていない人はいない

2014年02月22日 15時35分38秒 | つぶやき

ささやかな人生

だが、その中には必ずそれなりの幸福もあるし、それなりの不幸もあると思う。

そういう意味では、人は、それぞれの不幸を抱えて、その人なりに健気に生きているのだろうと。

つまり、不幸は人の身体の一部のようなものかもしれない。

内臓のように、時に不調になったり、苦しんだり、飛躍した考えかもしれないが、不幸も同じように時々顔を出す。

人が持っている不幸は、よくよく突き詰めていくと似たようなものかもしれないと思うようになった。

そして、素行が顔を出すたびにその人の思い上がりを諌めているのかもしれない。

また、自分の不幸を特別なものだとは思わないことも大切だ。

不幸というのは誰にでもめぐり来て、他の人の不幸と比べられるものではない。

他人の不幸をしたり顔でわかったようなことを言う人がいるが、比べられないということは他人の不幸はわからないということでもある。

ただ、その不幸はわからないけれども、その悲しみを分かち合うことはできるような気がする。

そして、肝心なことは不幸があるから「希望の光」があるということである。

傷ついているときには、なかなかこの「希望の光」を見いだせないが、絶対に希を捨てないことである。


希望貯金

2014年02月21日 19時02分55秒 | つぶやき

希望を持たない人生などつまらない。

そう思いませんか?

人は希望の光に向かって進んでこそ、生きがいややりがいを持てるのだと思う。

しかし、定年が近くなると、どうやら希望の光は消えてしまうようである。

例えば、80歳まで生きるとする。

60歳で定年を迎えるとすると残り20年間は希望もなく目の前ばかりを見て生きていくことになりかねない。

なんだか人生を60歳で置き忘れてしまうような気がする。

そこで、今から「希望貯金」をしてはどうかという提案である。

最近始めたことは、自分のやりたいことをスマホの携帯メモに登録し始めた。

自分ではこのことを「希望貯金」と呼んでいる。

そして、登録した「やりたいこと」を分野ごとに整理し、時間のある時に次のようなことを付け加えるようにしている。

 1.やりたいことを実現するためには、何をしなければならないか。

 2.どういった仲間が必要か。

 3.立てつけはどうするか。

詳細は次のステージだと思っている。

休みの日などはこれで結構時間がつぶれる。

中には途中で諦めなければならないものも出てくる。

面白いのは、最初は別々の切り口だったものが途中からつながることもある。

また、「うまくいかないなあ」と思っていると、「ちょっと困ってるんですが」と救いを求めてくる人たちがいて、これが結構つながったりする。

今のところ、私の希望貯金は無限大に広がっている。

 

 

 


努力しても報われない時

2014年02月20日 20時34分06秒 | つぶやき

人生のうち、何度か自分では努力しているつもりでも報われない時がある。

「なぜだろう」と自問自答してもその答えが見つからない。

人に相談すると、「あんたの性格のせいよ」とか、ひどい時には「自業自得よ」に近いことまで言われたりする。

中には慰めるように、「運がなかったのよ」と言われる御仁もいる。

いったいどれが本当なのか。

ただ、合理的な説明をしてくれる人はいない。

ということは、本当に運が悪かったのかと、ついぞ勝手に思い込み始めた自分がいる。

最近などは、「実力三割、運七割」と勝手に思い込むようになった。

だから、失敗しても「運が悪かったなあ」と他人事のようにあきらめがつきやすくなった。

おかげで出直しが素早くなった。

きっと、失敗を悶々と引きずることが少なくなったからであろう。

そういう意味では、曽野綾子さんの言葉を借りれば、人生は、運と自分のささやかな生き方の方向付けというものの相乗効果のような気がする。

大切なことは、人と違う運命を甘受できるかだと。

人の運命をうらやましく思っても致し方ないのである。

つまり、自分の運命をフルに使う。

それだけである。

人間の勝ち負けなど、簡単に言えるものではない。

人生おける勝ち負けは、その都度で変わるものであり、「万事塞翁が馬」ということわざ通り、後になってみなければわからない。

だからくよくよする必要もない。

自分の運命をしっかりと受け止めて、常にプラス思考で生きることができれば最高だと、つくづく思うようになった。

 


放任と任せるとの違い

2014年02月17日 19時54分24秒 | つぶやき

私は「放任」という言葉があまり好きではない。

「放任」の意味は、「何らかの事態や人などの行動に関して、何も手を出さずに成り行きに任せること、またはその状態を指す。」だからだ。

これでは無責任ではないかということである。

部下に仕事を任せるということをこういう風にしている人たちが結構おられる。

今回、プロジェクトを立ち上げるにあたって、その中心となる部下といっぱい話をした。

こういう場合、私は上司も部下も関係なく、腹蔵なく話をすることにしている。

多少遠慮が見え隠れするが、ため口をたたかれようと気にしない。

むしろ、ため口をたたかれた方が相手の本音が聞けていいくらいだ。

この話し合いでは一切手を抜かない。

なぜなら、相手がどれだけの思いをもって、何をいつまでにしたいかをここで見極める必要がある。

だからといって詳細まで必要ない。

がんじがらめにしてしまうと柔軟性に欠ける可能性もある。

そして、本質を見極めていると感じたら、あとはお任せする。

ただ、ときどき折に触れ進捗状況を聞いてみる。

実はここが「放任」か「任せるか」の違いなのである。

大切なことは、ベクトルからずれていないかの確認をする。

そして、仮にずれ始めていたとするならば、早めに軌道修正をしなければならない。

早めの軌道修正は、傷を浅くするという効果がある。

危機管理上、とても必要なことだと思っている。

ただし頻繁に確認をすると嫌がられるし、何よりも自分に対する信頼度について疑問視する可能性がある。

この点は難しいと思うが、とことん話をすると、その時点でチェックポイントが見えてくるのである。

つまり、「いい頃合い」に尋ねるのである。

だから、プロジェクトリーダーになる人物に「上司と部下の役職は関係ない。違いがあるとすれば、それはそれぞれの役割である。私の役割は、いざという時に責任を取る。それだけである」と説明するようにしている。

実は、このことがモチベーションを上げさせることにつながり、「絶対に上司に責任を取らさせない」という思いを抱くことになるのである。

まあなんとずるい上司なのだろうか(笑)

そして、明日、新たなプロジェクトが立ち上がる!! 

 

 


不覚にも

2014年02月14日 20時07分41秒 | つぶやき

11日の日の帰宅中、飛び出してきた高校生の自転車を避けようとして転倒してしまった。

右鎖骨と右小指骨折。

さらに顔と右足の脛、右足付け根の擦過傷。

かなり、傷ついた。

左からの飛び出しで、それを避けたため右半身が傷ついた。

不覚にも救急車で運ばれる。

不幸中の幸いにも、その高校生を傷つけずに済んだ。

その高校生も私と同じに方向に歩道を走っていて、猛スピードで向かってきた対向自転車を避けようとして飛び出したらしい。

不可抗力である。

流星号(愛車のスクーター)は見事に12~3m滑って行った。

滑っていく流星号を(這いつくばった状態、しかも顔から流血した状態で)見送りながら、内心、「よくぞぶつからなかった」と思っていた。

その分、自分のダメージは大きかった。

立ち上がろうとしたが立てなかった。

3日間入院して、4日目から出勤し始めた。

友人に教えられ、今、猛烈に煮干しと牛乳とグロコサミンを食べて飲んでいる。

そのせいか、猛烈な勢いで回復している。

皆さんもこのようなことのないようご注意ください。


体力づくり

2014年02月09日 21時39分55秒 | つぶやき

今年に入っていくつかの決め事を自分に課した。

一つは、徹底して体力づくりに努めること。

珍しく毎日、朝起きると血圧を調べ、入浴後に体重と体脂肪率を記録するようにしている。

そして、軽めのストレッチと休日は散歩に出かけるようにしている。

知力は気力が必要。

気力は体力が必要。

だから、まず体力をつけることにした。

理屈ぽい自分らしい。

食事にも気を付けるようになった。

少しづつだが体重も落ちてきたし、血圧も下がってきた。

きっかけは、職員生活があと三年となったこと。

昔から決めていたことがある。

最後まで最善を尽くす。

先輩たちを見ていて、定年近くになると気力がなくなり抜け殻のようになる人たちを多く見た。

残された時間、できることは後輩をどう育てるかに尽きる。

自分のことはどうでもいい。

別に自分の経験談を偉そうに語るつもりもなどさらさらない。

振りかえれば実力少し、運が大方である。

運がほとんどだから、いい時も悪い時もあった。

でも、どんな時も楽しかった。

後輩の皆さんに、この楽しみ方というのを教えられたらなと思う。

一方で体力の減退は否めない事実である。

確かに集中力もなくなり、目も見えなくなってきた。

そのことは致し方ない事実として受け止め、気力だけでもと考えたが、体力が衰えると気力もなくなるなと痛切に感じ始めた。

そして、定年後の自分の生き方もそろそろ準備をしておかなければならないと思うようになった。

一番は自由になること。

このことを満喫したい。

でも、趣味に講じるつもりはない。

死ぬまで働きたいという思いが沸々といてきているのである。

「異常に元気なおじい」がいてもいいような気がしてきた。

そのためには、若い仲間たちと楽しみながら仕事ができる、そんなベースを残された時間内に築こうと思っている。

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