走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

こころとこころのやりとり

2010年10月19日 22時58分31秒 | うれしい
 嬉しいメールが届きました。
ある小学校のおはなし会で紙芝居をやりたいということで、(忘れずに)お声をかけていただき、「のぼ~る」の佐伯代表の連絡先を地域学習振興課の担当につながさせていただきました。
たったそれだけのことなのですが、次のようなすてきなお礼メールが届き、つい感動してしまったものですから、ご本人の了解を得て紹介させていただきます。

 読んでいて、佐伯代表の人柄や思いが伝わり、それが紹介した人たちの心を揺さぶったことについても、なんだか嬉しくなりました。
人が「心豊か」になるにはこんな出会いがあり、それを実践してくれる人が出てくることで始まるのかなと秋の夜長を感じながら、ふっと思ってしまいました。

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 ○○小学校おはなし会のFです。
本日、念願の紙芝居上演がありました。


 柴田美奈子さんが、今年から赴任された校長先生と仲良しだそうで、正岡子規は柴田さんが読まれ、
あと、若手さんの新作の「まんまるおつきさまのよるに」を封切りで読んでいただきました。
あちらも赤ちゃん連れ、こちらの保護者もちびちゃん連れがいて、それを受け入れる感じのあたたかい場になりました。
「上京の道のりに奈良で詠んだ俳句を知ってるかな?」
には、ちゃんと四年生から挙手があって、あててもらいましたよ(^ー^)
愚陀仏庵再建のことにもふれていただきました。

 終わってから
「感想を言いたい人」
って先生が声かけをしたらいっぱい手が挙って
これがまた小規模校だからみんな発表できて。

一年生の男の子が、一生懸命にしゃべっていた。
「まんまるおつきさんは、なんだか、暗くなって、おばけがでそうで、絵も暗くって、お話しの声もさみしくなって、おばけがでそうで(緊張のためか3-4サイクル。こっちもどきどき。)そうしたら、おつきさまが、助けてくれた!!」
場内がぱっとお月さまに照らされたように明るくなりました。


 ほかにも

 ・子規さんがびょうきだったってしらなかった
 ・子規さんたくさんごはんたべたんだなと思った
 ・四年生のみんなで子規さんのことをいっぱいしらべているんだけど、
  それでも知らないことがいっぱいあった!
 ・わたしもおはなしをつくってみたい
  (結核にびびったげの発表はなかった…いまどきはそんなもんなのかも。)

 などなど
佐伯(のぼ~る代表)さんたちもうれしかったようです。

 そのあとのミニレクチャーは、読み聞かせ会のメンバーを中心としたママさんたちと教員の方々で。
輪になって佐伯さんの話をお伺いしたり、実際に読み聞かせをしていてのこまりごとの質問など
 (わたしは困らないのですが)
「読んでいる途中でこどもが質問など話しかけたらどうするのか」
 (わたしは最初からやりとりしながら読む方で、話しかけられたらついついつられて反応してまた物語に戻るんですが)
 佐伯さんの意見は
 「決まったかたちはないけど、話しかけるのは興味があってやっている。
  場面にもよるけど、『そうね』って応じたり
  あまり頻繁な子だったら目で『わかってるよ』って合図を送ったり、
  よく動く子だとあらかじめわかっていたら
  紙芝居をひく係をお願いしたり…こころとこころのやりとりだから、
  無視だけはしないでほしい」

  (あたしゃ感動しました)

 ほかにもいろいろあったんですが
 運動会代休のKくん(息子)を連れてたのでKがじっとできなくなり、
 ほとんど聞けていません…

 だけど
 みんなでうれしかったです。

 最初から最後まで 異動しているTさんにお世話になりましたが本当によかったです。

 ありがとうございました。

 Fより

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よさこい節

2010年10月18日 21時52分04秒 | つぶやき
 昨日のNHK大河ドラマ「龍馬伝」を観ていて、「いろは丸事件」の話が出ていた。
いろは丸は、愛媛県ゆかりの船で、大洲藩の所有であった。
どんな事件だったかというと、Wikipediaを参考にすると次のようなものである。

 1867年4月、大洲藩はいろは丸を坂本龍馬の海援隊に貸与、19日(5月22日)に龍馬は大坂に物資(鉄砲)を運ぶために長崎を出航。
23日(26日)、紀州藩船明光丸と衝突し積荷もろとも沈没。
長崎奉行で海援隊・土佐商会および土佐藩(参政後藤象二郎)と紀伊藩(勘定奉行茂田一次郎)とで争われ、坂本龍馬等土佐側はミニエー銃400丁など銃火器3万5630両や金塊や陶器など4万7896両198文を積んでいたと航海日誌等をもって主張し、紀州藩は8万3526両198文を弁償することと決裁された。
しかし、この後、紀州藩は土佐藩・土佐商会・海援隊に支払うべき弁償額を嘆願して7万両に減額してもらう。
この「いろは丸事件」は、日本で最初の海難審判事故とされている。

 番組では、坂本龍馬の卓越した渉外術と戦略戦術が紹介されており、ガリバーと蟻との戦いのように思われた争いが、民衆までも巻き込んだ中で華麗な逆転劇を演じる。

 特に、注目すべきは「よさこい節」を替え歌にし、それを市中に流行らすことで民衆の心をつかんでいく、いわばCMソングのようなものか。
ならば、坂本龍馬は、日本発のCMクリエーターでもある。

 もともと「よさこい節」は地元でも替え歌にされることが多く、とくに権力などに正面から対峙できない民衆のせめてもの鬱憤ぱらしでもあったのか、どちらにしても土佐人にはそういう気質があるらしい。

 では、「よさこい節」とは、これもWikipediaを参考にすると次のようなものである。

よさこい節
 高知県に残る民謡。
 囃子詞として「よさこい、よこさい」と歌われる。
 その起源については諸説あり、いまだ特定には至っていない。
 慶長年間(1596年-1615年)、山内一豊が入国して高知城を築いたとき、作事場で歌われた木遣り唄のヨイショコイという掛け声が変化したとする説(この場合はヨイショコイという掛け声の意)。
 正徳年間(1711年-1776年)、大奥女中の絵島と歌舞伎役者の生島新五郎の情話が絵島節となって諸国に流行し、それが土佐に伝わって変化したという説(この場合は夜にいらっしゃいという意)。
 他に、鹿児島県の「夜さ来い晩に来い」という囃子詞を持つ民謡が伝えられたとする説(土佐から鹿児島へ伝わったという説もある)、夜這いの風習と関連させて農耕生活の場で歌われていたと推定する説、よってらっしゃいを意味する土佐の昔言葉という説、などがある。
 吉原は性格上日本中の歌があつまる土地であるが、よさこい節を想像させる曲調の新土佐節が残っている。

<替え歌>
 純信とお馬よさこい節には数百曲に及ぶ替え歌が残っており、どの歌がどの時代に作られたものかは定かではないが、良く知られている代表的な歌詞には次のようなものがある。

 土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい

 元歌は「おかしな ことよな」で始まり、幕末にいかけ屋お馬の歌として流行した。 竹林寺の僧・純信といかけ屋・お馬の悲恋物語は、その舞台となったはりまや橋とともに有名であり観光名所として残る。
 また、その他に残る有名な歌詞としてはよさこい祭りのために武政英策が作詞作曲した「よさこい鳴子踊り」に使われているものがある。

 御畳瀬見せましょ 浦戸をあけて 月の名所は 桂浜 よさこい よさこい
 言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 潮吹く魚が 泳ぎよる よさこい よさこい
 いかけやお馬の歌を代表として、花柳界のお座敷歌、自由民権運動で歌われた「よしや節」、「よさこい鳴子踊り」、ペギー葉山の「南国土佐を後にして」などで歌い継がれ、現在はよさこい祭りの1フレーズとして使用されている。

 このように替え歌の中に、髪のないお坊さんが「かんざし」を買う矛盾を揶揄したり、「裏戸」と「浦戸」をかけた駄洒落的な替え歌は、土佐っ子のウィットにとんだ生き方がそのまま現れている。

 そして、龍馬は、その歴史風土に育まれていたからこそ、民衆が何を求め、どのようにすれば喜ぶのかを理解していたのである。

 常に民衆は、権力に阿(おもね)ることなく、冷静なのである。

石手地区体育祭

2010年10月17日 19時00分23秒 | 地域情報/体育祭
 今日は、道後地区の石手地区体育祭に出席してきました。
 秋空の好天に恵まれましたが、日差しは少し暑いくらいでした。
 今、松山では秋の体育祭が真っ盛り、去年までだとかけもちで体育祭を回っていましたために、顔を覗く程度の時間しかなく、申し訳ないと思っていました。

 今日は、時間がありましのでゆっくりと観させていただきました。
プログラムを見ていると、綱引きの種目等で同じ種目が並んでいたので不思議に思っていると、準備する人たちが楽なことに気付きました。
なるほどです。
事前に準備段階から、よくお話をされたんだろうなと感心させられました。





 




自転車で新風を!!

2010年10月15日 19時50分29秒 | 考え方
 NHKのBSチャンネルを観ていてイギリス・ロンドン市の交通政策をやっていた。

ロンドンでは、中心部の車の増加により交通渋滞が慢性化していたという。
行政はこれを憂えて、レンタサイクルを6,000台投入したというのだ。

 ただ、この動きは行政が自主的に行動したわけではなく、その影にNPOハックニーサイクルという団体があったようだ。
この団体の代表は、自転車の有効性と自転車がまちを変える可能性について活動したという。
そして、今も自転車の点検方法や乗り方教室、自転車道の拡張のための調査事業など、積極的に活動しているようである。

 いまでは、救急自転車なる救急車の自転車版が60台も投入され、救急車が来るまでの応急処置を行っているという。

 また、「サイクリスト・カフエ」なるものまで登場し、店の中に自転車を持ち込めるだけでなく、お茶を飲んでいる間に修理などをしてくれるそうである。

 この番組を観ていて本当に役に立つことがたくさんあった。

それは、松山というまちが、コンパクトにできたまちで、自転車で移動するには最適なまちだからだ。
郊外から中心部までは公共交通機関で移動し、その後、自転車などで移動する。
そのためには、交通結節点にはレンタサイクルを投入する。
だが、レンタサイクル事業だけでは採算割れをする可能性があるので、自転車を広告媒体として見立てて広告収入を足すと、トントンまでいくのではないか。
また、駐輪ビジネスまで足していくと十分ランニングコストだけでなく、イニシャルコストの回収まで出来てしまう可能性がある。

 これからのまちづくりは、イニシャルコストの部分についてのみ税を投入し、それが回収でき、結果的にはそのことによりさまざまな経済波及効果が生まれる、そんなやり方が必要だと思う。

そんなまちづくりがあってもいいのではないかと、以前から考えていたからである。

 どちらにしても、交通政策についてさまざまな交通手段を有機的に組み合わせて、環境保全や都市機能の向上を図る努力をもっとしなければならないと思った。



逆境はチャンス、順境はピンチ

2010年10月14日 23時34分19秒 | 考え方
 世の中には、「逆境に強い」といわれる人がいますが、私はそういう人たちが生まれつき心が強かったわけではないと思うのです。
では、なぜそう言われるのか。

 恐らく、逆境に強い人がいるわけではなく、逆境が人を強くするのではないかと。
北風に身を晒(さら)す経験をすれば鍛えられるように。

なかには「なんで俺はこんなにがんばっているのに恵まれないんだ」と悔しい思いをしながら、それでも人や環境のせいにせず、必死で乗り越えようとしいてる人は間違いなく成長すると思うのです。
人は恵まれた環境に置かれれば置かれるほど、高い意識を持っていないと強くなれません。

 だからこそ、「逆境はチャンス、順境はピンチ」なのです。

 逆境に晒されている時は、自分の進むべき方向さえ見失ってしまう可能性もあります。
そこでありとあらゆる知恵や感性、経験値を最大限に駆使します。
そうでないと、立ち往生して一歩も進めなくなってしまうからです。

もちろん、結果的には同じところで足踏み状態のままということも多々あります。
しかし、そこで前に進んでいこうというエネルギーを振り絞ることができなければ、自分自身を鍛えることはできません。

振り返ってみれば十代の後半に肉親の死を経験し、二十代前半で伯父の事業の失敗により人の心の裏腹さや、不条理を経験しました。
どんなにがんばっても、何も変わらないという自暴自棄になった時期もありました。
人生の中で最も挫折感を味わった6年間だったように思います。

 おかげで人の痛みが少しはわかるようになったと思います。
 そして、どんな時にも現実をありのまま受け入れられるようになりました。
 
 そのおかげかどうか、誰かが言った

  「二十代は『アリ』になり、
   三十代前半から四十代前半は『トンボ』になり、
   そして、五十代前半までに『人間』になる」という言葉があるが、

 仕事について十年、アリのようにひたすら働いた思いがあります。
 今振り返るとたいして重要な仕事が与えられたわけではないけれど、徹底してやったことで何かを掴んだような気がします。
 次に、トンボの目(複眼)のようにさまざまなものに関心を持ち、自己研鑽に励んだと思います。
 そして、最近、やっと人間らしくなってきたと思います。
社会には弱い人たちがいて、その人たちの味方になれるようになってきました。
強い人は放っておいても生きていけます。
だからこそ、弱い人たちに平等に機会を与えようと心がけています。
そういう温かい血がやっと流れ始めたかなと思う今日この頃であります。

愚陀仏庵誘致活動

2010年10月13日 22時09分24秒 | 地域情報/その他
 今日の愛媛新聞の3面に掲載されていましたが、7月の豪雨で倒壊した正岡子規ゆかりの愚陀仏庵を道後地区に誘致しようという活動が、「道後温泉誇れるまちづくり推進協議会」を中心に始まったそうです。

 誘致先としては、同地区内の色街だった「ネオン坂」を宝厳寺(一遍上人の寺)の方にのぼる途中の用地2箇所を、候補地としてあげているそうです。
 そして、単に愚陀仏庵の建設誘致だけでなく、これを機会に坂の「ネオン坂」という通称をやめ、「上人坂」にしようということまで決めたそうです。
 地域の人や関係者にアピールするために写真のような大きな垂れ幕まで作ってしまう。
まさに、取り様によっては滑稽と思われてもおかしくないくらいの行動を、大真面目でやってしまいます。

 愚陀仏庵が観光資源になることを踏まえた、道後地区ならではのしたたかさ(?)ではありますが、私はこういう動きが住民自ら出てきたことを誇りに思います。
地域が元気になるには、まず何でもやってみるという貪欲さみたいなものがいると思うのです。
道後地区に根ざし始めて半年が過ぎましたが、こういった活動を苦に思わず、むしろ洒落っ気でやってしまうこの地区独特の風土がとっても好きですし、その思いは深まっています。

 どうか、地域の思いが叶いますように...

何か物足りない

2010年10月11日 23時10分26秒 | 地域情報/その他
 道後温泉本館は、私たち松山の人間にとっては誇りを持って他地域に紹介できる施設です。
その佇まいは、ただ単に歴史があるというだけでなく、なにかホッとする癒しの空間です。
でもその道後温泉本館の雰囲気が変わりました。
ちょっと前の道後温泉本館の写真です。

 



そして、最近の写真が次の写真です。

 

わかりますか?

そうです。柳が折れてしまい、なくなってしまったのです。

 これが柳の切り株です。なんだか痛々しいと思いませんか。

柳は脇役だったはずなのに、なくなると本当に寂しいものです。

ロストシングル

2010年10月07日 22時03分46秒 | つぶやき
 皆さんは「ロストシングル」という言葉をご存知だろうか。

 配偶者と死別して単身生活を余儀なくされている人を“ロストシングル”と呼ぶらしい。
 特に、妻に先立たれ、一人で生きていくことになった男性たちの方が立ち直るのに時間がかかるという。
そういえば失恋したときに、後を引くのは圧倒的に男性が多いと聞いたことがある。

 配偶者をなくした深い悲しみと日常生活が立ち行かなくなる様子をNHKの「クローズアップ現代」が特集していた。

 その中で悲しみのあまりか、死亡率も高まるという実態が最近の調査で明らかになってきたという。
そして、残された夫が日々の生活で困るのは食事だという。
毎日、レトルトパックで過ごす男性の食事の姿を見たとき、せつなくなった。
また、困るのは食事だけでない。
健康管理や金銭管理もままならないというのである。
社会で企業戦士として戦ってきた面影すらない。

 いまこそ、こういう人たちに温かい手を差しのべる必要がある。
 ひとつは、行政が本気でこのことに取り組む必要性がきているということ。
 また、地域の救済システムが機能することで、その寂しさや苦しさを和らげてあげれるのではないか。
 さらには、NPO等の新しい公共の力も必要ではないかとも思う。

 いずれにせよ、今、温かい心を求めている人が増えているという現実を直視し、地域全体で温かい手を差しのべたい。

 がんばって、お父さん!!

祭り太鼓が聞こえる

2010年10月06日 19時02分20秒 | つぶやき
松山では明日地方祭本番を迎えます。
まちのあちらこちらから、祭り太鼓が聞こえてきます。

ただ、フッと気づくと、まちの角々に立てられていた「のぼり(写真)」がめっきりと少なくなっています。
この「のぼり」は、ずっと地域の人たちのボランティア力で立てられていました。
地域の人に聞いてみると高齢化し、「立てられる人が少なくなったからだ」と言われました。

「若いもんは、神輿をかく本番には来るけど、準備や片付けの時にはこんのよ」という言葉が印象的でした。

入浴体験

2010年10月05日 20時31分47秒 | 職場の出来事
 今朝、湯築地区の湯築社協の主催で開催、湯築民生委員さんがお手伝いをして入浴体験事業がありました。
最近は、各家庭に内風呂ができたため、温泉に入った経験のない子どもたちが増え、修学旅行でお風呂の入り方を知らない子が増えているというのです。

 そして、全国的にも有名な道後温泉の地元小学校の子どもたちに恥をかかしてはいけないという民生委員さんたちの親心から始まった事業です。
今日は、湯築小学校5年生を招待しました。
中には、本当に温泉がはじめてという子もおり、たいそう喜んだようです。

 朝早くから、一緒に入浴された民生委員の皆さん、本当にご苦労様でした。
 子どもたちの笑顔で報われましたね。

 

 

 

 



旬が壊れてる...

2010年10月02日 11時10分02秒 | つぶやき
 今日、テレビを観ていて異常気象で秋刀魚がとれなく高騰しているという。
つまり、食卓から秋刀魚がなくなるということ。

 海水温が高くなり、秋刀魚が南下しにくいことが原因のようだ。
私は、勝手に地球規模の異常気象はすべて海水温が原因だろうと思っている。
そして、海水温を上げているのがお天道様(太陽)じゃないのかということです。

 確かに地球温暖化の原因は人間にあるかもしれない。
でも、太陽の影響に比べたらちっぽけな気がしてならない。

昔の人たちは、自然の中で自然に逆らわずに生きてきたと思う。
その証拠に、友人が言っていたのだが旧暦で言うお盆は、今年は二週間くらい遅れているというのである。
つまり、残暑が二週間は長引くというのである。
昔の人たちは、自然を自然として受け止め、それを上手に生活の中に取り入れていたと思う。

 しかし、あるときから「旬の先取り」という言葉が出てきた。
この言葉はなぜ出てきたか今考えると、ある食品販売会社の人に聴いたことがあるが、旬を先取りすると売る側は高値で売れるからだという。
つまり、売る側から生まれ、売る側の論理で育まれた(?)言葉なのである。

 そして、いつの間にか「旬の先取り」を「旬」にすりかえてきてしまったような気がする。
日本人はいつの間にか自然の中で生き、自然の中で育まれているということを忘れてしまっているのではないか。
そして結果的には、自分で自分の首を絞めているような気がする。

 経済至上主義の招いた結果、私たちは日々の暮らしの大切さを忘れさせてしまったのではないかと改めて考えさせられた。