Ommo's

古い曲が気になる

ナット・キング・コールは、ソフト&メローのキングだ

2009-06-03 | 日記・エッセイ・コラム

 

 空腹のまま、散歩にでた。道ばたに寝ころんでいる近所のデブ猫と目が合った。猫は、あわてて跳ね起き、叫びながら逃げていった。さとられたか……。わたしは、ここのところ、フトコロ具合がさみしいので、大好きな肉類を満足に食べてない。獣のカンもあなどれない。

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 きょうまた、東京板橋区でクレーン事故だ。こんどはタワー・クレーンの旋回部分が落ちたのだ。作業員一人が亡くなり、もう一人が重体だ。このまえの、4月14日の千代田区の事故は、自走するクローラー・クレーンの横転だったが、きょうのこれは、固定設置されたタイプのクレーンだ。そのクレーンの解体作業中だった。五洋建設が元請けだ。

 タワー・クレーンの事故も、組み立て作業か、解体の作業中が多い。建設現場でクレーンをみたら、とにかく、近づかないことだ。遠回りになっても、その現場を迂回するのが賢い。ニュースにならないが、物を落としたり、ワイヤーが切れる事故は、ひんぱんに起きているのだ。わたしは、建設現場の警備員をやっていて、何度も目撃している。たまたま下に人がいなかった、というだけだ。

 4月14日の事故で、倒れたクレーンの下敷きになって、重症だった歩行者の女性は、その後、亡くなっている。数日後に亡くなったことは、インターネットのニュースにあったが、テレビの報道ではみてない。テレビが大騒ぎするのは、その日だけだ。

The Very Best of Nat King Cole The Very Best of Nat King Cole

 ナット・キング・コールは、40年代50年代、黒人にも白人にも、圧倒的な人気があったシンガーで、ジャズ・ピアニストだ。のちに活躍する、ソウルやロックのミュージシャンが受けた影響は、はかり知れない。それは、まさに"キング"の名にふさわしい。しかし、悲しいことに、1965年、突然亡くなってしまう。46才、肺ガンだった。そして、70年代には、若い音楽ファンから、ほとんど忘れられてしまう。http://www.youtube.com/watch?v=tFyKAUBkdOs&feature=related

 70年代には、むしろ娘のナタリー・コールのほうが知られているほどだった。http://www.youtube.com/watch?v=T1K-15eQTns

 ナット・キング・コールとオスカー・ピーターソン Tenderly http://www.youtube.com/watch?v=9nmxIar953w&feature=related

 1960年代、黒人たちのメローで洗練された音楽が大流行する。その偉大な先駆者が、ナット・キング・コールだった。そして、白人のブルーアイド・ソウルのれんちゅうも影響をうけた。http://www.youtube.com/watch?v=X6tfGuVCtoU&feature=related

 レイ・チャールズは、7才のとき入学した盲学校で音楽を勉強した。そして、すでに12才のころには、盲学校の紹介で、パーティーでピアノを弾く仕事をしていた。そのころのことを語っている。すこし長くなるが、下に引用する。

  「私はジャズも知っていた。ジャズを愛し、演奏もした。アート・テイタムは私たちピアノ奏者にとって尊敬すべき“ビッグ・パパ”だった。他にもアール“ファザー”ハインズ、テディー・ウィルソンにも尊敬の念をもっていた。私は新しいサウンドを決して見逃すことなく、常にそうしたサウンドを実際に自分でできるかどうか真似てみた。たいがいうまく真似ることができた。

 だがそこに私の人生を決定的に変える、ピアノを弾きながら歌うひとりの男が登場してきたのだ。彼の私への影響という点では、今あげた人々すべてを合わせた以上のものがあった。この人物は私のために登場したようなものだ。もっともっと聴きたかった。事実、私は彼のスタイルを10年近く真似たほどである。音楽的には自分のスタイルを築き上げるまで彼の足跡を追っていたと言える。彼のヴォーカルスタイルを徹底的に真似た。彼は文字通り私のアイドルだった。彼の名は、ナット・コールだ。

 忘れられがちだが、ナット・コールはもともとピアノ・プレーヤーだった。それもジャズ・ピアニストだ。たしかに彼はわかりやすいポップなメロディーも弾いたが、その気になればみんなが聴きたがっているような“真っ黒”なブルースも演奏できたのだ。40年代の後半にビバップが流行した時は、彼はそれも難なくこなした。

 そう、ナット・コールは本当の意味でピアノが弾けたのだ。私にはわかっていた。彼の歌も好きだった。そのフレーズの歌い方、深みのある声のロマンティックでセクシーな歌い方が好きだった。バラードはあくまで優しく、感情を抑えながらももっとも効果的に歌い上げた。」

 こう、レイ・チャールズは、いっている。 『わが心のジョージア レイ・チャールズ物語』(レイ・チャールズ&デイヴィッド・リッツ共著 吉岡正晴訳・監修 2005年 戎光祥出版)

 1919年生まれのナット・キング・コールは、まず、ジャズのジャンルでスターになり、リズム&ブルース、ポップスで大ヒットをとばした。チャック・ベリーがカバーしてから、ロック・バンドが好んで演奏する「ルート66」の、オリジナルのヒットも、ナット・キング・コールなのだ。発売は、1946年のことだ。http://www.youtube.com/watch?v=dCYApJtsyd0 それをチャック・ベリーがカバーしたのは1961年、ローリング・ストーンズのは、1964年だ。

 ローリング・ストーンズ ルート66 http://www.youtube.com/watch?v=xAy7WVlsCWU&NR=1

  ドクター・フィールグッド ルート66 http://www.youtube.com/watch?v=QuvYL2AnSeE&feature=related

 チーター・ガールズ ルート66 http://www.youtube.com/watch?v=5tpjKYe0Big&feature=related

  デペッシュ・モード ルート66 http://www.youtube.com/watch?v=qqrKxBhKdFM&feature=related

 

 

 


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