tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「言葉」の重さを考える

2017年03月11日 11時49分41秒 | 社会
「言葉」の重さを考える
 最近、公人を含めていろいろなところで嘘がつかれることが多くなってきているような気がしています。
 アメリカのトランプ大統領は、繰り返しマスコミの報道をFAKE(捏造・嘘)だと言いますが、大統領就任式の聴衆が少なかったというマスコミに対して、過去最大だったという自分たちの数字を alternative fact (互換性のある事実・もう一つの事実)だといったのは「物は言いよう」と面白おかしく取り上げられました。

 トランプさんも、選挙戦最中から今まで、いう事が随分変わってきているようですが、良い方に変わってきているようなので、アメリカの多少安心しつつあるのではないでしょうか。

 日本の場合もいろいろあります。
 安倍総理がオリンピック誘致の際、福島原発の汚染水は湾内で完全にコントロールされている、と発言した時、そこまで言ってもいいのかと、何か言いようのない違和感を感じましたが、その後もいろいろあって、気になり続けています。

 国会審議については、強行採決など一度もしたことはない、という発言もありました。今回の森友学園に関わる発言では、同学園に関する発言の内容やトーンも事件の進展とともに評価から批判に大きく変わってきています。

 アメリカ発の現象が、忽ち日本に入ってくることはよくありますが、この件はそういう事ではないようです。
 日本社会自体の中で、発言がコロコロ変わることが何となく見過ごされてしまう風潮が強くなってきているように感じられて仕方がありません。

 第三者から見れば嘘としか言えないようなことが、本人の頭の中では正当化されているという事は往々あるようですが、いろいろ正当化を考えているうちに、「嘘を言うことは恥ずかしいこと」といった日本の貴重な伝統文化が希薄化していくように感じるのは私だけではないようです。

 「言葉」は、往々その人の本質を表します。法律では、口頭で言ったことはあまり意味がないようですが、それは法律の限界でしょう。
 人間同士の信頼関係がなければ、まともの世の中は成り立ちません。まさに「信なくば立たず」です。法律は「最低限」を規定するものです。

 公人が、「法に触れるようなことはしておりません」などと言うのを聞きます。日本の社会・文化はそこまで落ちたのでしょうか。時は春ですが、何か寒々としてくる世の中です。

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