tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「何かあれば円高」をどう阻止するか

2013年02月26日 14時14分47秒 | 経済
「何かあれば円高」をどう阻止するか
 円安転換で株価は沸きましたが、個別企業の想定する為替レートは当面かなり厳しいように見受けられます。もともとマネーマーケットは、上がるにしても下がるにしても、日々の変動が大きいほどビジネスチャンスは大きいのですが、実物経済は、全く違います。

 経済の本来は実物経済で、マネーマーケットは、いわばあだ花です。いささか脱線すれば、湧いているあだ花を前提にそれを実物経済に不用意に持ち込もうとする安倍政権の「企業への賃上げ要求」などは「やっぱり経済の本質が解っていなかったのか」と落胆を誘う一幕ですが、今日はイタリア選挙で、イタリア国民の経済再建の覚悟のいい加減さが見えただけで3円も円高に振れるということになっています。

 もともと、アベノミクスの金融緩和、インフレ2パーセント目標というのは、マネーマーケットがまた円高に戻ってしまって、経済再生という基本目標が雲散霧消しないように、というマネーマーケット対策であるべきもので、インフレはその結果、実体経済が成長を取り戻し、そこで発生するインフレを企図したもののはずです。
 円安でインフレは発生したが、経済はゼロ・マイナス成長のままでは、目的と手段が「アベコベノミックス」です。

 ということで、今までの「何かあれば円高に」というこれまでの円を囲む国際環境が変えられなくて、何のための金融緩和でしょう。
 プラザ合意以来、日本経済を悩ませてきたのは、正にそれです。かつても触れましたが、「いざなぎ越え」でこれで何とか円高の悪夢が終わったかと思って6年、サブプライム・リーマンショックで30円の円高、ユーロ危機で15円の円高という、「何かあれば円高」にして「始末を付けたつもり」というマネーマーケットの安易な悪癖」を、ショック療法で止めようと試みたのではなかったのでしょうか。

 今回、政府・日銀がいわば『背水の陣』を敷いたのは、日本経済をして「行き過ぎた円高」状態に押し込もうとしても、もう受け入れられない、という強い意志を内外に示し、そのための手段を確保するためのはずです。

 実体経済に生きる企業はその辺りについて未だ疑心暗鬼です、実体経済の中で生きる労働組合もそうなのです。慎重な態度はその結果です。政府ばかりが、自画自賛で酔っ払い、目指した道を踏み外すことのないように願いたいものです。