経済成長は何処へ行った(2) すべてはプラザ合意から
このブログでは何度か「平成という時代」について、経済の側面を取り上げてきましたが、いわゆるロスト・ジェネレーションを産んだ平成不況が、いったいどこから始まったのかというのがまず大事な点でしょう。
一般的には1990年、91年のバブル崩壊からということが多いのですが、これはプラザ合意という原因の結果で、すでにバブル以前に日本経済は異常な状態になっていました。
2度の石油危機を乗り越えて日本経済が正常で健全な状態を維持していたのは1980年代前半までです。
ではその時何が起こったかですが、ご存知の「プラザ合意」です。
この問題を考える場合には、今の米中関係が参考になります。
これは今はやりの言葉でいえば「地政学的」な問題というのでしょう。覇権国が次第にその力を弱め、第2位の国に追い上げられる状態になった場合、一体どんなことを考えるか、これは想像に難くないでしょう。
覇権国は自国の立場が脅かされることに抵抗し、まず、追い上げる国の経済成長にブレーキになるような政策を考えるでしょう。
アメリカも当然そう考えるはずです。そしてとった政策は、追い上げる世界第2の経済大国、日本の大幅貿易黒字が国際経済関係を不安定にする、という視点からの政策です。
具体的には、G5のうち、日本以外の4か国で強調し、日本に円高を認めさせるという戦略です。
この戦略はまんまと成功しました。当時の日本は欧米先進諸国のスタグフレーションをしり目に、超健全な成長路線を歩んでいました。エズラ・ボーゲルが「ジャパンアズナンバーワン」を書き、ある意味では日本は得意の絶頂にあったと思います。
為替レートを多少の円高にしても、日本は十分にやっていけると考えていたでしょう。
ニューヨークはプラザホテルのG5の会場で、日本代表の竹下登蔵相は、すでに実務者間協議で決まっていた円高要請を容認したのです。
日本経済の変調のきっかけはここににあったと、後から見れば明らかですが、やはり日本の人の良さ、そこから来る脇の甘さ? という事でしょうか、当時の$1=¥240が190円か200円ぐらいの円高と想定していたといわれていますが、それなら容易に対応可能と考えてもそう不思議ではありません。
当時の日本の円の実力は1ドル=200円~220円ぐらいの水準だったのでしょう。
しかし、現実は2年後には1ドル=120円というほぼ2倍の円高になりました。まさに想定外だったのでしょう。
しかしそれでも当時の日銀も含め、円高もいいのではないか。日本の価値が高くなったという評価なのだから、と主張する、学者や専門家も多かったのです。
そうでないことはその後次第にわかってきます。しかしそれにしても、その後30年の長きにわたり経済成長が思うようにいかないといいう所まで行くというのは異常です。
それには、日本自身の失敗もいろいろとあったはずです。
いずれにしても、覇権国アメリカは、第二位の経済大国日本の経済成長を停滞させることに成功しました。
しかし、代わって、今、中国がアメリカを脅かすに至りました。
<蛇足>
アメリカも、対中国では、日本の時のように巧くは行かないでしょう。中国は日本の失敗の経験をしっかり学んでいるようです。
ただ、中国には中国なりの弱みもあります。さて、・・・ 以下次回
このブログでは何度か「平成という時代」について、経済の側面を取り上げてきましたが、いわゆるロスト・ジェネレーションを産んだ平成不況が、いったいどこから始まったのかというのがまず大事な点でしょう。
一般的には1990年、91年のバブル崩壊からということが多いのですが、これはプラザ合意という原因の結果で、すでにバブル以前に日本経済は異常な状態になっていました。
2度の石油危機を乗り越えて日本経済が正常で健全な状態を維持していたのは1980年代前半までです。
ではその時何が起こったかですが、ご存知の「プラザ合意」です。
この問題を考える場合には、今の米中関係が参考になります。
これは今はやりの言葉でいえば「地政学的」な問題というのでしょう。覇権国が次第にその力を弱め、第2位の国に追い上げられる状態になった場合、一体どんなことを考えるか、これは想像に難くないでしょう。
覇権国は自国の立場が脅かされることに抵抗し、まず、追い上げる国の経済成長にブレーキになるような政策を考えるでしょう。
アメリカも当然そう考えるはずです。そしてとった政策は、追い上げる世界第2の経済大国、日本の大幅貿易黒字が国際経済関係を不安定にする、という視点からの政策です。
具体的には、G5のうち、日本以外の4か国で強調し、日本に円高を認めさせるという戦略です。
この戦略はまんまと成功しました。当時の日本は欧米先進諸国のスタグフレーションをしり目に、超健全な成長路線を歩んでいました。エズラ・ボーゲルが「ジャパンアズナンバーワン」を書き、ある意味では日本は得意の絶頂にあったと思います。
為替レートを多少の円高にしても、日本は十分にやっていけると考えていたでしょう。
ニューヨークはプラザホテルのG5の会場で、日本代表の竹下登蔵相は、すでに実務者間協議で決まっていた円高要請を容認したのです。
日本経済の変調のきっかけはここににあったと、後から見れば明らかですが、やはり日本の人の良さ、そこから来る脇の甘さ? という事でしょうか、当時の$1=¥240が190円か200円ぐらいの円高と想定していたといわれていますが、それなら容易に対応可能と考えてもそう不思議ではありません。
当時の日本の円の実力は1ドル=200円~220円ぐらいの水準だったのでしょう。
しかし、現実は2年後には1ドル=120円というほぼ2倍の円高になりました。まさに想定外だったのでしょう。
しかしそれでも当時の日銀も含め、円高もいいのではないか。日本の価値が高くなったという評価なのだから、と主張する、学者や専門家も多かったのです。
そうでないことはその後次第にわかってきます。しかしそれにしても、その後30年の長きにわたり経済成長が思うようにいかないといいう所まで行くというのは異常です。
それには、日本自身の失敗もいろいろとあったはずです。
いずれにしても、覇権国アメリカは、第二位の経済大国日本の経済成長を停滞させることに成功しました。
しかし、代わって、今、中国がアメリカを脅かすに至りました。
<蛇足>
アメリカも、対中国では、日本の時のように巧くは行かないでしょう。中国は日本の失敗の経験をしっかり学んでいるようです。
ただ、中国には中国なりの弱みもあります。さて、・・・ 以下次回