tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「普通の国になる」ということ

2014年07月05日 11時06分35秒 | 国際政治
「普通の国になる」ということ
 集団的自衛権論議の中で、憲法9条の解釈が次第に捻じ曲げられていくのを日本の国民は見て来ました。
 政治権力と法律解釈というものは「こういうものなのだ」という事も実感してきました。絶対多数の与党の下では、かなりのことが出来てしまうようです。

 日本の国の在り方は、法律解釈のレベルで決まるものなのでしょうか、そうではなくて、矢張り国民の多数意見、日本人の心で決まるべきものなのではないでしょうか、という事も書かせて頂きました。

 こうした此の所のプロセスのかなで「日本が普通の国になるだけだ」といった意見もあり、「普通の国でいいじゃないか」という意見もあるようです。安倍さんは「美しい国」と言っていましたが、戦後レジームからの脱却を目指すという安倍さんの「新しい国」は単なる「普通の国」だったのでしょうか。

 普通の国は自国を守るという目的で軍隊を持ち、戦いにもコミットし、経済のためには武器輸出をし、友達が喧嘩をすれば、助太刀をするという国なのでしょう。

 戦後レジームの日本は、憲法9条を持ち、自衛力はもちましたが、決して戦はせず、武器輸出もせず、友達が喧嘩をすれば、友達にも、その喧嘩相手にも、平和国家日本という立場、戦後、種々の面で経済的に貢献し、「役に立ってくれるが」「人畜無害の国」という評価を得たうえで、「お互いに争いは止めよう」と説得できる立場を、営々として築いてきていたのではないでしょうか。

 この建設的行動はするが、破壊につながるような行動はしないという優れた行動規範の国をありふれた「普通の国」のレベルまで落とすことが今着々と進行しているのです。
 
 何時も述べていますように、日本は1万有余年の縄文時代を通じて、世界でも最も多様なDNAが平和共存し、自然と共生しつつ日本人の原型を作り上げてきた国です。(こうして創り上げられた日本人の本来の心が、世界を驚かす巨大災害への対応やFIFA観戦の態度などに現れるのでしょう)

 戦後漸く、憲法9条を戴いたおかげで、日本人の本来の在り方を取り戻し、舶来崇拝から脱却して、国際社会の中で、本来の日本らしさを発揮する方向に積み上げてきた努力のプロセスを逆転させ、今更「普通の国」に堕するのは、本来の日本人の考え方からすれば、まさに「忍びない」という事なのではないでしょうか。

 今の政権には、もう少し、「本来の日本らしさ」の勉強をしてほしいと思うや切です。


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