近くのビデオ屋、日曜日は30円。 看板に、第1、第3日曜日と書いてあるが、いまは毎週日曜日、一本30円なのだ。
橋本時比康くんから、石附喜三男先生の論文「北海道の原史文化」のコピーがとどいた。北海道の擦文(さつもん)文化が、石附先生の大きな研究テーマだった。
擦文文化は、擦文式土器に代表される、本州での古墳文化に相応する文化だ。古墳文化の周辺的形態といえるだろうか。年代的には、8世紀から13世紀、奈良時代から平安時代にあたる。
北海道に弥生時代はない。弥生文化は、稲作農耕にともなう文化だ。気候的に稲の栽培ができなかった北海道には弥生文化が育たなかった。形式的に土器の形をコピーしたりしても、総合的な弥生文化は、稲作の文化、つまり農業技術と農業経済が基礎になっている。だから、稲作ができなかった寒冷の北海道では成立しない。(発掘された花粉化石の分析から、アワ、ヒエ、ソバの栽培は確認されている)。本州の弥生に対応する時代の文化は、続縄文(ぞくじょうもん)文化とよばれている。縄文文化の続きというわけだ。狩猟、漁労、採取生活で、まだ土器制作にロクロは使われない。土器の焼成温度も低く、縄文土器と変わらない。この続縄文の時代につづくのが、擦文時代なのだ。
北海道の中央部、道央、石狩川とその支流流域に高塚古墳の系列の古墳群が出現する。しかし、年代的には本州での古墳時代からずいぶん後のことになる。奈良時代から平安時代にあたる。この古墳の出現する時代の土器形式が、擦文式土器だ。本州の古墳時代の土師器(はじき)に形態的にはよく似ている。土器形成のときの刷毛がついてる(木片で掻きとるように削ったのかもしれない)ので、擦りあと、擦文(さつもん)という。
この擦文文化は、鉄器をともなう文化で、のちのアイヌ文化につながっていくと思われる。しかし、やがて遺跡から土器が消えてしまうので、土器編年では確認することはできない。石附喜三男教授は、擦文文化の担い手は、アイヌ民族だと考えていた。