tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

警報の発令と解除の常識

2022年02月17日 17時11分15秒 | 政治

太平洋戦争の末期、サイレンが鳴ると、それはアメリカの重爆撃機、当時「空の要塞」と言われたB29が近づいてきているという知らせでした。

 私の住んでいた甲府市は、東京を爆撃に行くB29が、富士山を目当てに北上して来て、富士山を迂回し90度右旋回(東向きに)して東京方面という通り道だったようで、警戒警報のサイレンは毎度のことでした。
東京へ向かってしまうと警戒警報解除のサイレンが鳴ります。それでホッとするわけです。

晴れた日の昼間はやがてジュラルミンの機体が光る編隊が見えてくるのですが、夜は何も見えません。警戒警報が鳴ると身構え、解除になると一安心の繰り返しでしたが、1945年6月6日の晩は警戒警報と空襲警報が立続けに鳴って、すでに爆弾・焼夷弾は落ち始め、全市火の海、B29が去っても、すべて焼失、サイレンも焼失したのでしょう、解除のサイレンはありませんでした。

余計なことを書いて申し訳ありません。書きたかったのは警報とその解除のタイミングの事です。

これは大雨警報でも、津波警報でも同じでしょうが、素人には状態が解らないので、気象庁が教えてくれるという国民へのサービスです。
危険を早めに察知できる専門機関が前もって注意を喚起してくれ、危険がなくなったと解ればもう大丈夫と解除の知らせをくれるのです。

自然現象についての事は素人には解らないのが普通ですし、たとえ心配のし過ぎでも、早めに最悪の事態も考慮して知らせるべきだという対自然災害の鉄則を確りと守るよう努力しているという態度であることが理解できます。

解除の時は往々「遅すぎるよ」というぐらい、慎重に情報を出すようです。予測し切れないケースもあり得るからでしょう。

という警報発令と解除の常識からすると、コロナに関する「緊急事態前言や蔓延防止措置」の発出(発令に相当?)と終了(解除宣言というケースも)とは、相手が自然現象であることは共通ですが、大分違うようです。

発出だから発令とは違うのだといえばそれまでですが、誰が考えても、もうどうにもならないという段階が来て漸く「明日、専門家会議に諮って発出」ということになっているようです。

では解除の方はと言いますと、解除という言葉は通常使われず、その代りに、発出はいつも期限付きなのです。期限が来れば自動的に切れる(解除)という事なのです。

という事になりますと、期限の決め方は大変難しいはずですが、拝見しますと大変簡単に、腰だめで暦の切りのいい日で決めているようです。

これを最初に始めたのは安倍政権の第一次緊急事態宣言で、確か発出は1920年4月7日で、期限は1か月連休明けとなっていましたが、結局5月31日までに延長ということになりました。

この例はずっと踏襲されていて、岸田政権でも今の蔓延防止措置は2月20日になっています。岸田政権になったら、「状況が許すことが明らかになったら解除」というぐらいの合理的な形になるのかと思いましたが、違いました。
  
事は人間とコロナのせめぎ合いで、コロナの動きについては予測などできる筈はないのですが、どういう訳か期限を決めます。そして期限には何の根拠もないのです。

加えまして、状況によって、早く解除することもあるし、ダメなら延長をするということになっているのです。今回も2月20は延長という事になるケースがほとんどでしょう。

つまり期限は決めていないのと同じなのです。それなのに必ずいい加減な期限を決めて、国民に何を知らせようというのでしょうか。
お解りの方がいらっしゃっいましたら、是非教えていただきたいと思っています。(後半の本論は笑話です)