tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

引き下げを避けられない「コストとしての賃金」

2010年12月13日 10時41分53秒 | 経済
 前回「コストのドル化」ということで、ドル化できない国内の賃金コストは、国際競争力が回復出来る水準までじりじりと下がらざるを得ないと書きました。

 もちろんこれは、コストとしての賃金ですから、いわゆる「賃金水準」ではありません。
 賃金コストは生産性と賃金の関係で決まります。例えば、中国の賃金水準が日本の10分の1であっても、生産性も10分の1であれば、両者の国際競争力はチャラです。

 しかし例えば、中国の賃金が日本の10分の1で、日本企業が工場を建て、生産性が日本の5分の1まで追いつけば、中国のほうが圧倒的に競争力が強くなるという関係です。

 ですから、日本としては、賃金を下げるよりも、生産性を上げることでコストを下げ、競争力を回復するというのが最も望ましい方法で、そう出来れば最もよいということになります。
 しかし、その場合でも、2つほど、大きな問題があります。

 1つは、デフレで景気が悪いですから、企業は儲かりません。企業は、教育訓練費を削り、研究開発費を抑制し、新規投資も控えます。

 そうした状況の下で、思うように生産性が上がるでしょうか。長岡藩の「コメ100俵」の故事は有名ですが、現実には、教育訓練費は削られ、現場力の低下、管理者の管理能力の低下などで、作業事故、メンタルヘルス問題などが深刻化しました。技術開発は韓国に追い抜かれ、設備投資はやるなら海外でといった状況です。

 もう1つは、首尾よく生産性が向上できたとしても、日本経済(GDP)自体が縮小しているような状態ですから、生産性向上の分は人員削減になり、雇用が減る(失業が増える)ことになり、特に新規学卒の就職などに深刻な問題を生じるという現実があるわけです。

 こうして円高は日本経済にコストの低減を強いますが、それに成功すればするほど雇用問題の深刻化をもたらします。
 政権や政策の行方も混沌ですが、今後の日本の政権政党には、こうした問題への的確かつ具体的な、国民にとって「解りやすい」対処方針がなければならないでしょう。

 能くその方針を示しうるリーダーが日本にはいるのでしょうか。それとも無策の成り行きまかせで、日本国民は改めて「失われた数年」に苦しむことになるのでしょうか。