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経済成長は何処へ行った(7):対応の限界を超えた円高の齎すもの

2019年06月24日 22時24分31秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(7):対応の限界を超えた円高の齎すもの
 プラザ合意による円高と土地バブル崩壊による「ダブルデフレ」の乗り切りに目鼻をつけ(2000年頃)、2001年にかけてのアメリカ発のITバブル崩壊の影響も一段落し、2002年から日本経済は何とか前を向いて進める気配になり、「好況感無き上昇」と言われた「いざなぎ越え」の景気回復期に入りました。

 そして、2006年ごろにはこれで長期不況も抜けられるかと思われましたが、やはりアメリカ発の世界の信用恐慌、リーマン・ショックに見舞われるという不運が来ました。
 
 ご存知のように、リーマン・ショックは、アメリカがサブプライム層(経済的低位の層)に住宅資金として貸し出した、いわゆる「サブプライムローン」残高を証券化し、当時流行の金融工学を駆使して、格付けAAAの証券として世界中に販売したものが、ベースになったサブプライムローンの焦げ付きで価格が暴落、保有していた世界中の金融機関や投資家の資産勘定に大穴をあけたことによる金融恐慌です。

 日本の金融機関は、先のバブル崩壊の経験もあり、比較的被害は少ないとみられましたが、日本への大きな被害は全く別のところから来ました。

 FRB(アメリカの中央銀行)は、世界金融恐慌を防止するという立場からゼロ金利政策を基本に、徹底した金融緩和政策を取り、そのあおりを受けて、比較的健全と見られる「¥」が買われ、円レートは1ドル=120円水準から80円に急騰、日本経済は、新たな急激な円高に遭遇することに以なったのです。

 プラザ合意から20年近くをかけて、ようやく1ドル120円という為替レートで経済運営が可能という適応をしてきた日本ですが、ようやく(120円という)水面に顔を出したところで、改めて1ドル=80円という水面下に引きずり込まれることになったのです。

 しかも、日本の経常収支が国民の努力で何とか黒字を保っているところから、円は世界で最も安全な通貨という評価になり、何か経済不安があれば円を買うといった行動が一般的になり、円は一時1ドル=75円という水準まで買われています。
 
 日本の金融当局が、米国流に「ゼロ金利・異次元金融緩和」に踏み切るのは2013年ですから、その間、これ以上はできないというコストカットをさらに進めるという中で、日本企業は再び守り一辺倒の対応を強いられたのです。

 当時、説得力を持っていわれた言葉に「コストのドル化」があります。多くの企業は、何か外国でも出来ることがあれば、その仕事は外国に持っていく、円で払う経費を出来るだけ減らすことは至上命令で、多くの仕事は海外に流れ、国内の空洞化は一段と進んだのが実態でしょう。

 海外移転、人減らし、就職氷河期の再来、賃金の引き下げ、非正規社員の増加、企業の健全な発展のベースになる教育訓練費、研究開発費なども削減の対象(前回のリンク参照)になってきました。そしてこれらは今に至る深刻な後遺症を日本経済社会に残しています。

 しかも、今回の円高は、プラザ合意の時のように、G5で挨拶があり日本が了承したという形のものではなく、国際投機資本の思惑の中で勝手に円高が進んでしまったというもので、「¥」は安全通貨という迷惑なラベル貼りも伴っていました。
(この状況は、今も変わっていません。企業も、株式市場も、この呪縛のままです。)

 この深刻な状況は、つい数年前まで皆様が経験されたとですから、これ以上の説明は不要かと思われますが、この「国際金融市場では、何時、何が起きるか解らない」という不安感は、海馬に刻み込まれるようなトラウマとして、その後の日本経済の大きな影響を残しているように思われます。
(「 平成という時代:リーマンショックの前と後」もご参照ください)

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