tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

我慢は美徳か

2010年12月04日 16時25分01秒 | 国際経済
我慢は美徳か
 日本人は我慢強いといわれます。我慢強いことは昔から、美徳のように思われているのも事実です。戦中派ですと「欲しがりませ、勝つまでは」などという標語を思い出します。

 「我慢強い」というのはどういう事でしょうか。どういう場合に、「我慢強い」ことが美徳とされるのでしょうか。その辺りを考えてみると結構難しい問題です。

 寒い時にコートを着ずに我慢して風邪を引いてしまったとか、風邪を引いているのに、我慢して会社に出勤して仕事を続け、仲間に風邪をうつしただけでなく、自分の風邪もひどくなって、結局一週間近く会社を休むことになったとか、といった場合には「我慢強い」というより、単なる「やせ我慢」で無鉄砲とか無思慮ということになるのでしょう。

 相手に悪口雑言を言われても、場合によっては暴力を振るわれても、カッとならずに我慢して、全体を丸く納めるとか、上司に「どうしても」と頼まれて、自分が少し我慢をすればいいのだと腹をくくり、「解りました」と残業をやって、プロジェクトの早期達成に貢献するといった場合の我慢強さは美徳といえるのかもしれません。

 丁度1年前、「貯蓄は美徳か 」というテーマでも書きましたが、貯蓄とか我慢が美徳といえるためには、その貯蓄とか我慢をしたことが、周囲、あるいは社会全体にとってトータルとしてプラス効果を持ち、同時に、何らかの意味で、本人にも長い目でプラスになるといった条件が必要でしょう。

 ところで、今、日本は、国際経済環境の中で、大変な我慢を続けています。頑張って生産性を高め、高齢化の進捗の中で将来のために貯蓄をすると、そのたびに円高になり、生産性の向上の成果は享受出来ず、貯蓄は目減りして、さらなる我慢と努力を強いられます。

 日本人は文句を言いませんが、円高になるたびに就職氷河期になり、多くの若者はまともな仕事に就けず、雇用、所得のチャンスも失われ、社会人としての訓練の機会が失われ、社会が次第に劣化していきます。
 外からはこうした様子は理解されず、国際投機資本からは日本は相変わらず黒字国で、競争力も強いのだから、もっと円高にしても大丈夫だろうと思われているようです。

 先ほどの我慢の定義からすれば、日本の我慢で世界経済が救われているのなら、それは世界から評価される我慢でしょう。しかし実績から見れば、日本の我慢のおかげで、円高を強いるアメリカや世界経済がこのように良くなった、などという様子は全く見えません。

 日本の我慢が、世界経済お役に立っていないとすれば、何のための我慢でしょうか。