前回は、石破総理の持論と言われる「アジア版NATO 」については封印して、いずれ廃棄してしまうのがいいでしょうという趣旨のことを書いたつもりです。
マスコミも、不用意にこの話を持ち出して、世界から誤解される事が無いように気を付けってほしいと思っています。
日本は平和憲法を掲げ、非戦をはっきりと打ち出している国です。そして、戦後の世界の中で、多くの国際関係を持ちながら、行動の基本は、すべての国と友好関係を保つというものであることを実践してきています。
この日本の在り方は、戦後79年を経て広く定着しつつあると思われます。これからも日本は、その更なる定着、それによる日本への信頼の獲得を目指して、一貫した行動をとるべきだと考えています。
個人の場合でも、国の場合でも,基本的には同じだろうと思いますが、こうした認識の定着というのは些細な不信感でもあれば簡単に崩れてしまうというものでしょう。
「千里の堤防も蟻の一穴から」、些か下品ですが「百日の説法屁一つ」という諺もあります。
日本にも、防衛庁があり、自衛隊もあります。しかし、これは自然災害も含め予期せざる問題が起き自衛の必要が生じる場合への対応という事になっています。
決して、敵を特定しているものではありません。日本には敵はいないのです。
こうした考え方は、日本人には素直に受け入れることが出来ますが、世界には敵を作ることによって、自己の存在意義を確立するという考え方の国やリーダーは大勢います。
リーダーは、敵を作り、国民に被害者意識を植え付けて、自分への支持を固めるという手段をよく用います。
歴史に「もし」はありませんが、ゴルバチョフがソ連を解体し、東西冷戦が終わったと言われたとき、NATO・アメリカが、すかさず、ロシアに新生民主主義国として友好の積極策を取れば、ウクライナ問題はなかったかもしれません。
中国のリーダ-は、迷っているかもしれませんが、そういう時ほど分断ではなく、協調、友好の姿勢を貫くことが、平和と安定の基本でしょう。
リーダーはともかく、国民のほとんどは平和と友好を望んでいるのです。戦争を起こすのは、何時の時代も、限られたリーダーとそのグループの自己満足という欲求の結果なのです。日本もそれは経験済みです。
さらに言えば、戦争は経済的に苦しくなった国のリーダーが起こすことが多いことは知られています。
経済は多様で、広範な国や地域が協力することで発展することも広く知られています。ならば、経済協力は戦争を防止するために極めて有効な手段、成果を期待できる活動という事が出来るのではないでしょうか。
そういう意味で、一国のリーダーが、被害者意識を持つことは極めて危険で、それは分断と敵対、そして抗争、戦争行きの列車のプラットフォームに立っている状態と考えるべきでしょう。
先ず、最近問題の多い中国との友好関係がどこまで回復、改善できるかが「試金石」ではないでしょうか。