goo blog サービス終了のお知らせ 

Altered Notes

Something New.

チック・コリアのAKB

2020-03-08 03:13:03 | 音楽
チック・コリアは素晴らしいジャズピアニストであり作曲家である。非常に幅広い音楽性を持っており、ジャズの全てのスタイルに通じているし、クラシックやスパニッシュ音楽にも造詣が深い。モダンジャズの王道スタイルはもちろん、抽象性の高いフリージャズから極めてロック色の強いバンド、そしてスパニッシュ音楽への傾倒など、どのチャレンジも全て実り豊かな音楽の創作をもって聴く者に音楽の喜びを与えてくれる・・・そんな音楽家である。(*1)

チック・コリアは1985年にややロック的な色あいのあるエレクトリックバンドを結成して技術と音楽センスを高いレベルで融合させた音楽を創造した。1989年には、その時のリズムセクションであるベースのジョン・パティトゥッチとドラムのデイブ・ウェックルとチックの3人でアコースティックバンドというトリオを結成した。要するにジャズのピアノトリオ編成である。

なお、普通は「アコースティック」のスペルは 「Acoustic」だが、このバンドにおいては「Akoustsic」である。(*2) 
Akoustsic Band…だから略称はAKBになるのだ。もちろん、あのアイドルグループとは何の関係もない。当然だ。(*3)

Chick Corea Akoustic Band はジャズのピアノトリオと書いたが、実際に聴いてみるといわゆる伝統的なピアノトリオの聴こえ方とは少し違うものを感じるだろう。いわゆる16ビート系のコンテンポラリーな音楽を聴いていた人でもスムーズに入っていける親しみやすさがあることを感じるに違いない。それは何に起因するものだろうか。

バンドサウンドのリズム面の要(リズム型もサウンドも)になるのはドラムである。ドラマーのデイブ・ウェックルはスティーブ・ガッドのようなルーディメンツ的な要素もマスターしており、16ビートを叩かせた時のタイム感覚は聴いていて非常に心地よいものがある。そしてそのタイム感覚が4ビートやその他のリズム型(ラテンリズム、他)においても見事に発揮されているところが伝統的な4ビートジャズドラマーとの違いである。サウンド的にも伝統的なジャズドラマーが相対的に高めのチューニングをしているのに対して、どちらかといえば低めであまり音が残響しないようなチューニングをする事が多い。

このデイブ・ウェックルが演奏するドラムが土台になり、その上で展開されるチック・コリアの非常に現代的でクリアなピアノが展開される時、全体のサウンドは単なるピアノトリオを超えたコンテンポラリーな魅力のあるサウンドとして聴こえてくるのである。また、曲の展開において予めアレンジされた部分も少なくなく、その仕掛けを高い技術力で次々に決めてゆく心地よさもあって、一種のモダンな16ビート音楽を聴いているかのような錯覚をすら覚えるほど気持ちが良いのである。

ノリのファクターについて誤解を恐れずに言うならば、伝統的な4ビート演奏では前のめりというか、ビートを前詰めの感覚で演奏する傾向があるが、16ビート系音楽ではどちらかと言えばゆったりしたリズム感覚で捉える。言い方を変えれば、ビートの核の部分を拍の後ろの方で捉える…といったものだ。そこも大きな違いであろう。

ベースのジョン・パティトゥッチは凄腕のベーシストである。チック・コリアのエレクトリックバンドでは6弦のエレキベースを演奏するが、こちらのAKBではウッドベース(コントラバス)を演奏する。高い技術力と幅の広い音楽性でチック・コリアの音楽を盛り上げている。ちなみにジョン・パティトゥッチはウェイン・ショーターのレギュラーカルテットの正規メンバーでもある。ウェインはバンド全員が即興で曲を解体しながら同時に新たな作曲をするという難解な要求をバンドに与えるのだが、それに見事に応えることのできるスキルとセンスの持ち主でもある。

こうした鉄壁のリズムセクションに支えられたチック・コリアのピアノは非常に自由に動き回ることが可能になる。非常に現代的な感覚の持ち主であるチック・コリアはスタンダードナンバーを演奏しても無理なく現代的な色あいで演奏することができる。そしてチック・コリアの自由な発想で音楽がどのように自由に動いても二人のリズムセクションは瞬時にチック・コリアの意図を読み取って優れた音楽として仕立ててくれる。リスナーは得難く素晴らしい瞬間を何度も耳にすることになるのだ。

是非ともお聞きいただきたい。チック・コリアのAKBである。



-----------------------------------




(*1)
チック・コリアの演奏で特徴的なのはジャズに付き物のブルース色が非常に薄いことだ。皆無と言っても過言ではないほどである。1968年に録音された「Now He Sings, Now He Sobs」に収録されている「Matrix」は12小節のブルース(キーはF[ヘ長調])(*1a)なのだが、一聴してこれがブルースだと判る一般リスナーは少ないのではないだろうか。これほどモダンでインテリジェンスを感じさせるブルース演奏はそうそう無いだろう。これを最初に聴いた人はだれでもぶっ飛ぶ。それほどすごい演奏だ。

(*1a)
ブルースと言ってもいわゆる黒人のR&Bのようなテイストの曲や泥臭い演奏を言うのではなく、ジャズに於けるブルースである。1コーラスが12小節で完結する形式で、ジャムセッションなどでは100%必ず演奏される。


(*2)
ちなみにチック・コリア・エレクトリックバンドの方もエレクトリックのスペルは「Electic」ではなく「Elektric」となっている。だから、AKB同様に略すとEKBになる。


(*3)
当然のことだが、時系列的にもチック・コリアの方が圧倒的に先である。いわずもがな。






ジャズピアニスト 上原ひろみ の凄さ

2020-02-12 22:39:39 | 音楽
上原ひろみという世界的なジャズピアニストが居る。
ご存じない方の為に紹介させていただく。

バイオグラフィーはこちらを参照していただきたい。

16歳時の実力がチック・コリアを唸らせるものだったことも素晴らしいが、チック・コリアのミュージシャンを見極める目の(耳の)正しさにも改めて喫驚するものがある。

上原ひろみの音楽・演奏を最も象徴的に表す言葉がある。
「インボリューション(involution)」である。
意味は「巻き込む」ということ。

何を巻き込むのか?

彼女の演奏は聴く者の心を鷲掴みにして否応なく引き込み、そして巻き込むのである。
それは彼女の即興演奏が常に真剣勝負であり、圧倒的で凄まじいほどスリリングで否応なくワクワクさせられ、なおかつスポンテニアスで聴く者の心にストレートに入ってくるからであり、真に音楽的な演奏だからである。その大きく深いインパクトをもたらす原資になるのは彼女の卓越した演奏技術であり、そして音楽に対する深い愛情と楽しむ気持ちである。即興演奏が特に上手く進行する時、それは彼女に大きな音楽的な愉悦を与える。それは生きている中で最高の楽しさ・気持ちよさを演奏者に与えると共にオーディエンスにはこれ以上ないほどの豊かな音楽体験を与えてくれるものである。

ジャズというと、元々ジャズファンでなければ楽しめない敷居の高い音楽だと勘違いしている向きもあろうが、全くそんなことはない。そもそもジャズは現存する全てのポップやロックといった洋楽の原点に存在する音楽なのである。かけ離れたものではないのだ。

その証拠に上原ひろみが日テレの番組に出演した時のビデオをご覧(お聴き)いただきたい。

 『心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU』

番組MC陣の加藤浩次氏や他の二人も決して普段はジャズに親しんでいる人ではないと思われるが、しかし上原ひろみの演奏に対しては心底感動していることが判る。決してテレビ的な社交辞令を述べているのではない事は見れば判る。

上原ひろみはここで自作曲の「マルガリータ」を二度演奏する。一度目の演奏も凄かったので加藤氏を始めとするMC3人は感動と興奮の中で最大級の賛辞を送っている。しかし上原ひろみは一度目の即興内容に満足せず、もう一度のトライを希望する。この時、彼女の頭の中には既に即興のアイデアが浮かんでいたのだと思われる。そして二度目の演奏。MC陣3人は打ちのめされたように興奮し感動していた。正に「巻き込まれた」のである。それは上原ひろみ自身が音楽を演奏する事自体に無上の喜びを感じているからであり、だからこそオーディエンスの心にストレートに伝わるのだ。そして同じ曲の演奏でもこんなに異なる形に展開できることと、ジャズが持つ自由な世界を実感できたことと思う。

さらにMC陣からシナトラの「マイウェイ」の演奏を依頼すると、上原ひろみは「マイウェイ」の演奏経験が無かったにも関わらず、加藤浩次氏が歌うかなりあやふやなスキャットによるメロディーラインから正規のメロディーラインを割り出しコードを付けて演奏し、その上で見事な即興演奏も披露した。もちろん上原ひろみは「マイウェイ」という名曲の存在は知って(聴いて)はいたが、たまたま演奏する機会がなかっただけであろう。「マイウェイ」という曲のアウトラインはおぼろげながらも記憶にあった筈である。だから加藤浩次氏のあやふやなメロディーラインだけで「マイウェイ」を完全再現できたのである。彼女的にはメロディーラインとコード進行が判明してしまえば、後はどうにでもなる。どうにでも即興演奏は可能なのである。

2017年4月28日には「ミュージックステーション」に矢野顕子との共演でピアノデュオを披露している。上原ひろみの鬼気迫る演奏はここでも聴く者を虜にしたのであった。ジャズをはじめ音楽に造詣の深いタモリはもちろん、アイドルグループ嵐の松本潤君も上原ひろみの演奏に惹き込まれたファンの一人であり「十年前から彼女の音楽を聴いている」、とのことであった。

ピアノという楽器は鍵盤を押せば音は鳴るので、ぶっちゃけ誰が弾いてもそこで鳴る「音」「サウンド」だけは同じなのではないか、と思われる人もいるかもしれない。極端に言えば猫が鍵盤上を歩いても同じなのでは、と。しかしこれが全然違うのである。ここが不思議なところで、同じピアノが弾く人の違いで全く異なるサウンドを奏でるのである。音量も違う。上手い人が弾くと、ピアノは信じがたいほど大きな音が鳴ったりもするのだ。凄腕ベーシストのスタンリー・クラークは「マッコイ・タイナーとHIROMIの時は大きなサウンドが鳴った」と証言している。上手いピアニストはピアノを最高に「鳴らす」スキルを持っている、ということである。


また、上原ひろみの作曲・編曲能力も凄いものがある。作曲に於ける彼女の音楽性にはいくつかの特徴があるのだが、一つはジャズでありながらプログレッシブ・ロックのような音楽要素も感じられるのが面白い。それでいて、オスカー・ピーターソン(*3)を彷彿とさせる高い演奏技術(平易に言えばバカテク)を駆使して弾きまくるジャズとしての側面も十分に楽しめる。(*1)それをトリオ編成で展開するのだが、共演するベースのアンソニー・ジャクソンはリー・リトナーやスティーブ・ガッド等とも豊かな共演経験がある皆さんご存知のベテランであり、ドラムのサイモン・フィリップス(*2)も名うてのセッションドラマーでありTOTOでも活躍した人物だ。その二人のサポートを得たことでますます上原ひろみの作編曲の魅力が生き生きと伝わるのである。

 『上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト - 「MOVE」ライヴ・クリップ』

創造する音楽がジャズ的でプログレ的でもありながら、同時にクラシック的な魅力も感じられるし、スペインやラテン等の南米音楽への深い理解が前提となる音楽性も持ち合わせる。要するにその時に必要な音楽要素をすぐに出せる引き出しの多さと懐の深さは他の追随を許さないものがある。

ジャズハープ奏者のエドマール・カスタネーダとの共演も記憶に新しい。これらの多くの音楽的な要素が最終的に上原ひろみという音楽家の中で見事に昇華しているのは正に奇跡的な凄さと言えよう。種々の音楽的要素が感じられながらも最終的には、それは間違いなく”上原ひろみミュージック”になっているのである。

日本で、世界で、もっともっと高く評価されて良い音楽家なのである。



------------



(*1)
ソロピアノを含めてどのような編成でアンサンブルしても彼女はそこでできるあらゆる可能性をトライして豊かな音楽上の成果として結実させてゆく確かな技術の裏付けと天才的なセンス、そして常に新しいアイデアが湧き出ててくるクリエイティブなマインドはいつもフレッシュでアクティブな状態にある。(横文字だらけになってしまった)


(*2)
スティーブ・スミスに代わる場合もある。一種のトラ(エキストラ/代理出演)と思われる。


(*3)
上原ひろみは晩年のオスカー・ピーターソンと親交があった。オスカーは彼女の実力を認めていて、やさしく見守っていた。彼女の最初のレコーディングの時には温かいアドバイスもしていたようだ。




コントラバス/驚異の表現力~ゲイリー・カー~

2019-11-19 20:20:00 | 音楽
コントラバスと言えば低音弦楽器であり、フルオーケストラにおいては上手側(*1)の端に数人配置されている事が多い。アンサンブルにおける低域を支える楽器として重用されているが、実はソロ楽器としても輝かしい魅力を持っている。

コントラバスと言えば誰もが「低音域の楽器」だと認識しているが、実はコントラバスは低域から高域までかなりの広帯域を表現できる。

論より証拠。
まずはこちら↓の映像を視て(聴いて)いただこう。

[VIDEO] ボッテジーニ「夢遊病の女による幻想曲」Gary Karr

コントラバスを演奏するのはアメリカのコントラバス奏者ゲイリー・カー である。ご存じの方も多いと思うが、この楽器の名手でありユーモアたっぷりに演奏する事でも有名だ。余談だが筆者はこのコンサートを現場で聴いていた。

お聴きになって頂いてお判りのように、普通に低音域からかなりの高音域までレンジの広い演奏がなされている。高音域に於いては倍音 を駆使したメロディーラインを綴るので非常に美しくかつダイナミックな演奏が可能である。

コントラバスはヴァイオリン系の楽器の中でも最も弦長が長く従って指板(左手指によって音程を決定する為の板)も長く面積も広い。この楽器で広帯域(低音~高音)を生かしたソロを演奏するということはすなわちこの長くて広い指板上を左手が縦横無尽に飛び回らなくてはならない、ということだ。しかも正確なポジションに指を置かないと音程はズレてしまう。非常に難しいのである。

例えばこの映像の5分38秒あたりからのシーンや6分32秒あたりからの左手の速い動きは凄いものがある。通常音と倍音を駆使した高速フレーズを難なくこなしてゆく余裕は素晴らしいとしか言いようがない。

ところがゲイリー・カーはこの困難を様々な工夫で克服することで、コントラバス初のソリストとして活躍することができたのである。その演奏はベテラン故のグルーヴ感があり表現的な説得力に満ちている。

最近でこそ女性のコントラバス奏者も増えてきて、前述の速いフレーズを含む技術をこなしたりもするのだが、ゲイリー・カーはこうした分野のパイオニアであり、コントラバスの高い演奏技術を早くから開発し磨いてきた大きな功績があるのだ。

技術だけではなく音楽的な表現力も抜群である。メロディーラインをこれ以上ないほどの歌心を込めて音楽的に演奏できる感性は圧倒的な実力に裏付けられている。

演奏力以外にも彼自身の人柄にまつわる表現にも注目である。上で「ユーモアたっぷり」と記したのだが、例えばこのボッテジーニの曲において彼が示すユーモラスなパフォーマンスは曲のより深い愉悦を聴衆に与える力を持っている。7分11秒あたりでゲイリー・カーは楽器に覆いかぶさって寝てしまうように見えるが、これは次のシーン(チャプター)への準備になっている。寝ているように見えるのは次の静謐なシーンへのメンタリティを整える時間だったのだ。・・・と同時に、高速フレーズを連発して頑張るシーンを終えて「俺、もう疲れた」「もうたくさん」という体で、さらに演奏を続けるピアニストに対する一種の反発を意味するようなユーモアを感じさせるパフォーマンスでもある。(*2)

こうした驚異の技術力とセンスに裏打ちされたゲイリー・カーだからこそ可能なユーモアの表現も含めてコントラバスという難しい楽器の魅力を十二分に伝えてくれるのである。




-------------------------------



(*1)
ステージに向かって右側のこと



(*2)
4分21秒あたりでも一つのシーンが終わった段階でゲイリー・カーは「曲が終了した」体で、演奏を続けるピアノを怪訝そうに見つめ「まだやるの?」という体で手持ち無沙汰にしてみたり懐中時計で時刻を確認したり、とユーモアを連発する。このシーンがあっての7分11秒の覆いかぶさり、なのである。















ビッグバンド・ジャズ・ドラミング

2019-11-13 01:02:12 | 音楽
ビッグバンド・ジャズの面白さのひとつは圧倒的なダイナミズムであり、それはグルーヴするリズムセクションと輝くサウンドを聴かせるホーンセクションのアンサンブルが織りなす総合力である。そしてジャズでビッグバンドと言えばなんと言ってもデューク・エリントン・オーケストラとカウント・ベイシー・オーケストラが双璧として有名であることは間違いないだろう。

今回はカウント・ベイシー・オーケストラのライブ映像を紹介する。

COUNT BASIE ´68 - THE MAGIC FLEA

1968年、ドイツはベルリンでのコンサート映像である。曲は「マジックフリー」。サミー・ネスティコの作曲で1968年のアルバム「ベイシー・ストレート・アヘッド」に収録されている。非常に速いテンポで演奏されるスリリングでダイナミックな曲である。

バンド全体が素晴らしい演奏を繰り広げるのだが、ここで筆者が敢えて推したいポイントはドラムである。大所帯のビッグバンドをリズムで支え全体を鼓舞するドラムの魅力が爆発しているのである。

聴いていただければお判りと思うが、エディー”ロックジョウ”デイビスのテナーソロ開始直前のアンサンブルとテナーソロが終わった後の後半のアンサンブルに於けるハロルド・ジョーンズのドラムプレイは凄まじいものがある。

超速いテンポの4ビートリズムで強力にグルーヴし、ビッグバンドならではの細かい決め所を確実にビシバシ決めていく迫力は否応なく音楽的な興奮にリスナーを巻き込んでゆく。技術が凄いだけではこうした演奏にはならない。卓越したリズム感とスイング感覚、そしてドラムという打楽器を音楽的に叩くセンスの問題である。

また、これだけ凄い演奏にも関わらず、ハロルド・ジョーンズは必要最低限の力しか使っていない。決してシャカリキに力んでいる訳ではなく余裕で演奏しているのだ。

そしてこの演奏が音楽の喜びに満ちているのは極めて優秀なホーンセクションの存在があってこそである。ビッグバンドは総合力だ。ドラムの良さが際立つのもメンバー全員が非常に優れた演奏力を持っているからにほかならない。

このフィルム映像では後半はハロルド・ジョーンズのドラム演奏にスポットが当たるので視覚的にも捉えやすくなっている。このフィルムの制作者は音楽を良く判っている、と言えよう。

過去にこの演奏映像の視聴ができたYoutubeページに於いても
”Great drumming by Harold Jones”
というキャプションが付けられていた。それで判るように、ハロルド・ジョーンズのドラミングが全編の白眉として挙げられるのは当然だろう。

見れば判るように彼のドラムセッティングはとてもオーソドックスである。(いわゆる3点セットと呼ばれる標準的なセッティング)しかしそこから繰り出される演奏は唯一無二の凄みと味わいがある。バンドの良し悪しを最終的に決定づけるのはドラムの出来次第であることが良く判ると思う。ハロルド・ジョーンズのドラムはこの時期のカウント・ベイシー・オーケストラが持っていたかけがえのない宝と言えよう。




「ジャズが起源」な話

2019-07-14 09:55:00 | 音楽
ジャズは音楽に詳しくない一般の人々にとってはなんだかよく判らない音楽であり難しそうで敷居が高いと思われている事が多い。煙たがられる類の音楽ではある。例えば大阪界隈でジャズの話をしようものならたちまち「ジャズておまえ・・・」と呆れられること請け合いである。(苦笑)

だが、現実にはいわゆるクラシック以外の西洋音楽、ポピュラー系の音楽の起源はすべてジャズである。ロックであろうがフォークであろうがポップスであってもすべてのポピュラー系音楽はジャズから派生し発展してきた音楽である。一般の人はそうした音楽の歴史を知らずにジャズを異端視して敬遠・忌避しているのである。

ジャズはざっくり言えば”アフリカとヨーロッパがアメリカで出会った音楽”である。アメリカに奴隷として連れてこられたアフリカの黒人たちが西洋クラシック音楽で使われる楽器(もちろん音声もだが)を使って自分たちの気持ちや生き様を音楽として表現し始めたのが始まりだ。ここからの歴史を詳細に語ると本1冊の分量になってしまうので、平易に言うならば、原初的なブルースを含むジャズが元になって純音楽的な掘り下げの深さを極めていったのが現代のいわゆるジャズ音楽である。

この音楽的な発展の途中で枝分かれしてよりカジュアルで簡便な形を取り入れて昇華していったのがロックやフォーク、カントリーといった音楽である。具体的には即興演奏の要素をはずしたことが大きい。音楽に詳しくない一般の人にとってはわかりやすいメロディーや和音進行が決まった場所で決まった通りに演奏されることが楽しいのである。演奏者にとっては即興をやらなくなったことでかなり楽になったと言える。

こうした一般の人の好みに合わせて音楽がシンプルになっていったのに対して純粋に音楽的深化を求めてジャズを聴く人々に対してはより進歩的なジャズ音楽が提供されるようになったが、それはポップスを好むような一般の聴衆からは既に遠く離れた音楽になっていた。(*1)

さらに、ロック等の音楽はさらに演奏者自身のアイドル性やカリスマ性という非音楽的な要素が加わってレコードの売上を飛躍的に伸ばしていった。1960年代のザ・ビートルズの登場以降はその傾向が一気に強くなった。ビートルズのレコードの売上はそれ以前のジャズに比べて2桁違ったそうだ。こうした流れからよりカジュアルなポップスも隆盛を極めた。

一方、前述のようにポピュラー音楽とジャズ音楽が枝分かれして各々の道を開拓していった結果として両者の溝は深く広いものとなったのだが、わかりやすいメロディーやコード進行・リズムが持ち味のポピュラー音楽とあくまで即興演奏を極める純音楽的指向性の高いジャズ音楽の中間の領域を開拓したのが1970年代半ばに登場したフュージョン音楽である。

一般人が取り込みやすいロック的でポピュラー音楽的な要素とジャズ的な大人の感覚、及び即興演奏の醍醐味を併せ持つのがフュージョン音楽である。フュージョンとは混合という意味であり、正にその名の通りの音楽的特質を持つものとなった。アメリカならスタッフやブレッカー・ブラザーズ、ボブ・ジェームスなどが代表的なものであったし、日本ならカシオペアやT-SQUAREが代表的な存在だろうか。

ちなみにフュージョンのようで実は大幅にジャズ寄りの音楽を作り上げた孤高の存在としてウェザーリポートという素晴らしいバンドもあった。アメリカの玄人筋の間では「アメリカの宝」とまで呼ばれたグループである。


非常にざっくりとした流れで言えばこのような流れで進化してきた、と言えるのである。
だがしかし・・・ハービー・ハンコックも言っていたが、あと400年もしたらジャズがどこから始まったかなんて誰も知らなくなるだろうし、ジャズから派生し発展した音楽も同様であろう。



-----------



(*1)
音楽的深化を遂げたジャズ音楽においては高い音楽的価値を創造することに成功した例はいくつもある。しかしそうした優れたジャズ音楽を創造する若い音楽家の多くが充分な報酬を得られていない。ジャズピアノの巨匠チック・コリアはそうした現状について「若く優れたジャズ音楽家が充分な報酬を得られる方法がないものだろうか」と後進を案ずる発言をしている。