tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

言葉は文化を創る?

2019年09月15日 23時08分34秒 | 文化社会
言葉は文化を創る?
 一昨年の文化の日に「競いの文化と争いの文化」を書きました。そして競いの文化の代表としてオリンピックを挙げ、争いの文化の代表として戦争を挙げました。
 その後、古代ギリシャではオリンピックの期間中は戦争を止めていたことも書きました。「競いの文化」を「争い委の文化」の上に置いたのは古代ギリシャ人の知恵でしょう。

 最近、文化との関係で、何かと気になることは、ツイッターなどの「短い言葉」で事を済まそうという風潮の蔓延です。
 「寸鉄人を刺す」と言われるような名言は、一般人には、なかなか考え付くものではありませんから、短い言葉で済まそうと思うと、ついつい強い言葉、激しい言葉、刺激的な言葉や汚い言葉だ出てくるようです。

 ところで、言葉というのは極めて大事なもので、聖書にも「初めに言葉ありき。言葉は神なりき」とありますが、言葉は人間の大脳皮質に大きな影響を持つように思います。

 短い言葉ばかりで済ましていると、思考も短絡的になり、長期的視点には目が届かなくなっていくようですし、刺激的で汚い言葉を使っていると、精神や根性が次第に繊細さを失い、低次元に堕落していくように思われます。

 言葉は表情にも表れます。楽しい言葉を言うときは楽しい顔をしますし、怒鳴るときは怒鳴る顔、強い口調の時は力んだ顔、悪口を言うときはそれにふさわしい顔をします。
 短い激しい言葉を繰り返していると、いつもそういう顔になってきて、思考回路も単純化、短絡化するような傾向を持つようです。

 例えば、「競いの文化」では、自分の事と同時に相手(他人)のことを考える(時には研究しなければならない)でしょう。しかし、「争いの文化」相手を倒すことだけ考えればいいのですから,事は単純で、面倒な思考回路は要りません。

 このところ、政治も経済も経営も、何か近視眼的になって、自分中心、自分の都合ファーストというのが世界的傾向のようですが、メディア(典型的にはツイッターなど)の特性、その使われ方との関連が大きいように感じられてなりません。

 もう大分昔の話ですが、M.マクルーハンが「メディアはメッセージである」という名言を残しましたが、メディアの短縮化は思考の短縮化、ひいては文化の単純化や近視眼化に影響しているように思われてなりません・・・!?