経済成長は何処へ行った(3) 円高の恐ろしさが理解できなかった
日本経済が健全な成長軌道を外れて、歯車のかみ合わない成長しない経済に出したきっかけはプラザ合意で、その背後には、覇権国は追い上げる国を本能的に追い落とそうとするという意識があったのだろうというのが前回の趣旨でして。
そして日本は、甘んじて(その意味するところが良く解らずに)それを受け入れてしまったのですが、そこでの大きな問題は「通貨価値の大幅引き上げがその国の経済にどんな影響を齎すか」を理解していなかったことにあったと思われます。
円高は日本の価値が上がって事、加工貿易立国の日本は円高で海外からの資源を安く買える、円高のメリットを生かせばよい、円高でインフレへの警戒は不要になる、などなど、円高を歓迎する意見は多く聞かれました。
本来ならば、製造業の競争力喪失で、円高の苦難に直撃されるところでしたが、そうならなかったのが、地価高騰を中心にしたバブル経済の発生です。
このバブル経済の背景にあったのが、「新前川リポート(1987年)」(元日銀総裁野前川春雄氏座長)、でした。
プラザ合意で指摘された日本の大幅貿易黒字削減のために必要なのは内需拡大で、その他雨には、遅れている社会資本の充実・高度化、労働時間の短縮(1800時間)などを掲げ、多くの具体策を提示しました。
その推進の中でとられた社会資本高度化のための金融緩和政策に、日本伝統の地価神話の思惑が重なり、地価の急騰いわゆる「土地バブル」、が起きたのです。
しかし、バブルでいかに土地その他の資産価値が上がっても、GDPが増えるわけではありません。現実のビジネスは、製造業の空洞化などで落ち込んでいるわけですから経済成長はストップです。
しかし世の中はバブルで、バブルの時は誰もが「バブルはいつまでも続く」と思っています。そして、不動産売買や遊休土地の切り売りなどで、巨額の金が入りますから、1991年まで、日本経済は、バブルの宴に酔うことができたのです。
地価高騰をベースにジャパン・マネーは巨大化し、世界で猛威を振るう状態でした。
円高で著しく強くなった円と金余りという状態が、しばし円高の恐ろしい側面を日本人に気づかなかったようです。
その頃の風景を書き記せば、こんな事でしょうか。
$1=¥120で競争力を失った製造業などが空洞化する一方、土地バブルは全国に広がり、日本中の土地が値上がりし「日本の土地を全部売れば、面積25倍のアメリカ全土が4つ買える」などといわれました。(単位面積当たり100倍)
金余りで、株価はもちろん、ゴルフ場やリゾートの会員権は高騰、バブルは書画骨董ににまで及び、金融・不動産などを中心に、日本企業は大金持ちになり、ジャパンマネーはアメリカにも大量に流れ、赤字のアメリカを潤したようです。
当時、日本でも名の知られた、ロックフェラーセンターやティファニーなども日本に買われ、「そんなに日本に買われてアメリカはなぜ黙っているのか」などと訝る評論家などもいたほどです。
結局は高値で買って安値で手放すことになるのですが、これもアメリカの経常赤字状態の多少の助けにはなったのでしょう。
一方、急速に競争力を失った製造業などでは、状況は深刻になりつつありました。
鉄鋼、電力などの過度の基幹産業は需要の急減で人余り状態になり、工場の温排水を利用して、ウナギやアワビの養殖などの副業で雇用を維持し、不況の回復を待つといった状態でした。
多くの企業は、それまでの経済成長時代の経験から、「不況が何年も続く事は無い」と考えていたようでした。しかしその期待は裏切られました。
経済界もアカデミアも政府も、円高の恐ろしさをきちんと理解していなかったことが大きな原因だったと思われます。
日本経済が健全な成長軌道を外れて、歯車のかみ合わない成長しない経済に出したきっかけはプラザ合意で、その背後には、覇権国は追い上げる国を本能的に追い落とそうとするという意識があったのだろうというのが前回の趣旨でして。
そして日本は、甘んじて(その意味するところが良く解らずに)それを受け入れてしまったのですが、そこでの大きな問題は「通貨価値の大幅引き上げがその国の経済にどんな影響を齎すか」を理解していなかったことにあったと思われます。
円高は日本の価値が上がって事、加工貿易立国の日本は円高で海外からの資源を安く買える、円高のメリットを生かせばよい、円高でインフレへの警戒は不要になる、などなど、円高を歓迎する意見は多く聞かれました。
本来ならば、製造業の競争力喪失で、円高の苦難に直撃されるところでしたが、そうならなかったのが、地価高騰を中心にしたバブル経済の発生です。
このバブル経済の背景にあったのが、「新前川リポート(1987年)」(元日銀総裁野前川春雄氏座長)、でした。
プラザ合意で指摘された日本の大幅貿易黒字削減のために必要なのは内需拡大で、その他雨には、遅れている社会資本の充実・高度化、労働時間の短縮(1800時間)などを掲げ、多くの具体策を提示しました。
その推進の中でとられた社会資本高度化のための金融緩和政策に、日本伝統の地価神話の思惑が重なり、地価の急騰いわゆる「土地バブル」、が起きたのです。
しかし、バブルでいかに土地その他の資産価値が上がっても、GDPが増えるわけではありません。現実のビジネスは、製造業の空洞化などで落ち込んでいるわけですから経済成長はストップです。
しかし世の中はバブルで、バブルの時は誰もが「バブルはいつまでも続く」と思っています。そして、不動産売買や遊休土地の切り売りなどで、巨額の金が入りますから、1991年まで、日本経済は、バブルの宴に酔うことができたのです。
地価高騰をベースにジャパン・マネーは巨大化し、世界で猛威を振るう状態でした。
円高で著しく強くなった円と金余りという状態が、しばし円高の恐ろしい側面を日本人に気づかなかったようです。
その頃の風景を書き記せば、こんな事でしょうか。
$1=¥120で競争力を失った製造業などが空洞化する一方、土地バブルは全国に広がり、日本中の土地が値上がりし「日本の土地を全部売れば、面積25倍のアメリカ全土が4つ買える」などといわれました。(単位面積当たり100倍)
金余りで、株価はもちろん、ゴルフ場やリゾートの会員権は高騰、バブルは書画骨董ににまで及び、金融・不動産などを中心に、日本企業は大金持ちになり、ジャパンマネーはアメリカにも大量に流れ、赤字のアメリカを潤したようです。
当時、日本でも名の知られた、ロックフェラーセンターやティファニーなども日本に買われ、「そんなに日本に買われてアメリカはなぜ黙っているのか」などと訝る評論家などもいたほどです。
結局は高値で買って安値で手放すことになるのですが、これもアメリカの経常赤字状態の多少の助けにはなったのでしょう。
一方、急速に競争力を失った製造業などでは、状況は深刻になりつつありました。
鉄鋼、電力などの過度の基幹産業は需要の急減で人余り状態になり、工場の温排水を利用して、ウナギやアワビの養殖などの副業で雇用を維持し、不況の回復を待つといった状態でした。
多くの企業は、それまでの経済成長時代の経験から、「不況が何年も続く事は無い」と考えていたようでした。しかしその期待は裏切られました。
経済界もアカデミアも政府も、円高の恐ろしさをきちんと理解していなかったことが大きな原因だったと思われます。