tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

円安誘導論との対決を考える

2013年02月06日 22時08分28秒 | 経済
円安誘導論との対決を考える
 プラザ合意以降、$1=¥240から$1=¥80を切るところまで、世界一の自国通貨の切り上げを強いられ、沢山の犠牲を払って、それを耐え忍んできた日本が、安倍政権に至り漸く「一寸の虫にも5分の魂」ということで、「日本は経済体制の在り方を変える」と表明したところ、それに驚いた国際投機資本が円を売り、$1=¥90がらみ迄円高を戻したところで、「日本の円安誘導は怪しからん」という声が聞こえて来ています。

 テレビで麻生さんが、少し口を曲げて、「リーマンショックで30円円高になっても、一言も文句を言わなかった日本の円が10円戻したからと言って、文句を言われる筋合いはない」と言っていましたが、日本人は皆「そうだ、そうだ」と賛成でしょう。

 ただ、ああした発言だけでは、3発殴られたから1発殴り返した。文句あるか。という「やり返し論」になって終りです。
 もちろん、戦後360円から80円までという世界一の切り上げをさせられた日本ですから、主張に遠慮することはありませんが、出来れば、日本は、一段上のレベルから、日本の望んでいるのは「正しい世界経済の在り方」で、文句をつける方は、それをしたくない、つまり、何か「邪心を持っているから」ではないか、ぐらいの1ランク高い立場での理論が必要だと思います。 それには、例えば、以下のような主張が必要になるのではないでしょうか。

  『為替の切り下げ競争は、過去に、「近隣窮乏化政策」が世界大戦につながった経験にてらしても、世界経済にとって害悪を及ぼすものである。日本は全面的のその考え方に賛成する。
 日本は率先して円安政策(近隣窮乏化政策)を取るつもりは全くない。各国が近隣窮乏化政策を取るべきでないと考えるのなら、日本はいつでも固定相場制ないしそれに近いシステムに賛成する。本来、固定相場制に反対ということは、自ら近隣窮乏化政策をとる可能性を留保しようという「邪心」持っているからと断ぜざるをえない。』
如何でしょうか。

 その意味では今回、10円を越える幅の円安が、すんなり実現してしまったのは、私には驚きでしたし、日本と同じ立場で、ギリシャやスペインの赤字を背負わなければならない立場のドイツのメルケル首相から、「円安誘導」の発言が出たのも意外でした。

 メルケル首相の真意はわかりませんが、日本の大災害の直後、日本は大金持ちだからこの災害でもアメリカ国債を売らないと発言し、その後も日本の単独為替介入に不快感をあらわにしていたアメリカが、何も言わないのは奇妙ですが、これが、シェールオイルでアメリカが気が大きくなった結果とすれば、日本としてはラッキーの一語に尽きます。
 結果は、安倍首相の訪米の際、読み取れるでしょう。

 嘗て書かせていただいたように、この問題の本質は、その国の労使関係如何にあります。国際金融問題、為替問題の混乱も、元を糺せば、労使の配分の誤りから来ているのです。
 この問題を次回もう一度整理してみましょう。


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