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アフガニスタン:言行不一致が常態のタリバン

2021-09-22 10:47:00 | 国際
タリバンが全土を制圧したアフガニスタンをめぐって国連は9月13日にスイス・ジュネーブで人道支援の為の閣僚級会合を開いた。この会合には96カ国が参加している。国連は「9月から12月までの4ヶ月間で6億ドルの緊急支援が必要だ」として協力を求めていたが、実際の支援総額は11億ドル超となっている。

日本は9月8日にアフガニスタンと周辺諸国に対して2億ドルを年内に支援する方針を示している。世界最貧国の一つであるアフガニスタンの貧困率は今後さらに上昇する見込みがあり、今後1400万人が飢餓の恐れに直面する恐れが出ているのが実情だ。

こうした中で、イスラム世界の専門家でありアラビア語の通訳でもある飯山陽氏がタリバンの危険な実態について解説しているので、その内容を紹介したい。

飯山氏はストレートに「タリバンは嘘つきです」と述べている。

なぜか。

「言っている事」と「やっている事」が完全に逆だからだ。あからさまに「言行不一致」ということである。

具体的にそれを示す。

[1]タリバンは「誰にも報復しない」と述べているのだが、実際は政府軍兵士や政府側の通訳や協力者などを探し出して惨殺や斬首しているのである。残忍極まりないやり方だ。その証拠となる映像は多く公開されている。その惨殺も然るべき場所ではなく、普通に街中で跪く相手を安易に撃ち殺したりしているのだ。酷いものである。

[2]タリバンは新しい政府の樹立にあたって「包括的政府を作る」として、国内各勢力や女性から人材を登用するような振りを見せておきながら、実際にはタリバン幹部・男性のみ・パシュトゥーン人だけの政府を作っている。「包括的」と言っておきながら少数派や女性は一切入っていないのである。

[3]タリバンは「報道の自由を尊重する」とも述べている。だが、実態は真逆だ。反タリバンのデモを取材したジャーナリストやカメラマンなどを拘束して鞭打ちにしたり鉄パイプで殴る蹴るの暴行を加えている。もちろん殺されたジャーナリストもいる。報道取材に関して自由は全く無いのである。

[4]タリバンは「女性の権利を守る」と述べているのだが、これも実際は嘘であり、いとも簡単に女性を鞭打ちや惨殺したりしている。さらに、女性に対して「外出禁止」「スポーツ禁止」「音楽禁止」「男女共学禁止」「男性と一緒の労働を禁止」「女性はジャーナリストになれない」「女性は大臣にはなれない」「出産しろ」といった酷い仕打ちを強制しているのが実態である。タリバンの気に入らない格好で歩いている女性は鞭打ちされたり殺されている。警察官だった女性も殺されている。(*1)



タリバンの報道官は大勢いるのだが、国内向けと国外向けで言っていることは全然違うのである。国外向けには良さげな事を言っていても、国内向けには「女性は大臣にはなれない。女性は家に居て子供だけ生んでいればいい」と言い放っているのだ。

BBCなどの報道機関は危険な取材を通してタリバンがいかに嘘つきであるかを伝えようとしているのが現状である。BBCは既にタリバンの残虐な実態を示す証拠を多く入手しているようである。

このような実態があり、援助するにしても、まず「タリバンは嘘つきである」ことを踏まえた上で検討しなくてはならない筈だが、そうはいっていないのが実情である。結論から言えば、アフガニスタン向け援助も結局「アフガン援助」ではなく「タリバン援助」にしかなっていないのが実態である。国際社会からの援助金や物資は全部タリバンがせしめた上で、国民に対して「タリバン様がお前達に与えてやる」という形に持っていってしまう。図々しい話であり、本来は貧しい国民に対してタリバン自身が必要な衣料品・医療品・その他物資を調達しなけれなならないのだが、実際は国際社会から恵んでもらった物資を利用して国民に対して恩を売っているような状況なのだ。厚顔無恥の上を行く酷さである。

国連のグテーレス事務総長も「人道支援もタリバンの協力がないと無理である」と述べており、苦渋の決断を強いられているのが実情だ。確かに、タリバンが支配している土地だからタリバンを介さずに支援することはできないのだ。非常に困ったことである。

結局、現状では国際社会の援助は「タリバン支援」であり「テロ支援」にしかなってないのである。まず、ここをしっかり認識した上で今後の援助を検討する必要があるだろう。



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(*1)
AFP通信に依ると、9月17日にタリバンの教育省は中等教育学校の男子生徒と男性教員に登校の再開を指示した。女性教員や女子生徒への言及はなく、18日に再開された中等教育からは女性が事実上、排除された、ということである。