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古い曲が気になる

「木枯しの少女」ビョルン&ベニーが、ABBAになる

2009-07-16 | 日記・エッセイ・コラム

 京都のChikako さんのメールでは、あす17日は、祇園祭のクライマックス、山鉾巡行がとりおこなられる、とのこと。一度みてみたいものだ。

 雪がちらつくようなときに、なんどか京都に滞在したことがあった。冬は、寒かった。

 梅雨が明けた東京は、いっきに、夏が炸裂した。暑い。

                  

 深夜、なまぬるい川風をあびて散歩した。夜空に、雲はまったくなく、三日月と星が美しい。古代の人々が考えたように、星が亡くなった人の魂なら、あの人は、どの星なんだろうか? 特定できなかった。残念だ。

 星空をみるのに最高なのは、山頂と海の上だ。星をみるためだけに、船旅をしたいものだ。

Chalkitis1 ギリシャのバンド、アフロディテス・チャイルド

 

 きょうは、むかしのヨーロッパのポップス・グループのことから書こうかな。英語圏以外の国から、英語で歌って世界ヒットした人たちのことだ。

 アフロディテス・チャイルドは、ギリシャのロック・グループだ。バンドでイギリスに出稼ぎにいったが、労働ビザをもらえない。不法滞在になるので、ギリシャにもどろうとするが、ギリシャは軍事政権になってしまって、帰国ができない。そこでフランス、パリに一時住んで、クラブでの演奏で食いつなぐことにした。

 そのフランスで発売したシングル盤が、フランス、ヨーロッパで大ヒットしたのだ。「雨と涙 Rain&Tears 」だ。日本でもよく売れた。1968年のことだ。

 フランスでの発売だが、英語の歌詞で歌ったことが世界ヒットの要因だろう。それと、ギリシャの伝統音楽(民謡)の音階をつかった、シンプルで叙情的なメロディーが強くアピールしたのだろう。

 (妙にこねくりまわした音楽より、シンプルでストレートな音楽が、圧倒的に人の心をうつことが多い。「私のつくる音楽は、数百という伝統のブルースとゴスペルを組み合わせて、それに、すこし私らしさを出しているだけだ」と、レイ・チャールズは、謙遜しながらいっている)。

 この大ヒット曲「雨と涙」を書いたのが、グループのメンバーのヴァンゲリスだ。ヴァンゲリスは、このヒットのあと、フランスでテレビや映画の音楽を作曲する。そして、1981年のイギリス映画「炎のランナー Chariots of Fire 」で、アカデミー賞作曲賞を受賞した。

 その後も、「ブレードランナー」や、日本映画「南極物語」など映画音楽を手がけている。また、ソロでのアルバムを発売しつづけていて、ヨーロッパでの人気は高い。日本にもファンがたくさんいた。

Vangeliswallpaper01  ヴァンゲリス

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  アフロディテス・チャイルド 雨と涙 Rain & Tears http://www.youtube.com/watch?v=nnf7ISLpQdw

     ヴァンゲリス 炎のランナー Chariots & Fire http://www.youtube.com/watch?v=TYJzcUvS_NU

 

Shes_my_kind_of_girl_japanese_cover  ABBAの前身、ビョルン&ベニー

 アバは、世界で最も成功したポップス・グループのひとつだろう。スウェーデンのグループだ。上の写真の男性ふたりに女性ふたりが加わって、アバだ。いっとき、それぞれ夫婦だったこともある。

 このビョルン&ベニーのシングル盤「木枯しの少女 She's My Kind of Girl 」は、日本だけで発売になった。1972年のことだ。当時、のちのアバの4人のメンバーで、コンテストなどに出演していたが、まだアバとしてのレコードはでてないときだ。

 この曲は、ふたりがなにか映画のために書いた曲で、ビョルン&ベニーのファースト・アルバムにはいっていた。スウェーデンで録音された曲だが、英語の歌詞で歌われている。スウェーデンではシングル・カットされてなかった。

 北欧スウェーデンの、まったく無名グループの、LP、B面の曲だった。しかし、偉い人がいる。日本のCBSソニーのなかに、この曲が売れると確信した人がいたのだ。日本だけでシングルカットされて、日本の洋楽ヒットチャートの№1になった。

 そして、1972年10月、ビョルン&ベニーは、あとにアバのメンバーになるアグネッタ・フォルツコグとアンニ=フリッド・リングスタッドをともなって来日公演をした。日本では、スーパー・スターのようにうけたのだ。本国スウェーデンでさえ、まだだれも知らないようなグループだった。

 ふたりは、日本での大ヒットとスター待遇に気をよくして、積極的に英語で歌詞を書くことにした。そしてアバをスタートさせたのだ。

 それにしても、この曲を買った日本のポップス・ファンは、いい感性をしてる。他の国でヒットしているかなど関係ない、じぶんで好きな曲がいい曲なんだ、と自信をもっていた。きっと、ほとんど、中学生や高校生たち、十代のお客さんだろう。(いまは、50才代かな)。

 そしてなにより、この無名のグループが、売れるとよんだ、CBSソニーの担当者の先見性は、みごとだ。まさに洋楽ディレクターの鏡だ。のちのアバのヒット曲はすべて、このふたり、ビョルン&ベニーが作詞・作曲している。

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 つまり、アバの成功は、日本のポップス・ファンとCBSソニー(エピック)のディレクターが、あと押しした、ともいえる。(もちろん、ビョルン&ベニーのときからのマネージャーで、アバを育てて世界に売り出した、ポーラ・レコード社長、スティグ・アンダーソンのビジネス戦略があっただろう)。

 (そのすごいCBSソニーの担当者は、堤光生さんだろうか? 1970年代初頭のことだから、CBSソニーは創業して数年しかたっていない。社員はまだ何人もいないときだったろうな。CBSソニーの設立は、1968年。「木枯しの少女」は、CBSソニーのエピック・レーベルからでたが、しかし、アバのレコードは、最初は日本フォノグラム、そのあとは、ディスコ・メイト(ビクター)から発売されたはず。このあたり、わたしの記憶がちょっと曖昧。)

 アバは解散しても、リバイバル・ヒットして、「マンマ・ミーア!」はミュージカルになり、2008年封切りの映画も大ヒットした。解散したいまも、稼ぎに稼ぎつづけているグループなのだ。

Abba_stig_anderson  アバとマネージャーのポーラ・レコード社長、ステッグ・アンダーソン

 

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      ビョルン&ベニー 木枯しの少女 She's My Kind of Girl  http://www.youtube.com/watch?v=I4epcMKqSkM

 

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 ギリシャといえば、ギリシャ出身の大歌手にナナ・ムスクーリがいる。千曲以上を15カ国語でレコーディングをしている。ギリシャ民謡からシャンソン、ジャズ、ポップス。ジャンルにこだわりはない。アテネ音楽院でピアノと和声を専攻しているから、クラシックも得意だ。

 50年代末からパリを活動の拠点にしていた。60年代、70年代は、アメリカで、アメリカのミュージシャンとツアーをやっていたから、アメリカでの人気も高かった。クインシー・ジョーンズがプロデュースをしたアルバムもある。スペイン語でも歌うからヒスパニック、ラテン・アメリカ諸国での人気もあった。そして、日本でも人気があったのだ。わたしのレコード屋にもファンのお客さんがいた。

 メガネをかけてステージに立つ。それがトレードマークだった。(さいきん、日本の女性シンガーにもいる)。

 2005年から2008年にかけて、歌手最後の世界ツアーをやった。北米、南米、オーストラリア、アフリカ、ヨーロッパをまわり、最終日は、2008年7月23日、24日、アテネの劇場だった。これは世界に配信された大ニュースだったが、日本ではまったく報道されなかったという。(日本にもたくさんファンがいるはずだが……)。現在は引退してスイスに住んでいるそうだ。

 ナナ・ムスクーリ Gloria Eterna http://www.youtube.com/watch?v=H5t-rU0x8vw

 ナナ・ムスクーリ&フリオ・イグレシアス La Paloma http://www.youtube.com/watch?v=E2kuW-SYnXM&feature=related


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