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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

世界の安定と発展には多様性の尊重が必要では

2013年09月02日 20時37分08秒 | 国際経済
世界の安定と発展には多様性の尊重が必要では
 生物多様性の尊重という考え方は定着して来ていると思います。野生動物の絶滅危惧種なども指定され、レッドデータブックも良く目に触れます。
 他方で外来種が入ることを警戒する動きも強いですが、これも外来種の繁殖力が強く、本来の生物多様性が失われる恐れからという事しょう。

 なぜ生物多様性が重視されるのかと問えば、生物多様性が豊かに保持されているような状態が、人間にとっても良い環境だからという答えが返ってきます。
 日本人は、その国土づくりの中で、生物多様性を促進するような知恵を多く発揮してきました。典型的な例を挙げれば、「里山」でしょう。

 人間がこうした考え方を基本的に持っているとすれば、人間が地球上の各地で作り上げてきた「文化」についても、その多様性の保持が大切だという考え方があって当然でしょう。
 例えば日本では各地の伝統文化の継承が強く意識されていますし、標準語は標準語として、方言を大事にしましょうといった動きも盛んです。

 こうした動きを敷衍していけば、日本的経営といった分野についても、その良さを生かして経営活動のあり方の1つの分野として大事にしていくという考え方があって当然でしょう。

 アメリカには戦後日本が一生懸命勉強したアメリカの経営学があります。ドイツには労使共同決定をベースにしたドイツ経営学があります。
 アメリカ経営学を学んだ日本はそれを取り入れながら日本的経営を磨き、嘗ては世界に冠たる日本的経営を作り上げました。
 ILOやOECDが、経営参加問題を国際的な研究課題とした際も、法律によらず、労使の自主的な取り組みで実績を上げる人間主体の日本方式は注目の的でした。

 所が今、経済・経営の世界は、そうした多様性を消し去り、すべて同じスタンダードで、世界を一色に塗りつぶすような方向に動いているのではないでしょうか。
 TPPについても、例外なき均質化といった目標を掲げるアメリカの意向が強く反映されている様な印象を強く受けます。

 金融の世界はすでに「付加価値を創る金融活動」から「マネーの移動を経済活動の中心に置く金融活動」にそのスタンダードを置き換えているようですが、それがもたらしているのは、今日世界が当面する「世界経済の不安定化」に外なりません。

 生物多様性が、人間を含む生物の世界の安定を確保する最善の方法であるならば、人類の文化においても、経営や経済の手法についても、多様な文化やシステムの共存を認め、多様性の共存の中から、その切磋琢磨による新たな進歩を模索、実現することが、人類の安定的な生存と発展を実現するために役立つ基本的な思考方法、そして望ましい在り方になるのではないでしょうか。

 そのためにも、人類は等しく独善を排し、共通点と同時に相違点も認め合い、多様性を尊重して、寛容で、快適な共存を可能にするような考え方を一層重視しなければならないと、このところのお互いを否定し合って争う状況を見るにつけ思う所です。


CSRとNGR

2012年11月13日 14時03分59秒 | 国際経済
CSRとNGR
 前々回、円レートの安定実現の方法について書かせて頂きましたが、今回は、そうした問題の根底にある基本的な考え方について、考えてみたいと思います。

 表題に“NGR"と書きましたが、これは私の造語で“Nation’s Global Responsibility”「国家の地球的責任」の略で、企業でいえばCSR、「企業の社会的責任」に当たる言葉です。

 企業の場合、コンプライアンス(法令順守)も言われますが、これも、法令に違反しなければ、何をしてもいいということではないと解釈されています。
 CSRは更に高次なもので、すでに十分に人口に膾炙していると思いますが、企業にCSRがあるならば、国にNGRがあって当然と考えるからです。

 世界は狭くなり、国際関係の進化(深化)、地球人類のグローバル化は急速に進み、企業にとっての社会環境と同様、国にとって、国際環境、地球環境、そして安定した相互協力関係の構築は、ますます重要なものになっていると思われます。
 だからこそ、NGRは今日、「国」が地球上の一員として存在する以上、当然保持すべき基本的な考え方、あり方を示すものと考えてほしいと思うのです。

 企業が「豊かさ・快適さ」を創造して社会に貢献することを目標とするのと同じように国も、世界人類のために、豊かさ・快適さを創造し、地球をより住みよい場所にすることを目的として活動するのでなければなりません。

 そのために先ず、自国民に安定した雇用の場と、改善する生活のための所得の機会を提供する事は、企業が雇用の安定と適正な賃金所得を従業員に提供するのと同じく、最低限の社会的責任でしょう。

 勿論、それらは企業が黒字でなければ出来ないように、国も黒字でなければなりません。赤字を垂れ流して外国から金を借り続け、それで国民に雇用や所得を提供しても、それは「グローバル」に責任を果たしていることにはなりません。

 企業が黒字であって初めて雇用や賃金を安定させ、その上に、顧客に満足を与え(CS)、取引先とはFair Tradeを行い、多様なステークホルダーズと良き関係を保ち、その上に地域社会や広く全体社会のために、より良い地球環境への努力や、多くの社会貢献が出来るのと同じように、国も、黒字であって初めて他国に迷惑をかけることなく、互いに協力・共存し、出来れば、地球全体の発展のために、地球上の開発の遅れた地域の開発に力を尽くすといった幅広い活動が可能になります。

 その意味では、日本などが途上国援助などに広く使うべき金を、世界で最も豊かな国の1つであるアメリカが借りて使ってしまい、その上、ドル安にして、悪い言葉で言えば「踏み倒す」などは、まさにNGRに反する行為になるでしょう。
 愛国無罪なども愛社無罪が通らないのと同様、NGRの視点では通らない言葉でしょう。徒に領土問題などを言挙げし、無用な対立混乱を招くなども、極めて未熟な行為です。

 CSRを国に当嵌めるNGRを基準に判断すれば、今の歪んだ、国際関係、二国間関係、さらには国内問題についても、多様な問題点が改めて浮彫りになるのではないでしょうか。
 さらにより多面的に、本気で考えてみる必要がありそうです。


日米関係に知恵を

2011年11月17日 11時31分13秒 | 国際経済
日米関係に知恵を
 マスコミによれば、TPP参加問題を巡って、日米関係のきわどい面が露出してきたような印象を受けます。

 アメリカ側は、野田総理が、全ての物品、サービスを貿易自由化交渉のテーブルにのせるという意味の発言をしたといい、野田総理は、そんなことは言っていないと否定し、マスコミは野田総理は二枚舌などと書いています。

 客観情勢を見れば、アメリカは来年の大統領選挙を控え、オバマさんも大変でしょうし、また、日本の民主党政権がアメリカに対してどんな対応をするのかよくわからないこともあって、まずは最初が肝心と圧力を掛け続けるという面もあるのでしょう。

 一方日本にしてみれば、未曽有の天災があり、その上に原発問題が重なり、対米では、民主党になってからこじれた普天間問題を引きずり、何よりも、1$=¥75という超円高で、円高の恐ろしさが国民にしみわたり、消費税増税問題も絡んで、日本経済の先行きが全く見えないというどん詰まり状態にあります。

 さらに60兆ドルなどといわれる国際マネーマーケットの動向は、儲けのチャンスとばかりヨーロッパの国々を順次血祭りに上げ、当面円高を演出しながら、もし日本が行き詰まったら円売りで大儲けしようと、まさに虎視眈々といった気配が感じられます。

 さて、国際的に「力ずく」では争わないことを決めている日本です。この難局をどう切り抜けていくべきでしょうか。基本は日米、さらには日中の関係でしょう。
 個人間の問題でも基本は同じでしょう。力ずくでは争わないことをきめている(争ったら負けるに決まっている)子供が、力の最も強い子供と、どうしたら対等に付き合っていけるのかと同じで、これには「知恵を絞る」しかありません。

 アメリカが(たぶん中国も)強硬なのは、やはり焦りがあるからでしょう。焦りの背景には、何か弱みがあるというのが通常の図柄です。
 日本は、自分が争わないだけではなく、他国も争わないように、どうすれば出来るかまで含めて知恵を絞ることを求められるようです。

 日本人は、自分できちんとやることは得手ですが、それを他人まで広めることは下手なようです。戦後60余年、日本は良いことをやってきていると思います。その自信に立って、みんなで知恵を絞りましょう。


問題は実体経済

2011年08月09日 15時19分03秒 | 国際経済
問題は実体経済
 週明けの昨日(8月8日)、東京市場が開く前にと、緊急に、電話によるG7が開かれました。電話会議は2時間に及んだそうで、その結果、金融市場の機能や金融の安定のために各国は共同行動をとることで一致したという事でした。
 特に為替市場での行動に関しては緊密に協議、適切に協力するということで、日本にとって問題な過度な円高に対しても、多少は期待できそうな報告がありました。

 アメリカ経済がどうにもならなくなるんではないかといった不安が、いよいよ大きくなってきた状態では、G7も「まず協調しなければ」ということになったのでしょう。
 しかし本来が、「協調」と同じ言葉は使っても中身は違う同床異夢の国々のことですから、これで過度な円高が抑えられるなどと単純に考えないほうがいいのでしょう。具体的にいって、「過度の円高」の意味するところは日、米、欧それぞれに、だいぶ違うのではないでしょうか。

 結局、昨日から今日にかけて、いずこの株も暴落、円高、ドル安はじりじりで、マスコミも「G7の効果に限界」と疑問を投げかけています。

 こんな結果に終わるのもある意味では当然でしょう。今回の問題の原因は、「アメリカの赤字が改善しないのでは」とか「ギリシャなどへのEUの支援が効果があるだろうか」といった不信不安を多くの関係者が持っているということにあるのです。
 問題はこうした国々の実体経済にあるわけですから、金融で協調して見せても、本当の問題は何も解決しないのだからと国際投機資本だって読んでいるでしょう。せいぜい「少しの間G7の顔を立てるか」程度でしょう。

 こんな国際経済になり、国際経済政策になってしまっているのも、実体経済の健全化をなおざりにして、なんでも金融に頼む風潮 を作り、金融の過度な自由化を促進して、マネー資本主義 や巨大な国際投機資本という「鬼子」を生み、金融だけが経済学といった状況を創り出した「国や人びと」にあるのでしょう。

 矢張り必要なのは、実体経済を良くするための、実体経済を対象にした、本当の経済学、経済政策の復権かもしれません。
 日本は種々問題を持ちながらも、その意味では、極めて真面目にやっている優等生でしょう。だからこそ円高で追い詰められるのですが、G7で日本は、「アメリカもギリシャも、日本のようにやれば、こんな国際経済の混乱は起こりませんよ」ぐらい言ってやった方がいいのではないでしょうか。
 
 忘れ去られている実体経済政策についても、また考えてみたいと思います。


単独介入と日本経済

2011年08月05日 15時14分53秒 | 国際経済
単独介入と日本経済
 国際投機筋の円の思惑買いで円レートは史上最高値の$1=¥76.25を更新しそうということで、日銀は思いきった単独介入に踏み切ったようです。単独介入の効果は限定的といった意見も多いようですが、日本が、とめどない円高に対して、はっきりとした意思表示をしたという事は大変有意義だと思います。

 マスコミなどの報道姿勢も変わってきました。この所は次第に円高に無関心ではなくなり、「歴史的円高」などという言葉も使われ始めました。
 リーマンショックで一気に$1=¥120から$1=¥80になった時、この円高は日本経済の致命傷 になりかねないとの危機感を持っていたら、もっと良かったのかもしれませんが、まだその頃は「マーケットは正しい」などという意識があったのでしょうか。

 今回は、$1=¥80から僅か3~4円の円高ですが、口や鼻まで水が来ていておぼれる寸前ですから、ほんの少し水位が上がっても、いよいよ大変という事かもしれません。
 特に今回、日本は大震災に見舞われ、原発問題が起こり、災害からの復旧資金、東京電力の賠償金の負担も含めて巨大な財政支出を必要としています。国債発行か増税かでもめていますが、結局はこれらはすべて国民が負担することになるわけですから、日本は黒字国だからデフォルトは心配ないともいってもいられない状況です。

 それでも今、円高が進むという事は、
「日本政府は国民に耐乏生活を求め、国民はそれにしたがって、生活を切り詰め、国債を買うか、増税を認めるかできちんと対応し、必要な資金は国民が自分で出す。アメリカのように赤字国になって外国からのカネをあてにしたり、どこかの国のように増税反対の暴動などはしない。だから円を買っておけば、安心なのだ、というのが、いわゆる「消去法による円高」という事の意味なのです。

 日本人の真面目さを逆手にとって、収益を確保しようと為替売買をする国際投機資本の行動原理を「黙認しない」という意思表示が、今回の単独介入の最大の意味だと思います。

 マスコミなどの円高解説 も、「円高で輸出産業は打撃だが、海外旅行や輸入品は安くなってメリットもある」などというのはやめて、「海外旅行や輸入品が有利になれば、国内旅行や国産品はその分売れなくなり、国内の仕事は減って、雇用も賃金も減ることになり、何もいいことはない。」とはっきり書いたらどうでしょうか。

 世界経済がこうした事になってしまったのも、基軸通貨国が万年赤字で、金融操作でそれを穴埋めして景気を維持し、世界がそれに頼る、といった歪んだ世界経済を作り、赤字国が居直って、黒字国が、助けるのが当然といった雰囲気を作ってしまったことによるのです。
 真に問われるのはアメリカの対応です。


米政府債務上限引き上げの意味

2011年08月01日 17時34分19秒 | 国際経済
米政府債務上限引き上げの意味
 今日の午前中に、米国ではオバマ大統領が、米政府と民主、共和両党の合意が成立し、「10年間で1兆ドル規模の歳出削減を条件に、13年までに債務上限を少なくとも2.1兆ドル引き上げる権限を大統領に与えることになった」、と発表しました。その後更に1.5兆ドルの歳出削減も話し合うのだそうです。

 米国の財政赤字は毎年ほぼ1兆ドルですから、これでオバマ大統領の任期中は何とか米国債のデフォルトは避けられたということで、アメリカ経済も世界経済も一安心、という筋書きになるのでしょうが、「茶会の反対で」などと言われたアメリカ議会のやり取りも、当面の(ボストン湾の)お茶を濁すだけの茶番のように見えて仕方ありません。

 10年で1兆ドルの歳出削減では年に1千億ドルの削減ですから、順調にいっても、年々、9千億ドル、8千億ドルと赤字は積みあがっていきます。何かあれば(例えばリーマン・ショック)、それも不可能になるでしょう。

 もともと誇り高いアメリカが、デフォルトなどは絶対に避けることは誰しも予測できたでしょうし、同時に、だからといって、本気になって、世界の大問題であるアメリカ経済の本格的な建て直しなどやる気はないことも見え見えですから、時間ぎりぎりで、当面の弥縫策に落ち着くことになるのだろうと誰もが読んでいたのではないしょうか。

 世界経済に悪影響を与えずに、時間をかけてアメリカ経済を健全なものにするのが最善の道といった理屈はあるでしょう。しかし我が侭な大衆国家アメリカにそんな芸当が出来るとも思えません。今までの 赤字・借金生活(経済)の繰り返しで終わることは目に見えています。

 「銀行がカネさえ貸してくれれば、ウチの会社は倒産しません」と胸を張る会社の社債の格付けがAAAであっても(米国債はまだAAA ですよね)、まともな経済行為としてその会社に金を貸す(米国債を購入する)人がいるでしょうか。

 日本の国や銀行が米国債を買ってもいいかと国民に聞いたら、国民は多分「ダメ」というでしょう。円高で損ばかりしてきているのですから当然です。他にどこの国が買うでしょうか。アメリカ自体は経常赤字の国ですから、アメリカ国民には買うカネはありません。中央銀行引き受けなら、破滅を早めるだけです。

 こんなことを繰り返しながら、アメリカが経済覇権国から、ドルが基軸通貨の座からずり落ちていくのでしょうか。世界経済史の進行の一幕が通り過ぎたような気がしています。


ガイトナー財務長官の発言

2011年03月23日 12時44分53秒 | 国際経済
ガイトナー財務長官の発言
 今回の大震災の発生後、投機筋の思惑が先行して円高が進行する中で、アメリカのガイトナー財務長官は、上院の委員会で、
「日本政府の復興費用や、保険会社の保険金支払いのために、米国債の売却が進むか」との質問に、
「そうは思わない」と答えたのをユーチューブで見ました。その説明として、「日本は、ベリー リッチ カントリーだ」といい、さらに、「日本の貯蓄率は高く、復興の力はある」といっています。

 投機筋の思惑で円高が進む中では、これは日本から見ても、大変適切な発言で、その後の協調介入を受けて円高は一応の落ち着きを見せました。

 円高の落ち着きは、22日の東証株価の大幅高にも繋がったのでしょうが、こうしたアメリカ国内のやり取りの中から、アメリカが何を考えているかが何となく読み取れるような気もします。

 「日本が米国債を売ったらどうする(どうなる)」という質問は、投機筋の思惑による円高進展の中で、アメリカが感じる危険を踏まえた、財務長官に対する突っ込みでしょう。

 財務長官として、即座にそれを否定したのですが、「多少売るかもしれないが、問題ない」というのではなくて、「売ることはない」と明言しなければならなかったという事は、日本による米国債の売却は、アメリカにとって、「大変な問題だ」と認識されていることを実感させます。

 そしてその理由として、アメリカ主要格付け会社が揃って日本国債の格付けを下げているにも拘らず、あえて「日本は大金持ちだ」と説明し、さらに「貯蓄率が高い(経常黒字が大幅 )」と指摘し、災害の再建はアメリカ国債を売らなくてもやれる」と言い張っているわけです。

 輻輳する日米経済関係の中で、こうした発言の中から、アメリカが日本との相互の財政の関係のあり方をどう考えているのか、確りと読み取っておくことも、日米関係の今後を考える上で、大事ではないかなどと何となく感じた一幕だったように思います。


国際投機資本の跳梁阻止を

2011年03月17日 10時12分27秒 | 国際経済
国際投機資本の跳梁阻止を
 円が一時1ドル76円台をつけたというニュースが入りました。現在は78円台のようですが、日本の災害状況の行く方次第では円高の進展は予断を許しません。これは容易ならざることです。

 日本国内がこのような巨大災害に見舞われ、その影響が原発に及ぶという世界が憂慮する重大な問題が発生し、多くの国々が、緊急援助の暖かい手を差し伸べている中で、円高を演出する「国際投機資本」は一体何を考えているのでしょうか。

 彼らの意識は「この危機を利用して、最大限の利益(キャピタルゲイン)を挙げたい」ということだけなのでしょう。まさに「資本の本能」丸出しです。
 その結果、日本の災害対応、経済復興にいかなる影響があるか、国際的な援助にどのようなマイナスの影響があるかといった問題は、彼らの頭の片隅にすらないのでしょう。

 金、かね、カネ。 金のためなら、実体経済、人々の生活、人間の善意などに関心など払っていられない、というい国際投機資本の本性が、こうした危機的な時にこそはっきりと示されます。

 そうした者の跳梁跋扈を黙って許すことは、経済面の政策当局としては、決してすべきでないでしょう。日銀は徹底した金融緩和策を取っていますが、政策当局には市場介入から、為替制限まで、とりうる手段はいろいろあります。IMFやG20 がやるべきだと言いながらなかなか出来ない金融規制ですが、こうした原因・結果とその悪影響が目の当たりに見えるときこそ「資本主義の鬼子 」への本格的な対応を考えるチャンスではないでしょうか。

 日本人の中にすら、片方で巨大災害に心を痛めながら、片方でこうした国際投機資本の掌に載せられ、マネーの信用取引の手を染めている人もいるはずです。

 円高の問題は、プラザ合意以降の経験 から学んだように、日本人すべてに降りかかってくる「経済的災害 」です。しかもその対応には極めて長期の時間と、経済的、社会的な大きな犠牲を要します。
 政策当局に早期かつ賢明な対応を望むや切です。


パリG20、日本は行動で進路を示せ

2011年02月21日 15時02分52秒 | 国際経済
パリG20、日本は行動で進路を示せ
 今回のパリでのG20は、慶州の後を受けて、国際経済バランスの問題が中心だったようで、コミュニケを見ますと、G20が本来取るべき方向が、次第にはっきりしていたように思われます。

 先ず為替レートは経済のファンダメンタルズをよりよく反映するものにすべきと書かれています。不均衡是正のために評価すべき経済指標については、経常収支の不均衡を持続可能な水準に縮小すること(各国の協力で)の重視が必要と書き込まれています。
 目標ではないが、ガイドラインを設けるべき指標として、財政の不均衡、民間資産負債の不均衡、貿易、投資、移転収支などの対外不均衡についても為替レート、財政、金融、その他の政策を考慮し活用する、などとも書いてあります。

 後のほうには、FSB(フィナンシャル スタビリティー ボード)の役割のところで、金融機関の健全性確保のための規制強化も書いてありますが、これにはどうも違和感を覚えました。本来、実体経済とかけ離れた投機資本の規制を考えるべきFSB が、そうした行き過ぎた投機を前提にして金融機関の健全性の方を先に考えるのは本末転倒としか思えません。

 大体こうした国際会議の纏めの文書は解りにくいのが普通ですが(特に意見のまとまらないときは)、中で大事なことを見ていけば、
・ 為替レートはファンダメンタルズを反映したものにすべき
・ 経常収支の不均衡を持続可能な水準に
といったあたりで、その他はいろいろな意見を形だけ盛り込むか削るかと言った駆け引きの結果でしょう。

 ところで、日本代表が席上いかなる発言をしたかはわかりませんが、世界の為替や金融問題に対しては、日本は大いに発言し、貢献できるのではないでしょうか。
 先ず世界で最も為替を切り上げ(させられ)ているのは日本です。それも、ファンダメンタルズとかけ離れた大幅切り上げで、世界で唯一、本格的長期デフレを経験しています。

 また日本は、常に真面目にモノづくりをし、実体経済を中心に経済政策を考え、技術移転を中心に世界の実体経済の発展に貢献してきています。
 そのモノづくり、技術開発、その基礎をなす教育や産業訓練が、円高による日本経済の疲弊で困難になり、世界経済社会の発展への貢献が思うに任せない状態になっているのです。

 こうした日本の現状を確り説明する事で、中国も安心でき、アメリカも他国への理解と 基軸通貨国としての自覚を持つような、単に相互の利害でやりあうのではない、世界経済の安定と発展に貢献するという目的を共有する「より良い選択肢」を示すことができるはずです。

 そうした説明、そして説得をより効果あるものにするためにも、日本は率先して万年経常黒字を是正することが必要でしょう。


財政政策に舵を切るアメリカ

2010年12月19日 13時55分21秒 | 国際経済
財政政策に舵を切るアメリカ
 昨日の新聞は一斉にオバマ大統領がブッシュ減税の2年間の延長に署名、法律が成立したことを報じています。民主党政権のアメリカが改めて積極財政政策に舵を切ったことについては、注目の要ありでしょう。

 もともと「100年に1度の不況」などと言われた今回の不況は、アメリカが長期に亘って財政赤字と経常赤字、いわゆる「双子の赤字」を垂れ流した結果です。最終的にそのファイナンスに行き詰まって、サブプライムローンを証券化し、世界に売りさばいたことが直接の原因でした。

 不良債権化したサブプライムローンは、世界の銀行のバランスシートに大きな穴 を空け、金融恐慌が引き金になって、実体経済が大打撃という経緯は、記憶に新しいことと思います。
 主要国が機動的な金融の超緩和策を取り、かつての世界恐慌のときのような失敗をしなかったということで、金融政策に対しては、それなりの評価が与えられえたという事でしょうか。

 金融を経済の血液に例えるなら、今回の金融政策は大量の輸血のようなものでしょう。輸血で貧血は治っても、その後の体力回復には、体が「食物摂取と心身の活動のバランスを回復する」という健康な循環 を取り戻さなければなりません。そのためには適切なリハビリが必要です。

 アメリカ経済はきちんとしてリハビリをやって、健康を取り戻したのでしょうか。どう見てもそこまでいっていないように思えるのですがどうでしょうか。
 クリスマス商戦は好調といっても、雇用は低迷(失業率9.6%)、所得は思うように増えず、経常赤字なのに日本型デフレが心配されたりといった状態です。

 そこで、早く元気になるために「栄養剤を打ちましょう」というのが今回の財政出動でしょうか。もともと栄養剤の打ち過ぎ(財政赤字の積み重ね)で、基礎体力が弱ってしまっていたアメリカ経済です。改めて、財政赤字増大懸念の声も少なくありません(減税延長に対する民主党の反対票112票)。
中間選挙で大敗したせいでしょうか、オバマ大統領は財政健全化路線を変え、従来のキリギリス 型路線の継続を選択したようです。

 アメリカは国内だけでなく世界中からいろいろなことを期待されています。アメリカなりの、国内にも、国際問題にも対応するための、やむを得ない判断という事なのでしょう。
 しかし、アメリカ経済としては、これは、いつか来た道の繰り返しにつながることは明らかなように思われてなりません。杞憂ならよいのですが。


コストのドル化

2010年12月11日 11時47分34秒 | 国際経済
コストのドル化
 これは、プラザ合意による円高後に、日本のフラッグキャリアともいうべき海運会社のトップの方が仰言っておられた言葉です。

 具体的にいえば、あらゆる調達コストを出来るだけドルで払うものにしていく、燃料動力などはもちろんだが、食材ややその他の資材も含めあらゆるコストのうち何パーセントをドルで支払っているかで国際競争力が決まってくる。もちろん、日本人船員を使っていたのでは、国際競争の中でペイしない、アジアなど、コストの安い国の船員を使っていかないとコストのドル化は出来ない。
 これは私なりの解釈ですが、多分仰言っていたのはこういう事だろうと思います。

 考えてみれば、円高というのは、極めて単純に円で払うコストは円高分だけ高くなるということですから、国際競争という面から考えれば、コストのうちドルで払う分が多くなれば多くなるほど、円高の影響(コスト高)が回避できるということになります。

 航空会社などは全く同じことがいえると思いますが、そうでなくても、国際競争力が物をいう分野では基本的には同じでしょう。
 生産拠点をアジアに移すというのは、$1=¥80の円高で、今後決定的に進むと思いますが、これも基本的には同じ発想によるものでしょう。

 問題は国内産業で、日本国内でもの買い、人間を雇う限り、コストのドル化は出来ません。国内で外国人を雇っても、原則内国民待遇で、最低賃金も政府主導で、円高に関係なく、毎年かなり上がっています。

 こうして円高で発生した内外価格差の是正は容易ではありません。国際比較して高い日本の物価が国際価格並みになるまでデフレが続くわけです。
 日本経済の最大のコスト(国民所得の7割強)は人件費ですから、人件費も結果的にじりじり下がることになります。

 $1=¥80で、日本の物価水準が国際比較して高くなくなる、具体的には、外国旅行して「外国の物価も日本と変わらないな」と感じられるようになるまでに、どのくらいの期間がかかるでしょうか。日本の物価の下がり具合、外国のインフレの進み具合によって変わりますが、何年かはかかるでしょう。
 その間デフレを覚悟しなければならないのが、今の日本経済の置かれた状態です。


アメリカのクリスマス商戦の見方

2010年12月08日 11時47分44秒 | 国際経済
アメリカのクリスマス商戦の見方
 経済ニュースでアメリカのクリスマス商戦が取り上げられています。
 先日はアメリカの 雇用統計が発表され、失業率は若干の悪化だったのですが、市場にはあまりマイナスの影響は見られず、一安心といった雰囲気の反応が多かったように見受けられました。

 事ほど左様に、アメリカの景気が良くなって欲しいと思っている人は多いようですが、クリスマス商戦も滑り出し好調のようで、ご同慶のいたりです。

 アメリカのクリスマス商戦は、1ヶ月ほどの間に、年間小売売上の20~25パーセントを売り上げるという比重の大きさですから、消費の動向がアメリカ経済を占う指標と考えれば、矢張り注目に値するということでしょう。

 ニュースの中で、買い物客が、「使い過ぎないようにクレジットカードを使わないようにしている」というコメントをしているのがありました。
「デビットカードを使っているんだ。これだとお金を預けただけしか使えないから、買いすぎてしまう心配はないからね。」ということです。

 デビットカードは、日本のキャッシュカードをお店で使うようなもので、使った分は即時決済ですから、預金残高がなくなれば、それ以上は買えないわけで、クレジットカードのように使いすぎることはありません。

 バブルで値上がりする住宅を担保にして、クレジットカードを使い、収入以上の支出をしていたアメリカ人が、住宅バブルの崩壊で、いやおうなしに堅実な生活を迫られているとすれば、それは、アメリカ経済の健全化に大変結構なことといえます。

 ところで、アメリカ人がみんなデビットカードを使うような堅実な生活になったら、多分クリスマス商戦は、かつてのような盛り上がりはないでしょう。それではアメリカのクリスマス商戦の盛り上がりを期待している人たちには残念かもしれません。

 ということで、アメリカのクリスマス商戦が盛り上がれば、アメリカの景気回復で世界経済にプラスと単純に考えるか、アメリカ人が 健全な生活に戻って、アメリカ経済が過剰消費体質から脱却することが、アメリカ経済の健全化、世界経済の安定への道と考えるか、アメリカ経済が世界経済に大きな影響を持つだけに、確り考え、確り観察していく必要があるようです。


我慢は美徳か

2010年12月04日 16時25分01秒 | 国際経済
我慢は美徳か
 日本人は我慢強いといわれます。我慢強いことは昔から、美徳のように思われているのも事実です。戦中派ですと「欲しがりませ、勝つまでは」などという標語を思い出します。

 「我慢強い」というのはどういう事でしょうか。どういう場合に、「我慢強い」ことが美徳とされるのでしょうか。その辺りを考えてみると結構難しい問題です。

 寒い時にコートを着ずに我慢して風邪を引いてしまったとか、風邪を引いているのに、我慢して会社に出勤して仕事を続け、仲間に風邪をうつしただけでなく、自分の風邪もひどくなって、結局一週間近く会社を休むことになったとか、といった場合には「我慢強い」というより、単なる「やせ我慢」で無鉄砲とか無思慮ということになるのでしょう。

 相手に悪口雑言を言われても、場合によっては暴力を振るわれても、カッとならずに我慢して、全体を丸く納めるとか、上司に「どうしても」と頼まれて、自分が少し我慢をすればいいのだと腹をくくり、「解りました」と残業をやって、プロジェクトの早期達成に貢献するといった場合の我慢強さは美徳といえるのかもしれません。

 丁度1年前、「貯蓄は美徳か 」というテーマでも書きましたが、貯蓄とか我慢が美徳といえるためには、その貯蓄とか我慢をしたことが、周囲、あるいは社会全体にとってトータルとしてプラス効果を持ち、同時に、何らかの意味で、本人にも長い目でプラスになるといった条件が必要でしょう。

 ところで、今、日本は、国際経済環境の中で、大変な我慢を続けています。頑張って生産性を高め、高齢化の進捗の中で将来のために貯蓄をすると、そのたびに円高になり、生産性の向上の成果は享受出来ず、貯蓄は目減りして、さらなる我慢と努力を強いられます。

 日本人は文句を言いませんが、円高になるたびに就職氷河期になり、多くの若者はまともな仕事に就けず、雇用、所得のチャンスも失われ、社会人としての訓練の機会が失われ、社会が次第に劣化していきます。
 外からはこうした様子は理解されず、国際投機資本からは日本は相変わらず黒字国で、競争力も強いのだから、もっと円高にしても大丈夫だろうと思われているようです。

 先ほどの我慢の定義からすれば、日本の我慢で世界経済が救われているのなら、それは世界から評価される我慢でしょう。しかし実績から見れば、日本の我慢のおかげで、円高を強いるアメリカや世界経済がこのように良くなった、などという様子は全く見えません。

 日本の我慢が、世界経済お役に立っていないとすれば、何のための我慢でしょうか。


基軸通貨国の責任

2010年11月23日 16時41分45秒 | 国際経済
基軸通貨国の責任
 ブレトンウッズ体制のリーダーシップを取ったアメリカは、第二次大戦後その経済力の強さからイギリスに代わって基軸通貨国になりました。
 基軸通貨国の通貨は、世界の国際取引の共通の価値となるわけですから、アメリカ通貨当局は、いわば世界の中央銀行のように、基軸通貨の価値を常に安定させる努力が要請されるのは当然です。

 基軸通貨の価値が揺らいだのでは、国際取引の安定は確保できません。一国の問題に例えて言えば、例えば円の価値がインフレで目減りする状態ということですから、これは、マネーポリューション(通貨の汚染)で、中央銀行と政府は協力してインフレを抑制し、通貨価値を安定させるようインフレの原因を究明し、対策を打たなければなりません。

 世界中の国際取引の共通価値であるべきドルという基軸通貨を持つ国、アメリカは、当然自国の経済運営を節度あるものにし、ドルの下落を防がなければならないはずでした。
 具体的にいえば、放漫な経済・財政政策を改める一方、生産性を高め、国内インフレを防除して、浪費癖を改め、経常収支の赤字を是正し、黒字化の努力をするというのが常道でしょう。

 真面目に考えれば、これこそがアメリカの取るべき道だったのですが、こうした対応についてはアメリカは1970年以降も全く不十分な政策しかしてきていません。もちろん言い訳になるような理由はいろいろあるでしょう。
 しかしアメリカは、その後もいわゆる双子の赤字を垂れ流しながら、金融という手段によって、黒字国からのファイナンス で「キャッシュプロー」、いわば資金繰りの辻褄さえ合わせればそれでいいという経済運営の方法に傾斜していったわけです。

 基軸通貨の価値の下落から起こる問題は変動相場制の常識化で乗り切り、取引上の問題はヘッジ切り抜け、多様な金融工学を発展させ、巨大なレバレッジを使って経常赤字のファイナンスを可能にし、資本主義経済に「マネー資本主義」といいう鬼子を生ませることになりました。

 コツコツと真面目に働く国に対しては、「働き中毒」「やり過ぎで世界に迷惑をかける困った国」というレッテルを貼り、努力して働いた結果を無にする方法「為替レートの切り上げ」を強要し、そうした政策を経済の常識として世界に定着させるといった方法を取ってきました。

 かつて、世界の三大神学者の1人といわれたエミール・ブルンナーは、1950年代に日本で「社会における正義と自由」という連続講義を行い、行き過ぎた平等と共に、行き過ぎた自由を問題にしました。今我々は「経済における正義と自由」といいう問題を本格的に取り上げる必要があるのではないでしょうか。


懐かしきブレトンウッズ体制

2010年11月20日 16時09分40秒 | 国際経済
懐かしきブレトンウッズ体制
 半ば忘れられつつあるのかもしれませんが、1944年、第二次大戦の終了の直前、連合国側はアメリカはニューハンプシャー州のブレトンウッズに集まり、戦後の経済体制を検討しました。

 そこで固められたのが、GATT(今のWTO)とIMF,さらに世界銀行というシステムを使って、世界の各国々が、公正なルールの中で、互いに切磋琢磨して経済発展できるような、よき世界経済体制を作ろうという理想に燃えたブレトンウッズ協定でした。

 第二次世界大戦は、世界中に大きな惨禍をもたらしました。そうした深刻な戦争の原因が、為替切り下げ競争に代表されるような、自国本位の、当時使われた言葉でいえば近隣窮乏化策によるところが大きいと考えられていたわけです。
 人類は大きな惨禍を経験すると、素直に真面目に反省し、真摯に考えるようになり、正しい、良い結論を出すようです。

 ベンジャミン・フランクリンではありませんが、世の中は、真面目にコツコツと働いたものが、きちんと良い結果にありつけるというのが正常な状態で、基本的にはそうした原則が貫徹するのが最もいい社会でしょう。
  ドルが 「1オンスー35ドル」という形で金にリンクし、為替の固定相場制をとるこのブレトンウッズ体制は、まさにそれを目指して設計されたものだったわけです。

 もちろん人間社会のことですから、国レベルでも、事、志と反することもあり、失敗することもあります。そうした場合には、IMFや世銀が、救済の手を差し伸べると同時に、その国の経済を健全なものに戻すための指導監督をすることになります。

  このブレトンウッズ体制は、1960年代までは極めて効果的に働き、戦後世界の急速な経済回復と発展をもたらしたと評価されています。
 当時日本でも、GATT加盟(1955年実現)、IMF8条国移行(1964年実現)は「坂の上の雲」のような目標であり政界、経済界の相言葉だったことをご記憶の方もいらっしゃるでしょう。

 しかし残念ながら、戦後25年経った1971年にこの体制は崩壊します。それは、戦後、「バターも大砲も」といわれた巨大な経済力を持ち、国際収支大幅黒字国だったアメリカがその放漫な経済運営から赤字国に転落したことによります。
 いわば「言いだしっぺ」で「リーダーシップ」を取っていたアメリカが、健全経済のルートを踏み外したわけで、ドルの金兌換の停止、その後のドル下落 がここから始まることになった1971年の「ニクソンショック」という事態の発生です。

 コツコツと真面目に働く日本にとっては苦難の予兆でした。