Altered Notes

Something New.

夢の国の踊り手たち

2024-02-18 11:20:00 | 芸能

最近、「夢の国」ことTDLやTDSのダンサーが話題になっている。しかも特定のショーステージに出演するダンサーさんのみ、と言ってもいいくらいピンポイントのようだ。

TDLの入口から入ってワールドバザールを抜けて左折して進むと、間もなくアドベンチャーランドに入る。すぐに見えてくるのが今で言う「シアターオーリンズ」というショーステージの会場だ。昔(2000年まで)は「アドベンチャーランドステージ」と呼ばれた所である。ここで開催されているショーは2024年2月現在で「ジャンボリミッキー!」だ。

この「ジャンボリミッキー!」に出演する男女各一人ずつのダンサーが人気のようである。元々のターゲットは幼い子どもたちだが、実際に集っている多くはダンサー目当ての大人が多いようだ。お母さん世代はお兄さんダンサー目当て、お父さん世代はお姉さんダンサー目当て、という具合である。最近だと特に 林祐衣さん という女性ダンサーがSNS上で話題になっているようだ。TDLのダンサーは本来全員が名前を出さない扱い(主役はミッキー等のキャラクターだから)であり、ここまでダンサーの名前が一般に知れ渡る現象はまさにネット社会故なのであろう。

筆者がTDLに行っていたのは30年以上前で、まだTDSが無かった時代(インターネットも無かった。せいぜいパソコン通信(*1)くらいで、携帯電話が普及し始めた頃)だが、それ以来はご無沙汰である。(*1a) だが、ダンサーのTDL内での扱いやシステムについては基本的には変わっていないであろうという前提で記してゆく。なお、当時から「ダンサーオタク」なゲスト(客)たちは一定数居た。結局魅力的な人(ダンサー)は多くの人々を引き寄せる力がある、ということであり、これは人間の本能的な機能故であろう。(*2)

当時も今の林祐衣さんのようにダンサーオタク界隈では顔も名前もよく知られたダンサーさんは複数居た。だが、当時は今のようなインターネットが無かったので、その情報が社会に広く知られる機会が無かったのである。

30年前、今のシアターオーリンズはアドベンチャーランドステージと呼ばれており、上演されていたショーは「アドベンチャーランドレビュー」である。ダンサーの人数も多かった。この「~レビュー」の時代は長かった。筆者が見ていた期間は、「レビュー」に始まり、それが終了した後に上演された「セバスチャンのカリビアンカーニバル」迄である。

現在ではショーステージを鑑賞するにもスマホでいちいち予約を取らねばならず、しかもTDL側が座席を指定してしまうので自分が陣取りたい希望の場所が取れる訳ではない。しかし、「~レビュー」の当時は客席に関する規定はあまり無く、見たい人は開園時刻前に会場へ行って、開場したら客席に入って好きな場所に座る、というそれだけだったのである。なので、ビデオや写真を撮影したい人々は概ね好きな場所に陣取ることができたのだ。撮影となると、どうしても「この場所から撮りたい」「このアングルから撮りたい」、という希望が出てくるのは当然のことである。ダンサー中心に撮りたい人は最前列で撮影し、ショー全体を撮影したい場合は最後列の一段高い場所に腰掛けて撮る、という具合だった。

昔は年間パスポートも今ほど高価ではなかったので、頻繁に「インパーク」、つまりTDLに行く(入る)人は皆、年パスを持っており、それで足繁くショーステージに通ったものである。だいたいダンサーオタクな人は、いわゆるアトラクション等への関心は低く、パーク内にあるいくつかのショーステージやパレード(昼のデイパレード(Dパレ)と夜のEパレ)を連続的に鑑賞し、それで満足して帰途につく…概ねそんな感じだったのではなかろうか。

余談だが、筆者は音楽に関心が強いので、パークのショーを鑑賞して最初に感心したのは音楽のレベルの高さである。例えば、ショーベース2000(トゥモローランド)で上演されていた「ワンマンズドリーム」のオーケストラのアレンジやサウンドは、どこか日本人離れした洗練さが感じられ、最初に聴いた時には感激したものだ。調べてみると、当時のTDLの音楽監督は 新井”チャンピオン”英治氏(チャンピオンはニックネーム) である。彼はジャズのトロンボーン奏者で作曲・編曲もこなす。スタジオミュージシャンとしても有名な人である。それでTDLのショー音楽のレベルの高さに納得がいったものである。

ダンサーの話に戻る。

そもそもTDLダンサーと言ってもカテゴリーがある。現在はどうか知らないが、30年ほど前は最も上位に位置するダンサーはSED(エス・イー・ディー)と呼ばれていた。Special Event Dancer(スペシャル・イベント・ダンサー)」という位置づけである。白雪姫やシンデレラ等を演じる外国人ダンサーもこれに含まれる。それに加えて特にパフォーマンスに優れた日本人ダンサーが数名居た。中央の円形部分をプラザと呼ぶが、そこから東側(キャッスルに向かって左)にちょこっと入った場所に小さなステージがあり、毎晩20時過ぎにジャズのビッグバンド演奏(スイングジャズ)とダンサーの舞踊が鑑賞できたのだが、ここで踊るダンサーがSEDの日本人メンバーだった。ちなみにパーク名物である花火はこのジャズ演奏+舞踊が終わった直後からライトショー(当時は「スターライトファンタジー」と称するショー)がスタートして、やがて花火が上がる…そんな時間設定になっていた。

SEDはもう一つ担当部署がある。上述のショーベース2000で上演されていた「ワンマンズ・ドリーム」である。ここでも多数のダンサーが出演するが、メインで登場するのがSEDであった。もちろんパレードにも出演する。

ショーステージはいくつかあり、上述のウェスタンランドのステージ以外にもファンタジーランドステージでは「イッツ・ア・ミュージカル・ワールド」という各国のミュージカルやダンスを集めてお見せするエンターテインメントがあったし、ウェスタンランドにはビッグサンダーマウンテンの横でマークトウェイン号が浮かぶ大きな川のそばでもあった場所にラッキーナゲットカフェというウェスタン風のカフェがあり、そこのステージでは「ラッキーナゲット・ホーダウン」だったと思うが、西部劇的なモチーフをベースにしたダンスショーが上演されていたように記憶している。また、アドベンチャーランドに近い場所には「ダイヤモンドホースシューレビュー」というアメリカ西部の昔を感じさせるショーもあった。このステージ会場では確か飲食もできたと記憶している。建屋自体が昔の西部劇に出てくるようなデザインだった。このステージで昼間にやっていたショーは名称は忘れたが、ボードビリアンのような専任の人がメインのコメディ的なショーであった。ダンサーも出ていたと思う。

この他にもクリスマス等の季節や節目の時(年に2~3回ほど)に、シンデレラ城前に特設ステージを組んで行う大規模なショー(「キャッスル・ショー」と呼ばれていた)があり、そこにSEDをはじめ、多数のダンサーが出演していた。

各ショーステージに出演するダンサーはDパレ(デイパレード / 昼のパレード)にも出演する。これらのシフトは様々で、ステージに出演しているその日のパレード兼任の場合もあれば、パレードに出演する日はステージは休みとなるなど、各種のシフトが存在する。だから、ショーステージで馴染みになったダンサーをパレードの中に発見する場合も多々あるのである。

ディズニーダンサーのヒエラルキーで最も下に位置するのがパレードにのみ出演するパレードダンサーである。これは特定のショーステージ等には出演せず、パレードのみを担当する。

また、ステージ以外でもパーク内の色々な場所に突如出現してゲスト(客)と同じ場所でパフォーマンスするグループもいくつかあった。大体は吹奏楽のバンド+ダンサーの組み合わせであり、ウェスタンランド、トゥモローランドなどでよく見られた。ダンサーが伴わない「サックス5」というビッグバンドのサックスセクションだけ抜き出してきたような5人組のグループもあった。ファンタジーランドでは贅沢なことに日本ジャズ界の至宝である外山喜雄氏のディキシーランドセインツが演奏(TDLでの名称はパーリーバンド)していた。外山喜雄氏は日本のサッチモ(ルイ・アームストロング)とも呼ばれる有名なトランペット奏者でありヴォーカリスト(サッチモそっくりに歌える)でもある。


一般にTDLで踊っていたダンサー達はオリエンタルランドのエンターテインメント部所属だが、大元は東宝芸能(株)のようであった。東宝芸能から派遣で来ていたようなイメージだろうか。東宝芸能からは多摩市にあるサンリオピューロランドにもダンサーを出しているので、TDLを辞めたダンサーが、その後ピューロランドのショーやパレードで踊っていた、などということもある。ピューロランドのパレードを見ていて、「なんか見覚えのあるダンサーだな」と思ったら、元TDLに居たダンサーで、お互い(筆者とダンサー)に「え?あれ?あーっ!」という表情になったこともあった。

TDLのショーに出演するダンサーはTDLでは無名の存在として登場する。主役はミッキー等のキャラクター達だからであろうし、そういう契約になっているものと思われる。現在「ジャンボリミッキー!」で人気の林祐衣さんも自己の経歴を紹介する際にはTDLの仕事(「ジャンボリミッキー!」等)は一切言わないし記していない。(*3)

また、これは若干センシティブな内容になるが、30年前の当時、TDLダンサーは一般的なダンサーに比較してダンサーとしての評価があまり高くなかったので、その意味でもTDLダンサーであることを積極的に言わないダンサーが多かったのも事実である。これはもちろん総合的に見た時の平均しての話であり、中には高い技術とセンスを持つ優れたダンサーも居た。「ジャンボリミッキー!」の林祐衣さんも高く評価される1人であろう。林さんばかり名前を挙げているが、「ジャンボリミッキー!」を担当するダンサーは数名おり、ローテーションでシフトが組まれている。林さんだけでなく、他のダンサーさんも技術が高い人が多いようだ。いわゆる「キレッキレ」のダンス(*4)が出来て、素人目にも「上手い」「凄い」と感じさせる人、である。

TDLダンサーは無名で出演、と書いたが、名前が判ればオリエンタルランドのエンターテインメント部経由で手紙や物品(ビデオテープ等)の送付はできるようになっていた。少なくとも初期の頃(30年前)はそうだった。このあたりが現在はどうなっているかは筆者は把握していない。(当時のエンターテインメント部の担当者さんには大変お世話になった。改めて感謝・御礼申し上げたい)

また、上述のジャズのビッグバンドも同じ東宝芸能所属だと推測される。パークのビッグバンドで演奏していたプレイヤーが日比谷の宝塚劇場(東宝直営)の専属オーケストラの中で演奏しているのを発見したこともある。


ダンサー達もまた休日にはゲストとしてインパークする場合も多い。だから、パーク内でゲスト同士として鉢合わせする事もある。私服でくつろぐダンサー側の気分と時間が許せばお茶しながらの会話などという事も不可能ではない。普段はステージ上の存在であるダンサーから色々な話が聞けるのも楽しいレア体験になるであろう。



ダンサーのことばかり書いているが、ディズニーのキャラクターファンも少なからず居た。例えば、知り合いにグーフィーの熱烈なファンという女性が居たのだが、グーフィーを担当するエンターテイナー(グーフィーの衣装・被り物を着用してグーフィーらしく振る舞うパフォーマー)は数名(いずれも長身だった)居て、グーフィーとしての動き方を見るだけで「誰が着ぐるみの中に入っているかが分かった」、というから凄いものである。同じキャラクターの同じ動きを演じても、そこに個性が出てしまうのであり、それが見分けられるのは凄いことだ。
もっと面白いのは、キャラクター担当のエンターテイナーは普段の生活で外を歩いている時には当然素顔で歩いているので、その人がキャラクター担当であることはバレる筈はない。だがしかし、普通に外を歩行している時やバスに乗っている時など、日常のちょっとした振る舞い一つで、その人がキャラクター・パフォーマーであり、何のキャラクター担当なのかまで分かるそうだ。例えば、ミッキーマウスを担当するエンターテイナーは日常生活の中でも、ちょっと驚くようなことや嬉しいことがあった場合、パーの形にした手を口に当てて、まるでミッキーが「ハハッ」とおどけるような動きを(つい)してしまうのである。これは無意識に出てしまう動きであり、それだけその人がミッキーになりきって頑張っている演じている証左と言えよう。このような具合に各キャラクター毎の個性的な動きというものがあるので、そのアクションを見るだけで分かる人には分かる、ということらしい。



・・・等々、思いつくままに記してきた。ダンサーの雇用やシフトに関するシステムやルールが現在も同じかどうかは不明だが、ミッキー等のキャラクターだけでなく、ダンサーに注目してショーを鑑賞するのもTDL・TDSの楽しみ方の一つと言えよう。あのパークには色々な切り口・視点で楽しむ方法があるのだ。




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(*1)
特定の会社のサーバーに固定電話回線を利用して接続することで各種の情報を得たり、会員同士のコミュニケーションがはかれるクローズドなサービスである。ニフティサーブなどが有名だった。インターネットの規模とは雲泥の差がある。ちなみにWindows95を発売した時のマイクロソフトもMSN(マイクロソフトネットワーク)というパソコン通信をやっていた。ビル・ゲイツがインターネットの重要性に気づくのはもう少し後の話である。

(*1a)
余談だが、TDL5周年時代の年間パスポートの価格は25,000円だった。翌6周年でも27,000円である。

(*2)
かつて「会いに行けるアイドル」として売り出したAKB48(2005年~)だが、TDLのダンサーはそれよりもずっと早くから「会いに行けるアイドル」だったのである。

(*3)
林祐衣さんは2024年4月から鹿児島の女子ソフトボールチームであるMORI ALL WAVE KANOYA のスペシャルサポーターに就任する、と本人が発表しており、4月7日からスタートするTV番組でもメインダンサーとして出演するそうである。そう考えると、TDL「ジャンボリ~」の出演は3月迄、ということになるのかもしれない。これは筆者の推察だが、およそ真剣に舞踊を目指す人なら終着点はディズニーではないだろう。TDLのステージに出演していたのは一時的なものだったのであろう、と思われる。
また、本当に3月で「ジャンボリ~」出演が終了なら、最終日にはダンサー仲間が大勢ショーを見に来る(客席にやってくる)筈である。それもまた一つの目安となるだろう。

(*4)
「キレッキレ」だけでも実は良くないのだ。それに加えて表現としてのしなやかさ等々の美的要素が無いとダンサーとして「上手い」とはならない。正直な話、「キレッキレ」だけのダンサーの踊りは見ていて痛々しい印象があった。




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<2024年8月16日:追記>

林祐衣さんは2024年度も「ジャンボリ~」に出演し続けているようである。東京と鹿児島の頻繁な往復で大変であろうが、頑張って頂きたいものである。

 

 

 


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CX「ザ・ノンフィクション~婚活ドキュメンタリー後編」に思う

2024-02-13 12:47:00 | 放送
フジテレビの「ザ・ノンフィクション」で2週続けて婚活テーマのドキュメンタリー放送「令和の婚活漂流記2024」(2/4、2/11)が放送された。婚活のカリスマとも呼ばれる植草美幸氏(婚活アドバイザー)の薫陶を受けて婚活に励む人々の奮闘ぶりを描く番組である。婚活に励む3人(女性1人、男性2人)を個々にスポットを当てて、植草氏のアドバイスを交えたその活動を追ってゆく内容となっている。ここでは「後編」の内容を中心に記してゆく。

この番組は放送後の反響が大きく、各方面で話題となっているようだ。そこで共通して見られる論調の一つに、2人の男性の内の1人である進藤さん(仮名・29歳)へのエールを含む内容が多い事が分かる。進藤さんは正直すぎるほど非常にピュアな男性で、カリスマ婚活アドバイザーである植草美幸氏の助言を素直に聞き入れて自分を変えようと必死に頑張っている。良い人ではあるのだが、その一方で筆者が気になった部分も多かったのも事実だ。

まず、YouTube動画のコメントでも同じ意見が散見されたが、進藤さんの「鼻出しマスク」の不快感、である。この番組で進藤さんが映るシーンの多くで彼は「鼻出しマスク」の状態になっている。そもそも「マスクをする意味・目的」が全然理解できていないようだ。とても理系の開発系業務をしているとは思えないほどだ。理系であるにも関わらず科学的思考ができないのだろうか。意味も考えずに「形」だけ社会に合わせている…かのように見える。理解以前に意識化もできていないのだろう。筆者はここに彼の無神経性が象徴的な形で露出していると考えている。筆者自身はこのようなタイプの人といかなる形でも関わりたいとは思わない。

そもそも彼は「自分を変えたい」と思っているにも関わらず、番組を見る限りでは全て植草氏のいいなりになっており、「そこまでやらないと(植草氏のいいなりにやらないと)自分は変わらないんだろうな」と述べている。「自分を変えたい」にも関わらず「他人任せ」なのである。つまり主体性が無いのである。ここにも彼のやりなげな精神や悪い意味での無頓着な人間性が出ている印象を受けた。

また、植草氏との面談シーンでは、進藤さんが椅子の背にもたれて座り、腕組みをしながら植草氏の話を聞く姿が映る。ここで植草氏はそれを「態度が悪い」「そこが相手に不快感を与えているかも」として注意するのだが、番組の最後の方で進藤さんは再び同じ誤り(腕組みして話を聞く)を繰り返しているのである。さらに、このドキュメンタリーの前編で登場したお見合い相手の北川さん(仮名)に対して悪意があったか無かったかは不明だが、失礼な物言いをしてしまうあたりに、この進藤さん自身の「無神経」「無自覚」そして「未熟さ」を感じてしまうのは筆者だけではないだろう。さらに言うなら、それ以前に北川さんにも大きな問題があったのであり、進藤さんの言葉はそれに対する意趣返しとも取れる。そうだとしても、その「場」を荒らさない対応は29歳なら求められるところ、と言えよう。

これが社会経験の少ない20代前半ならともかく、社会経験もそれなりに積んできたであろう29歳になってこれでは…如何なものだろうか、という気がするのである。相手に「問題あり」と思ったとしても、少なくとも、こうした外から見える部分でこれだけ「無神経」を感じさせてしまっては、「そりゃ婚活も難しいでしょうね」と思わざるを得ないものがあるのだ。もちろん進藤さんは基本的には「良い人」だとは思う。故に頑張って欲しいと思うが、しかし、進藤さんの根っこの部分にあるこの「無神経」「空気が読めない」部分が今後もネックになりそうな気がして仕方ないのである。ポイントは、「彼がいつ、そこに気がつくのか」、であろう。

それから、進藤さんの名誉の為に書いておくと、交際が成婚に至らないのは相手となる女性側にも問題がある場合が多いのだ。今回、進藤さん47回目のお見合いの相手となった東大卒の女性は進藤さんに対して「上から目線」基調で対応してくるのが鼻についた。「家事はどれくらい出来るのか」「毎日、料理を作って写真を送れ」などと進藤さんに上から目線で要望(ほとんど命令?)するのだが、これ自体が失礼なことである。それでもピュアにそのオーダーに応える進藤さん。そして、彼が「真剣交際」の段階に進めたいと希望したのだが、女性はその回答を保留した。だいたい「回答を保留」の段階でもう「終了フラグ」が立っているのだが、進藤さんはそれでも健気に待ち続けた。その後、真剣交際には進めたのだが、最終的には女性の親が進藤さんの学歴を問題視(女性は東大卒)した事や、進藤さんの家事能力の問題、そして彼の年収では持ち家を購入することは無理だろう、という女性の判断で交際は破談となったのである。だが、学歴云々は最初から判っていた筈であり、最後の最後で「それ言う?」な妙ちきりんな対応には疑問がある。それでも番組はこうした女性側の問題はスルーし、植草氏もスルーするのである。植草氏もテレビ局も「婚活はひたすら男性側だけが必死に頑張るもの」という枠組みで捉えているのだろうか、と疑問に思う。さらに、この相手女性もたいがいだが、現代は男性に優秀な学歴、さらに豊かな経済力、そしてイケメンであること…という条件が揃っていないと家庭は持てないのが実態だ。全く救いのない話である。少子化になるのも当然であろう。



50代の会社経営者にして資産家の内田さん(男性・仮名)は、植草氏から「貴方は早とちり」と言われるように、早合点して自分で都合よく解釈して突き進んでしまう傾向があるようだ。また、自分の言動・行動に無意識的なところが多いのかもしれない。街なかでの番組インタビューに応える内田さんは無意識的に耳の穴をほじる動作を数回繰り返していたが、それが照れのせいだとしても、あまり品の良い行動とは言えないだろう。
そのせいか、何度も婚活には失敗を重ねているようである。だが、この「婚活テーマのドキュメンタリー後編」に於いて、内田さんのターンで最も気になったのは、実は内田さん自身よりも、今回のお相手である中国人女性(40代)である。この女性も経営者とのことで、対等な経営者目線で話せる分、内田さんとは気が合う…ように思えたのだろう。結婚後の生活についても生活費を折半して公平に折り合いをつけてやっていく殊勝な姿勢を見せていたお相手の中国人女性だが、交際が進行して内田さんが「これはもう成婚だな」と確信を持ち、例によって先走って植草氏に成婚退会の申請をしてしまった。しかし、相手の中国人女性は植草氏に対して「未だ成婚していない」「結納金が欲しい」という希望を伝えてきたのである。それだけではない、「結婚後の生活費は全て夫が支払うのが当然で女性が払う必要はない」と言い、さらに駄目押しに「(自分の分の)成婚料も払って欲しい」とねだる始末。内田さんとのお見合い・デート時には殊勝な態度をも見せ、愛情があるような振る舞いを見せていた中国人女性だが、いざとなるとこれである。えげつないレベルで欲望丸出しだ。

これに対して内田さんは「(日中の)文化の違いかな」と思ったようだが、これは筆者やこのブログをお読み頂いている読者の方ならある程度想像できるところであろうが、中国人・中華民族というのはこういうものなのである。中国人は常に「自分の利益」を第一にモノを考え、そしてそれが全てだったりする。徹底的に自分中心・自己中心的なのである。そこに日本人的な「思いやり」「性善説」の発想や思考など一切無い。平たく言えば「自分だけ良ければいい」・・・そういう民族なのだ。悪口を言っているのでもないし貶しているのでもない。これが中国人の民族的な特質として普遍的に見られる実態である、と言っているだけだ。それは厳然たる事実である。こうして内田さんのケースも救いのない終わり方で番組は進行する。

もう一つ・・・内田さんには申し訳ないが、ルッキズムの問題も感じてしまう。中国人女性との交際前に他の女性とお見合いをした時に内田さんは植草さんから「お断りの返事」をもらったのだが、その理由として「生理的に無理」という身も蓋もない言葉が告げられた。これは女性が男性の外見にこだわりがあり、有り体に言えば「※但しイケメンに限る」という原則を堅持している一つの証拠と言えよう。アドバイザーの植草氏は内田さんを評して「良い人なんですよ。でも(お見合い相手に)伝わらない…」と言う。それは女性の側にルッキズムが強力に存在しているからであり、しかもこれは人間の本能的な部分に関わる事でもある。簡単には言えないが、その(女性が持つ)本能によって男性への差別が行われるのなら、男性社会に「不本意未婚」または「諦婚」というネガティブな意識が広がるのも仕方がないものと言える。



ただ1人、女性会員のゆかさん(仮名・28歳)のケースだけは男性二人のケースとはかなり違う。植草氏の指示で二重目蓋の整形手術を受けるのだが、後で相手となる男性会員から写真と実際が違うという指摘を受けた。「手術しろ」という指示をしたのは植草氏だが、そんな指摘を受けて植草氏は「私も答えようがない」ので、女性自身から言うように指導する。これは如何なものだろうか。整形を指示・推奨したのは植草氏なのである。植草氏のやり方に若干の無責任さを感じるのは筆者だけではないだろう。ともあれ、心の広いお相手の男性(会社役員・33歳)はそれを受け入れて、最終的には成婚に至った。番組の中では唯一の成婚例として紹介されることになったのである。めでたいことである。



番組を視聴していて、全般的・総合的に気になったのは、植草美幸氏が厳しく指導しダメ出しもするのは基本的に男性だけ、であるところだ。番組を見ている限りは、女性会員は一般的に非常に強いクセというかアクが強い印象であり、中には「とんでもないでしょ、この人」と言えるほど(常識に照らして)おかしな女性会員も居る。ただ、番組はそこにはスポットは当てないのである。女性には優しく、男性には厳しく…そうした番組制作者のバイアスのようなものが感じられる放送ではあった。

上段で「バイアス」と書いたが、そもそもこの番組を見て、何か「女尊男卑」的な番組制作者のバイアスを感じるのは筆者だけではないだろう。3人登場する婚活者の内、成功(成婚)例として紹介するのは女性の一人だけで、男性の二人は失敗(成婚に至らず)例として紹介される。ここに、こうした番組構成にしようとした制作者(と放送局)の恣意的なニュアンス(バイアス)を感じるのだ。色々あった中で最終的に女性は持ち上げ、男性は下げる…こうした組み方にするのは社会に定着している女尊男卑の思想が土壌にあるように思えて仕方ない。男性はどこまでも下げて良い。しかし女性には優しく、そして上げる。女性の会員は顔出しせずに進行し、男性会員は顔を出して恥を晒させる・・・「こうした番組の作り方は女性視聴者(と、フェミニスト)への配慮であると共に、テレビ局(マスコミ)の男性全般への「上から目線」を感じるものである。しかも制作者はその事に無意識で「男性はどれだけ下げても構わない」という価値観を当然の事として意識せずにやっているように見える。一人の女性が成婚に至り、二人の男性の失敗が確定した後で、番組ではわざわざナレーションで「街は恋人たちが寄り添う季節になりました」と語って見せる。それが益々「上手くいかない男性達」の惨めさ・哀れさを強調する演出となる。こうすることで女性視聴者は溜飲を下げ、男性視聴者は益々結婚への諦観を強くするのである。


参考までに、元番組ディレクターだったYouTuberのさっきー氏の動画↓を閲覧されたい。ノンフィクションでありドキュメンタリーは決して「真実」を見せてくれるものではない。フジテレビは民放であるから視聴率を取れる内容にしなければならない、という使命を背負って番組を作っている。なので、番組制作者は一般的に、数字(視聴率)の為には平気で嘘もつくし偏向報道もするし、勝手に切り貼りして作ったストーリーを見せることもあるし、大事なことを「報道しない自由」を行使したりもするのだ。

『フジTV「ザ•ノンフィクション」の過剰演出が多い理由』

ノンフィクションと銘打ちながらも、必ずしも「本当の事実」「真実」が描かれる訳では無い事がよく分かるだろう。



まして、今回の婚活ドキュメンタリーの構成・演出(ディレクター)は女性である。必然的に「女性的な恣意」が入ったが故にあのような作りになったのかもしれない…そんな印象を受けるのである。





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<2024年4月3日:追記>
東京・目黒で結婚相談所を経営されている方がショート動画で語っていたところによれば、「ザ・ノンフィクション」を視聴した地元の友人から「高いお金を払って無理矢理嫌な思いをさせられているように見えた」「高いお金払ってこれしかマッチングできないのかって思われないかな」と言われてショックを受けたそうである。あの番組を視聴した限りではそう思われても仕方がないだろうし、実際にその通りである実態もあると思われる。だが、この経営者によれば、番組に出てきたマッチング方法は古いやり方であり、今は仕組みが新しくなっており、より良い縁組が可能だ、という趣旨の事を話していた。もっと納得できるマッチングは「ある」ということで、あの番組で婚活業界自体が誤解されかねない事を憂慮していた。









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岸田首相の自覚なき自虐大罪

2024-02-09 17:06:00 | 国際
岸田首相が「共生社会と人権」をテーマにしたシンポジウムに寄せたビデオメッセージが大炎上している。

『岸田首相の人権メッセージに相次ぐ疑問の声、 「差別の少ない国なのに」 擁護コメントも』

中国専門家としても知られる作家の石平氏はXのポストで次のように述べた。

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「外国人などに対する不当な差別が日本にある」という岸田首相の発言はあまりにも酷かった! 日本国の首相は公然と、日本国民にいわれのない汚名を被らせた。あなたはまさか、日本人を貶めるために日本国首相になったのかと、あなたの辞典に「恥」ということはないのか、岸田首相に聞きたいところだ!

午前7:52 · 2024年2月9日 石平氏のポスト
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「外国人などに対する不当な差別が日本にある」というとんでもない発言は、日本国の首相から吐かれたことの問題性は重大。今後、国内外のあらゆる反日勢力はこれを材料に使って日本を攻撃してくるのであろう。場合によってそれは河野談話数十倍の殺傷力で日本を苦しめていく。この岸田発言の罪が深い。

午前7:57 · 2024年2月9日 石平氏のポスト
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岸田首相の発言はまるで左翼活動家のそれであるかのような間違いだらけのメッセージである。前提から間違っており、虚偽の事実を前提にした発言になっている。これはそのまんま左翼活動家の言い方である。そして、遥か以前の河野談話に未だに苦しめられる日本に対して、さらに泥を塗り重荷を背負わせるような言動であり、今後、岸田発言を根拠とした日本への攻撃が反日国家から行われることだろう。KYで無能の総理大臣はどこまでも日本を貶めて苦しめるのである。岸田氏の頭の中身がすっからかんである証拠がこのビデオメッセージと言えよう。流石は「総理大臣になりたかった”だけ”」の人だ。誠に強い憤りを感じるものである。


もう一つ。

ジャーナリストの有本香氏とイスラム思想研究者である飯山陽氏がネット番組でこの岸田発言について語っており、それを中心に記事は書かれている。参照されたい。

『岸田首相の「ビデオメッセージ」にSNSで疑問や批判の声 有本香氏、飯山陽氏が「あさ8」で問題視』


記事中にあったように、トリッキーな言葉の使用や、それ以前に「自分が何を発言しているのか」すら理解していない可能性を感じさせる岸田発言である。まったくもってこんな総理大臣では駄目だ。せっかく安倍元総理が日本を世界のリーダー格にまで押し上げてくれたのに、岸田首相のせいで全部が台無しになってしまった。強烈な憤りを感じるものである。










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自民党・派閥解散の本当の意味

2024-02-09 09:53:53 | 社会・政治
岸田総理が言う「派閥解散」が各方面に波紋を広げているが、これについて国際政治学者の藤井厳喜氏の解説を基調として記してゆく。

そもそも、自民党の「派閥解散」はこれが初めてではない。1960年代にも1970年代にも派閥解散をやっており、例外なくその後復活しているのだ。派閥というのは自民党の中の小さな政党のようなもので、意見が合う人々が自然と寄り合うグループであり、選挙の際の支持基盤にもなる。これが最終的に自民党を上手く動かす動力になるのだ。むしろ派閥ができるのは自然なことであり、必要なものでもある、と言えるかもしれない。

そんな中で岸田総理が「派閥解散」を言い出して実際に解散した、というのは実際にどういう意味があるのだろうか。

実はこれは嘘なのである。「派閥を解散します」という嘘。国民を騙す方便の一種なのである。解散したところで、前述の通り、派閥はまた自然と復活するものである。これは突き詰めれば「だって人間だもの」の領域で起きる自然現象のようなものだからである。

岸田総理は大見得を切って格好良いシーンを演出したつもりだろうが、国民は「こんなの嘘でしょ」と最初から見抜かれているところが哀れではある。

これが一つ。
そして、次に示すことが重要である。

派閥を本当に無くしてしまったら一体何が起きるのだろうか?

官僚からの影響力が非常に強くなるのである。これは霞が関官僚にとっては願ってもないチャンスとなるのだ。政治家を官僚の思うように好き勝手に動かすことが出来るようになる・・・官僚達にとってはウハウハな状況になるのだ。

実は、これが岸田総理に「派閥解散」をやらせた官僚達の目的であり思惑なのだ。特に財務省官僚だ。そう、派閥解散の真の黒幕は霞が関の官僚であり、なかんずく財務省官僚だ。


また、派閥解散をしていない麻生派は、元他派閥の人間を多数入れる事で「大宏池会」となろうとしている。宏池会は元々大蔵省・財務省関連の政治家の集まりだ。大宏池会という大きなグループが出来れば財務省にとっては全てが思い通りになるのだ。まさに悪夢である。


岸田総理が「財務省のいいなりな人物」「ポチ」であることは今や広く知られている。このブログでも以前から散々書いてきたように、岸田総理は本当に中身がすっからかんな人物であり、やることなすこと全部官僚に教えてもらうほどであるが、派閥を解散して官僚の思うように政治家を動かせる環境が作られ強化されれば、財務省が好きな「増税、増税、また増税」が簡単にやりやすくなるのである。(*1)

外務省もそうだろう。ただでさえ、外務省は親中・親露・親韓な連中が数多巣食っており、左傾化傾向が強い省庁だ。今の岸田政権では尖閣諸島も守れないだろうし、そんな弱腰では北方領土など永遠に返ってこないのは確実だ。また、LGBT法ひとつとっても岸田政権がもはや左翼政権と呼んでも過言ではない実態を示しているのは間違いない。



上述してきたことが「派閥解散」の本当の意味なのであり、岸田政権を放置しておくと官僚達の暴走は止まらなくなり、日本はどんどん沈没して限りなく消滅の方向に向かうだろう。危機的状況である。今の岸田(自公)政権は日本にとって不幸な最悪な内閣の一つと言えよう。





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(*1)
今現在も少子化対策と銘打って「国民一人当たり500円の負担」を言い出している。(*1a) 要するに「増税」である。最初は小さく「500円」と言っているが、やがてこれは段々大きな金額になってゆくのは確実である。「ザイム真理教」の異名を取る財務省の「増税信仰」に絡め取られており、もはや岸田氏は財務省のスピーカーでしかない、かのようである。(蔑笑)

(*1a)
しかも、この少子化対策とやらは、全然「少子化対策」になっていない。荒川和久氏(独身研究家)が根拠を挙げてそれを解説している。こんな政策をやっても子供の数は絶対に増えない事が今から見えている…それほど的外れな政策なのである。しかも、国民生活はさらに厳しくなり、経済的苦境に立たされる若者はどんどん結婚から遠ざかってゆく。婚姻数が現象すれば少子化になる。すなわち岸田総理がやってるのは「少子化推進政策」に他ならない。もうね、阿呆かと、馬鹿かと。







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一ノ瀬美空 と 吾妻ひでお の相似性についての覚書

2024-02-07 15:43:15 | 人物

乃木坂46・5期生に一ノ瀬美空という「特異な」キャラクターが居る。わざわざ「特異」という言葉を使う意味を説明する。ビジュアルは美少女である。紛れもない美少女。ある種、完成された美少女だ。しかも福岡産である。(笑)


この子を初めて見た時に惹きつけられたポイントは目である。笑った時の目の形が「円弧」になるのだ。三日月を横倒しにしたような形だ。この形が漫画家・吾妻ひでおが描いた美少女がナンセンスギャグのシーンで見せる笑顔の時の「目」にそっくり同じなのだ。筆者はこれを見て内心ひっくり返った。

 



乃木坂の5期生が加入したての頃、運動能力テストという企画が冠番組で実施された。その時に、5期生メンバーは皆、名前が書かれたビブスを着用していたのだが、一ノ瀬美空は前後ろを逆に着用してしまったのだった。メンバーの井上和に「ビブスが逆だよ」と指摘された時のバツの悪さと恥ずかしさを湛えた笑顔。その時の目の形がまさに円弧型だったのであり、それは同時に吾妻ひでおが描く美少女キャラクターが同じようなシチュエーションで見せる笑顔と同じだった…事を思い出させるものでもあった。それ以後、一ノ瀬美空の笑顔、それも満面の笑みになるほど吾妻ひでおキャラに似てくる(ほとんど寄せている、と言えるほど)印象を否定出来なかった。



一ノ瀬美空と吾妻ひでおの「特異」に相当する相似性はこれだけではない。

上述したのは外見上の相似性だが、次は内面の相似性だ。

世間では常識から逸脱した発想・思考・行動、しかもそれが人間同士の関係性の中で起きた場合、しばしば「変態」という言葉をあてがうケースがある。吾妻ひでおの漫画作品はナンセンスギャグが多く、その中に美少女を美しく配置し、しばしば「変態」に相当する倒錯の世界を描いて、ある種の人間の内面性をビジュアルとして我々に提示してくれるものであった。「変態」と言っても単にエログロの世界を描くそれではなく、一種のスペキュレイティブ性を兼ね備えた広義のSF作品と呼べる世界でもある。事実、吾妻ひでおは、自身の体験をSFに昇華させた「不条理日記」で星雲賞やその他の賞を受賞している。



吾妻作品に登場する美少女は単なる性的対象としての存在ではなく、そのSF的ナンセンス空間の進行役であったりヒロインであったり、巻き込まれて大変な目に遭う役回りだったりしてセクシュアリティーの追求とはひと味もふた味も違う存在意義があった。

乃木坂の一ノ瀬美空もまた同様の「特異」な魅力を持つ。基本的には常識を踏まえる社会人としての佇まいを持っているのだが、その一方で、彼女が居るフィールドが「表現」の場になった時、平易に言えば「ぶっとんだ」行動や言動を見せることがあり、それは「飛べない一般人」には到底理解できないものだったりするのである。一般人から見れば「変態」という言葉に収斂してしまうようなものかもしれないが、しかし一ノ瀬の発想は「一般」の領域を遥かに超えており、知らぬ間に「向こう側の世界」にワープしているかのようでもある。ある時は同じメンバーのお尻を触って5期生全員のお尻をコンプリートしたかと思えば、なんとコンサートの本番中に先輩メンバーのお尻をお願いして触らせてもらったかと思えば、卒業を間近に控えた1期生の齋藤飛鳥の脚にしがみついて「安心できます」と言ってみたり、という常人には発想し得ない発想と行動を突如として起こす。さらに、コントやスキット中の役の中で時おり見せる狂気を孕んだ目つきは一ノ瀬美空ならではの「凄み」を感じさせる。また、同期メンバーの小川彩を溺愛しており、小川がドン引きしているにも関わらず纏わりつく様が映像として放送された時に初めて自分の行動の「特異性」に気がついて「あたしってこんなに気持ち悪いんですね」と素直な感想を述べたのには笑えたものである。それらの奇抜な行動や発想は決して一ノ瀬美空が本当に「おかしな人」だからではなく、ちゃんと「常識」も「礼儀」も兼ね備えた立派な社会人としての一面がありつつのそれだから面白いのである。



そうしたある意味で「非常識」な発想や行動が吾妻ひでおが描く美少女キャラクター達の活躍を彷彿とさせるものがあり、それは限りなく(前述の通り)面白いのであり、意味が不明なのに楽しさと不思議な感情を視聴者側にもたらすところが相似性の最たる部分でもあり、それが笑顔の中にある「円弧型の目」で完結するところに、なんだかわからないが拍手したくなるのである。


この『「なんだかわからない」のだが、しかし「面白い」「楽しい」』というのは「SF作品」に対する最高の賛辞の一つであり、ある種の「凄み」を表すものでもある。

一ノ瀬美空の凄さは、自身の中にあるこうした「特異な何か」を包含しつつ、常識的な世界と折り合いをつけつつ(現役大学生でもある)渡り歩いているところにあるのかもしれない。ビジネス(仕事)上で求められるものは何でも器用にそつなくこなせる頭の良さ、勘の良さ…そして、同時に時おり見せる、時にアザトさをも含む特異で奇妙な魅力・・・全て計算され制御されているのだろう。筆者もまだ把握しきれていない、この一ノ瀬美空という「特異」なキャラクターは継続的に見ていきたい、という思いを起こさせるに十分な魅力を持ったアイドルと言えよう。








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