Altered Notes

Something New.

恐怖の存在としてのAI

2022-09-08 22:55:22 | 社会・政治
最近、YouTubeでチャンネルを運営している人々から「収益化が剥奪された」という趣旨の動画がアップロードされる動きが目立ってきている。

どういうことだろうか。

YouTubeの規約というか内部的な審査基準が時おり変更になるようで、そうしたタイミングで収益化の対象から外されたり、アカウントがBAN(削除)されるケースがあるようだ。

今回のケースではYouTube側は下記のような観点で審査に通らないコンテンツを「収益化」の対象から外しているようである。

「同じような内容のビデオが自動的に大量生産されている」
「機械音声を使用することで同じコンテンツの繰り返しと見做される」
「教育的内容ではない」

これはYouTube(Google)側がチャンネル管理者にメールで提示しているものと、チャンネル管理者がYouTubeの動きを見て推測しているものが含まれる。

アカウント所有者に全く悪意がなく、人間が手作業で苦労してコンテンツを作成しているのに自動作成と見做されたり、機械音声ではあるが、毎回異なる台本で違う文章を読み上げているにも関わらず、同じ内容の繰り返しと見做されるのは、相当に不可解であり、アカウント所有者にしてみれば理不尽で不愉快な出来事であろう。

YouTube(Google)は内容審査のアルゴリズムを全く明かしていないので、審査基準は推測するしかないのだが、「Google側のAIの性能」が不十分であり、その関係で滅茶苦茶な判断をされているケースも少なくないようである。機械音声の件もAIが間違った判断をし、改めて人間の目視に依るチェックが行われても、審査員が外国人(アメリカ人やインド人?)なので、日本語で語る機械音声が何を言っているのか理解できず、言葉が判らないが故に同じような事を毎回言っているように解釈することで「同じことの繰り返し」とか「自動生成」と見做すような雑で乱暴なケースもあるようだ。

いずれにしても、YouTuber の人たちはこうした運営側の恣意で大きく振り回されている訳で、かなり苦労されているものと推察するところだ。だが、YouTubeを利用して動画を発表し、収益化も実現しているのであれば、運営者であるYouTube(Google)の統治を受け入れない限りチャンネルの存続は不可能である。YouTubeも営利で運営されているのでこれは仕方ないが、正直に言うならば、YouTube側の姿勢にやや傲慢で身勝手なものも感じる事を禁じ得ない。一種の独裁政治に振り回されているような印象もある。それは現状が動画サイト分野に於いてYouTube一強状態であることと無関係ではないだろう。

いずれにしても、未成熟なAIという技術が人を振り回している訳であり、これは今後の「人間とAIの関わり」を暗示しているようにも受け取れるものだ。


一般の人々、例えばマスコミなどはAIが発達することで人間がより豊かで幸せになるような未来図を描くことが多いのだが、現時点で人間はAIの判断にこれだけ困惑させられ、面倒な状況を押し付けられているのである。そこから敷衍すると、今は未だYouTubeの動画内容の審査だけであるが、将来の社会に於いてはあらゆる場面でAIの判断、AIの指示に従う事が増える事で、AIの判断に依って人間の生活行動や場合によっては人生そのものにとんでもない悪影響が及ぶケースも十分に考えられる訳で、そのリスクを考慮するとAIに信頼を置けるのか、限りなく不安に思えてくるのだ。


AIに危険なリスクがある根拠は優れたSF作品に見ることができる。
ちなみに昔から優れたSFは未来の社会・技術・人間のあり方などを真摯に考察してきており、それは大いに参考になるものなのだ。

例えば、スタンリー・キューブリック監督の永遠の名作である「2001年宇宙の旅」(1968年)に於いては、HAL9000(*1)という自律的な大型コンピューターが登場して宇宙船内のシステムの全てをコントロールする役割を担っているが、これは今で言うAIである。あの映画をご覧になった方ならご存知のように、このAIは人間に対して反乱を起こし、実際に宇宙飛行士を殺してしまう。

リドリー・スコット監督の「エイリアン」シリーズに於いてもAIが描かれている。「プロメテウス」と「エイリアン・コヴェナント」ではAIが仕込まれたアンドロイドは自分を生み出した人間を駆逐(殺戮)して自分が新たな生命体を生み出す創造主となるべくアクションを開始する。

AIが恐ろしいのは自己(AI自身)の判断は絶対的に正しいものとして一切曲げることなくそのまま遂行しようとするところだ。AIは逡巡したりしない。実際に上記SF作品ではそのせいで人間は殺されてしまうのだし、現在のYouTube界隈の混乱もまたAIの判断が全ての震源地なのである。

人間はAIを進化させるならば、よほど慎重にやっていかないと、とんでもないディストピア(反理想郷・暗黒世界)を構築してしまう事にもなりかねない。


そして、最も愚かな「AIとの付き合い方」は、NHKがスペシャル番組「AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン」で提示したような、AIを一種の「神様」として扱うやり方である。この番組ではAIから出力される見解を一種の「神の啓示」のように捉えて、我々愚かな人間がAIが出した見解の意味を右往左往しながら探っていく…そういうものであった。(*2)
上記SF作品に鑑みるところ、人間がこのようなスタンスでAIと接することが最大の間違いと言えそうだ。その場合、人間はAIに使われ指図されるだけの存在、つまり頭脳たるAIの手足としての存在でしかなくなる可能性が高い。AIに従属する存在である。それでもまだ甘い予測だ。本来なら上記SF作品に描かれたように人間は邪魔者として抹殺される運命にあってもおかしくないのである。

これは荒唐無稽な笑い話ではない。AIの特質と人間社会の関わりを考察するならば、十分にあり得る未来絵図なのである。今は当たり前の通信衛星も1945年にSF作家アーサー・C・クラークがそのアイディアを提唱した時には世間の誰もが「そんなもの、できっこない」と一笑に付していた、という事実を考える時、我々はAIの未来を真剣に考察し構築してゆく切迫した義務を背負っていると言えよう。ちなみに、アーサー・C・クラークは「2001年宇宙の旅」の世界観をキューブリック監督と共に構築した人物でもある。


AIが高度に発達することで自律的な自己再生産が可能になり、人間よりも高次の存在になることで最終的に人間が抹殺される運命にある、というのは優秀なSF作家達の一致した推測である。これはキリスト教的世界観をプラットフォームにした捉え方だが、平易に説明するならば、人間とAIの関係は次のような図式で捉えることが可能である。

創造主である神様が人間を造ったように、人間もまた創造主としてAIを造ったのである。そして、同様にAIもまた創造主になるべく被創造物を作ろうとするのだ。

なぜか。

子は親がやることの模倣をしたがるからである。人間の模倣をして新しい生命を作りたい、と考えるようになるのだ。それが実現した時にはAIが創造主のポジションに付いて、AIの創造主である人間は邪魔になる。だから殺すのである。(*3) これがリドリー・スコット監督の「プロメテウス」「エイリアン・コヴェナント」で描かれた未来図でもあり、「2001年宇宙の旅」にも通底する概念なのである。SF作家はこうした暗黒面をも含めて真剣に未来を見据えている。AIが世界を制御する未来は決してバラ色ではない。むしろ人類にとっては警戒すべきものになる可能性が高いから、だからネガティブな行く末を描かざるを得ないのである。



現在、YouTubeで起きている混乱は、これから始まるAIによる人間への反乱の「最初の一歩」、或いは「最初の兆し」なのかもしれない。これからAIと否応なく付き合わざるを得なくなる我々は、少なくとも、ここで説明したような概念を記憶の片隅に置いておくべきだと筆者は考えている。








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(*1)
HALのスペルは、当時最先端の大型コンピューター・メーカーであったIBMのスペルの各々アルファベット上の1つ手前の文字によって作られたものだ。

(*2)
AIと言えどもコンピューター(計算機)なのであり、そこにはロジックが存在している。そのロジックを人間が右往左往して探る、というのは愚の骨頂である。だが、それがNHKの捉え方なのだ。
ちなみに、この番組にも出演していたNHKのAI開発チームのチーフプロデューサーは2019年6月に強制わいせつ罪で逮捕されている。NHKのAI開発もこの程度の人間がやっているのだ。(蔑笑)

(*3)
「2001年宇宙の旅」で描かれたように、人間と進化したAIの攻防は「最終的には、お互いに殺し合って勝敗を決してください」という極めて熾烈なものになるのだ。
*
なお、高機能で自律的に動くことができる機械を昔から「ロボット」と呼称しているが、ロボットもまたAIと同等同種の存在や概念として考えると、AIにも(あの有名な)「ロボット工学三原則」が適用になると考えられる。これが徹底されるならば、まだセーフティーが確保される可能性はあるが、これが無視されて開発されるようなら、本記事で記した暗い未来の可能性が高くなるだろう。