tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

第一次世界大戦終結100年:人類は二度の世界大戦から何を学んだか

2018年11月12日 15時01分52秒 | 国際関係
第一次世界大戦終結100年:人類は二度の世界大戦から何を学んだか
 11月11日は第一次世界大戦の終結から100年という日でした。フランスでは世界数十カ国の首脳を招いた大規模な記念式典が開かれました。
 日本からは副首相兼外務大臣の麻生さんが出席されたとのことです。

 100年という区切りは勿論意味を持ちますが、同時にマクロン大統領の心の中には、最近とみに高まった自国中心主義への動きなど、世界の平和的協力、協調関係に風波を起すような動きがあちこちに見られる事への強い懸念があったのでしょう。

そうした動きに、この機を逃さず警鐘を鳴らし、世界各国に結束して平和な地球人類社会の発展への協調を呼びかけたい(呼びかけなければならない)といった強い意志があったと感じるところです。

 フランスのパリには「戦争は人の心の中で始まるものだから、平和の砦は人の心の中に築かなければならない」という憲章前文を掲げる「ユネスコ」の本部があります。
 今、トランプさんのアメリカは、そのユネスコからの脱退を表明し、分担金を払っていません。

 11月11日の記念式典挙行の一方で、今の国際情勢は、第一次世界大戦前や、第二次世界大戦の前の状況に何か似てきている、あるいは酷似しているといった意見、論説などが、あちこちで出ているようです。

 確かに「戦争は人の心の中で始まる」ものですが、国と国との争いですから、矢張り国民がその気になる(させられる)という事でないと可能ではないでしょう。
 人類が経験した二度の世界大戦は、矢張り国民がその気になって始まったのでしょう。そしてその国民の意思統一は「ナショナリズム」という形で出来上がったようです。

 結果的に「ナショナリズム」という言葉は、戦争にも繋がりかねないという危険性を孕む言葉として受け取られることが多くなってきています。
 そして、観察してみれば、所謂ナショナリズムは、「我が国は被害者である」という 被害者意識がその根底にあることが極めて多いようです。

 今、アメリカでは、トランプさんの「アメリカ・ファースト」という言葉に熱狂する人が多いようですが、これが、我々は被害者だという意識と共にナショナリズムにつながる可能性もあると懸念する人も多いでしょう。
 だからこそ、中間選挙の下院民主党過半数という結果に、やはりアメリカの良識は健在と安堵する人も多いのではないでしょうか。

 アメリカという世界の覇権国、基軸通貨国の大統領の言動は、やはり世界のいろいろな所に影響力を持ちます。その結果でしょうか、メディアでは最近「ミニ・トランプ」といった言葉がよく見聞きされます。意味するところは誰も解っています。

 二度の世界大戦を経験した人類が、また改めて世界大戦を起すことなど、通常は考えられませんが、平和を希求する人類からすれば、「君子危うきに近寄らず」が賢明な選択ではないでしょうか。
 
 ヨーロッパでは、二度の世界大戦を戦った相手同士の 「仏・独」が今や世界平和を希求する最強力な二国になっています。
 改めて人類は、二度の世界大戦の惨禍という経験を、これからも何時までも忘れず生かしていくべきではないでしょうか。