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古い曲が気になる

パステルナークは、作曲を勉強していた

2008-10-29 | 日記・エッセイ・コラム

トルストイのワルツ~ロシア文豪の音楽 トルストイのワルツ~ロシア文豪の音楽
 

 夜になってぐっと気温が下がった。まだ暖房をいれるほどじゃない。セーターを着た。
 
 
 モーリス・ジャールのテーマ音楽が大ヒットした映画「ドクトル・ジバゴ」は、ロシアの詩人、ボリス・パステルナークの小説が原作だ。小説「ドクトル・ジバゴ」は、ソ連では出版が許されず、原稿は密かにイタリアにもち出されて、イタリア語に翻訳され、1957年にイタリアで出版された。それはすぐに評判になって、世界じゅうで翻訳されて出版された。

 スターリン支配下のソ連では、詩人、小説家は、薄氷のうえを歩くような危うい日々のなかにいた。いつ反共産革命の烙印をおされて非難をあび、シベリア流刑になるか、粛清・処刑されるかわからない。物書きは命がけだった。

 (芸術家だけでなく、それは一般市民だれにも危険な国家だった。ロシア革命後、ソ連共産党によって粛清され殺されたソ連国民は、1000万人以上といわれる。毛沢東・中国共産党は、2000万人をこえる自国民を粛清した、というから、もっとすさまじい。カンボジアの共産主義者ポル・ポトの大虐殺が120万人~170万人という。120万人はアメリカ政府の出した数、170万人はアムネスティー・インターナショナルの推定。小国カンボジアにしてこの膨大な虐殺の数だ。ソ連共産党と中国共産党が殺した自国民の数も、あながちオーバーな推測ではなさそうだ)。

 ボリス・パステルナークもまた、30年代に政治的に弾劾されて自作を発表できず、シェークスピアやゲーテの翻訳をつづけた。

 1958年、パステルナークのノーベル文学賞受賞が発表になった。しかし、ソ連政府は、授章式に出席することを禁止し、受賞の辞退を強要した。西側に政治利用されるのを怖れたのだ。パステルナークの詩と小説「ドクトル・ジバゴ」は、反ソ連、反共産主義だというわけだ。

 しかし、そのソ連政府の行為は、かえって共産主義国家ソ連の欺瞞を世界に露呈することになった。つまり、小説「ドクトル・ジバゴ」が、すでに西側でヒットしていたわけだから、ノーベル賞受賞を許さないというソ連は、どうみても、芸術家を不当に弾圧する暗黒国家だ、と宣伝しているようなものだ。

 ノーベル財団は、辞退したにもかかわらず、パステルナークへ賞を贈っていた。それは死後、遺族が受けとった。

 ボリス・パステルナークは、両親とも高名な芸術家だった。父親は、ロシア印象派の画家、レオニード・パステルナークだ。モスクワ美術学院教授で、トルストイの著書の挿絵でも有名だった。母親は、有名なピアニスト、ロザ・カウフマンだ。家にはロシアの著名な芸術家たちが集まっていた。

 そんななかに作曲家のアレクサンドル・スクリャービンがいた。その影響でボリス・パステルナークは、作曲家をこころざしてモスクワ芸術学院にはいった。しかし、20才で音楽を断念して、モスクワ大学とドイツのマールブルク大学で哲学を学んだ。最初の詩集は1914年「雲の中の双生児」だ。若いときに作曲したピアノ曲は録音されて、いまもCDで発売されている。

  
 映画「ドクトル・ジバゴ」、ジバゴ役のオマー・シェリフはエジプトの俳優、ラーラのジュリー・クリスティーは、イギリスのロイヤル・シェークスピア・カンパニー出身の舞台女優。「ジバゴ」の前に、映画「ダーリング」でアカデミー主演女優賞を受賞している実力派だ。美しいだけじゃない。ジバゴの妻を演じるジェラルディン・チャップリンは、喜劇王チャップリンの娘、劇作家ユージン・オニールの孫。ユージン・オニールは、1936年にノーベル文学賞を受賞した。

  

 ボリス・パステルナークの初期の詩「発着駅」、翻訳は、工藤正廣・北海道大学名誉教授。
  

  発着駅よ ぼくの別れたちの
  であいとわかれの耐火性のひきだし
  ぼくを導く経験をつんだ友
  ひとたびその功績をかぞえあげれば─── きりがない
  

  しばしば わが愛するひとは全身
  列車が入線するや─── ショールにくるまれたもの
  そしてぼくらの眼を蒸気でおおったあと
  女面鳥身(ハルピュイア)たちの鼻革は煙を吐きだしたもの
  

  しばしば そばにならんで座るやいなや───
  それで最後 ぼくは身をかがめ そして身を引きはなしたもの
  さようなら もう時間だ ぼくのよろこび!
  今すぐに跳び降りますから 車掌さん
  

  しばしば 悪天候と枕木の
  列車の入換作業のさなかで 西はひらけ
  そして緩衝器の下に落ちないように
  雪ひらたちで引掻きにかかったもの
  

  そして繰り返された汽笛が止む
  遠くから別の汽笛が繰り返す
  そのときだ列車はつぎつぎにこぶをもつ
  ひっそりとした吹雪となってプラットホームをあとにする
  

  そして 見よ もはやたそがれはこらえきれず
  見よ はやくも煙のすぐあとから
  野辺と風は引きはなされてゆく───
  おお ぼくもまたそれらのうちの一人でありたいのに!
                                                    1913,1928                    
(ボリス・パステルナーク詩集 初期1912-1914 あるいは処女詩集から 工藤正廣 訳・
解説 発行所・未知谷 2002/3/25)

  

  「発着駅」と訳されているタイトルの、вокзал(バクザール) は、機関車の操車場がある大きな駅のことか。英語のstationに対応する語として、станция(スタンツィヤ)がある。

 ロシアの詩は、声を出して読まれてこそ効果がでるように韻律が整えられている。音とリズムを味わう音楽的な言語芸術だ。日本の和歌も、もとは声をだして詠唱し、鑑賞するものだったはずだ。そのなごりが宮中の歌会始に残っているのかな。

映画「ドクトル・ジバゴ」予告編 http://jp.youtube.com/watch?v=wAWrXTn5Www&feature=related

チャーリー・チャップリン・Officiale Website     http://www.charliechaplin.com/

日本チャップリン協会Web http://www.chaplinjapan.com/

スクシャービン・COM(アメリカ・スクリャービン協会) http://www.scriabinsociety.com/