走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

お世話になりました。

2010年03月31日 22時39分43秒 | つぶやき
 4年間勤めた教育委員会・地域学習振興課を去ることが決まり、言い知れようのない寂しさに包まれました。

 しかし、これは仕事をしている限りいたし方のないことです。
 私自身はどうしても一生懸命なりすぎるために思いいれも深いかもしれません。

 特に、今の職場でたくさんのことを学び、たくさんの人たちに支えていただきました。
 人の優しさを改めて感じた4年間でした。

 地域社会という視点でものごとを考えられるようになったり、モノの本質を短時間で見抜けれる力もついてきました。
そして、自分の夢をこの歳で見つけることができました。

 この部署の最初の年に行った部下へのヒアリングの時の質問は、「あなたの夢はなんですか?」でした。
ほとんどの部下がとまどい、きちんと夢を語れませんでした。
 実は、その時点では私自身も自分の夢を明確に語ることができなかったのです。

 でも、今は確信しています。
 夢が明確になった時、人はその夢に向かってしっかりとした志をもって進めれるようになれることをこの歳で気づいたのです。

 これもすべて部下のおかげであり、公民館長をはじめ、地域の方々のおかげです。
 そして、いつも私を支えてくれた家族のおかげです。

 本当にありがとうございました。

一通の手紙

2010年03月29日 23時55分21秒 | 職場の出来事
 今日、臨時嘱託職員の立石康先生の送別会があった。
 同先生は2年前に松山市立生石小学校を退職されたのだが、それと同時に熱烈ラブコールを送り、始めて社会教育部門に教員OBを受け入れることができた。
後日談ではあるが、当課よりも条件のいいところへ決まっていたのにも関わらず、しんどく収入も安い当課を選んでくれた。

 先生との出会いは、先生がまだ生石小学校の校長先生をしている時に文部科学省の先端教育プログラム開発事業に携わってもらったときからである。
そのプログラムのよさを現場の視点からわかりやすく説明してくれた。

 そして、今、教育現場で基礎教育が低下しているといった説明を受けた。
 その要因が学校教育というよりも格差社会の広がりにあることもわかった。
 私は教育政策についてとやかく言うつもりはない。
 ただ、わが国には所得別教育政策がないところに問題の本質があるような気がする。
その犠牲になるのは、いつも子どもである。

 当時、先生はその基礎学力を強化する手法として、放課後の学習に目をつけられていた。
学校教育の時間では、これをしようとすると現実的には無理だとも言われた。
なんと現実的な先生なのだろうかと。
 また、子どもたちのことを熱心に語られた。
 「経済的理由で教育格差が生まれていることをこのままにしておいていいのでしょうか。子どもに何の罪があるのですか」と。
 さらに、「この教育プログラムを活用すれば、シロウトでも子どもたちの勉強を観てやれるんです。これを使えば地域のボランティアの人でも子どもたちの面倒を見てやれるんです。」と。

 「じゃあ先生、このプログラムを使えば放課後に地域のボランティアの人たちが子どもたちの勉強を観てやれるんですね。できるだけ無料になるような仕組みを作ればいいのですね。」
 「そうです、そういう仕組みをぜひ作っていただきたい。」

 この話はこれだけでは終わらなかった。

 この文部科学省の事業終了のお礼に上がったとき、校長先生だった立石先生は机の中から一通の手紙を出された。
 「課長さん、読んでみてください。」
 「いいんですか?」
 「はい、どうぞ。」
 その手紙を読み進むうち、目頭が熱くなってきた。

 母子家庭の母親からの手紙であった。
 内容は、塾に通わせることができない経済状態であること。
 この授業に参加したことによって子どもの成績が上がったということ。
 家庭で勉強の話を明るく話すようになったこと。
 そして、ぜひ、この事業を引続きやって欲しいということ。

 私は、自分の人生の中で経済的な問題で学問を諦めかかったことが二度ある。
 この母親の気持ちが痛いくらいわかった。
 「先生、やりますか!!」
 「やりましょう」

 翌年度の下期、「放課後子ども教室」ということで実現した。
 預かり時間は5時でおやつを出さないが、月謝は要らない。
 そして、最初のモデル校に生石小学校と久枝小学校がなってくれた。
 さらに、翌年の四月から立石先生が着てくれ、翌々年には野田先生が加わり二人体制で教室の普及活動に努めていただいた。
 欲張りな私は、最初に立石先生にむかって「教室の数を増やすだけでなく、成果も出していただけませんか」と。

 そして、立石先生は二年間で17教室を開設し、そして2割の子どもたちの算数と理科の成績を上げてくれた。

 先生がいなければ、この放課後子ども教室は短時間でこんなに広がっていない。
 未来ある子どもたちのためにがんばってくれた立石先生にもう一度お礼を言いたい。

 ありがとうございました。

新しい家族

2010年03月16日 20時45分50秒 | ペットのうさぎ
 今日、娘が新しい家族を連れて帰ってきました。
 ロップイヤーとう種類のウサギで、既にいるネザーランド ドワーフ(Netherland Dwarf)種の「ハナ」に後輩ができました。

 名前はまだありません。
 左の耳だけが立っている変り種のウサギです。

  

 元気に育つか、少し心配です。


☆説明
 ネザーランド ドワーフ(Netherland Dwarf)は、オランダに起源を持つカイウサギの一品種である。
 ネザーランドとは英語でオランダの意味で、ドワーフとは小型を意味する。

子どもたちの変化

2010年03月16日 05時15分10秒 | 子ども体験学習
 子どもたちの農業体験学習である立岩ダッシュ村を一年通して学んだこと。
集団行動の中で、子どもたちは一人ひとりが本当に違うということを改めて感じた。

 コーチ役の学生ボランティアのお兄さん、お姉さんに常にまとわりつく子。
日々の愛情が足りないのかもしれないと思ったり、自分のありかを探しているのかもしれないと感じたり、学ぶところがたくさんあった。

 そんな中、常に集団からひとりポツンと景色だけ観ている少年がいた。
 ある時は農業経験に加わらず、立岩の谷間の田園風景をひたすら観ている。

 話しかけてみた。
 「こういうのって好きじゃない?」
 「あ~あ」
 「ふ~ん。じゃあ、なぜ応募してきたの?」
 「ママが申し込んだ」
 「なぜ『いゃ』って言わんかったん?」
 「めんどくさいけん」
 「ふ~ん。ぜんぜんおもしろくない?」
 「うん」
 「そうか、そりゃあ苦痛でたまらんなあ」
 「・・・」

 そんな彼に変化が見られた。
 ある時、畑を耕しているトラクターを子どもたちの最前列に来て、輝く目で見ている。
 傍によっていき、「乗りたい?」と聞いてみた。
 「うん!!」
 「じゃあ、聞いてやろう」
 その少年のささやかな希望がかなった。

 最後のダッシュ村の日。
 村長(松田公民館長)と二人で話していると、その少年が近づいてきた。

 「あの里芋、どうするん?」と、里芋の畝(うね)を指差した。
 「どうするんて?」と聞き返した。
 「全部獲ら(収穫せ)んでええん?」
 「ああ、あれは種ぶんじゃ」と村長が応える。
 「種?」
 「ああ、里芋はああやって増やした分を収穫して食べるんやが、ちい(少し)と残すんじゃ」
 「残す?」
 「そうじゃ。残すんじゃ」
 「残して、どうするん?」
 「残して、来年のために土の中に置いとくんじゃ」
 「なんで土の中なん?」
 「土の中に残しておくと腐らずに、ずっと生きとるけんよ」
 「土の中で生きとる?」
 「ほうよ」
 少年の頭の中はきっとこんがらがっているにちがいない。
 「わかったか?」
 「んー...」
 「次につなげるためには、すべて食べつくさんのよ。そしてそれを大事に保存するために土に守ってもらうんじゃ」

 たぶん、半分くらいしか理解できなかったかもしれない。
 でも、それでもいいと思った。
 子どもたちは、大人の話を全て理解するのではなく、大人が発する言葉のキーワードをインプットしているだけかもしれない。
そして、成長する過程の中でだんだんとそのキーワードが格納庫から引っ張り出され、理解されていくのかもしれない。

 そう考えると、私たちは子どもが理解しようとしまいと、上手に伝えようなどとは思わず、どんどん小難しい話を子どもたちにした方がいいような気がする。
そのときに大切なことは、上手に伝えることではなく、一生懸命に伝えることだと思う。

 この少年のちょっとした変化であるが、この仕事をしてよかったと思う。
 

ユニバーサルな地域社会の実現に向けて2

2010年03月15日 01時22分53秒 | 地域情報/その他
 昨日の午後からは愛媛大学の法文学部大講義室で「ユニバーサルな地域社会の実現に向けて2/~世代を超えて語り合おう、地域活性化はわれらから~」が行われた。

 まずは、「奇跡のりんご」で有名な木村秋則さんの講演、引続いて木村さんを交えたトークディスカッションが行われた。
トークディスカッションのテーマは、「持続可能な地域社会の実現を目指して」ということで、藤田晴彦さんの司会、森賀・愛大農学部客員教授がコーディネーター、木村さんとちろりん農園の西川さん、松山市小中学校PTA連合会の中村会長と私がパネリストとして、そして農学部の学生、学びなおし社会人の学生さんを加えて、楽しく、有意義な時間をもてました。

 木村さんの講演は、朴訥だが熱きものを感じ取れるお話だった。
 日本が世界一の農薬使用国であること、ガンが近年急増し、特に胃がんよりも大腸がんの方が逆転したこと、10年位前から死体から死臭がしなくなり、ドライアイスが1/8で済むようになったこと。
日本人の身体は確実に変わってきたとのこと。「ぞっ~」とした。

 そして、木村さんが発した素敵な言葉を紹介しよう。

 答えは必ずある。
 ・常識に捉われない
 ・バカになれ
 ・自分がりんごの木なら
 ・努力が足りない

 大事なものは目に見えないところに隠れている。

 生き物自身が持っている自然治癒力を信じる。

 私ずいぶん失敗が多いです。
 その分、答えも多いです。
 その答えを見つけるとき、常に家族が傍にいてくれた。

 地域文化の崩壊が地域コミュニティを壊したような気がする。

 人の生き方は「こだま」のようなもの。

 頭の中に壁のない人は強い。

 木の葉っぱの葉脈は木ごとにちがう。人も同じ。
 人も同様に、さまざまな人がおり、それにあわせて育てることが大切。
 
 相手の立場に立てば、丸いコミュニケーションになる。 

社会人学び直し講座

2010年03月13日 18時14分13秒 | 地域情報/その他
愛大が行っている「社会人学び直し講座/地域マネジメントスキル講座」の事業評価委員会の委員をたのまれ、午後から愛大農学部に出かけてきた。
立岩ダッシュ村でお世話になっている小田先生の依頼なので断れない。
 最初は受講生の発表にたいするコメンテーターかと思っていたら、事業に対して評価の意見を述べる立場であった。
大学が社会人に対してこのようなプログラムを地域に提供することのすばらしさの反面、事業仕分けで予算がつかず暗礁に乗り上げようとしている。
受益者負担でも、ぜひ続けて欲しいと思った。

立岩ダッシュ村通信 100313 その3

2010年03月13日 17時49分24秒 | 子ども体験学習
 会議室を出たところに一人の少年が座っていて手招きされました。
そして無言で自分の横に座れと指で指示するのです。
私は、そのとおり、どかっと腰をおろすと、「この一年間楽しかった?」と聞いてみました。
「ああ」と気のない返事。
社交辞令かと思ったら、「来年も来るけん」。
「え!お前来年中学生やろ。悪いけど対象からはずれるで」。
「ほやから、来年の小学生のめんどうをみにきたるんよ」。
「ボランティアに来てくれるんか?」。
「ほうよ、ええ考えやろ。」
このアイデアが上手くいくかどうかは疑問だが、一番偉そうなおっちゃんにボランティア宣言しとこうということか...
でも、おっちゃんは嬉しかったよ。
関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

成長

2010年03月11日 00時00分32秒 | 職場の出来事
 若手のC君が深刻な顔をして、私の机の前に立った。
 「報告があります」
 「何?」

 「さきほど○○の事業の件について、新年度の説明をしに現場に行って来ました」
 「ふーん、それで」
 「話を進めるうちに、相手が『なんでうちがこんな仕事をせないかんの?』と
  言ったのでカチンときて、言い争いになりかけました」
 
 「喧嘩したん?」
 「いいえ、そこまでは」
 「いまさら、そもそも論を言われてもと思ったわけや」
 「そうです」
 「でも、相手が怒ったのは、もっと他に理由があって、この話を昨年の春に
  うちの誰かに話していたらしいのです。そのことをなおざりにされたのが
  腹を立ててる原因のようなのです」
 「なるほど。それで(相手は)新年度からやりたくないと言ってるの」
 「いや、そこまでは。それと、相手の言うままに妥協すると他の地域にも
  影響が出ると思い、答えを出さないまま帰ってきました」

 「ところで君は、この仕事をどうしたいん?」
 「はい、帰ってきながら考えたんです。冷静に考えると相手が言っている
  ことの方が理屈にあっているような気がしたんです。そこで、一度しっかり
  と原点に立ち返った方がいいんじゃないかと」
 「原点て?」
 「こんなにもめるのは、最初がまちがっているんじゃないかと...」

 「そうか、今の二つの方式を一本化したいということやね」
 「そうです」
 「ふーん。じゃあそうしたら」
 「え!!いいんですか」
 「ええんじゃない。でも次のことを整理してからして」
 「何ですか?」

 「まず、そのような方式をとっているのに歴史的背景があると思うん
  やけど、そのことをしっかりと調べておき。それから、お客様で
  ある利用者が変ることを望んでいるか、調べて。
  次に、窓口になる現場の声を聴いて。そして、今のやり方と変えた
  いと考えているやり方のメリットとデメリットを整理して、それを
  オープンにした時に、果たして関係する人たちが賛成してくれるか
  どうか。それができるという自信があるなら変えてええよ」
 「わかりました。それが全部つぶせたら変えてエエですか?」
 「ええよ。変える時にはその時点から課長の責任になる。俺が、
  責任とったらええんやろ」
 「はい」
 「はっきりしとるな(笑)。でも、その前に今日の怒っている相手に
  誠意をみせないかんなあ。こちらの方向性を明確に示して、その移行
  にかかる時間とプロセスをわかるように説明して、しっかりと謝る
  ことやね。いかん時は私が謝りにいくけん」
 「方向性ですが、何て言ったらいいんですか?」
 「そらあ、おまえが変えたいといったベクトルでええんやないん」
 「ありがとうございます」

 部下がここまで考えられるようになっていると気づき、とてもうれしい気持ちになった。
 上司が頼りないほうが、部下は育つようである。

ソーシャル・アクション・スクールin松山(第2回)

2010年03月04日 23時36分04秒 | ちょっといい話
 今夜、第2回の「ソーシャル・アクション・スクールin松山」が開催された。
 講師は、元経済産業省の鈴木英敬さん。

 今は同省を退職し、政治家の道を歩んでいる。
 昨年の衆議院議員総選挙で三重二区で立候補するも、惜敗。
 久しぶりの再会だったので元気か、心配していたが、要らぬことであった。

 少し太った以外は相変わらずの英敬ちゃんであった。
 ただ、中身は大きくちがっていた。
 またまた進化していたのである。
 
 人のことを相変わらず「変態」呼ばわりする。
 全国の285万人いる地方公務員の中でも三本の指に入る変態だという。
 喜んでいいのか、悲しいんでいいのか。
 でも、英敬ちゃんに言われると、かえってうれしくなる。

 彼が一番変わったのは、弱音を言うようになった。
 その分強くなったのだろう。
 辛い思いや苦しい思いをたくさんしてきたに違いない。
 でも、元気である。
 もともとの楽天的な部分がそうさせるのか。

 今夜の酒は、うまかった。
 彼が話してくれた話の中で、気に止まった言葉を紹介しよう。(無断でゴメン)

 「こころのコップが上を向いているか、下を向いているか。
  世の中は、下を向いている人が殆どである。
  この人たちをどうしたら上を向かせられるか、日々苦労している。」

 「一人ひとりが、『がんばろう』と思わなければならない。
  そういう社会をつくりたいと思った。」

 「節のない木は折れやすいが、節のある木は折れない。」

 「夢のない人は、夢のある人の傍にいけ。」

 「人に負けてもいい。しかし、やるべきことをやらない自分の弱さには負けたくない。
  強い自分をつくっていきたい。(ソフトボールでオリンピック金メダルをとった上野さんの言葉)」

 またまた、英敬ちゃんに元気をもらった。

 捲土重来を期していただきたい。心から祈っています。