tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

豊かさと快適さを求めて

2018年08月18日 00時11分17秒 | 社会
豊かさと快適さを求めて
 このブログでは主役は「付加価値」という事になっています。
 勿論本当の主役は人間ですが、経済活動や社会生活それに政治といった活動がきちんと行われて、はじめて人間が豊かさや快適さを感じられるのです。

 では、そうした人間にとって住みやすい社会は何によって支えられているかといいますと、まず人間の善意でしょう。そしてその上に、人間の活動として、付加価値が生産されることで、社会がより豊かで快適になるのです。

 付加価値は通常、GDPという形で示されますが、かつて、GDPが大きくなっても、その一方で大気や水の汚染がひどくなって、人間の健康が損なわれたりもしますから、GDPは「豊かさ、快適さ」の適切な尺度ではないなどと言われました。

 しかしそうした問題の解決のために人類は、より大きな付加価値を創り、公害などをきちんと防除するだけの技術や設備にそれをつぎ込んで豊かさと同時に快適さも実現するよう頑張ってきました。GDPの増加(経済成長)は豊かさ・快適さ実現のための十分条件ではありませんが、「必要条件」なのです。

 「住みやすい社会」を経済面から見れば、それは「豊かで快適な社会」を実現するために「付加価値」を生産し、それをいかに適切に配分するかによって決まるのです。
 勿論付加価値を生産する能力(生産性)は大きい方が良いわけですが、もう一つ、それを「どう配分するか」が決定的に大きな役割を果たすように思われます。

 この配分には色々な側面があるでしょう。まずは技術的な問題として、環境汚染をしないためにかなりの配分をしなければならないでしょう。
 大気や水の汚染対策は進んできましたが、地球環境、気候変動への対応、具体的にはCO2排出や放射能汚染に関わる問題、具体的には自然エネルギーの本格利用や、蓄電技術にはまだまだ人類は生産した付加価値の大きな部分を配分しなければならないでしょう。

 「単純な豊かさ」と「豊かで快適な社会」の違いは、豊かさの負の部分を克服するために、豊かさの中の必要な部分を快適さのために割けるかどうかにあるのでしょう。
 豊さだけを求める社会は、常に快適さを犠牲にすることで、遂には豊かさも失う事になるようです。これは歴史を振り返れば十分に理解可能でしょう。

 具体例で言えば、CO2と放射能汚染対策(含廃棄物処理)ではまだ、当面のコストを優先してサステイナビリティに思いを致さない過ちが続いています。行き詰まるまで気が付かない責任者も多いようです。

 物理的・化学的な快適さを求めるためには今後も自然環境をクリーンにするための技術開発・設備投資に、より多くのGDPを割かなければならないことを、改めて人類は肝に銘ずる必要があるようです。
(三菱化学がKAITEKIを標語に掲げているのは象徴的ですね)
 
 更にもう一つ大きな問題があります。それは「快適さ」の「社会的側面」です。これは人間の権力志向と、豊かさの配分の失敗(言い換えれば格差社会化の問題)です。大きく言えば、国家間から個人間までの格差の拡大をどの程度にすることが人類社会な快適さと両立する範囲かという問題でしょう。この問題については、また論じたいと思います。

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