tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

伝統文化、日本的経営、賃金制度:2

2014年10月14日 09時37分50秒 | 経済
伝統文化、日本的経営、賃金制度:2
 技術革新や産業構造の変化が起こると、衰退企業は大量解雇をし、人材は住み慣れた企業から新しい分野に自由に移動するという方式がいいのか、人材は企業にとどまって、企業自体が新分野の企業に変化していくのがいいか、これを決めるのはやはり人間の考え方でしょう。

 欧米のように、企業は職務の集合体と考えれば、新産業分野に移行するには、職務全体を再編成し、それに合った人材を採用するということになるので、そんなことはほとんど不可能でしょう。だから、大量解雇やM&Aが一般的なのです。

 日本の場合は、「良い人材を採用」して企業内で育成し、長期に雇用しようとします。産業構造が変われば、企業そのものが変化適応して、蓄積した人材がそれを支えます。
 ですから、もちろん採用の時点で企業の中でどの職務を担当するかは決まっていません。企業内で異動しながら、最終的にはどこかに落ち着いていくのが一般的です。

 その間仕事は変わっても、給料は変わりません。新しい部署で、半年、1年習熟期間を要しても、その間「成果がないから賃金を下げる」などとは言いません。
 そうしないと適材適所が実現しません。本人が当初やりたいと思っていた仕事と実際によく出来る仕事が違うことはいくらでもあるのです。

 日本の「人間中心の経営」は「人間集団の力の活用」とい意味も大きいのです。これは、日本では「駅伝」が盛んだったり、団体戦に強かったりという文化的伝統の必然的の帰結でしょう。

 こうした「人間集団としての企業」に適した賃金制度というのはどんなものでしょうか。少なくとも、個人がその場で上げた成果で支払うというものではないでしょう。育成しながら、長い目で見て処遇・賃金を決めるのが一般的です。

 もともと成果主義というのは、「個人に着目」したもの、「その都度」のもので、人間集団や長期雇用の文化には適しません。
 しかも、職務中心の職務給のベースの上なら納得性もありますが、集団で仕事をする日本企業の中では、成果は一人だけの働きの結果ではありません。協力者、支える人がいての結果でしょう。本人分の成果測定などは容易ではないのです。
 今回の青色LEDでノーベル賞を受けた人たちも「皆さんの協力があって」とか「皆さんに支えられて」と言っているのは象徴的です。
 
 さらにこんな面もあります。よく指摘されることですが、成果主義になると、経験やノーハウを他人と共有しなくなるのです。成果につながる仕事のコツは隠すのです。
 QCサークルのように、みんなで知恵を出し合い、知識・経験を皆で共有することが生産性向上につながるという土壌とは相反するものなのです。

 日本に合った賃金制度、わが社に合った賃金制度はどんなものか? 総理大臣や財界トップが何か言ったとしても、わが社の賃金制度は、わが社の労使で決めましょう。