走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

母の一周忌

2013年04月23日 22時20分36秒 | 家族の出来事

 母が亡くなって一年の歳月がたった。
 早いものである。

 生前、母は私に対して関心を示していなかったような気がしたのだが、そうでもなかったのかもしれない。
 なんとなく遠く離れたところからじっと見ていてくれたような気がする。

 よくよく考えれば、子どもは私だけだったのだから、当たり前といえば当たり前なのだが...

 遺品を整理していて、ずいぶんと私の情報が出てきた。
 例えば、新聞に何かの記事が掲載され、たまたま写真の片隅に私が写っていたとする。
 誰だかわからないような小さな写真である。

 本人でさえ見分けがつかない。
 そんな記事までスクラップしていた。

 家内と娘の誕生日には必ずなにがしかのプレゼントを送っていた母であった。
 ただ、私の誕生日には何もなかった。
 そのことに触れようともしない。

 母と祖母との嫁・姑の確執はすさまじいものがあったが、その中で祖母が父の誕生日に必ず赤飯を炊いて持ってきていた。
 後で聞いた話だが、そのことがとても嫌だったという

 自分がされた行為の中で嫌だったことは、絶対に他の人に強要しない人だった。
 そのことを口に出すのではなく、行動にする人だった。

 その反面、相手の気持ちを斟酌(しんしゃく)して気づけというタイプでもあった。
 このことは、子どもの時から徹底された。
 そして、相手の臨むことの二手、三手先を読み、先回りして行動しろと口やかましく言われたものである。

 子ども心に厚かましくなり、反発したものである。
 ただ、父親が亡くなってからは素直に受け入れられるようになった。

 このように書くと素晴らしい母親のように思えるかもしれないが、自分勝手でわがままな人であったことにはちがいない。
 母が老いてからは、かえって人の道を私が諭す場面もあった。
 そういう時は、罰悪そうにうなだれているのだが、終わった瞬間、元気なもとどおりの母に戻るのである。

 こんな打たれ強いところが似てしまった...

大掃除 第二弾

2012年12月15日 21時26分05秒 | 家族の出来事

 大掃除の出来事、第二弾である。
 今日も休日なので大掃除。
 
 書籍関係は、明日、リサイクル本屋さんに取りに来てもらうことになっているので、明らかに売れない本や紙ごみを整理した。
 出てくる出てくる、大量の紙ごみ。

 カミさんは、あまりの多さに呆れ顔。
 「どうすんの? 紙ゴミ(回収までには)一週間以上あるわよ!」

 「そうなん?!」と蚊が鳴くような声で私は応える。

 「あ、そうだ! この間スーパーの横に置いてある紙専用回収ボックスに、おばさんが(紙ごみを)捨てて、何かポイントが付いたって喜んでたよ。だめもとで持っていってみたら?」

 そう促されて、しぶしぶ大量のゴミを捨てに行く。

 すると、書き換え式のプリベート・カード方式になっていて、紙ごみの捨て場自体が秤(ハカリ)になっているのである。
 最初は20キロ程度に抑えて持っていくと、23キロ、24ポイントが加算された。

 自分にとっては画期的な出来事である。
 調子に乗って次に捨てたのが36キロ、37ポイント。
 そして、最後は何と67キロ、68ポイント。合計129ポイントをゲットした。

 驚いたことに100ポイントを超えると500円の商品券交換のレシートが出てきた。
 うれしくなった私は、自転車で紙ごみを捨てにきた順番待ちのおばちゃんにドヤ顔をしてしまった。
 しかし、そのおばちゃんの顔に不敵な笑みが浮かんでいた。

 帰り道、その笑みが気になった。

 おばちゃんが持って来ていた紙ごみはどうみても10キロ程度。
 仮に11キロあったとすると12ポイント加算される。
 例えば私が出した紙ごみが126キロ。
 これを11キロづつ運ぶと、12回運ばないといけないが、ポイントとしては142ポイントゲットすることになる。
 なんと!! 差引16ポイントの差である。

 さすが、主婦のプロ...

 などと、へんな計算をしながら帰宅して、家内にその話をすると、
 「バカじゃないの! そんな手間をかけるほど主婦は暇じゃないのよ!」と一蹴された。

 

大掃除

2012年12月11日 21時42分23秒 | 家族の出来事

 今年の年末は、少しちがってきている。
 昨年と比べると、手持ち無沙汰なのである。

 よくよく考えると、母の看病が大半だったことに気づかされる。

 そこで休みの空いた時間を大掃除にあてることにした。
 しかし、今回の手法は今までとは違うやり方をしている。

 どのように違うかというと、元来、片付けのできない自分の性格から変えないと無理だということに行き着いたのである。

 さまざまな「整理術」関連の本も読んだ。
 しかし、根本的に量が減らないのである。
 むしろ、増えている。

 なぜか、悩んだ。
 片付けている最中、「これも取っておこう、これはいるときがくるんじゃないか」と考えながらやるから全然減らないのである。
 そして、単にファイルボックスの中に入れ、そのファイルボックスを見た目だけきれいにする。

 雑然と片付けたに過ぎない。

 そこで出てきた答えは、見ずに捨てる。
 
 すると、みるみる書類の山がなくなってくる。
 心に、もう絶対に見ないと決め付けたのだ。
 ちょっと気持ちいい。
 
 次の日曜日には、中古本屋さんに本棚の本をすべて持って帰ってもらう予約も入れた。
 本があるだけでなんとなく安心していた自分に気づく。
 (なんと、勉強しない私でも500冊以上の蔵書があることをはじめて知った。片付かないわけだ)

 必要なときはインターネットで検索できる。
 さらに深堀をしたいときには、ネットで簡単に中古本を買えることに気づいた。

 本に対する投資額がクオリティを落とさずに削減できる。
 何よりも中古本だから読み終えたら、すぐに売れる。
 こうすれば多少の時間差はあるが、本の冊数は増えない。

 気づいたのは、靴でも、洋服でも、本でも、新しく一つ買ったら、古いものを二つ捨てるルールを自分の中で決めてしまうとマイナス・イチになるから減っていくことになる。

 整理をするのではなく、捨てることが私にはあっている。

 来年からは、「人生、質素に生きる」ことに徹しようと思う。

 私の片付けは、本当に大袈裟だと思うが、もうどうにも止まらない!!
 

 

久しぶりの 家の居候 ハナちゃん!

2012年09月29日 10時02分47秒 | 家族の出来事

 本当に久しぶりの、家のペットのうさぎちゃんのハナです。

 ハナは、小心者で動きがすばしこく、なかなかファインダーの中に納まってくれません。

  ちょっと、ドヤ顔です。

  間合いを計る剣士のよう

  遠くからクールに飼い主を見ています

  頼むけん、じっとしてて!

まとめて言うていきんさい

2012年05月06日 22時43分33秒 | 家族の出来事
 母が亡くなって2週間という時が流れた。
 「時」というのは、ときに残酷で、ときに寛容である。

 振り返ったとき、ああすればよかった、こうすればよかったと悔恨の情ばかりが残るということでは残酷である。
 しかし一方で、そういった悔やみも含めて故人の思い出をゆっくりと消し去っていくということでは寛容である。

 私も、そろそろ立ち上がらなければならない。
 特に、この四ヶ月間、ある意味苦しかった。
 あるときは、何もできない自分に対して不甲斐なさを飛び越して、母の問いかけに対しただ黙るしかなかった己を責めた。

 葬儀の時、次のようなエピソードを紹介させていただいた。

 私が大学に行く前夜の出来事です。
 父が仕事中の不慮の事故で死んで一年しかたっていなかったため、母のことが心配で後ろ髪を引かれる思いでした。
 そんな私の思いを母は察知していたようです。
 真面目な顔をして、「ここに座って、私に『さようなら』を言うていきんさい(母は、怒ったり、真面目な話をするときに、出身の広島弁が出た)」という。

 あまりの真面目な顔に、母の前に正座をしました。
 母はこう切り出しました。
 「明日、お前は私の元から旅立つ。その時に『さようなら』を言わんといけんじゃろう。
  そして、四年後、お前は就職でこの地に帰らんかもしれんよねぇ。その時に『さようなら』を言わんといけんじゃろう。
  次に、お前が嫁さんをもろうた時、私はお前に『さようなら』を言わんといけんじゃろう。
  そして、年の順でいったら私が先に父ちゃんのところに行くんじゃけん、やっぱりその時に『さようなら』を言わんといけんじゃろう。
  面倒くさいけん、まとめて『さようなら』を言うていきんさい」
 そういう母の真面目な顔に、私は「じゃあ、さようなら」といって深々と頭を下げた。

 畳に涙がいっぱい落ちた。

 母の思いが嬉しかった。
 顔を挙げると、不思議と肩の力が抜けたような感じがした。
 あの時から、私たち親子は特別な関係になったと思う。

 私は、あの時、あなたに「さようなら」を言ったので、今日はもう言いません。
 38年ぶりに会いたがっていた父に会ってください。

 負けず嫌いの母は、妙に気位が高く、自尊心の塊のような人だった。
 自分にはとても厳しく、小さい時から家事一切をさせられた。
 だから、一人暮らしをはじめても何も困らなかった。
 洗濯どころか、シャツのアイロンがけまでできた。

 生ゴミを出すのは私の当番だったので、大学時代の4年間、週2回の下宿のおばさんのゴミ出しを手伝った。
 そのおかげで、そのおばさんにえらく感謝された。
 「下宿生だからといってえらそうにしてはいかんのよ。自分の親だと思って手伝えることは手伝ってあげんさい。」
 普通のことを普通どおりする。
 それだけを教えてくれた母親だった。

 今回の母の死に際しては、たくさんの方々からご厚情をいただいた。
 人の優しさをしっかりと受け止めるようにと、母に教えられたような気がする。

 そのお返しに、
 今の自分にできること。
 人のためにできること。
 そのことを見つめなおすいいタイミングかもしれない。

 次のステージに向けて、幕が開いたような気がする。

 

いろいろありました。

2011年12月01日 21時31分03秒 | 家族の出来事
 思えば先月は家族のことでいろいろとありました。

 前半は、娘が主人公。
 東京に居たときから付き合っていた彼のご両親が正式に挨拶に見えられた。

 彼は、娘にとってはもったいないほどの好青年である。
 終生のパートナーとして、素敵なひとを選んだと思う。
 きっと私が反面教師になったのであろう。

 私は、決して娘にとっていい父親ではなかった。
 そして、いい夫とでもなかった。

 彼のご両親は気さくな方で娘を可愛がってくれている。
 彼の上にはお姉さんがいたのだが、若くして病死をされている。
 そのことについては、お互い触れないようにしていた。

 食事の席で、その話が少しだけ出た。
 お母さんから、「うちは娘がいて、いなくなりましたが、娘の扱いは慣れていますから」という話が出た。
 ありがたかった。
 お母さんからは、終始、「嫁」という言葉ではなく「娘」だった。
 お任せしてだいじようぶだなと勝手に思い込んでしまう。

 お父さんから、「(娘さんが)いなくなったら、さびしくなりますね」といたわりにも似た言葉を受ける。

 精一杯(やせがまんをしながら)、
 「順繰りですから。いつも家内とは娘の邪魔にだけはならないようにしようと。歳をとったら二人で老人ホームにでも行きますから気にしないでください。」

 母に、ご両親が来たこと。
 そして、ご両親が心配して声をかけてくれたのだが、このように応えたと報告した。

 母は突然泣き出した。
 可愛がっていた孫がいなくなるからか...

 そして、認知症になりかけていた母が正気に戻り、突然施設(老人ホーム)に入ると言い出した。
 その理由を訊ねると、「気楽やけん」としか言わない。

 そこで、入居希望施設を見に行く。
 向かいながら、久しぶりに昔話をしていて「ハッ」とした。

 死んだ父親がよく言っていたせりふを...

 「お前が一人っ子なのはわし等のせい(責任)。ほやから、なんも気にせずにお前はお前の人生を歩け。わし等はお前の足手まといにはなりとうない。さっさと老人ホームに行くけん、気兼ねなんかせずに好きに生きたらエエけん。」

 母は、そのことを思い出したのかもしれない。
 でも、そのことを訊ねる勇気が私にはない。

 不甲斐ない息子を持ったために、母親まで苦しめている自分がいる。

娘の苦言

2011年06月17日 01時15分34秒 | 家族の出来事
 久しぶりに落書きをしていたら、娘が覗き込んできた。
いただいた花があまりにもきれいだったので思わず写生し、ご丁寧に水彩絵の具で色づけをしていたからである。

 「ふう~ん、絵なんか描くの久しぶりやない。
  私ねえ、父さんの絵を見るの好きやったんよ。
  小さいときね、父さんの部屋に置いてあった大きなスケッチブックが2冊あったやろう。
  それを内緒で見るのが好きやったんよ。
  部屋に入ると怒られると思って、誰もおらんときにそぉーと入って、あのスケッチブック見るの好きやった。」

 「あれ、落書き帳みたいなもんやったんやで」

 「でも、なんか見るの好きやった。お皿の絵なんかもあったやろ?」

 「あ~あ、印象に残ったメニューを描きとめていたやつかなあ」

 「あれ見て、父さんは将来、料理店するんやと思ってた」

 「そうやなあ、あの頃はやりたいことがいっぱいあったような気がするなあ・・・」

 「あのねぇ、父さん最近後ろばっかり振り向いてない?」

 「そうかあ?」

 「ぜったいそう。なんかなあ、後ろ向いて反省することも大切やけど後ろばっかり見ているような気がする」

 「そんなかなあ?」

 「後ろ振り向いてても何にも生まれんと思うよ。大切なことは、前を向いて、将来に向かって歩まないかんと思う。
  前の光に向かっている父さんは輝いて見えたし、その方が絶対素敵やと思う」

 「そうか、意識して前向いていかないかんなあ」


 いつの間に、この娘はこんなに大きく成長していたのでしょうか。
 そして、何よりも驚いたことは、娘が内緒で私のスケッチブックを盗み見していたことです。

 子どもはいつも親を見ている。
 人にばかり言っているのに自分が一番気づいていない、そんな父親なのです。

 


  

娘の気づかい

2011年06月01日 23時05分35秒 | 家族の出来事
 昨夜、娘と口論となった。

 妻が間に入って収めたが互いに言い分があったので内心では収めていない。
妻いわく「あんたのタイミングと言い方がよくない」

 それを受けて言い返す。
結局は、親子喧嘩から夫婦喧嘩へ

 朝は、冷戦状態のまま家を出る。

 今日は朝から憂鬱。

 夕方頃、娘から携帯電話へメールが入る。
「ごめんなさいメール」である。
でも全面降伏ではなく、主張すべきところはしっかりと主張してある。

 内容的には、娘が正しい。

 でも、親のプライドみたいなものがそれを邪魔をする。

 何回かのやり取りをして仲直り。

 人見知りしていたあの娘が、ずいぶんと大人になったものである。
 それだけ、私が歳をとったのである...

パール婚式

2011年05月24日 04時33分03秒 | 家族の出来事
 昨日は、結婚30周年であった。

 ジュエリーショップに勤めている娘に(結婚30周年は)パール(真珠)婚式だと事前に知らされ、
「いいのがあったから買っといた。あとでお金頂だい」とメールが入っていたので頼む。
妻には内緒にするようにと口止めしていた。

 当日は早く帰り、私が手づくりの料理を作ることとなった。
買出しからしたわけであるが、帰ってからケーキを買い忘れたのに気づく。
そのことを家内に告げると「もう、ええよ。」とやさしく諦めさせられる。

 娘が帰宅。

 ケーキを持って帰ってきた。

 

 箱から取り出して驚く。
クマのプーさんとドラえもんに出てくる静(妻の名前と同じ)ちゃんが並んで鎮座している。
静ちゃんはわかる。
と言うことはとなりの私がプーか...

 ケーキを切る時、プーさんの耳が片方取れた。
そこで、私がもう片方も取ってみた。

 

 「ん?」

 どこかで見た顔...

 すると娘が腹を抱えて大笑い。

 「父さん、そっくり(大爆笑)」

 自分でも短髪にしたところだったので、内心あまりにの似ようにつられ笑い。

 食事の前に娘が用意してくれたジュエリーをプレゼントする。
はにかみながら喜ぶ妻...

 妻には迷惑ばかり掛けた。
夫婦の危機に娘が必ずと言っていいほど絆を深めてくれた。
「子は鎹(かすがい)」というがそのとおりである。

 それ以上に忍耐強い妻に感謝である。
どんなときも支えてくれた。
気の小さな私がここまでやってこれたのも妻のおかげである。
常に精進をしなければならないと教えてくれたのも妻である。

 本当にこんなつまらない男を三十年(正確に言うとそれ以上)も支えてくれた。
 今あるのは、あなたのおかげです。

 そして、それをつなげてくれた娘のおかげです。

 まとめて、

   ありがとう。


日本愛妻家協会

2011年02月24日 06時03分48秒 | 家族の出来事
 友人のKさんが日本愛妻家協会(http://www.aisaika.org/index2.html)の愛媛県支部長に選任されました。
本当に喜ばしいことだとは思いますが、私まで巻き込むのはご勘弁ください。
Kさんへのお断りメールは以下のとおりです。

日本愛妻家協会
愛媛県支部長のKさんへ

 同協会愛媛県支部長のご就任、心よりお慶び申し上げます。
 さて、私の協会への参加ですが、すでに日本恐妻協会会員なっておりまして、
 参加がかないません。(大嘘です)
 また、大変失礼ですがKさんの後塵を拝するというのは納得がいかず
 お断りさせていただきます(大笑)

 追伸:このやりとりブログに書いていいですか?
 (実名は出しませんが、すぐばれるとは思いますけど...)

 チャンチャン

追記:ちなみに「日本愛妻家協会」はしっかりした団体であり、りっぱな活動をされている団体です。だからこそ、私にはそぐわないと思い辞退させていただきました。


妻の誕生日

2011年01月22日 23時40分04秒 | 家族の出来事
 今日は、妻の□4歳の誕生日である。

 前日にケーキを予約していたので、母の病院帰りに食事をして、ケーキ屋に立ち寄った。
妻は、突然、ケーキ屋の前に車を止めたので、あわてて「ケーキなんかいらんよ!!」と車から降りようとした私を静止したが、「もう、予約してあるけん」と言って、妻を車に残したまま店内に入った。

 フルーツがいっぱいのったケーキである。

 予約する時に、店員さんから「プレート、何てかきましょうか?」と問われたので、心の中で動揺しながら、妻の名前である「静(しずか)」を「しずかちゃん、お誕生日おめでとう」と言ってしまった。
 すると今度は、「ろうそくは何本おつけしましょうか?」と問われたので、「4本」と慌てて応えてしまった。

 このエピソードを妻と二人でケーキを食べながら話すと大笑いしていた。
 本当によく笑う女である。

 でも、その日はとっても上機嫌だった...

一本!!

2011年01月19日 00時45分21秒 | 家族の出来事
 母のベットの傍らに座り、手をとった。
 母は私のいきなりの行動にビックとしながら手を引っ込めようとする。

 「ちいと、摩(さす)てあげよ」

 「どしたん、気持ち悪い」

 「少し落ち着くかなと思って」

 無言で手を差し出す。
 摩りながら、

 「今更ながら、よう学校(大学)に行かせてくれたなあ」

 「なんや気持ちの悪い」

 「イヤイヤ素直な気持ちよ」

 「いかさんかったら妬け起こしそうやったもんな」

 「そんなことないよ」

 「そんなことあるよ。それに死んだ父さんとの約束やったから」

 「そうやなあ。一番学校にいきたかったんはオヤジかも知れんな」

 「そうよ。それだけに必死やった。結局、お前が上の学校に行くの見れんかったけど」

 「ほうよなあ」

 「お前、本当は東京の学校へいきたかったんやろ?」

 「え!!知ってたん」

 「(経済的に)無理やったから岡山にしたんやろ」

 「・・・(少し無言)。でも、俺ら親子にとってあの時期が一番しんどかったかもしれんなあ」

 「ほうよなあ。おいちゃんのことではお前に迷惑かけたしな(母の兄の事業の失敗でいろいろありました)」

 「まあ、ええやない。いろいろ勉強できたし」

 「そうやなあ。恩を着せるつもりはないけど、私の手も鶏の足のようになってしもうて」

 「そやなあ。でも、鶏は食べれるけど、あんたは食べれんけん...」

 一本!! 

大変でした

2011年01月18日 23時55分55秒 | 家族の出来事
 今朝、早くから救急車に乗ってしまった。
 母を搬送するためにお願いした。

 時間は出勤時間帯。
 後ろの席からもフロントガラス越しに通勤の車が見える。
 当然、救急車輌の搬送であるからどの車も端によって止まってくれる。

 申し訳ない...

 消防の救急隊員は冷静かつ親身に対応してくれる。

 ありがたい

 救急病院に到着。
 病状などについて説明。
 薬箱をみせて現在飲んでいる薬の説明をする。

 次々といろいろな検査を行う。
 本人にとっては、その検査自体も苦痛である。
 何時間も続く。

 結局、一日休みをもらった。

 最期の検査が終了したのは16時前。

 そんな母を気遣って
 「疲れたやろ?ようがんばったなあ」

 すると、母は手招きして私の耳元で呟いた。
 「がんばったんは...」
 私は問い返した
 「がんばったんは?」

 「がんばったんは私じゃなくて、お医者さん」

 はあ・・・???

 横で妻が腹を抱えて笑ってる。

生オケ大会

2010年12月05日 23時17分13秒 | 家族の出来事
 今夜、モンクで「生オケグランドチャンピオン大会」があり、娘が出演するというので家族で観に行った。

トップバッターで緊張するのかと思いきや堂々の歌いっぷり。
こちらの方がドキドキした。

でも、少し早いクリスマスプレゼントを娘から持ったような気になった。