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経済成長は何処へ行った(8)日本企業・家計の行動様式は変わったのか

2019年06月26日 15時25分57秒 | 経済
経済成長は何処へ行った(8)日本企業・家計の行動様式は変わったのか
 $1=¥75~80のもとで日本経済は低迷の極にあり、学者の中にも、このままでは円レートは50円まで上がり、日本経済は破綻すると言い切る人まで現れ、企業は、国内工場の無人化か、海外進出かの二者択一を強いられるような状態でした。

 国民意識としても、経済成長は期待できず、所得が増えない中でまずは生活防衛のために節倹と貯蓄に重点を置かざるを得なくなってきていました。
 2008年から2011年といたこの低迷・混迷の期間には、2011年3月の東日本大震災の惨禍も重くのしかかり、日本経済はまさに出口の見えない暗中模索だったのではないでしょうか。

 大震災に際しては、日本が再建の費用捻出のために、保有する米国債を売るのではないかと懸念したアメリカ財務省は、当時の財務長官のガイトナーが、「 日本は米国債を売る事は無い」と強い牽制発言するなど神経を使っていました。
 しかし日本は遅々ではありましたが自力で粛々と再建を進めてきています。

 このブログでもあの当時は、円高阻止の方策や、マネー経済化の問題点などへの言及が多くなっていますが、為替レートを円安方向にもっていく以外、深刻な経済不振の脱出は不可能と見ざるを得ませんでした。

 事態が少し変わってきたと思われたのは2012年あたりから、日銀の円高容認だった基本路線に、多少の変化が見えたことがあると思います。
 2012年の2月、 当時の白川総裁 
は、アメリカが2%インフレ・ターゲットを決めたタイミングに合わせ、日本は1%インフレ・ターゲットという方針を打ち出しました。
 日銀が公式に物価上昇を認めるというのは、初めてのことではないでしょうか。円レートの徐々に円安方向に向かう様相でした

 そして2013年、白川総裁に代わった黒田総裁の「異次元金融緩和」、いわゆる 黒田バズーカ2発が2013年4月と201410月炸裂したことで、円レートはリーマン・ショック前の水準に、戻されるとことになりました。

 アメリカのバーナンキFRB議長のりーマン・ショックによる世界金融恐慌阻止策によって引き起された超円高については、 スティーグリッツもその円レートでは日本企業はやっていけないだろうといい、バーナンキも、日本も早期に金融緩和策をとるべきだったと発言しています。
 日本では浜田宏一氏の金融緩和論が、安倍総理、黒田総裁に影響を与えたなどといわれています。

 いずれにしても、2発の黒田バズーカにより、為替レートに関する限り、日本の経済環境はリーマン・ショック前に帰ったということになります。
 このブログでも、これで日本経済の復原現象が急速に進むだろうという楽観的な論調が多くなったと思います。

 しかし、現実はそうなりませんでした。
 あ安倍再建によって打ち出されたアベノミクスの第一弾の金融緩和は、円安で増えた為替差益などを中心に、企業に利益は急増、株価も順調に上昇すると見えましたが、 企業の自己資本比率は上がりましたが、企業活動の海外脱出が盛んで経済成長率は順調には伸びず、当然税収もあまり伸びず、結果、アベノミクス第二弾の、積極財政は思うに任せず、第三弾の規制緩和・構造改革に至っては、モリカケ問題に矮小化され、税と社会保障の一体化改革も先が見えず、一方で家計の防衛意識による消費不振は、日本経済の成長力に大きく影を落とすことになってしまっています。

 最後に、「経済成長は何処へ行った」という本題に入っていってみたいと思います。






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