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古い曲が気になる

「トップガン」とドナ・サマーの関係

2009-12-11 | 日記・エッセイ・コラム

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お客さんの到着を待つ屋形船。旧江戸川を下って東京湾にでる。遠くにみえる灯りが東京デイズニーランド。

The Journey: The Very Best of Donna Summer

The Journey: The Very Best of Donna Summer

「ディスコ・クィーン」といわれ、1970年代後半にバカ売れしたドナ・サマーは、最初はドイツ、フランスなどヨーロッパだけで売れていた。だから、フランスか、ドイツの人だと思っていた。おなじ時代に流行ったディスコのコーラス・グループ、ボニーMは、ドイツのグループだった。黒人ミュージシャンだからといって、アメリカ人ばかりではない。

しかし、ドナ・サマーは、アメリカ出身だ。アメリカ人だが、ヨーロッパでデビューしてドイツ、フランス、ヨーロッパ全域で大ヒットして、アメリカのマーケットに凱旋したのだ。

1948年にボストンで生まれたドナ・サマーは、小さいときから教会でゴスペルを歌った。ハイスクールのときは、サイケデリック・ロック・バンドで歌った。そのバンドでは、ただひとりの黒人メンバーだった。18才のとき、ブロードウェイ・ミュージカル「ヘアー」のオーディションに落ちる。

その傷心の旅なのか、新天地をヨーロッパに求めたのか、ヨーロッパに旅にでる。そのドイツ・ミュンヘンで、ミュージカルの役を得る。そのままドイツにとどまり、結婚して、舞台でキャリアをつんでいく。

(日本の劇団四季がやってるように、アメリカやイギリスのヒット・ミュージカルを、ドイツ語で上演する。世界じゅうにこういう劇団がある。ロシア語やポーランド語版の「キャッツ」や「オペラ座の怪人」があるのだ)

こうしてドナ・サマーは、ドイツで、スタジオやクラブやステージで、さまざまな歌手の仕事をしていた。

1974年、ドナ・サマーは、スリー・ドッグ・ナイトのヨーロッパ・ツアーでバンクコーラスをやっているときに、ジュルジオ・モロダーと出会う。ジュルジオ・モロダーは、モーグ・シンセサイザー・プレーヤーで、作曲家、プロデューサーだ。イタリア人だが、イタリア北部の出身でドイツ語を母国語にする。ドイツ・ミュンヘンをベースにして仕事をしていた。

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ジョルジオ・モロダー

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1974年(昭和49年)、ドナ・サマーは、オランダのGROOVY・レコードからファースト・シングル「The Hostage」を発売する。これが、いきなりオランダとドイツのヒットチャートの2位まであがる。作詞は、ピート・ベロッテ、作曲が、ジョルジオ・モロダー。プロデュースも、ピート・ペロッテ。ピート・ペロッテは、イギリス人だが、やはりドイツ・ミュンヘンを中心に仕事をしていた。

   ドナ・サマー The Hostage http://www.youtube.com/watch?v=aPCnwuoyJMs

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アメリカ人の黒人シンガー、イタリア人のドイツ系作曲家・シンセサイザープレイヤー、イギリス人の作詞家、無名の三人が、ドイツ・ミュンヘンで出会い、オランダのインディーズ・レーベルからシングル盤を発売する。この若いミュンヘン・チームが、世界じゅうのディスコを席巻することになる。

ファースト・アルバムも、そのあとのシングルも、ヨーロッパでヒットする。翌1975年に発売した「Love to Love You Baby  愛の誘惑(邦題)」は、アメリカのダンス・ミュージック・チャートの1位になる。ヨーロッパ、イギリス、オーストラリアでは、レコードは大ヒット、コンサートも満員。ドナ・サマーは、ヨーロッパのビッグスターになった。

日本でも、売れに売れた。ディスコではみんな、ドナ・サマーで踊った。ミュンヘン・チームのコマーシャル・センスは、じつにすごい。ジョルジオ・モロダーのモーグ・シンセサイザーで作るダンス・ミュージックは、「ミュンヘン・サウンド」といわれた。

そして1979年、「Hot Stuff」が発売された。ギターにジェフ・バクスターをフィーチャーしている。ロックっぽい曲だ。これがまたまた売れた。ドナ・サマーは、「ディスコ・クイーン」だけじゃなく、アメリカの偉大なソウル・シンガーのひとりになった。作詞・作曲・プロデュースは、これもドイツ・ミュンヘン・チームだ。

   ドナ・サマー Hot Stuff  http://www.youtube.com/watch?v=wPlV2dzXWCw&feature=related

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Bad Girls Bad Girls

Hot Stuffでギターを弾いてるジェフ・バクスターは、ドゥービー・ブラザーズ、スティー・ダンのギタリストだ。

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ジェフ・バクスター

ドイツで、ドナ・サマーをみいだしてデビューさせ、世界じゅうのディスコを征服した作曲家、プロデューサー、モーグのプレーヤー、ジョルジオ・モロダーは、ドナ・サマーの成功のあと、ハリウッド映画のサントラで活躍する。

「ミッドナイト・エキスプレス」(1978年)、「アメリカン・ジゴロ」(1980年)、「スカーフェイス」「フラシュ・ダンス」(1983年)、「トップガン」(1986年)。ジョルジオ・モロダーの映画音楽だ。ほかにもある。「フラシュ・ダンス」と「トップガン」の音楽でアカデミー賞をとっている。

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ジョルジオ・モロダー

1970年代には、ドナ・サマーといっしょうにディスコ・ミュージックで世界を席巻し、80年代には、映画音楽でヒットをとばし、シンセサイザー音楽の巨匠といわれ、1984年のロサンゼルス・オリンピック、1988年ソウル・オリンピック、1990年のサッカー・ワールド・カップのテーマを作曲した。ドナ・サマーのディスコ・ミュージックからはじまって、巨匠になり、大富豪になった。

フラッシュ・ダンス フラッシュ・ダンス

Top Gun Soundtrack Top Gun Soundtrack

映画「トップガン」のヒット曲、ベルリンが歌った「Take My Breath Away」は、もちろん、ジョルジオ・モロダーの作曲なのだ。

   映画「トップガン」 ベルリン Take My Breath Away http://www.youtube.com/watch?v=gKyEo-P4zik&feature=related

   ジョルジオ・モロダー オフィシャルサイト http://www.giorgiomoroder.com/

   ドナ・サマー オフィシャルサイト http://www.donnasummer.com/?content=home

        ドナ・サマー 「マッカーサー・パーク」 オランダでのライブhttp://www.youtube.com/watch?v=QfL7Gk7Fpes&feature=related 


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