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港が見える丘 |
レコード屋のときに、ちあきなおみをロックやジャズのお客さんに薦めていた。歌謡曲、演歌の歌手を、なぜだ……と、不思議な顔をするお客も、LPを試聴してもらうと納得して買ってもらった。それは、ビクターから発売になったアルバム「港の見える丘」(1985年)だった。戦前、戦後の昭和の古い流行歌をカバーしたLPだ。一曲目の「星影の小径」を聴くと、その新しいサウンドに引きこまれる。そして、ちあきなおみの歌のうまさに心をうばわれる。多重録音を駆使した、アレンジも斬新でみごとだった。のちにこの「星影の小径」は、CMに使われて、テレビで流れた。つい最近もコマーシャルに使われていたような気がする。
昭和の古い流行歌のなかに、曲も詞も、演歌、浪曲の流れではなく、新しいセンスの曲がたくさんある。それを発掘して、新しいアレンジとレコーディング・テクニックをつかって復活させた。のちにテイチクから発売されたアルバム「すたんだーど・なんばー」(1991年)のなかの「黄昏のビギン」がCMに使われて、ちあきなおみが再認識されるようになるが、そのさきがけとなったアルバムが「港の見える丘」だった。選曲もアレンジもじつにいい。
(アルバム・タイトルの「港の見える丘」は、1947年(昭和22年)発売の平野愛子のデビュー曲。作詞・作曲は、東辰三、作詞家・山上路夫の父)。
なんどもCMに使われた、ちあきなおみが歌う「黄昏のビギン」は、作詞・永六輔、作曲・中村八大の作品で、オリジナルは水原弘が歌った。1959年(昭和 34年)の曲だ。水原弘の大ヒット「黒い花びら」も永六輔、中村八大の曲。「上を向いて歩こう」「こんちには赤ちゃん」「夢であいましょう」「遠くに行きたい」など昭和30、40年代ふたりの作品はたくさんある。
(中村八大は、ドラムのジョージ川口のジャズ・バンド「ビッグ4」のピアニストで人気があった。ビッグ4のほかのメンバーは、サックスが、松本英彦、ベースが小野満)。
「黄昏のビギン」のCMで、ちあきなおみが再認識されだしたとき、ちあきなおみは、すでに芸能界から引退してしまっていた。1992年にプロデューサーで夫の郷鍈治さんが亡くなったときから、いっさい芸能活動をやめ、まったくマスコミにも登場しない。夫が荼毘に付されるとき、「私もいっしょに焼いてください」と、ひどくとり乱した、と当時写真誌の記事にあった。まさに、「いっしょに焼いてください」の言葉どおり、そのとき、歌手「ちあきなおみ」は殉死したのだ。壮絶な夫婦愛だ。
ちあきなおみが、「雨に濡れた慕情」でデビューした年(1969年)、わたしはレコード屋になった。わたしの店でも、「四つのお願い」とか「喝采」のシングル盤がよく売れた。年令もほとんど同じだ。そのせいか、いつもシンパーを感じるシンガーだった。
わたしが音楽にかかわる仕事をやめ、東京に出てきた当時、ちあきなおみは、ビリー・ホリデーをモデルにした一人芝居やジャズ、シャンソン、ファドなどを歌うライブを積極的にやっていた。そのステージをみることを楽しみにしていた。しかし、けっきょく、一度もライブをみることができなかった。じつに残念だ。
星影の小径 https://www.youtube.com/watch?v=yGKHkWK7mSo
黄昏のビギン http://jp.youtube.com/watch?v=VcsDsOEU3B0&feature=related
当時、友人が聴いてたカセットから流れてくるこのアルバムが「ちあきなおみ」さんだと知った時は驚きでした。
収録されていた曲はオリジナルよりこのアルバムを聴いたから知ったという曲がほとんどでした。
数十年後にCDで復刻された時は本当にうれしかったですね~♪