森林面積比率の国際比較
日本は国土面積が大きい国ではありません。一方、人口は1億2000万人とかなり大きい国です。ウィキペディアによりますと日本の人口密度は世界で34番目だそうです(2009年)。
ですから、かなり混雑している国という事になるのもですが、その割に日本は、国土面積に対する森林の比率が高い国であることは皆様ご承知の通りです。
地球環境問題激化の中で、森林の多いことは大変重要ですが、日本の現状は世界に誇るべきものではないでしょうか。
現在でも日本の国土総面積に対する森林の比率は68%と高く、世界で17番目、先進工業国といわれるような国の中では、フィンランド、スウェーデンに次いで3番目です。
ちなみに人口密度(人口/国土面積:人/㎞²)フィンランドは16人、スェーデンは20人(日本は336人)ですから、この2国で森林割合が多いのも解るような気がします。
国土の森林面積比率の国際比較
主要国の森林比率を見ますと、この図のようになり(世界経済のネタ帳)、歴史や地理的状況などによって影響は受けますが、日本の場合は、「良くこれだけの森林を残してくれた」と我々の先祖に感謝しなければならないでしょう。
気候風土、地形など種々の影響がある中で、森林比率の高さにはその国の文化も大きく影響しているというのが大切な点でしょう。
ヨーロッパの様に平地が多く、小麦文化が主流の所では、森が切り開かれ、畑や牧草地になっていったようです。
日本の場合はコメの文化が主流で、これには水の活用と、共同体的な作業形態が重要だったようです。
もともと日本はモンスーン地帯に属し、四季の変化がはっきりしていて、降水量も比較的多く、山岳地帯の森林の保水力が大きく、かつてイザヤ・ベンダサンが「水と安全はタダ」といったように、また諺にも「湯水のように」といわれてきたように、森林のお陰で、水に恵まれた国です。
ただ、山岳地帯が多く、川は殆どが急流ですから、それをいかに稲作農業に使うかの工夫の結果、里山や網の目のような、水路・用水、いわば「春の小川」の様な景観が生まれたのでしょう。
貝塚に見らえるように水産資源も求めた日本人の先祖は、経験的に、「山を育てれば(森林の多い山)、海も育つ(豊富な海産物)」という関係を縄文時代から理解していたと言われたりします。
伊勢神宮の祭祀にも、山の神と海の神が年に一度会うという神事があると聞きます。
鎮守の森はかなり消えましたが、里山の復活への動きは、あちこちに見られます。
残念なのは、森林行政の失敗という事でしょうか。実語教の「山、高きゆえに貴からず、木あるをもって貴しとなす」と言われた森林資源の活用が、極めて遅れ、嘗ての植林の結果もスギ花粉症の激化ばかりが注目される状況です。
オリンピック・スタジアムも木造が好まれる時代です、外材に頼らず、国産の森林資源を本気で生かす政策が必要なようです。
日本は国土面積が大きい国ではありません。一方、人口は1億2000万人とかなり大きい国です。ウィキペディアによりますと日本の人口密度は世界で34番目だそうです(2009年)。
ですから、かなり混雑している国という事になるのもですが、その割に日本は、国土面積に対する森林の比率が高い国であることは皆様ご承知の通りです。
地球環境問題激化の中で、森林の多いことは大変重要ですが、日本の現状は世界に誇るべきものではないでしょうか。
現在でも日本の国土総面積に対する森林の比率は68%と高く、世界で17番目、先進工業国といわれるような国の中では、フィンランド、スウェーデンに次いで3番目です。
ちなみに人口密度(人口/国土面積:人/㎞²)フィンランドは16人、スェーデンは20人(日本は336人)ですから、この2国で森林割合が多いのも解るような気がします。
国土の森林面積比率の国際比較
主要国の森林比率を見ますと、この図のようになり(世界経済のネタ帳)、歴史や地理的状況などによって影響は受けますが、日本の場合は、「良くこれだけの森林を残してくれた」と我々の先祖に感謝しなければならないでしょう。
気候風土、地形など種々の影響がある中で、森林比率の高さにはその国の文化も大きく影響しているというのが大切な点でしょう。
ヨーロッパの様に平地が多く、小麦文化が主流の所では、森が切り開かれ、畑や牧草地になっていったようです。
日本の場合はコメの文化が主流で、これには水の活用と、共同体的な作業形態が重要だったようです。
もともと日本はモンスーン地帯に属し、四季の変化がはっきりしていて、降水量も比較的多く、山岳地帯の森林の保水力が大きく、かつてイザヤ・ベンダサンが「水と安全はタダ」といったように、また諺にも「湯水のように」といわれてきたように、森林のお陰で、水に恵まれた国です。
ただ、山岳地帯が多く、川は殆どが急流ですから、それをいかに稲作農業に使うかの工夫の結果、里山や網の目のような、水路・用水、いわば「春の小川」の様な景観が生まれたのでしょう。
貝塚に見らえるように水産資源も求めた日本人の先祖は、経験的に、「山を育てれば(森林の多い山)、海も育つ(豊富な海産物)」という関係を縄文時代から理解していたと言われたりします。
伊勢神宮の祭祀にも、山の神と海の神が年に一度会うという神事があると聞きます。
鎮守の森はかなり消えましたが、里山の復活への動きは、あちこちに見られます。
残念なのは、森林行政の失敗という事でしょうか。実語教の「山、高きゆえに貴からず、木あるをもって貴しとなす」と言われた森林資源の活用が、極めて遅れ、嘗ての植林の結果もスギ花粉症の激化ばかりが注目される状況です。
オリンピック・スタジアムも木造が好まれる時代です、外材に頼らず、国産の森林資源を本気で生かす政策が必要なようです。